カテゴリ:思想
2005年は、自分にとって、節目の年だった。
いつまでできるかは別として、いい仕事に就けたし、借金返済にも、一定のめどが立った。 2004年に、もはや自分の人生もこの先大きな進展は望めぬと諦観し、せめて自分の思想を記して終わろうと自覚したが、それは当初出版を考えてのことだった。 しかし今、さほど出版したいとも思わない。第一、できそうに無い。能力の問題ですナ。とほほ・・ この広場のホームページも、楽天自身がブログ化宣言した今となっては、ここに「平成の道家」を置くわけには行かない。 ここは、雑然とした堆積物として、これからも私の主要なページであることは間違いないが、別なところに道家のページを作ることを当面の目標とする。 -------- 確認事項 一 私は、弱者・庶民・大衆等が嫌いである。 彼らは自分が他人の妨げ、社会の停滞の原因となっていることに気づこうとしないばかりか、他を悪として攻撃し、しかも己は安全な所に居ようとする。それののみか、そのことを卑怯なことであるという自覚が無い。 弱者が弱者であることを武器に物を言うのは、金持ちが札束で人の横面を張り倒し、権力者がその権勢を以って他人の人格を踏みつけにし、無知なる者が、手前勝手な正義に依って、他人の人間性を否定するのと、軌を一にしている。 正に彼らこそが、そのような権力者や金持ちの予備軍なのである。 一 私は、道家である。 道家が何かという議論はあるし、ある基準に照らして「お前なんか道家と言えない」という向きもあろう。現にそのような書き込みは過去にあった。 しかし、その基準に照らして云々ということが既に儒家(儒教)的ダイナミクスの線上に道家を置くということなのである。道家とは、儒教的力学に拠らないで生活ないし、思考しようという人々のことである。 一 人は日々、鍛錬し学ばなければ、後退し衰弱するのみである。 そして結局は他人や社会のお荷物となりながら、自分以外に原因を求めて文句を言い、決して幸せにはなれず、つかの間の快楽・興奮を求めて無駄な消費を繰り返す。そのための金を得んとして、金のために人生の大半を疲れるためにすごしている。 私は、私の残りの時間をその様なことのために浪費しない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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