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![]() 日記 by はやし浩司 (ひろし) This is (Mr.) Hiroshi Hayashi's Website for all Mothers and Fathers in Front-line of Children's Education. For Internat'l People, please click here! English,Spanish,G erman,French Click here to My main Website (はやし浩司のメインサイトヘは⇒クリック) Click here to enter はやし浩司のメインサイトへは、こちらから!(ここをクリック!)Hiroshi's Main Website! | ●メイン・サイトへは、こちらから Main Website
誕生直後の誠司(2002年8月20日) ![]() 誠司・満1歳6か月 ではみなさん、またいつか、どこかでお会いしましょう! パパやママのHPも見てください。 パパは、コンピュータのプログラマー、ママは、作家です! はやし浩司は、ぼくのおじいちゃん! 子育てについて、いろいろ書いています! HAVE A NICE DAY! ![]() 誠司は、今、こんな通りに住んでいます。(05年6月撮影) この虹を見たとき、誠司は、虹のふもとまで、散歩に行こうと 二男に強く懇願したと聞いています。 ***********おまけ************ ![]() 私の家の3兄弟 左から、長男、三男、二男です。 居間で、したい放題のことをして いたところを、カメラに収めました。 なつかしい、+貴重な写真です。 (長男が7歳、二男が4歳、三男が1歳 前後のころの写真では、ないかと思います。) ![]() 昭和51年(1976年)、BW教室のサマーインでの記念写真です。 ![]() 誠司・2006年11月作品(満4歳3か月) 日記(全文は、どうか無料マガジンの方で、お読みください!) [全9408件]
【菅直人前首相、吉田昌郎前所長、ありがとう! あなたは日本を救った大恩人だ!】byはやし浩司 2012/05/30記 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 つぎの事実を知ったら、あなたも背筋が凍るだろう。 まず、それを知ってから、菅直人前首相を批判したらよい。 もしあのとき、あの場で、菅直人前首相が、あのような行動を取っていなければ……。 今ごろ、この日本は、完全に崩壊していた。 北は青森の端から、南は静岡県まで、人の住めない無人地帯になっていた。 ヘリコプター視察? 怒声? それがどうした? そんなことは、この事実の前では、腸から出るガス程度の意味しかない。 参考出典は、『原発事故』(宝島社)。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●原子力発電所事故 原子力発電所が、いかに危険な存在であるかは、つぎの事実を知ればわかる。 『原発事故』(宝島社)から、それについて書いた部分を、抜粋する。 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。 そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。 うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。 とほうもない量である。 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。 「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社) 数千発分だぞ! わかるか、数千発分だぞ! それが4機で、1万発分以上だぞ(福島第一原発)! あの4号機だけで、それまでの核実験すべてで放出された量を超える放射性物質を抱えている※。 (注※)(週刊朝日誌より) 『 アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。 『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。 (ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。 震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。 大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。 4号機の事故は、日本だけの問題ではない。 また日本だけの問題ではすまない。 だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている』(以上、週刊朝日)と。 こうした事実を信ずるか信じないかは、あなたの自由。 仮に100歩譲って、その100分の1の量としても、たいへんな量である。 だから先のガンダーセンは、「4号機に注意しろ」「4号機が火災を起こしたら、日本から逃げろ」と教えている(同誌)。 ●読売新聞の記事より これに対して、読売新聞は、つぎのように伝える。 産経新聞と並んで、日本の右寄り(=自民党寄り)新聞社として、今まで原発推進運動の先頭に立ってきた新聞社である。 最終更新日時 2012年5月30日 8時13分37秒
++++++++以下、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++ ●菅氏の危機意識「薄っぺら」……地元首長深く失望 ★原発周辺自治体の首長や避難住民らを深く失望させる発言ばかりだった。 東京電力福島第一原発事故から1年2か月余、国会事故調による菅直人前首相の参考人聴取が28日にようやく実現したが、ある町長は、最高指揮官が示した危機意識を「薄っぺら」と痛烈に批判した。 全域が警戒区域と計画的避難区域となっている福島県浪江町のBT町長は、菅前首相が福島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。 原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点については、「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。 本当に支障はなかったのか」と憤った。 大半が警戒区域に指定された楢葉町のMH町長は、「原発事故に対応するための管理態勢がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した。 (2012年5月29日08時20分 読売新聞) ++++++++以上、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++ ●菅直人前首相への批判の要点 周辺自治体の首長たちの言わんとしていることは、つぎ(読売新聞)。 (1)菅前首相が福島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。 (2)原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点については、「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。 (3)大半が警戒区域に指定された楢葉町の松本幸英町長は、「原発事故に対応するための管理態勢がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した(以上、読売新聞)。 が、どう読んでも、ポイントがズレている。 その第一。 何か問題が起きるたびに、「国が……」「国が……」と。 私はこういう意見を聞くたびに、即座にこう思う。 「では、あなた自身はどうなのか」と。 「首長としてのあなたの責任は、どうなのか」と。 「(すべて)を国(?)に任せてきた、あなた自身には、責任はないのか」と。 それまで原発誘致に熱心だった首長もいたという話も聞いた。 (ここに書いた首長がそうだったというのではない。誤解のないように!) そういう首長が、事故が起こったとたん、「国が……」と。 この身勝手! 私なら、(かなり多くの人たちもそうしたと聞いているが)、即座にその場から避難する。 国(?)の指示があっても、なくても、関係ない。 たとえ国(?)が「落ち着いて行動してください」と言っても、その場から避難する。 事実、私はテレビで状況を見ながら、この浜松からでさえ、避難する準備を始めていた。 (直線距離にして、420キロ離れた、浜松市からだぞ!) その直後、オーストラリアへ渡った。 (オーストラリアへ行くことは、3・11震災以前から、決めていたが……。) 事実、名古屋からシンガポールへの便は、満席だった。 「国の指示がなかったから、避難しなかった」というのは、首長としては、言い逃れにしか聞こえない。 原発が、いかに危険な存在であるかは、少し勉強すれば、だれにだってわかること。 それを知らなかった……とは? 原子力発電所を抱えるその町の首長が、知らなかったとは? ●ヘリコプター視察 ヘリコプター視察? どうしてそれが問題なのか? 原発事故の恐ろしさを熟知していたからこそ、菅直人前首相は、現地へ飛んだ。 菅直人前首相は、東工大の出身である。 「私が首相だったら……」という言い方は、実におこがましいが、私が首相だったら、真っ先に現地へ飛んだだろう。 何はさておき、原発事故を防ぐことを考えただろう。 当時の状況は、いろいろな報道を総合すると、こういうことらしい。 官邸も、現地福島第一原発も、地震後の大混乱の最中にあった。 たがいの連絡もままならなかった。 官邸にいた菅直人前首相は、現地の情報すら正確に把握できない状況にあった。 東京電力の会長とも、また社長とも連絡が取れなかった。 だったら、最高責任者である国家の長である首相が、自ら現地へ行くしかない。 ●現場の混乱 産経新聞によれば、あの3月11日、東京には東電の清水正孝社長(以下、清水社長)はいなかった。 そのとき清水社長は、奈良の平城京跡を視察していた。 産経新聞はこう書いている。 