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カテゴリ:雑学
あまり知られていませんが、「魏志倭人伝」には邪馬台国への使者の話として以下のように書かれています。
「九州に上陸した後、松浦半島から伊都国まで前を歩く人の姿さえ見えない藪の中を歩かされた」 魏からの使者といえば、仮にも邪馬台国から見て「国賓」のはず。 そんな重要な人物を案内するのに、最悪の道を使うということは、普通はありえないはずです。 九州北部には立派な海があるのですから、船を使えばこんなことにはならないでしょう。 でも、実は邪馬台国にはこうせざるを得ない切実な事情があったのです。 当時、伊都国の近くにあった玄界灘は、奴国の海人が自由に行き来する場所でした。 奴国の敵であった邪馬台国にとって、魏からの使者が来たことを露見することはどうしても避けなければいけません。 だから、「国賓」である人間なのにもかかわらず、こんな悪路を歩かせざるを得なかったのです。 こんな悪路を歩かされたら、普通の人間は「邪馬台国なんて行きたくない」と思って当然です。 魏の使者も、「身が持たない」と思ったかもしれません。 卑弥呼の思惑は当たりました。 なお、Xにも各種記事を投稿しておりますので、「hide04211066336」、「Hidetaka_1026」を検索していただければそちらも見られます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.16 19:03:47
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