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心が下流を求めることもある。だが、下流の方でそれを拒否してくれることもある。そんな時こそ天啓と思えなくもない。ありがたいことだ。
自分の受けた教育というのは、「下流」などという言葉そのものがタブーでありそのような言葉をうっかり人前で発しようものならたちまちのうちに「こいつはおもちゃにしてもいい者」というレッテルを張られてしまい正義の餌食にされてしまうというものである。 こうして半隠棲生活のうちに読み物をしていると、その書がどういう者たちによって否定されていたか、考えてしまう。そして真なるものはやがて復活せざるを得ないのだということがわかる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月19日 21時02分36秒
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