『勝俣恒久会長も震災当日に北京に出張中で、両トップが震災当日に「非常災害対策本部」が設けられた東京の交通網の乱れで11日中に帰京できず、本店に戻ったのは12日午前10時。 勝俣会長も、震災を受け帰国を急いだが、11日は成田空港が使えず、帰国は12日だった。 東電では震災直後に非常災害対策本部を設置したが、本部長である社長は不在で、代わりに副本部長の武藤栄副社長が指揮を執っていた』(以上、産経新聞)と。 産経新聞ですら、こう書いている。 『財界首脳は「両トップが東京にいないということ自体が問題』と。 まさに状況は、『刻一刻と変化していた』(産経新聞)。 で、そんなとき菅直人前首相の心中は、どうであったか? 「社長はどこだ!」「会長を出せ!」と。 そう怒鳴り散らしていたところで、何も不思議ではない。 またそう怒鳴り散らしていたからといって、どうしてそれが悪いことなのか。 いいか、広島型原爆、数千発分の放射性物質だぞ! 数千発分! 4機合わせれば、1万発以上。 あるいはそれ以上! わかるか? たいへんな量の放射性物質だぞ! ●逃げる東電 東電の言い分はこうだろう。 「私どもは、国の指示通り、かつ国の基準通り、すべてそれに従い、原発を運営してきました。だから、私どもには、責任はありません。(あとは政府の責任です)」と。 が、菅直人前首相は、叫んだ。 「撤退は、ありえない!」と。 東電の本社に直接乗り込んで、そう怒鳴った。 以下は、Yahoo・Newsが伝える、当日の模様である。 緊迫した状況が、この報道からもよくわかる。 歴史的にも、たいへん重要な部分だから、そのまま紹介させてもらう。 ++++++以下、Yahoo・News 2012年5月29日++++++ ●「唯一の功績」にじむ演出 残留、社長に念押し→1時間後乗り込み 国会の東京電力福島原発事故調査委員会が28日(2012年5月28日)に行った菅直人前首相の参考人聴取では、東電に「全面撤退」の方針があったかどうかが焦点となった。 菅氏は「全面撤退と受け止めた」と繰り返したが、証言を元に当時の状況を追うとつじつまの合わない事実が次々に浮上する。 菅氏唯一の功績とされる「撤退阻止」までも根拠は希薄になりつつある。 【フォト】 国会事故調 菅直人前首相の聴取詳報 全面撤退について東電は「全員がいなくなることはあの状況では考えられない」(武藤栄副社長=当時)と全否定。 政府の事故調も中間報告で「全員撤退を考えた者は確認できなかった」とした。 ただ、民間事故調は、「撤退阻止」に動いた菅氏について「結果的に東電に強い覚悟を迫り、危機対応のターニングポイントである対策統合本部設立の契機となった」と一定の評価を下した。 国会事故調での証言を総合すると、清水正孝社長(当時)は昨年3月15日未明、海江田万里経済産業相、枝野幸男官房長官(いずれも当時)らに「撤退」方針を電話で伝えた。 海江田氏は官邸で仮眠中だった菅氏を起こし「東電から撤退したいという話が来ている」と伝えた。 「撤退と聞き、とんでもないことだと感じた」 菅氏はこう証言した。「清水社長が言うことは普通なら勝俣恒久会長らも相談にあずかっているはずだ」とも述べ、全面撤退が東電幹部の共通認識だと考えたことを明かした。 清水氏の電話について海江田氏は「全員という言葉があったかは記憶にないが、社長の電話なので重い決心が背後にあると感じた」、枝野氏も「正確なやりとりは覚えていないが、全面撤退と認識した」と証言した。 3人とも「全面撤退」とは聞いていないが、そう「受け止めた」のだ。 ところが、枝野氏は撤退情報の真偽を福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)に電話で確認したことも証言している。 この際、吉田氏は「まだやれることがある。がんばります」と答えたという。 菅氏自身も14日夕に吉田氏と電話し、吉田氏は「まだやれる」と答えたことを証言している。 つまり、菅氏らは東電に乗り込み「撤退阻止」する前、すでに現場幹部から「残留の意思」を確認していたことになる。 加えて菅氏は15日午前4時20分ごろ、清水氏を官邸に呼び出し、「撤退はありえませんよ」と迫った。 清水氏は「はい、わかりました」と応じたという。 にもかかわらず、菅氏は約1時間後、東電本店に乗り込み「撤退はありえない。撤退したら東電はつぶれる」と恫喝(どうかつ)した。 全面撤退の意思はないと踏みながら、事故対応に忙殺される東電の本丸に乗り込んだ菅氏の意図は何だったのか。 「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えない。 しかも菅氏の怒声はモニターを通じて福島第1原発の現場にも伝わった。 菅氏は「頑張ってもらいたいと強く言った」だけだというが、この「叱責」を「激励」と受け止めた作業員はいない。 ++++++以上、Yahoo・News 2012年5月29日++++++ 最終更新日時 2012年5月30日 8時12分49秒
●パフォーマンス? Yahoo・Newsは、「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えないと報道している。 しかしこれについては、こんな情報を、私はもらっている。 菅直人前首相(東工大)と、吉田昌郎前所長(東工大)を、ともに知る人物(後述、『Breeze from Yokosuka』サイト主宰者)からである。 その人物は、東工大同窓会の会長も務めたことがあるという。 いわく、「ともに東工大出身だったから、意思の疎通ができた」と。 たがいに面識があったかどうかは、知らない。 が、菅直人前首相が、吉田昌郎前所長と電話で話しあったとき、吉田昌郎所長は、「まだやれます」と答えた。 私はそのときの吉田昌郎前所長の心情が、痛いほど、よくわかる。 「ここであきらめたら、日本はおしまいになる」と。 それを熟知していたからこそ、「まだやれます」と。 それが東電の官僚組の意見だったと考えるには、無理がある。 つまり当時の状況からして、菅直人前首相に、パフォーマンスを考える余裕など、まったくなかったはず。 ものごとは、常識で考えたらよい。 あるいはあなたなら、どうするか。 そういう視点で考えたらよい。 首相といっても、1人の人間だぞ! 私やあなたと同じ人間だぞ! しかも日本という国がひっくり返るかもしれないという、まさに緊急事態。 日本中に広島型原爆が、何発も落とされたような状況。 一家にたとえるなら、母屋がもうもうとした煙に包まれている。 そんなとき、近所の人たちに向かってパフォーマンスを考えるバカがどこにいる? 大声で泣き叫んで、助けを求める人はいるかもしれない。 が、パフォーマンスを考えるバカはいない。 (菅直人前首相を批判する人は、菅直人前首相を、バカと思っているかもしれないが……。) ついでながら一言。 ほとんど人は、福島第一原発だけの事故を考えている。 しかしあのとき福島第一原発を、なすがままに任せていたら、福島第二原発(楢葉町)、女川原発(女川町)、東海2号炉(茨城県東海村)を含め、周辺の原発にさえ、人1人近づけなくなっていたはず。 それだけではない。 東海2号炉(茨城県)が事故を起こしただけで、「東京都の都民、50%ががん死する」(「原発事故」宝島社・P23)と。 こうした原子炉が、無人のまま、つぎつぎと爆発、メルトダウンを繰り返す。 福島第一原発事故には、そういう可能性も含まれていた。 ●『Breeze from Yokosuka』より Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 『Breeze from Yokosuka』サイトより、そのまま引用させてもらう。 この中で、当サイトの主宰者の方は、私の原稿を転載してくれている。 転載許可依頼があったので、私は喜んで応じた。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●菅総理は日本を救った(以下、「Breeze from Yokosuka」2012年1月4日記事より) 菅前首相はあらゆるところで酷評されております。 私の母校である東工大初めての首相ということで期待していたのですが、残念でありまた寂しい限りです。 そういう状況下にも拘わらず、はやし浩司さんはブログで菅さんを大絶賛していることを知りびっくりしました。 菅さんは応用物理卒です。 当時の東工大は入学試験時に類別はなく、大学2年の時に各自の志望で専攻が決まりますが、人気のある所は競争が激しく、応物に行けるのは成績が上から1割程度でないと行けませんでした。 先日、経団連の米倉会長は菅さんと野田さんを比して「首から上の質が違う」と、仮にも一国の首相を務めた人間を上から目線でバカにしきった話をしました。 野田さんは早稲田政経卒です。 経団連の米倉会長は東大法卒ですから文系野田さんと思考方法が近く、話は合うのでしょう。 私の高校同期の1/4ぐらいが東大に行きました。内訳は理系文系はほぼ半々でした。 私の若いころは「ものつくり、車」が人気で工学部志望が多かったのですが、数学が得意でない理系志望は先生から文系に転向するよう指導されました。 (一部の文学青年は何があっても文系でしたが) それから40余年、文系に転向した一部の仲間は大企業の社長や高級官僚になりました(現在は皆天下っていますが)。 彼らより数学が良くできた理系の仲間は皆鳴かず飛ばずです。 文系があらゆる分野で(メーカーでさえ)トップに立つようになったことが、現在の日本の停滞を作った元凶と思っております。 中国では共産党のトップに理系が多い。 最新の経済学は高度な数学をマスターしていないと理解できません。 数学者がノーベル経済学賞を取っている時代です。 ニュートンの力学さえも理解していると思われない各界のトップ(文系)たちが高度の数学・物理学によっている原発のメカニズムと、それが持つ破滅的な危険度を理解できるとは思いません。 経団連トップも経産省事務次官(文系)などの話を今もうのみにしているのでしょうし、それしかできないと思います。 話は変わりますが、ヘリコプターは兵器として、あるいは災害救助では優れたものですが、安全性についてはセスナより一桁以上悪いのです。 スーパーマン1でビルの屋上から離陸するヘリコプターが事故を起こすシーンがあります。 スピードが勝負のビジネスエリートは、ケネディー空港からマンハッタンの本社まで渋滞した道で戻るのは時間の無駄なので、空港からパンナムビルの屋上に飛ぶヘリコプター航路ができました。 しかし、あまりの事故の多発にその航路は取りやめになりました。 