モーツァルトの映画を観たんですよ・・・
『モーツァルト』と『サリエリ』・・・対照的なニ人。
こういう対照的な人物を探求するのは、私好きなんですね。
<モーツァルト>
・天才、愛、喜び、永遠性、神。
・下劣な子供、経済的失敗、早死。
<サリエリ>
・秀才、嫉妬、欲望、この世的、悪魔。
・品格ある大人、社会的成功、長寿。
対照的ですね・・合わせ鏡のように・・・
これってなんなんでしょうかね・・・歴史上では他にもあります・・・
【平将門】VS【平貞盛】
【新田義貞】VS【足利尊氏】
【西郷隆盛】VS【大久保利通】
【アイルトン・セナ】VS【アラン・プロスト】
『愛の体現者』っていうのは、『権威の体現者』と、
いつもセットなんです。で、権威が愛の幕引き役をする。
その時代では『権威』の方が勝つのですが・・・
名前が永遠に残るのは、【愛】の方・・・。
そういう法則があるのは、前から知っています。
が、なぜ、愛と権威の二元性があるのか・・・
この辺ですね・・・そもそも2人は、別々の人間じゃないのではないか
とも思います。同じ存在の二つの顕われ・・・
だとしたら、『愛が善で、憎しみが悪』などと、
善悪していることは、アホらしいとは思いませんか??
二つに分かれていること自体が、岩戸内宇宙。。魔コト・・・
【真釣り】とは、それを超えた【一つ】の世界・・・
そういう二元的な法則が歴史にありますが、いかが?