妄想力の育て方
基本的には腐女子です。創作でも、二次創作もします。アニメ大好物です。でも、まぁあれですよ。すべては妄想のなせる業なのです。妄想と想像の境界とはこれまたあやふやなものだと思う。そもそも、物語、小説、アニメ、国語の教科書etc、登場人物の気持ちになるというのはそれすべて想像であり妄想なのだと。それは、自分が他人にどう思われているかを想像することから、次にどんな出来事が起こるかを想像することから、明日の天気を想像すること、つまりは考えるという事象。昔から自分の母親がホラー漫画を好んでいたせいか、それをちらみしていた自分は酷く怖がりになりました。暗いというだけで、静かであるというだけで、簡単に想像してしまう。思い出してしまえば、見たこともないはずなのにイメージとしてホラー絵がうかぶ。トイレやお風呂に入れないことも。それはすでに想像を超えた妄想なのではないだろうか。そんなことは、案外よくある話だ。小さい頃は、女の子っぽい人形をあまり買ってもらえなかった。そこで、自分で紙に女の子や男の子、魔法使いや妖精を描いてはそれを切り抜き、親にばれないように机の中にドールハウス(もちろん紙製)を作って遊んでいた。それぞれ名前をつけたり、夢の中で冒険をさせていた。思えば1次創作はこの頃からやっていたのだろうか。。。近所の友達と、親の車で絶叫マシーンアトラクションごっこをやったりもした。運転のできない車のハンドルをにぎり、運転手がガイドとなって叫ぶのだ。「右から恐竜が襲ってくるぞー」「前方に落とし穴があるぞー」「しっかりつかまれー」次々とあふれる無茶振りに、皆それが見えているかのように反応する。空想は共有できるものなのである。高校生の頃。あまり友達のいなかったあたくしの楽しみは、人付き合いに疲れてしまい、ならばどんな学校生活を送りたいのか、どんな人と、どんなふうにすごしたいのか。それはどんな人間で、どんな過去を持っていて、どんな生き方をしていて、そして何を考えているのか。想像でしかない人間の感情を想像するという遊び。膨れ上がっていく世界観、ただしそこに自分という登場人物はいなかった。それに必死で、自分の今を考える余裕がなく、当時は寂しいとかあまり思わなかった。いったいなにが現実で、なにが幻想なのか、その頃自分は見失っていた。ところが。高校を卒業する頃になって、ようやく理解をはじめたのである。目の前にいる万人に思考が存在し、それは自分と違い、その人の主役はその人自身であり、その世界にアタクシは登場人物でしかなく、関わりがなければ通行人Aにもなりえない。現に、クラスメイトの記憶におそらく自分は残りもしない【嗚呼、こうやって世界は、たくさんの主人公と登場人物、無関係者で成り立っている】それにかかわることのできない寂しさを、孤独というのではないか。。。以来、ようやくアタクシは人と関わりを持つことを怖がらなくなったのである。(ちなみに高校の時の妄想した人物たちは、姿なくても当時のアタクシを支えてくれた存在に間違いはないので、時々絵にします。)といっても、まぁそう簡単に人見知りが直るわけではないし、なんか話が少々それてしまいましたが、そうやってアタクシの妄想力は養われて今日に至っているのだと思います。だから、アニメとかもう大好きですよ!!!(だからって何だwwww) 【あす楽対応】日本全国送料無料!コンビニエンス決済手数料&代引き手数料250円!クレジット決...価格:35,640円(税込、送料込)ウキョウーーー!俺だーーー結婚してくr(略 PSP うたの☆プリンスさまっ♪All Star Prelude Symphony Pack 本体同梱版[SCEJ]《発売済・在庫...価格:22,990円(税込、送料別)アタクシはさっちゃんが大好きだーーーーー!!!!