エリートの損失だけでなく莫大な補償でビジネスとして成り立たなくなったのでしょう。 ヘリコプターは負の安定で飛行しているので、絶えず操縦桿でバランスを取らないと墜落します。 セスナは正の安定なので操縦桿を機械的に固定しても安定して飛び続けます。 機体が傾いた時、セスナは上反角により下に傾いた翼の揚力が上の翼の揚力より大きくなり、機体を水平方向に復元する力が働きますが、ヘリコプターの回転翼は機体の上部についておるので、そのような機能をほとんど持たず、傾くと揚力が減り傾いたまま高度を保てなくなります。 ヘリコプターの操縦はジャンボジェットより難しいと言われています。 自由自在に走るF1も安定性は低いので素人にはとても運転ができません。 安定性は操縦性とトレードオフの関係にあります。 正の安定は谷底の平らなところに置いたサッカーボール、負の安定は尾根の平らなところに置いたサッカーボールと考えて下さい。 原発は絶えず反応を制御しなければならない負の安定です。 もし制御に失敗して暴走したら瞬間的に膨大なエネルギーが放出され、水で冷却できるものではありません。(核爆発です) それほどの暴走にならなくても冷却に使われた水は高濃度の放射線物質を含むことになります。 今回の福島原発の事故です。 もし菅総理が決断しなければ核爆発の段階まで行く可能性がありました。 爆発すれば首都圏を含む半径300kmぐらいは人間が住めないところになっていたのです。 吉田所長は決死の覚悟で会社の命に背き核爆発を防いだのです。 核爆発の可能性を危惧し私は3月14日に西に避難しました。 万が一に備え家族全員パスポートを持参し、3月15日はセントレア空港の下見に行きました。 一度動き出した原発は停止する事は大きな危険を伴うので、電力需要の少ない深夜も運転を続けます。 結果として電力が余ってしまうので、深夜電力として安く販売しているのです。 (現在深夜電力も大半が火力によっていますので深夜割引は非オール電化住宅の方がオール電化住宅のユーザーに補償していることになります) 熱源で水を加熱沸騰させ、その水蒸気でタービンを回し発電するということでは原発も火力発電も同じメカニズムです。 しかし、火力発電なら事故が起こっても燃料の供給を止めればいずれ終結します。 一部地域は燃料等による汚染が起こりますが、発電所周辺が住めなくなることはありません。 原発は言ってみればガソリン満載の巨大なタンク上にある穴に直接火をつけているようなもので、燃料の供給をカットすることができません。 福島原発では融解した核燃料を取り出すのに数十年間はかかると言われています。 取り出すまでは原子炉に何が起こるか分かるか誰も明確には答えられません。 しかも取り出す方法もこれから検討されるのです。 近くによって原子炉内部を観察できないのですから、いつ取り出せるかは誰も分かりません。 少なくとも私の目が黒いうちはあり得ません。 今年初孫が生まれますが、ひ孫の時代になるでしょう。 日本開闢以来の惨事を招いた原発をいまだ目先の利益にこだわり、再稼働させるなんて言う人は「首から上の質が違うのではなく、腐っている」と思います。 何しろ日本は4つのプレートの品評会場です。 「どじょう」でなくて「なまず」が首相になるべきところです。 菅前総理は自分の(物理学では当たり前の)考えを全く理解できない人たちに取り囲まれてやりようがなく、怒り散らして強引に周りを動かすしかなかったと思います。 (私もサラリーマン時代、文系の幹部たちから同じ経験を何回もしています。 もっともニュートンの力学の範囲についてですが) 質素な生活を旨として有名だった東工大卒の故経団連土光元会長なら菅さんの考えをきちんと理解し、支援したと思います。 長くなりましたが、下のはやし浩司さんの文章もぜひ読んで下さい。 文系ですが理系的な理解力も持たれていると思います。 最終更新日時 2012年5月30日 8時11分10秒
********************************* ●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長 +++++++++++++++++ あの日、あのとき、菅直人前首相は、 日本を救った。 それはまぎれもない事実である。 読売新聞は、以下のように内幕を伝える。 +++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++ 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。 菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。 枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。 このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。 +++++++++++以上、読売新聞、2011-9-12+++++++++++ ●菅直人前首相の大英断 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。 もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。 (1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。 (2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。 (3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。 いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。 その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。 「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。 (4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。 もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。 (5)ここからがとくに重要。 読売新聞は、つぎのように伝えている。 『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。 このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。 ●福島第一原発・吉田昌郎所長 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。 ++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++ 本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。 同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。 昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。 会社の判断を無視したのは確かだ。 しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。 確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。 ++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++ この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。 東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。 ●もしあのとき…… もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。 事実を、よく見てほしい。 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。 そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。 うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。 とほうもない量である。 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。 「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)。 数千発分だぞ! たった1機で、数千発分だぞ! ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。) が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。 それが4機+2機。 つぎつぎと爆発。 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝島社) チェルノブイリの比ではない。 東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた! その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。 ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。 だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。 ●後書き やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。 そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人の英断 はやし浩司 菅直人 吉田昌郎 日本の恩人 ありがとう) Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司 最終更新日時 2012年5月30日 8時9分37秒
●インコのピッピ(2012/05/29) ![]() ![]() ![]() Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 インコのピッピが、我が家へ来て、3週間。 日々に、利口になる。 驚く。 おととい、3D迷路を模造紙で作ってやった。 1回目は迷ったが、2回目からは、スイスイ。 そこで……ということで、今度はさらに 複雑な3D・立体迷路を作ってやった。 称して「ピッピの要塞」。 が、これも10~20分足らずで、完全制覇。 そのあとは、その要塞の中を、左右、上下、 自由に走り回っている。 外へ出そうとしても、いやがって出てこない。 インコの知的能力に、またまた驚く。 明日、午前中が空いているので、さらに 複雑な立体迷路を作ってみる。 ピッピに遊ばせてみる。 どんな反応を示すか、楽しみ。 人間とインコを同一視することはできない。 しかし今が重要。 生後2か月のインコだが、今をおいて、 知的能力を伸す時期はない。 好奇心が、きわめて旺盛。 その好奇心を利用し、知的能力を伸す。 この時期をのがすと、好奇心は急速に薄れる。 同時に、学習させても、効果は、ほとんどない。 脳の思考回路が、硬直化するためと考えてよい。 決まったことはできるが、それ以外のことはできない。 人間とインコのちがい。 つまり、その知的好奇心旺盛の時期が長いか、短いか。 そのあたりにあるのではないか。 人間は長い。 インコは短い。 言い換えると、いかにしてその知的好奇心を持続させるか。 さらに言えば、いかにして新鮮な刺激を与えつづけるか。 それによって、その子ども(インコ)の能力は決まる。 42年間してきた私の経験が、インコの飼育で役に立つとは! 考えもしなかった。 一説によれば、インコの知的能力は、人間の3歳児(某サイト)とか。 であるなら、それを私は自分で確かめてみたい。 同時に、それを4歳、5歳まで伸してみたい。 おもしろい実験ができそう。 と、同時に、我が家が急に明るくなった。 インコのピッピを中心に、家族の話題が多くなった。 息子も、あれこれいろいろなおもちゃを、手作りしている。 ピッピを楽しませている。 毎日、家に帰るのが楽しみになった。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【年長・5歳児に3D(立体図)を教える】 途中、反復作業をさせましたが、子どもたちは驚くべき集中力を見せてくれました。 早めにきりあげ、つぎのレッスンに移りたかったのですが、そのまま作業をつづけさせました。 「幼児だから、学習態度も幼稚」というのは、まったくの偏見です。 ノーカットでお見せしますので、お楽しみください。 幼児のもつ能力は、本当にすばらしいです。 AERAの記者は、「早期教育は、どうせ追いつかれるから意味がない」(2011年10月)というようなことを書いていた。 ひらがな学習を例にあげて、そう書いていた。 (幼児期にあわてて文字、数を教えても、どうせ追いつかれるから意味がない。 かえって学校の先生が教えにくくなるから、やめたほうがよいという内容の記事だった。) 幼児教育の「ヨ」の字も知らない、また幼児を教えたこともない記者が、古い論文だけを根拠に、さらに言えば、想像だけで、そう書くから、恐ろしい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 AERA AERA 幼児に立体図 インコの知的能力 好奇心) Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●5月29日(火曜日) Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司 最終更新日時 2012年5月29日 8時51分42秒
【和をもって、尊しとなす】 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 昨夜は12時ごろまで、ワイフと私、息子と 3人で、いろいろと雑談。 床に就いたのは、そのあと。 昨日の昼ごろ知人が来て、浜名湖のアサリを届けてくれた。 このあたりでは、アサリをフライパンの上で炒め、 ネギと日本酒をかけて食べる。 超・簡単料理。 それがたまらなくおいしい。 今朝は、これからそれを食べるつもり。 先ほど、2~3個、つまんで食べてみたが、おいしかった! ……ということで、今朝は、午前8時起き。 ほどよい冷気。 乾いた初夏の風。 畑の野菜に水をまいたあと、ぼたんインコに餌をやった。 よき日、よき朝で始まる。 2012/05/28朝 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●日本人の運転 先週来たオーストラリアの友人が、こう言った。 「日本人の運転は、乱暴」と。 その友人にかぎらず、みなそう言う。 で、理由を聞くと、その友人は、こう話してくれた。 たとえば追い越しをかけるとき、平気で車線を変更する、と。 (日本人の私たちには、何でもない行為だが……。) 「オーストラリアではどうなのか?」と聞くと、「必要なときには車線を変更する。が、追い越すときは車線を変更しない」と。 オーストラリアでは、郊外の幹線道路を走るときも、みな表示スピードをきちんと守る。 それが日本人の私たちには、おかしいと思えるほど、きちんと守る。 (50)という表示が見られたら、50キロ。 (80)という表示が見られたら、80キロ。 私の見た感じでは、プラスマイナス2~5キロの範囲で、速度を守る。 守らないと、すかさずパトカーが追いかけてくる。 幹線道路でも、2車線しかないところが多い。 そういうときは、どちらか一方の車線のみが、追い越しをかけられるように、道路に表示してある。 (中央分離線の左右に、破線で表示。) それがなければ、いくら道路が空いていても、追い越しをかけることはできない。 つまり、きびしさが、徹底している。 そう言えば、別の友人もこう言っていた。 「日本人は、停止線での車の止め方がメチャメチャ」と。 たとえば横断歩道の前で車を止める。 そのとき、停止線を越えて車を止める人もいれば、数メートル手前で車を止める人もいる。 中には、横断歩道の中央で車を止める人もいる。 それを見て、メチャメチャ、と。 一方オーストラリアでは、たいていどの角にも、カメラがしかけてある。 ルールを破ると、自動的に、違反キップが送られてくる。 そういうしくみが、できあがっている。 だから彼らは、これも日本人の私たちには、おかしいと思えるほど、ルールを守る。 停止線では、私が見た感じでは、プラスマイナス30センチ前後の幅で、車を止める。 (ほとんどは、停止線で、ピタリと止める。) ……日本人の私たちには何でもなく見える運転でも、別の国の人が見ると、そうではないということ。 (もちろん、その逆もあるが……。) ●民主主義とルール 概して言えば、欧米の学校では、ルールにきびしい。 日本の学校は、甘い。 民主主義の完成度の高い国ほど、ルールにきびしい。 つまり民主主義というのは、その一方で、ルールに支えられている。 ほかにたとえば、「ウソ」がある。 欧米人は、ウソには、きわめてきびしい。 日本人の私たちには、想像もつかないほど、きびしい。 ついでに言えば、「約束」にも、きびしい。 わかりやすく言えば、「YES・NO」が、きわめてはっきりしている。 「YES」と言ったら、YESしかない。 「NO」と言ったら、NOしかない。 あいまいな返事や約束を、嫌う。 もちろんウソを言ったら、その時点で、10年の友情も、どこかへ吹き飛んでしまう。 私にも、苦い経験が、いくつかある。 原稿を探してみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 日付は2011年の2月になっている。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●おかしな外来語、「マニフェスト」 ++++++++++++++++++ 「マニフェスト」とは、何か? その意味を知っている人は少ない。 この日本では「選挙公約」のことを、 「マニフェスト」と言う。 だったら、「選挙公約」と言えばよい。 どうしてわざわざ「マニフェスト」と言うのか? で、ウィキペディア百科事典で調べてみたら、 こうあった。 マニフェスト(manifesto) とは、「宣言書・ 声明文の意味」と。 だったら、「選挙宣言書」と言えばよい。 「選挙声明文」でもよい。 「選挙宣誓書」なら、さらによい。 「選挙公約」と言うよりは、重みがぐんとます。 「マニフェスト」と「選挙公約」。 「選挙公約」と「マニフェスト」。 どう考えても、「マニフェスト」のほうが、軽い。 横文字であるだけに、意味がわからない。 わからない分だけ、ピンとこない。 やはり「選挙宣誓書」という言葉を使った ほうがよい。 そのほうが、わかりやすい。 そうでなくても日本人は、ウソに甘い。 「ウソも方便」という言葉もある。 平気でウソをつく。 ウソをつかれても、怒らない。 公約など、腸から出るガスのようなもの。 私たちもそう考えているし、政治家たちも そう考えている。 +++++++++++++++++ ●飛騨の昼茶漬け またまた経験した。 が、だからといって、その知人の妻を批判しているのではない。 久しぶりに、あの言い方を聞いた。 こんな言い方……。 先日、知人が亡くなった。 通夜には行けなかったので、その前日、知人宅を訪れた。 そのときのこと。 知人の妻は、知人の横に座っていた。 私が知人に別れを告げているとき、その妻が、こう言った。 「林さん、昼ご飯を食べていってください」と。 が、その地方では、それがあいさつ言葉になっている。 朝、遅く起きても、「おはよう(=早いですね)」と言うのと同じ。 ウソではないが、ウソ。 そんなとき、「じゃあ、いただきます」などと言おうものなら、さあ、たいへん。 家中、大騒ぎになる。 昼ご飯など、どこにも、用意されていない。 もう10年も前に、こんな原稿を書いた。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【表と裏】 ++++++++++++++++++ みながみなというわけではないが、 私が生まれ育った郷里のM町では、 ときどき、何が本当で、何がウソ かわからなくなる。 