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Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++++はやし浩司 ●2009年8月5日に…… YDさんとのやり取りをしたのが、2006年の2月〜。 それからすでに3年。 改めて自分の書いた原稿を読み直してみる。 「おもしろい」と思うよりも前に、それ以後の私が、ほとんど進歩していないのを知る。 ここに書いた「悪玉親意識」(これは私が考えた言葉)にしても、今では、あちこちで 使われるようになった。 (ためしに、「悪玉親意識」で検索してみるとよい。) 今回は、「悪玉親戚意識」ということになる。 何かにつけて、年長者が、年長風を吹かす。 たった1、2歳、年上というだけで、相手に向かって説教したりする。 一方、たった1、2歳、年下というだけで、自分は、それをだまって聞く。 こうした傾向は、地方の田舎へ行けばいくほど、強くなる。 ●決別 私も今回、親類とは、決別することにした。 もちろん、中には親しく交際している人もいる。 そういう人はそういう人で、大切にしたい。 ただ意識の上から、「親戚」というものを、はずす。 はずした上で、交際する人とは交際し、交際しない人とは、交際しない。 親戚であるとかないとか、そういうことで、相手を判断したくない。 江戸時代の昔なら、いざ知らず。 今は、そういう時代ではない。 ついでに兄弟、姉妹についても、そういった意識とは決別する。 といっても、私には実姉は、1人しかいない。 大切にしたいとは思うが、今では他人以上の他人になってしまった。 たがいに歳を取りすぎたこともあるが、それ以上に、人生観がまったくかみ合わない。 ……というより、実姉にも、どこか認知症の気配が出てきた(……と思う)。 会話そのものが、まったく、かみ合わない。 ワイフの兄弟たちとは、うまく(たぶん?)、付き合っている。 みな、この浜松市内、およびその周辺に住んでいる。 たがいの行き来もある。 私にとっては、親類というよりは、友だち。 ワイフ自身も、そう思っている(?)。 で、今、世の中が、急速に変化しつつある。 旧態依然の義理とか、人情とかいう世界が、音をたてて崩れ始めている。 冠婚葬祭にしても、質素になってきた。 驚いたのは、このあたりでも、初盆すらしない家庭がふえていること。 正確な数字を改めて、拾ってみたい。 ●初盆はしない ワイフの実母が、浜名湖畔にある、I村という、村の出身である。 昔から何かとしきたりが、きびしい土地がらである。 そんな村で、昨年(08年)、15世帯の家の人たちが、初盆を迎えることになった。 しかし実際、初盆の供養(僧侶、親戚を呼んでの儀式)をした家庭は、7世帯 だけだったという。 この数字は、私が改めて確認したものなので、正確。 浜松市内のような都会での数字ではない。 I村という、(昔からのしきたりが、きびしい土地)での話である。 私はその話を、直接、喪主から聞いた。 加えて、驚いた。 ●これからの日本 で、それがよいことなのか、悪いことなのかは、私にもわからない。 どういう方向に向かっているのかも、私にもわからない。 わからないが、今、この日本も、大きく変わりつつある。 それだけは事実。 で、来週あたり、私は、実兄と実母の、一周忌の法要をすることになっている。 (私の宗派では、盆供養はしない。 その代わり、一周忌の供養はすることになっている。) それについて、「私は、それが最後」と心に決めている。 私も、今年、満62歳になる。 自分の哲学や人生観をねじまげてまで、世間に迎合するのも疲れた。 もとはといえば、『地蔵十王経』。 鎌倉時代にできた、まっかなニセ経。 そんな経典に従って、何年も何年も、供養(?)をつづけることに、どういう意味が あるのか。 それがはたして、仏教と言えるのか。 (教え)と言えるのか。 簡単に言えば、日本の仏教そのものが、カルト化している。 カルト化したまま、日本の風土の中に、定着してしまっている。 ●人それぞれ 頭が熱くなったが、親戚づきあいにしても、そのカルトの上に乗っている。 もちろん、たがいに濃密な世界を築いている人もいれば、希薄な人もいる。 私の実家は濃密だが、それと比べると、ワイフの実家は希薄である。 また同じワイフの兄弟、姉妹でも、濃淡には、大きな違いがある。 だから最初の話に戻る。 「親戚づきあい。 いろいろある。 人それぞれ。 みな、ちがう」と。 たがいにうまくいっているなら、それはそれでよい。 何も私のような他人がとやかく言う必要はない。 ただこれだけは、覚えておいてほしい。 自分たちがうまくいっているからといって、その尺度で他人を見てはいけない ということ。 