カテゴリ:思想
普通、社会生活で「独立」などというと、親元を離れて暮らすとか、経済的に自立したと言えるだけの収入があるとかその程度のことを意味する。
しかし、目先の欲望に駆られて生きているものは、我のまま、わがままに振舞っているように見えて、何かを金で買っているだけである。 しかも、自分の好きなように生きるということが、低次元で実現されている状態が長く続くと、それが自分の望みであるかのごとき錯角に陥ってしまう。 何かおいしいお菓子でもあると、それを食べたいと思う。さて、それをそこでその時食べるのが、自分の幸福に結びつくのか。それがたとえば夕食前とか、もう十分食べた後とかだったらどうか。 いつもスナック菓子を何かしら口にしないと、口寂しいとか、常にたばこを吸っていないと落ち着かないとか、いずれも、当面の自分の望みを満たしているのだが、本当は自分は健康と長寿、良い仕事ができて人からは一定の尊敬も得たいと思っているのなら、自制・節制するのは当然である。 また、もし自分が、子供やその他、誰かに関与しているのなら、それらの者にも節制することを学ばせるべきであろう。 低次元の欲望を生活の軸としているものは、いつかそれらが満たされないとき、不満を持つことになる。そしてそれを何か自分以外のせいにする。そして弱者にならざるを得ない。 弱者とは、自分以外の何者かに己の幸福を委ねてしまった者のことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月19日 18時53分27秒
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