ウソをウソと意識しないまま、平気 でウソをつく。それがその地方の 習慣にもなっている。その場、その場で、 適当なことを言って、とりつくろう。 が、何よりも不思議なのは、そういう ウソをつかれながらも、つかれた ほうも平気、ということ。 それなりに、みな、うまく、やっている。 その郷里を離れて、40年。 以前、「飛騨の昼茶漬け」について 書いたことがある。4年前の原稿 である。(2007年6月記) ++++++++++++++++++ ●飛騨の昼茶漬け 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。 たとえば岐阜県の飛騨地方には、『飛騨の昼茶漬け』という言葉がある。 あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習がある。 しかし道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。 相手が断るのを承知の上で、誘う。 そして断るほうも、これまたウソを言う。 おなかがすいていても、「食べてきたところです」と答える。 この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうものな ら、さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。 まさか昼飯に茶漬けを出すわけにもいかない。 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。 ひょっとしたら、あなたも日常的に使っているかもしれない。 日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、うまくごまかして先へ逃げるほうが、美徳とされる。 ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌う。 何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)す』というお国がらである。 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。 そしてそれが日本人の国民性をつくりあげている。 私にも、こんな苦い経験がある。 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。 オーストラリアのメルボルン大学にいたときのことである。 私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけないと思い、断るつもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。 で、そのあと、別の友人たちといっしょに、昼食を食べた。 そこを、先の友人に見つかってしまった。 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられないほど、激怒した。 「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。 私はそう怒鳴られながら、ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、ウソに対する寛容度がまったく違うということを思い知らされた。 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。 しかし日本人は、それをしない。 しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分も」と考える。 そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。 それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。 最終更新日時 2012年5月28日 10時56分37秒
●私はウソつきだった 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。 ほかの子どもたちよりもウソつきだったかもしれない。 とにかく、ウソがうまかった。 ペラペラとその場を、ごまかして、逃げてばかりいた。 私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。 その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。 商売では、ウソが当たり前。 このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへたが決まる。 私は毎日、そういうウソを見て育った。 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。 自分を偽るのをやめた。 だからといって、それですぐ、正直な人間になったわけではない。 今でもふと油断をすると、私は平気でウソを言う。 とくにものの売買では、ウソを言う。 自分の体にしみこんだ性質というのは、そうは簡単には変えられない。 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。 あなたは自分の子どもに、どのように接しているかを考えてみてほしい。 あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何と言っているかを考えてみてほしい。 もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさい」「ウソはついてはいけません」と、日常的に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。 人間は、そうでなくてはいけない。 ……とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしまったが、実のところ、それがまた、日本人の子育てで、一番欠けている部分でもある。そこでテスト。 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけた。 そして帰りぎわ、10万円のタクシー券を渡されたとする。 そのとき、あなたはそれを断る勇気はあるだろうか。 さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はあるだろうか。 私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしまうだろうと思う。 正直に言えば、そういうことになる。 つまり私は、子どもときから、そういう教育しか受けていない。 つまりそれは私自身の欠陥というより、私が受けた教育の欠陥といってもよい。 さてさて、あなたは、子どものころ、学校で、そして家庭で、どのような教育を受けただろうか。 【補記】 日本人のこうした国民性は、話せば長くなるが、長くつづいた封建制度の結果と考えてよい。 今のK国のような時代が、300年以上もつづいたのだから、当然といえば当然。 「自分に正直に生きる」ということそのものが、不可能だった。 それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。 ただここで言えることは、決して、あの封建時代を美化してはいけないということ。 もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価はしなくてはいけない。 しかし美化すればするほど、日本人の精神構造は、後退する。 (はやし浩司 日本人の精神構造 封建時代の遺物 はやし浩司 家庭教育 育児 教育 評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 飛騨の昼茶漬け ウソも方便 嘘も方便) ++++++++++++++++ ●表と裏 私の知人の中にも、こんな人がいる。 裏で、私の悪口を言いながら、表では、平気でつきあってくる人である。 私はそういう人を見ながら、「この人の精神構造は、いったいどうなっているのだろう?」と思う。 が、私は私で、そういう人とはつきあわない。 一度でも、そういう事実を知ったら、つ きあわない。交際をやめる。 年賀状の交換もやめる。 が、そういう人にかぎって、騒ぎたてる。 「あの林は、年賀状の返事もよこさない」とか、何とか。 あるいは私の動向をさぐってくる。 何だかんだと口実をつくっては、近づいてくる。よ ほど私のことが気になるらしい。 もちろん、私に好意的だから、そうするのではない。 私が失敗したり、不幸になったりするのが、楽しみだから、そうする。 それが私にもよくわかる。 どうせそのレベルの人たちだから、そういう人は、無視する。 相手にしない。 ……ということで、私は若いころ、こんな鉄則を自分につくった。 『つきあうなら悪口を言わない。悪口を言ったら、つきあわない』と。 ついでに同じころ、こんな原稿を書いたこともある。 Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司 ●電話の口 ++++++++++++++++++ あなたは受話器の話し口を手で押さえて、 近くの人と、話をすることはありませんか? しかし、それはたいへん、危険なこと。 一度でも、それをすると、それが理由で、 相手との人間関係を破壊することになるかも? ++++++++++++++++++ あなたは今、電話で、だれかと話をしている。 だれでもいい。 だれかだ。 そのとき、あなたは、近くにいる、子どもか、夫か、あるいは妻と、何か相談しなければならないことができた。 受話器はもったまま、だ。 そのとき、あなたなら、どうするだろうか。 一番、安全な方法は、電話機の「保留ボタン」を押すことだ。 それを押せば、何らかの音楽が流れ、会話は、それで完全に、途切れる。 しかしそこまでは、したくない。 その必要は、ない。 そういうとき、あなたならどうするだろうか。 ……あなたは、多分、電話の話し口(聞き口ではなく、話し口)の方を、手で押さえる。 そして小さな声で、近くにいる人に、顔をしかめながら、こう言うにちがいない。 