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ひろし33の日記 [全549件]
今日もサンデープロジェクトに仕分け人が呼び出されていた。 「日本は最先端科学技術を誇る「科学技術立国」のはずであったが、もはやその看板も下さなければならなくなったようだ」 この事業仕分けについて概ね賛成者は多いが、先日ある識者はそう述べていた。 次世代スパコンやGXロケットなど最先端技術の凍結について憤慨しているのだ。 子ども手当や高速道路の原則無料化、年間900億円のアフガン支援などを査定して、こちらのほうを削減しろと言わんばかりだ。 新政権は、限られた予算の中でどうやって国政を司っていくのか、難しい選択を迫られている。 考え方の相違があるのは当然だが、しかし、国民は前政権に嫌気がさして民主党に政権を託したはずだ。その舵取りに乱れがあっても、もう少し見守りたい。 しかし、高速道路無料化をなぜマニフェストで謳ったのか、これは今でも疑問に思っている。無料化の検証では訴求迫力が弱かったのか。 蔦の這う家 ![]()
ここのところよく雨が降る。 秋の空だから、天気予報士も当てるのは難しいだろう。 近くの公園の一本の紅葉が、四、五日前に見たときによく色付いていた。 次の日、それを撮ろうと思っていたのだが、天気が悪く、昨日行ってみたらもう色はくすんでいた。 この公園には紅葉の木が五、六本あるので、そちらに行ってみたら、なんとまだ緑葉だ。 その中の一本に、一か所だけ、赤く染まっている部分があった。 午後3時5分、この林から陽が陰る直前の木漏れ日によるものだ。が、なぜここだけ赤く色付いたのだろう。 明日は久しぶりに気のあった仲間との呑み会なので、楽しみだ。 陽のあたる場所 ![]()
親戚の子供の七五三の祝いで、成田山新勝寺に行ってきた。 七五三のお祓いを受けるのは神社だと思っていたので、新勝寺と聞いてちょっと意外な気がした。 本来なら、氏神様にお参りするのがしきたりだったらしいが、いつのころか、お寺でもいいことになったようだ。 私は記念写真を頼まれたのだが、既に写真館で?万円の写真は撮ってあったので気は楽だ。鰻を食わしてくれるなら行ってやるよ、と冗談で言ったのが、それで決まりとなってしまった。 真言密教なので、護摩を焚かれる本堂に大勢の七五三関係者が座り、高僧のお祓いが、仏教でもお祓いと言うのか、読経の中に行われたようだ。 私はその間、被写体を探し本堂周りをうろうろしていた。 撮影後、約束通り成田の老舗に行き、上鰻重をご馳走してもらった。いい写真に仕上げてあげなくちゃ。 スナップ ![]()
よく散歩するこの海岸で、いつも気にっているところがある。 遠くからこの立て札を見て、用を足そうとやってきた人は戸惑うだろう。 砂浜の真ん中に、立て札はあれど、目的のものがない。 実は、これを撮っている私の後ろが道路で、その道路の向こう側に目的のものはあるのだ。 矢印もなく、ぽつねんと立っている立て札の下に、二人の男が腰を下ろし夕焼けに染まる海を眺め何思う。 夕焼けを見るところ ![]()
薄ぼんやりとした天気で、沖のほうは霧がかかったように白く霞んでいる。 傘を立てた一艘のヨットがのんびりと航海している。 沖が霞んでいるのは霧ではなく、もしかしたら雨でも降っているのかも知れない。 鴎が5,6羽、目の前を飛んでいった。 このとき撮った写真は、まるで長江を描いた墨絵のような風情を表していた。 幕張海浜、午後3時35分。そしてその40分後、夕焼けへと変わっていった。 霞む海 ![]()
もう25年も前になるが、今でもあの地の状況は変わってないだろう、たぶん100年経っても変わらないだろう、と思っていたのに、町の名前が変わっていたのには驚いた。 あのウルファ、改めシャンルフルファで、古いバザールや墓地や古城や、郊外の穴居人洞窟や出会ったクルド人のおばさんたち。懐かしく思い出す。 もう一つ、ホテルの部屋の和式トイレに置いてあった水差し、アラブ社会の経験ある方ならおわかりだろう。 地中海東北端から150キロほど東へ進むと、かつてシルクロード南路の宿場町であったウルファがある。 「アブラハムは神のお告げにより、ウルを出、ハランを経てカナンへ向かった」。旧約聖書でアダムとイブ、ノアの箱舟の次に出てくる一節だ。 「ウル」はチグリス河の河口付近(現イラク)とする説と、このウルファだとする二つの説がある。ハランはウルファの東南三十キロぐらいの地、シリアとの国境近くにあり、更に南下するとカナンに至る。紀元前15世紀ごろユダヤ人(アブラハム)が永住の地としたカナン(現イスラエル)である。 そのユダヤ人の始祖と呼ばれるアブラハムは、このウルファに一時住んでいたと地元では信じられている。彼が山上より何本かの薪を麓の池に投げたところ、その薪が鯉に生まれ変わったという伝説があり、現在もその池には無数の大きな鯉が泳いでいて信仰の餌を待っている。 私はアブラハムが通った道筋としては、ウルファからハランを経てカナンへ向かったとするほうが妥当のような気がするが、ハランの遺跡に立った身贔屓からかも。 更に驚くことには、この町の古い教会には、キリストが処刑されたときに流した血を拭ったと伝えられる布切れが保存されていた。真偽のほどはわからない。 ハランの遺跡 ![]()
座骨神経痛かな、と思われる軽い痛みが尻からふくらはぎにかけてある。 長時間運転の後遺症か、パソコンに集中し過ぎか、ほんとに神経痛か、わからないが要心している。 時間をもてあまして、椅子に長く座らないように気を付けながら、昔の海外旅行の思い出を再編集していた。 トルコの思い出が一番多く印象に残っている。 そのとき訪れたトルコ東部地方をグーグルアースで見ていたら、町の名前「ウルファ」がどうしても見つからない。 トルコ、ウルファでネット検索してみたら、47000件もあった。 私が行った当時は、こんなところへ来るツアーなんてなかったが、今はトルコは人気の観光地なのだ。それでもあの秘境の東部がこんなに出てきたのには驚いた。 そして町の名前なのだが、シャンルフルファ となっていたしグーグルアースでもそれで見つけられた。 私が行った当時、25年前になるが、聞いた話か調べたことだったか忘れてしまったが、記録としては残っている。 この町は紀元前15世紀、オスローエ と言いアーリア人の首都であった。BC15Cですよ。 その後次々と国が変わり人が変わり、それにつれて町の名前も変わっていった。 ハリ、ハリトウルファ、オーハイ、オスレーネ、エデッサ、オライウルファ、そしてウルファだったのだが、またもや変わっていた。 この町の歴史の深さとそれに関わる話をぜひ次回に聞いてもらいたい。 ウルファの古城と教会 ![]() |一覧| |