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2009年09月04日 XML このブログを購読する

●9月4日号(3)
[ カテゴリ未分類 ]    




Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++++はやし浩司

●2009年8月5日に……

YDさんとのやり取りをしたのが、2006年の2月〜。
それからすでに3年。
改めて自分の書いた原稿を読み直してみる。
「おもしろい」と思うよりも前に、それ以後の私が、ほとんど進歩していないのを知る。
ここに書いた「悪玉親意識」(これは私が考えた言葉)にしても、今では、あちこちで
使われるようになった。
(ためしに、「悪玉親意識」で検索してみるとよい。)

 今回は、「悪玉親戚意識」ということになる。
何かにつけて、年長者が、年長風を吹かす。
たった1、2歳、年上というだけで、相手に向かって説教したりする。
一方、たった1、2歳、年下というだけで、自分は、それをだまって聞く。

 こうした傾向は、地方の田舎へ行けばいくほど、強くなる。

●決別

 私も今回、親類とは、決別することにした。
もちろん、中には親しく交際している人もいる。
そういう人はそういう人で、大切にしたい。

 ただ意識の上から、「親戚」というものを、はずす。
はずした上で、交際する人とは交際し、交際しない人とは、交際しない。
親戚であるとかないとか、そういうことで、相手を判断したくない。
江戸時代の昔なら、いざ知らず。
今は、そういう時代ではない。

 ついでに兄弟、姉妹についても、そういった意識とは決別する。
といっても、私には実姉は、1人しかいない。
大切にしたいとは思うが、今では他人以上の他人になってしまった。
たがいに歳を取りすぎたこともあるが、それ以上に、人生観がまったくかみ合わない。
……というより、実姉にも、どこか認知症の気配が出てきた(……と思う)。
会話そのものが、まったく、かみ合わない。

 ワイフの兄弟たちとは、うまく(たぶん?)、付き合っている。
みな、この浜松市内、およびその周辺に住んでいる。
たがいの行き来もある。
私にとっては、親類というよりは、友だち。
ワイフ自身も、そう思っている(?)。

 で、今、世の中が、急速に変化しつつある。
旧態依然の義理とか、人情とかいう世界が、音をたてて崩れ始めている。
冠婚葬祭にしても、質素になってきた。
驚いたのは、このあたりでも、初盆すらしない家庭がふえていること。

 正確な数字を改めて、拾ってみたい。

●初盆はしない

 ワイフの実母が、浜名湖畔にある、I村という、村の出身である。
昔から何かとしきたりが、きびしい土地がらである。
そんな村で、昨年(08年)、15世帯の家の人たちが、初盆を迎えることになった。
しかし実際、初盆の供養(僧侶、親戚を呼んでの儀式)をした家庭は、7世帯
だけだったという。

 この数字は、私が改めて確認したものなので、正確。

 浜松市内のような都会での数字ではない。
I村という、(昔からのしきたりが、きびしい土地)での話である。

 私はその話を、直接、喪主から聞いた。
加えて、驚いた。

●これからの日本

 で、それがよいことなのか、悪いことなのかは、私にもわからない。
どういう方向に向かっているのかも、私にもわからない。
わからないが、今、この日本も、大きく変わりつつある。
それだけは事実。

 で、来週あたり、私は、実兄と実母の、一周忌の法要をすることになっている。
(私の宗派では、盆供養はしない。
その代わり、一周忌の供養はすることになっている。)

 それについて、「私は、それが最後」と心に決めている。
私も、今年、満62歳になる。
自分の哲学や人生観をねじまげてまで、世間に迎合するのも疲れた。
もとはといえば、『地蔵十王経』。
鎌倉時代にできた、まっかなニセ経。
そんな経典に従って、何年も何年も、供養(?)をつづけることに、どういう意味が
あるのか。
それがはたして、仏教と言えるのか。
(教え)と言えるのか。
 
 簡単に言えば、日本の仏教そのものが、カルト化している。
カルト化したまま、日本の風土の中に、定着してしまっている。

●人それぞれ

 頭が熱くなったが、親戚づきあいにしても、そのカルトの上に乗っている。
もちろん、たがいに濃密な世界を築いている人もいれば、希薄な人もいる。

 私の実家は濃密だが、それと比べると、ワイフの実家は希薄である。
また同じワイフの兄弟、姉妹でも、濃淡には、大きな違いがある。
だから最初の話に戻る。

「親戚づきあい。
いろいろある。
人それぞれ。
みな、ちがう」と。

 たがいにうまくいっているなら、それはそれでよい。
何も私のような他人がとやかく言う必要はない。
ただこれだけは、覚えておいてほしい。

 自分たちがうまくいっているからといって、その尺度で他人を見てはいけない
ということ。
自分の価値観、あるいは価値基準を他人に押しつけることだけは、避けてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親類づきあい 親戚付き合い 親類との確執 親子の確執)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【働くしか能がない】

++++++++++++++++++++

AS首相は、「(老人たちは)働くしか能がない」と言う。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
が、しかし(働く)ということは、とても大切なこと。
今日も、こんな経験をした。

++++++++++++++++++++

●昼寝

 ここ数年、ちょうど昼ごろ、昼寝をすることが多くなった。
とくにこの1年、それが日課になりつつある。
朝、早く起きるということもある。
それもあって、一仕事したあと、時刻的には、午前10時〜11時ごろ、
もう一度、床に入って、眠る。

 昼寝といっても、1時間以上、眠ることは、めったにない。
たいてい静かに目を閉じているだけ。
が、ときに30〜40分間くらい眠ることがある。
今日もそうだった。
午後1時ごろ、いつものように、ふとんの上に横になった。

 で、仕事に行く時刻になった。
時計を見ると、1時45分。
少し眠ってしまった。
夢の残像が、まだ残っていた。

 が、私は血圧が低い。
目を覚ましたからといって、すぐには起き上がれない。
そのままの姿勢で、5分前後、まわりを眺めたりして、過ごす。
が、そのとき、ワイフが心配して、私を起こしにきた。
私は体にぐいと力を入れて、体を支える。
その勢いを借りて、起き上がる。

 そのときのこと。
私は、こう思った。
「もし、仕事がなかったら、私はどうなるのだろう?」と。

●選択

 「仕事に出かけなければ……」という思いがあるからこそ、私は起き上がる。
無理をしてでも、起き上がる。
が、もし仕事がなかったら、私はだるい体になまけて、そのまま眠ってしまうに
ちがいない。
ワイフも起こしには、こないだろう。

が、そのまま眠ってしまったとしたら……。
そんな生活を、毎日のようにつづけたとしたら……。

 私はそのまま老人の仲間入りをしてしまうことになる。
だから起き上がるとすぐ、私はワイフにこう言った。
「仕事があるということは、それだけでも、ありがたいことだね」と。

 ……たしかに、つらい。
だらけた体にムチ打って、起き上がるのは、たしかにつらい。
しかしその(つらさ)があるからこそ、私には、(今日)がある。
(健康)もある。
これはお金(マネー)の問題ではない。
仮に、つぎうちのひとつを選べと言われたら、私はまちがいなく、(2)の
ほうを選ぶ。

(1)年金を30万円もらって、遊んで暮らす。
(2)給料を30万円もらって、働く。

 もっとも仕事といっても、ハードなものはできない。
(そこそこの仕事)ということになる。
もっと言えば、収入に見合った、楽な仕事ということになる。
そうであるなら、遊んで暮らすよりは、働いていたほうがよい。

 それがつぎの(健康)へとつながっていく。

●働く喜び

 (働ける)ということは、それ自体が、大きな喜びである。
働くことによって、生活に緊張感とリズムが生まれる。
で、その私がもし働かなくなったら、どうなるか。
想像するだけでも、ぞっとする。
そのことは、現に、仕事から引退して、日々を無益に過ごしている人を見ればわかる。

 もっとも人は、ふつうの精神状態であるなら、何もしないで過ごすことはできない。
(退屈)は、それ自体が、(苦痛)。
その苦痛に、人はそれほど長くは耐えられない。
だからほとんどの人は、退職したりすると、何かの運動や、ボランティア活動を
始めたりする。
孫の世話や、庭いじりをする人もいる。
が、それにも限界がある。
やがて虚(むな)しさに襲われるようになる。

たいていは何かの病気や事故をきっかけに、運動をやめたり、ボランティア活動から
遠ざかったりする。
が、一度中断すると、もとに戻るのは、至難のわざ。
たいへん難しい。
そこであとはやがて、お決まりの老人メニューに沿って、そのまま死の待合室へ……。

 であるとするなら、できるだけ現役時代を、つづける。
延ばす。
限界の、そのまた限界を感ずるまで、働く。
そしてここが重要だが、(死)がそこにきたら、いさぎよくそれを受け入れる。

 これは口で言うほど簡単なことではないかもしれない。
それはわかっている。
しかしもしそうなったら、いさぎよく、運命を受け入れる。
それが(死)であるなら、それもしかたのないこと。
今の私は、(本当のところ、自信はないが)、そう考える。


最終更新日  2009年09月04日 06時49分51秒
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