「この電話、あの林からよ。いやねエ~。どうるす?」と。 あなたは話し口を手でしっかりと押さえている。 だから小声で話したことは、相手には、聞こえないと思っている。 だからそう言い終わると、また手を離して、「そうですねえ、わかりました、林さん」と、明るい声で話す。 しかし……だ。 最近の電話機は、性能がよい。 話し口を手で押さえたくらいでは、会話をさえぎることはできない。 あなたの話した言葉は、実は、耳にあてた聞き口からも、相手に伝わる。 話し口も、聞き口も、原理的には、構造は、同じ! だから、電話機の口を手で押さえたくらいで、安心してはいけない。 最近だが、こんなことがあった。 私は、B氏に電話をした。少しこみいった話なので、内容は、省略する。 しかしB氏は、留守だった。(実際には、居留守を使っていた。) かわりにB氏の妻が電話に出た。 私「……では、いつお帰りですか?」 妻「もうすぐ帰ってくると思いますが……」と。 そのとき、B氏の妻は、受話器の話し口を手で押さえた。 その感触というか、手で押さえた感じが音でわかった。 ポンと耳がつまったような感じがした。 B氏の妻は、近くにいるB氏に、小声で、こう言った。「あの林からよ。いやねエ……。 この電話、どうする?」と。 それに答えて、そばにいたB氏は、多分、首を横に振ったのだろう。 B氏の妻は、夫の様子を見て、再び、明るい声で、「ごめんなさいねエ。また帰ってきましたら、林さんから電話があったことを、主人に伝えておきますから……」と。 ……という、この話は、実は、フィクションである。 最近、別のところで聞いた話を、私の話にからめて、作ってみた。 しかし、現実に、こんなことが私に起きたとしたら、私なら、そのB氏とは、絶交する。 つきあう必要は、ない。 つきあいたくもない。 ……ということで、今日は、電話の話。 今でも、受話器の話し口を手で押さえて内密な話をする人は、少なくない。 しかし、それはたいへん危険なこと。 あまりにも無防備なこと。 それをみなさんにお伝えしたくて、このエッセーを書いた。 ……なおこの話が、ウソだと思うなら、だれかに協力してもらって、自分で確かめてみたらよい。 私の言っていることがウソでないことが、わかってもらえるはず。 どうか、くれぐれも、ご用心! ++++++++++++++ この中で、私は、「この話は、フィクションである」と書いた。 しかし詳しくは書けないが、似たような経験をしたから、私は、この話を書いた。 ここでいうB氏も、表と裏のある人ということになる。 それまではかなり親しくつきあっていた人だったが、私は、この電話のあと、B氏とは、縁を切った。 ワイフは、「適当につきあっておけばいいのよ」と言ったが、私には、そういう芸当ができない。 若いころならできたかもしれないが、今は、もうできない。 めんどうというか、そういう人が近くにいるだけで、神経がすり減ってしまう。 が、B氏にはそれがわからない。わからないというか、私がなぜ怒っているかさえ、わ かっていない。 だからそのあとも、何ごともなかったかのように、何度も電話をかけてきたりした。 適当にものを言って、その場をやりすごす。 そういう人は、少なくない。 好きか嫌いかということになれば、私は、そういう人が、大嫌い! そういう人と、愚劣な交際をつづけて、無駄にする時間は、私には、もうない! 【補記】 私は、そういう意味でも、この浜松が、大好き! 私のワイフの兄弟にしても、みな、正直。 本当に正直。表も、裏もない。 そのわかりやすさが、たがい人間関係を、さわやかなものにしている。 たとえばこの浜松では、ものの売買をするときでも、(掛け値)ということをしない。 (値切る)ということもしない。 そういうやりとりをしているところを、見たことさえない。 人間関係もそうで、少なくとも私のワイフの兄弟たちは、ありのままの姿で、ありのま まに生きている。 飾ることもない。虚栄を張ることもない。 見栄や世間体とは、みな、無縁の世界で生きている。 すばらしいことだと思う。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本人の嘘 はやし浩司 日本人のウソ ウソも方便論) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●再び、マニフェスト ウソをつくのが商売。 それが政治家。 そんな政治家に、誠実さを求めても、意味はない。 悲しいことだが、この日本では、だれもが、そう思っている。 私もそう思っているし、あなたもそう思っている。 私もごく最近まで、「公約」などというものは、選挙に勝つための「方便」と思っていた。 言うなれば、「選挙目標」。 だから公約が破られたからといって、それほど腹を立てなかった。 が、しだいにウソに対して、国民の目がきびしくなってきた。 日本人の意識が、少しずつだが、変化してきた。 「公約違反」という言葉も、よく聞かれるようになった。 そこで登場したのが、「マニフェスト」? 「軍隊」を「自衛隊」と言い換えたようなもの。 つまり国民をだますための煙幕? 私には、そう思われてならない。 だったら、やはり「選挙宣誓書」と言えばよい。 どうしてそういう言葉を使わないのか? そのほうがわかりやすいし、国民も、注視する。 もちろん重みも、ぐんとます。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 マニフェスト 選挙宣誓書 選挙声明文 公約論) Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司 最終更新日時 2012年5月28日 10時56分5秒
【今日、国際ニュースより】日本の国益を第一に! ●日本よ、ギリシャを助けるな! Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 日本よ、ギリシャに、手を出すな。 助けるな。 まず自国の利益を第一に考えろ。 「冷たい」「卑怯」と言われても、構わない。 今の日本に、そんな余裕はないぞ。 いい子ぶるな。 お人好しになるな。 ギリシャは、すでに破綻している。 そんな国に5兆円(IMF)も注いでどうなる。 どうする。 最後にババを引くのは、この日本だぞ! Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●100兆円! まずブルームバーグの記事。 こうある。 『世界の銀行業界を代表する国際金融協会(IIF)のダラーラ専務理事は、ギリシャのユーロ圏離脱のコストが手に負えないほど膨らみ、協会がこれまで予想していた1兆ユーロ(約100兆円)を上回る公算が大きいと警告した』(2012ー05-25)と。 ぞっとするような金額である。 そういう数字を示しながら、「ギリシャを離脱させてはいけない」と。 その上で、『6月にメキシコのロス・カボスで開催される20カ国・地域(G20)首脳会合を前に欧州首脳は、(5月)26日、世界経済の回復に向け欧州と日米中3カ国は、責任を共有するとして、日米に財政再建を求めるとともに、中国には改革を断行するよう促した』(ロイター)と。 すでにアメリカは、イチ逃げた! IMFへの拠出金額、ゼロ。 が、これですむとは、だれも思っていない。 『スペインのカタルーニャ州政府のアルトゥール・マス知事は25日、中央政府に対して支援を重ねて要請した』(ブルームバーグ)と。 つづいて『スペイン政府が今月初めに国有化した同国銀行3位のバンキア・グループは、不動産融資とそれ以外の融資の引当金を準備するため、190億ユーロ(約1兆9000億円)の公的資金による追加支援を申請する』(ブルームバーグ)と発表した。 これについて、大和キャピタル・マーケッツのエコノミスト、トビアス・ブラットナー氏(ロンドン在勤)は、25日の電話取材に対し、「われわれが最初からずっと指摘してきたようにバンキアは氷山の一角にすぎない」(ブルームバーグ)と答えている。 氷山の一角! ●資本主義社会のリシャッフル トランプ(ゲーム)では、ときどきカードをリシャッフルする。 こうしてゲームの公平性を保つ。 同じように今、世界で、富のリシャッフルが起きている。 それほど働かなくても、優雅な生活ができる人たちがいる。 その一方で、働いても働いても、貧しい生活を強いられる人たちがいる。 今のところこの日本は、前者の「優雅な生活ができる国」に属している。 貿易収支(モノ)が赤字でも、資本収支(金貸し)で、何とかカバーしている。 が、こんな状態がいつまでもつづくとは、だれも思っていない。 その先陣を切ったのが、(「先陣」というのも、おかしいが)、EUということになる。 もともとアメリカのドルに対抗し、EUが生まれ、ユーロが生まれた。 当初、ユーロはドルを凌駕(りょうが)するほどの勢いを見せた。 相対的に、アメリカドルの地位は衰退した。 日本が橋本政権だったころの話である。 その結果、今のEUが生まれた。 ギリシャを含む南欧世界が生まれた。 みな、それほど働かなくても、優雅な生活ができるようになった。 が、ここにきて、EUの国家経済が、つぎつぎとおかしくなってきた。 まさに「リシャッフル」が、始まった。 ●映画『ファミリー・ツリー』 ところで私とワイフは、おとといの夜、ジョージ・クルーニー主演の映画『ファミリー・ツリー』を見てきた。 内容はまさに、アメリカのハリウッド映画。 仕事中心主義の夫。 その夫で、さみしい思いをしていた、(=ヒマをもてあましていた)妻。 それを理由に、妻は不倫。 (セックス第一主義の、実にアメリカらしい、発想!) その最中、妻はボート事故で、植物人間に。 事故のあと、夫は、妻が不倫を重ねていたことを知る。 私はあの映画が始まると同時に、即座にこう思った。 「何だ、このド・ぜいたくな生活は!」と。 うそだと思うなら、そういう視点で、あの映画を見てみたらよい。 映画は一応、(家族の絆の大切さ)をテーマにしている。 しかしそんなことは、ド・ぜいたくは、アメリカだからこそ、言えること。 少なくとも、世界の標準ではない。 今の今も、世界の人口の3分の1の人たちは、じゅうぶんな食料もなく、飢餓状態であえいでいる。 「何が、家族だ!」 「何が、不倫だ!」 「何が、子どもの教育だ!」と。 まさに飽食映画。 ド・ぜいたく映画。 それが『ファミリー・ツリー』。 そしてそれがさもあるべき、人間の生活であるかのように、私たちに見せつける。 「これがあるべき本来の生活だ」と。 