自分の価値観、あるいは価値基準を他人に押しつけることだけは、避けてほしい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親類づきあい 親戚付き合い 親類との確執 親子の確執) 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【働くしか能がない】 ++++++++++++++++++++ AS首相は、「(老人たちは)働くしか能がない」と言う。 そうかもしれない。 そうでないかもしれない。 が、しかし(働く)ということは、とても大切なこと。 今日も、こんな経験をした。 ++++++++++++++++++++ ●昼寝 ここ数年、ちょうど昼ごろ、昼寝をすることが多くなった。 とくにこの1年、それが日課になりつつある。 朝、早く起きるということもある。 それもあって、一仕事したあと、時刻的には、午前10時〜11時ごろ、 もう一度、床に入って、眠る。 昼寝といっても、1時間以上、眠ることは、めったにない。 たいてい静かに目を閉じているだけ。 が、ときに30〜40分間くらい眠ることがある。 今日もそうだった。 午後1時ごろ、いつものように、ふとんの上に横になった。 で、仕事に行く時刻になった。 時計を見ると、1時45分。 少し眠ってしまった。 夢の残像が、まだ残っていた。 が、私は血圧が低い。 目を覚ましたからといって、すぐには起き上がれない。 そのままの姿勢で、5分前後、まわりを眺めたりして、過ごす。 が、そのとき、ワイフが心配して、私を起こしにきた。 私は体にぐいと力を入れて、体を支える。 その勢いを借りて、起き上がる。 そのときのこと。 私は、こう思った。 「もし、仕事がなかったら、私はどうなるのだろう?」と。 ●選択 「仕事に出かけなければ……」という思いがあるからこそ、私は起き上がる。 無理をしてでも、起き上がる。 が、もし仕事がなかったら、私はだるい体になまけて、そのまま眠ってしまうに ちがいない。 ワイフも起こしには、こないだろう。 が、そのまま眠ってしまったとしたら……。 そんな生活を、毎日のようにつづけたとしたら……。 私はそのまま老人の仲間入りをしてしまうことになる。 だから起き上がるとすぐ、私はワイフにこう言った。 「仕事があるということは、それだけでも、ありがたいことだね」と。 ……たしかに、つらい。 だらけた体にムチ打って、起き上がるのは、たしかにつらい。 しかしその(つらさ)があるからこそ、私には、(今日)がある。 (健康)もある。 これはお金(マネー)の問題ではない。 仮に、つぎうちのひとつを選べと言われたら、私はまちがいなく、(2)の ほうを選ぶ。 (1)年金を30万円もらって、遊んで暮らす。 (2)給料を30万円もらって、働く。 もっとも仕事といっても、ハードなものはできない。 (そこそこの仕事)ということになる。 もっと言えば、収入に見合った、楽な仕事ということになる。 そうであるなら、遊んで暮らすよりは、働いていたほうがよい。 それがつぎの(健康)へとつながっていく。 ●働く喜び (働ける)ということは、それ自体が、大きな喜びである。 働くことによって、生活に緊張感とリズムが生まれる。 で、その私がもし働かなくなったら、どうなるか。 想像するだけでも、ぞっとする。 そのことは、現に、仕事から引退して、日々を無益に過ごしている人を見ればわかる。 もっとも人は、ふつうの精神状態であるなら、何もしないで過ごすことはできない。 (退屈)は、それ自体が、(苦痛)。 その苦痛に、人はそれほど長くは耐えられない。 だからほとんどの人は、退職したりすると、何かの運動や、ボランティア活動を 始めたりする。 孫の世話や、庭いじりをする人もいる。 が、それにも限界がある。 やがて虚(むな)しさに襲われるようになる。 たいていは何かの病気や事故をきっかけに、運動をやめたり、ボランティア活動から 遠ざかったりする。 が、一度中断すると、もとに戻るのは、至難のわざ。 たいへん難しい。 そこであとはやがて、お決まりの老人メニューに沿って、そのまま死の待合室へ……。 であるとするなら、できるだけ現役時代を、つづける。 延ばす。 限界の、そのまた限界を感ずるまで、働く。 そしてここが重要だが、(死)がそこにきたら、いさぎよくそれを受け入れる。 これは口で言うほど簡単なことではないかもしれない。 それはわかっている。 しかしもしそうなったら、いさぎよく、運命を受け入れる。 それが(死)であるなら、それもしかたのないこと。 今の私は、(本当のところ、自信はないが)、そう考える。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |