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カテゴリ:こどもたち
先週の運動会、心の準備はぬかりなく、
滞りなく無事終了した。 普通なら運動会の内容を書くのかもしれないけれど、 自分の心に焦点をあてようと思う。 今年の運動会、ただ子ども達のがんばってる姿を見るためだけに。 運動会は、みんな自分の子どもを見るのに必死だ。 だから私も少しは気が楽だったかもしれない。 保護会や授業参観よりはずっとましかも・・・。 運動会の子ども達の活気が、 悲しいことや苦しいことを一時忘れさせてくれるような、そんな感じだった。 いいお天気すぎて暑すぎ・・・。疲れるのも早い。 あれからずっと学校には顔も出してなかったし、 ココの保護会は行ったけど保護者もまばらだったから、 死産してから初めて会うヒトのほうが、当たり前だけど多かった。 死産について話した人、たったの2人。 会った人、話した人、声をかけてくる人、目が合った人・・・ ほとんどの人はその話には全く触れようとしなかった。 少し距離を置いて、なんでもないような話をする人がほとんどだった。 というか、 目が合って話しかけてくるより、こちらから話しかける、という感じ。 気を使ってくれてるんだろうなぁ・・・ちょっとしんどい。 いきなり、「元気だったぁ~?顔、よく見せてよ。」と、明るく言われたり。。。 赤ちゃんを抱っこした人、ベビーカー押してる人、いっぱいいた。 見ないように、 できる限り心を別のほうに向けて、その場から遠のいた。 話をしている最中、 「ちょっと、ごめんなさい。」と言って、狭い通路を平然とベビーカーを押したママが通るとき、 道を開けるのが悔しかった。 話をしていた相手の人は、「あーすみません、すみません。」とすごく申し訳なさそうに言って道を開けたけど、 私はそんな風に言えなかった。 道を開けるのが当然だとでも言いたげな態度でベビーカーを押すママが、すごく悔しかった。 なんだか負けたような感じ・・・心が狭いのかな。 ヒナの去年の担任の先生が私を心配してくださっていて、 見つけられたときに、声をかけてくださった。 「かわいい2人の子を置いて逝ったらダメよっ。」 私、自ら死のうとしたわけではないんですが。。。^-^; 「油断したんでしょ。」 そう言われてしまった・・・。 そうかもしれない。見抜かれた。 油断した、過信したからだとも言えるだろうな。 さすが先生だ。 死産してからすぐの頃は、子ども達の心も不安定だった。 ココは精一杯悲しんだ。ヒナも精一杯理解しようとした。 でも子どもたちには子どもたちの社会がすでにあって、それなりに早い段階で適応していった。 今ではすでに 亡くなった弟を素直に受け入れ、 存在するものを心でちゃんと感じ取りながら、社会に溶け込んで生活している。 かれらの環境がやむを得ずそうさせる。 子どもが持つ柔軟な心、それを見習いたいものだ。 そうできればいいが、命を宿し育んだ母親にとってはそれは簡単なことではない。 でも、私は生きている子どもたちをちゃんと見てあげなくてはならない。 亡くなった子どもを思うこと、命の重さを知ることも大切だけれど、 今を生きている子どもたちを見てあげること、それが一番大切なことだと思う。 なんだかそういうような話をした、と思う。 先生は、 ココもヒナもすごいがんばってるから。 あの子達を見てあげることがあなたにとって一番大事なんだよ。 そういうようなことを、言ってくださった。 『今』を懸命に生きている、汗だくで日焼けした笑顔は、私の宝物だ。 一瞬一瞬が、ものすごく大切なもののように感じた。 『時』は、一方通行だ。 『今』の積み重ねで未来へと伸びていく。 過ぎてしまった『時』は、今にはならない。決して戻ることはできないから。 サクもハジメも、おねえちゃんたちの今の姿を見ているのかな。 これからの姿を見ていてくれるのかな。 あとで知ったことだが、 おとうさんは、 ・・・ハジメががんばっている姿も見れたかもしれなかった・・・、 そう思って、 汗を拭うフリをして涙を隠していたそうだ。 そうだよ。 あの子を産んであげていれば、今、1年生の種目が見れたんだよ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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