あのね、どうしてアメリカ人だけが、ああした、ド・ぜいたくな生活ができるか、それを一度、考えてみたらどう? 言うまでもなく、強大な軍事力に支えられた、強いドルが、それを可能にしている。 いくら印刷に印刷を重ねても、世界の人たちは、ドル紙幣をほしがる。 言うなれば有名画家の絵画と同じ。 サラサラと描いても、数万ドル、数10万ドルで売れる。 ●自業自得 私もあるとき、息子の1人にこう言われたことがある。 (だからといって、その息子を責めているのではない。誤解のないように!) 「パパは、仕事ばかりしていて、家庭を顧みなかった」と。 事実、そうだったから、反論のしようがない。 私は仕事ばかりしていた。 が、私たちが生きた時代は、そういう時代だった。 多かれ、少なかれ、みな似たような生活を送っていた。 孤立無援。 その中で、家族にだけは、ひもじい思いをさせたくないとがんばった。 学費だけは、惜しみなく出してやろうと願った。 が、最近の若い人たちは、私たちが経験したような時代を知らない。 ボットン便所すら知らない。 知らないばかりか、アメリカの生活を基準に、こう言う。 「戦争を起こしたのは、パパたちの世代だ。自業自得」と。 (戦争を起こしたのは、私たちではないのだが……。) 不幸なことに、本当に不幸なことに、豊かな生活は、天から降ってくるものと思っている。 映画『ファミリー・ツリー』の中で見るような生活が、世界の標準と思っている。 ●アメリカの尻馬 が、豊かであることは、悪いことではない。 ショッピングセンターに行けば、モノや食料品が山のように積んである。 電気やガスも、今のところ無事、使うことができる。 「水資源」が豊かなのは、本当に、ありがたい。 が、その豊かな生活に、このところ陰りが見え始めた。 簡単な計算だが、あなたの現在の生活から、1000万円x(家族数)の現金を引いてみればよい。 (3人家族なら、3000万円を引く。) それが日本人の、現実の(力)ということになる。 (国の借金を、1人=1000万円で計算した。) そのとき、あなたの周囲に、何が残るか? ふつうは、何も残らないばかりか、借金が残るはず。 が、それでも、何とか今は、豊かな生活ができる。 なぜか? 理由は簡単。 アメリカの尻馬に乗り、かろうじて(円)の力を維持しているからにほかならない。 辛らつな言い方に聞こえるかもしれないが、事実は事実。 ●日本の国益 が、日本人の私たちは、それでも日本の国益を最優先する。 理由がある。 日本を一歩外に出れば、そこは野獣うごめく、無法地帯。 弱肉強食の論理だけが通用する、野蛮世界。 食うか、食われるか。 見た目はともかくも、資本主義経済というのは、原罪的にそういった宿命を負っている。 そういう中、もしここで日本が気を緩めれば、日本はあっという間に、野獣の餌食になってしまう。 (すでになってしまっているが……。) スポーツと同じとまでは言わないが、はじめから「負けてもいいや」では、勝負にならない。 勝つことはできない。 懸命に戦っても、現状維持が精一杯。 そんな中、冒頭の結論に戻る。 いい子ぶるな。 お人好しになるな。 ●ちまちました人間 たまたま昨日(5月25日)、石原東京都知事は、20年夏季五輪招致に対する国内支持率を批判し、こう言った。 「一体、日本人は何を望んで、何を実現したら胸がときめくのか。 ちまちました自分の我欲の充実で、非常にやせた民族になった」(定例記者会見)と。 国際オリンピック委員会(IOC)の調査で、国民の支持率が47%と低かったことについて、である。 私はまったく同感である。 が、それに対して、若い人たちの反応には、驚くべきものがある。 2チャンネルへの書き込みを、上から選択しないで、10個だけ、転載させてもらう。 ★お前がオリンピックやろうとしてることが我欲の充実なんじゃねえかw ★国民が望んで無い事を都知事が勝手に突っ走って何を考えているのか? ★オリンピックをなぜ欲しがるのかさっぱりわからん ★我欲の塊のジジイがなんか言ってら ★オリンピックよりも先にやらなきゃならんことが山積みだから反対してんだろ。 バカかこのジジイは ★そもそもなんで運動のできる人に金払って、遊ばせておくのか意味がわからん ★栄えるのは東京だけ ★五輪は欧米でやるからこそ有難味があんだろ ★オリンピックなんかやらなくていいよワールドカップだけ誘致すればいい 敗戦後の混乱期。 その中からはい上がった日本人。 その日本人は、あの東京オリンピックに、「光」を見た。 未来につづく「希望」を見た。 精神だけではない。 もちろん東京オリンピックが日本にもたらした経済的利益には、計り知れないものがある。 今の若い人たちに、それを理解せよと言っても、無理なのかもしれない。 ●負け戦 今日も、こんなニュース。 リコーがデジタル複合機の国内主力工場である御殿場事業所(静岡県御殿場市)を、2013年3月末までに閉鎖するという(26日)。 昨日(25日)、半導体大手のルネサスエレクトロニクスが、従業員約4万2000人のうち、1万~1万2000人をリストラすると発表したばかり。 これによって、『この2月に経営破綻し、経営再建中のエルピーダメモリにつづき、国内電機大手の共同出資による「日の丸半導体」メーカーは、さらに苦境に立たされることになる』(以上、時事通信)と。 つまりこの先、こんなニュースが毎日つづくようになる。 日本という国家は、少しずつ終焉を迎える。 これを私の世界では、「負け戦」という。 が、この負け戦ほど、神経を消耗し、腐らせるものはない。 だからここは、なりふり構わず、ふんばる。 繰り返す。 いい子ぶるな。 お人好しになるな。 今の日本に、そんな余裕は、ないぞ! 2012/05/27夕方記 Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司 最終更新日時 2012年5月27日 18時7分21秒
【老後vs老後】(人間と人間をつなぐ絆の粘着力) ●5月27日(日曜日)(朝記) 昨夜遅く、この山荘にやってきた。 時刻は、午後9時ごろだった。 途中、いつものようにコンビニに寄り、いくつかの食料を調達。 山荘に着いてから、それを遅い夕食とした。 ●雑談 昨夜はDVDは、なし。 そのかわり、ワイフと雑談。 気がついたときには、午後11時を過ぎていた。 「風呂はどうする?」とワイフが聞いたので、「明日の朝にしよう」と私。 そのまま雑誌を読みながら、就寝。 で、今朝は、午前4時に目が覚めた。 ふだんなら、もう一度眠りなおすのだが、今朝はそのまま起床。 このところ原稿らしい原稿を書いていない。 それが理由で、起床。 そのまま居間へ。 パソコン用バッグから、マウス、老眼鏡、目薬を取り出す。 それをコタツの天板の上に並べる。 携帯端末機を、ネットにつなぐ。 サッとニュースに目を通したあと、こうして文章を叩き始める。 時刻は今、ぴったり、午前4:00分。 ●離婚 書きたいことは、いくつかある。 ……というか、昨日、「病気と離婚」について、少し書き始めた。 たとえばある精神科医はこう書いている。 「うつ病で医院へやってくる男性の50%は、その段階で、離婚している」と。 うつ病になったから、離婚したのか、それとも離婚したから、うつ病になったのかはわからない。 ともかくも、事実は、そういうことらしい。 ●心情的に理解できない が、夫か妻ががんに罹患したとき、離婚率が高くなるというのは、心情的に理解できない。 こういうばあい、「ふつうなら……」という言い方は避けたい。 しかしふつうなら、離婚しないでがんばる。 妻か夫の最期を見届ける。 もっとも夫婦の仲ほど、摩訶不思議なものは、ない。 それぞれの夫婦には、それぞれに事情が複雑にからんでいる。 がんでなくても、ふつうの病気でも、それがきっかけで離婚ということもありえる。 また離婚するからといって、薄情(昔風の言い方)と決めつけては、いけない。 が、全体としてみると、人間関係が希薄になっていることは、事実。 たとえば老親のめんどうをみない息子や娘が、急増している。 親が生活保護を受けながら、息子が優雅な生活を送っているというケースは、多い。 先ほど問題になった、お笑いタレントのKJ(37歳)も、その1人。 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。 『お笑いコンビ「次長課長」のKJさん(37)は25日、母親が最近まで生活保護を受給していたことを東京都内で開かれた記者会見で認め、一部を返還する考えを明らかにした。 厚生労働省は今後、扶養可能な親族がいる場合は、家庭裁判所での調停を通じ、民法の扶養義務を果たさせるよう自治体に呼びかけるなど、運用を厳格化することを決めた』と。 ●親を棄てる子どもたち が、現実はきびしい。 結婚と同時に、「ハイ、さようなら!」と、親を捨てていく息子や娘は、多い。 それについて去年(2011年10月)、私が批判記事をBLOGに書いたら、つぎのようなコメントを書いてきた男性(千葉県・EH)がいた。 題名は、「阿呆」。 「親の面倒をみろというのは、それ自体が束縛だ。 私は、自分の子どもには、そういう思いをさせたくない」と。 年齢は文面からすると30歳前後。 最近、子ども(性別不明)をもったらしい。 現在の若者たちは、親のめんどうをみることを、「束縛」ととらえる。 しかもまだ親の面倒を経験したこともないような男性が、未来を先取りする形で、だ。 そしてこう言う。 「自分の子どもは、束縛しない」と。 ずいぶんと勝手な意見というより、オメデタイ! が、民法の扶養義務をあげるまでもなく、子どもが親のめんどうをみるのは、「義務」。 「束縛」とか、そうでないとか議論する以前の問題である。 つまり現在は、子どもが親を棄てる。 配偶者が配偶者を棄てる。 そういう時代になった……と考えてよい。 ●パサパサ たしかに人間関係が、パサパサし始めている。 友人、親類、親子、それに夫婦。 その夫婦の仲も、粘着度で決まる。 粘着度の低い夫婦もいれば、高い夫婦もいる。 それについては、たびたび書いてきた。 その中のひとつを、そのまま紹介する。 日付は、2011年6月になっている。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(2011年6月の原稿より) 最終更新日時 2012年5月27日 13時2分40秒
●人間どうしをつなぐ粘着力 ++++++++++++++++++++ 心理学の世界には、「共依存」という言葉がある。 それについては、たびたび、書いてきた。 よくあるケース。 暴力的な夫と、その夫に、涙ぐましいほどまでに、 献身的に仕える妻。 「ふつうなら……」ということになるが、一度、 共依存関係ができてしまうと、その関係を 断ち切るのは容易なことではない。 まず、共依存について書いた原稿をさがしてみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●共依存(改)2011-06-29 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。 典型的な共依存関係である。 妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。 依存されることで、自分の立場を確保する妻。 妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。 殴られたり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。 たがいに依存しあいながら、自分を支える。 傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起きることもある。 家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。 ニートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。 子どもを突き放すことができない。 親自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。 (補記) ●共依存 依存症にも、いろいろある。 よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。 もちろん、人間が人間に依存することもある。 さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。 しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。 それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。 夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。 仕事はしない。 何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。 しかし決定的なところまでは、しない。 妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。 (それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。) それに、いつも、暴力を振るっているのではない。 日ごろは、やさしい夫といった感じ。 サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。 お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。 一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。 私は、この人には必要なのだ。 だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と思い込み、夫の世話をする。 こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、依存する。 ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。 そして夜、遅く帰ってくる。 子どもはいない。 その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。 そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。 それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。 しかしその妻には、聞く耳がなかった。 そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。 つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。 本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だった。 当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。 が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。 夫は、自分から離れていってしまうかもしれない。 そんな不安感があった。 だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。 ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きなキズを負うことが知られている。 「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。 「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。 このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。 子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを身につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。 ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症とも考えられなくはない。 もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。 ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような症状は現れる。 で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……という疑問をもつ人がいるかもしれない。 理由は、簡単。 このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。 一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。 世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。 だからますます、夫に依存するようになる。 こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。 これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。 親子、兄弟の間でも、生まれやすい。 他人との関係においても、生まれやすい。 生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。 親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。 わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。 娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買ってきた、イモを食べているから……」と。 その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存していたことになる。 こういう例は多い。 息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたりするなど。 前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。 その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。 その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた! その女性は、つぎのようなメールをくれた。 「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。 いわゆる自立できない親は、そこまでする。 「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。 言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。 決して珍しくない。 で、その先は……。 今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。 そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。 むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。 女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。 母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題にはならない。 こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。 このつづきは、また別の機会に考えてみたい。 (はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザコン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 最終更新日時 2012年5月27日 13時2分9秒 |一覧| |