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テーマ:空へ返った子どもたちへ(37)
カテゴリ:こどもたち
今日はもしかするとヘンなことを書いています。
もし気に障られるようでしたらごめんなさい、 スルーしてください。 自分にとって、こども、ってなんだろう?・・・ふと思う。 サクを亡くしてから、たくさんの死産の方のHPを見たり、 いろんな方向から、こども、という存在について考えてみた。 そんな中で、こういう記事を見た。 【不妊症で治療を続けやっとのことで妊娠をしたが、残念なことに流産してしまった。 辛く長い期間、待ちに待った待望の赤ちゃんだったのに。 辛くて悲しくてどうしていいかわからない。 もう辛い治療を受けながら妊娠を待つのに疲れてしまった。 もしまた妊娠してもまた流産してしまうと考えると、辛くてしかたない。】 確かこんなような内容だったと思う・・・。 それについて、 一般の方がアドバイスしていました。 コトバは正確ではないので、覚えていることだけです。 【お辛かったことでしょう。 でも赤ちゃんを失くした悲しみは、 残念ながら次の赤ちゃんを産むことでしか乗り越えることはできません。 私も不妊治療をして今は○人の子どもがいます。 あきらめないでがんばってください。】 不妊治療をされ、また第一子を亡くされたこの方にとっては、的確なのかもしれません。 それから、次の赤ちゃんを産むことで・・・というのは、 あまり認めたくないが、ある意味当たっているかもしれません。 でもまたもし、無事に生まれてくることができなかったとしたら・・・? それ以上に悲しみは深くなります。 次の赤ちゃんを産むことでしか・・・というアドバイスは、無事健康な赤ちゃんが産まれたときだけしか当てはまらないのでは?とも思ってしまいます。 ただ、次の赤ちゃんを産んだからといっても、流産してしまった赤ちゃんの悲しみは残ると思います。 もちろん次の赤ちゃんが生まれたら、 流産してしまった赤ちゃんのことは少しずつ思い出さなくなるかもしれません。 子育てに追われながら、喜びを感じる日々が続いていくでしょうから。 ただ、悲しみは形を変えて必ずどこかに残っていると思います。 アドバイスは、自分には当てはまりません。 境遇も状況も違いますから・・・。 ただ、次の赤ちゃんが生まれることでしか、悲しみが乗り越えられないというなら、 子宮を失くした人間はどうすればいいのでしょう。 失くした赤ちゃんの魂は、 次の子を産んだら救われるとでもいうのでしょうか。 また別の悩みの記事も見た。 【結婚前に一度、中絶手術をしている。 中絶したことは今でもすごく後悔している。 結婚することはできたが、それからなかなか子どもに恵まれない。 やはり手術をしたからなのか、と思っている。】 それについても、ある一般の方がアドバイスされていました。 【中絶手術したから子どもができない、ということはないと思います。 私は結婚前に、3度中絶しましたが、結婚してすぐ普通に妊娠し、3人産んでいます。 私は3度堕ろしているので、 結婚したら、中絶した子どもの数だけ、子どもを産みたかったのです。 今では念願通り、3人の子どもの世話に明け暮れています。 私でも3人授かりましたから大丈夫です。】 こちらのアドバイスこそ、いい気はしませんでした。 相談者にとっては勇気付けられる箇所があるかもしれません。 私には、子どもをアクセサリーみたいにしか思っていないような感じがします。 命の大切さが全くわかっていない、軽率な行動、言動に思いました。 中絶した子どもの数だけ産みたかったから、そうした、なんて…。 それに3回も中絶をした、なんて軽々しく言えない事だと思います。 一度の中絶でも、心がちぎれるほど痛いというのに。 授かりたくてもなかなか授からない夫婦もいます。 それなのに、 命の大切さがわかっていない人になぜ子どもがそう簡単に授かるんだろう。 このアドバイスは全く私には理解できません。 それより何より、 世の中すごく不公平に思えてなりません。 この方の元に産まれた3人の子供と、中絶された3つの魂が、 幸せでありますように。。。 子ども、とはどういう存在ですか? 夫婦になれば、子どもがほしい、と思うのは母性本能からでしょうか。 もとより、赤ちゃんを産み育てるように女性の体は作られています。 しかし出産という大仕事は、今では忘れられていると思いますが、 本来、死とすぐ隣り合わせです。 昔は出産によって亡くなる赤ちゃんや母親が多かったと言います。 そこには命の尊さが、少なくとも今よりはもっと身近にあったように思います。 だから、赤ちゃんにしても母親にしても、命がけの出産、なのです。 私は、子どもが欲しい、という表現自体、スキではありません。 なぜなら、 『欲しい』というコトバは、『モノ』を連想させるからです。 それこそ、アクセサリーな感覚がするからです。 子どもができない体の女性もいます。 子どもを産みたくても産めない、あるいは産めなくなった・・・。 不妊治療をして授かりたい、子ども。 代理出産してまでほしい、子ども。 里親制度で養子縁組して育てたい、子ども。 子どもについてはいろいろと討論されているし、 子どもを得るための方法や選択についても賛否両論。 それから、ヘイキで殺してしまったり、産み捨てたりする人もいます。 どうして? ママのおなかで10ヶ月も育んできたのでしょう? どんなときも、一緒に乗り越えて大きくなった命でしょう? ママに会うために、 この世界に生まれてきてくれたのでしょう? 子ども、とは。 自分にとって、未来、希望、可能性。 もちろん、 自分より大事な存在であることに変わりなく。 遥か昔から受け継がれてきた命、それを繋ぐもの。 愛すべきひとつひとつの命は、はるか未来にまで繋がる尊い存在。 もっと簡単に・・・。 単純明快に、『最も愛する存在』。 そう思うから、 子どもを授かりたい、育てたい、と思うのかもしれませんね・・・ むろん、そんなことを思わなくても授かるときには授かります。 こども、とはなんですか・・・? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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