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2012年10月30日
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カテゴリ:人物

NHKのドラマスペシャル『負けて、勝つ~戦後を作った男・吉田茂~』を録画とオンデマンドで全部見ました。その感想をちょっと整理してみましょうかね、「復興デフォルメ」の描き方だったらしいですが。

●まず幼少のころですが、イシヤとして名高い「ジャーディンマセソン商会・横浜支店長」の養子としてもらわれ、養父(吉田健三)が40歳で亡くなったものだから、11歳にして莫大な遺産を継ぐ。この生い立ちからしてそちら系のサラブレッドですかね。

●それで「戦後」に飛びますが、戦前と打って変わって戦後は【軍閥】に関わっていないことが勝ち組とされ、吉田茂氏は戦前に投獄されたりしていたものだから、戦後のGHQ(マッカーサー)に露骨に寵愛される。その影として選挙で国民に選ばれた第一党(自由党)の総裁・鳩山一郎氏は総理になる直前『公職追放』になり、その代理として自身は政治家だと思っていなかった吉田が首班指名され、総理大臣へ(1946年)。

●で、第1次吉田内閣での最大の功績としては、GHQが作成したと言われる【日本国憲法】の発布ですね。ここで『天皇を象徴とする』ということと『第九条により軍隊を持たぬ』ことを受け入れることになり、これが時節による『負け』でしょうか。この負けっぷりで天皇陛下を守ったものの、国民には不評でその後の選挙で自由党が敗北することになり総辞職(1947年)。

●それからGHQ内の内紛などに乗じて総選挙にて自由党を第一党にすることに成功し、側近を池田勇人や佐藤栄作など官僚出身者(吉田学校)で固め、『復興と独立総理』として第2次吉田内閣を組閣(1948)。この「戦後3年」という時節において、すでに『官僚主導』という今では悪く言われている基盤が出来ています。

●そうして復興と独立に向かうのですが、第3次内閣の時に衝撃に見舞われる。それが朝鮮戦争である(1950年)。この戦争によりアメリカの対日要求は一変する。朝鮮戦争前までは「日本の弱体化と平等的な民主主義の定着」が主眼でマッカーサーはよくやったのであるが、朝鮮戦争は【赤】に対抗する極東の戦略的拠点として日本に『再軍備』を迫ることになる。ここにおいて「平和憲法を押し付けられながら、再軍備しろと同じ国に言われる」という矛盾を押し付けられることになる。

●この矛盾を承諾する日本の代償として、サンフランシスコ講和条約の締結(1951年)で日本が独立することを達成することができたが、軍隊の代わりに『なんちゃって自衛隊』とか『米軍の駐留』とかを許すことになる。矛盾が矛盾でないための苦肉の策であるが、日米安保の責任を吉田茂は一人で背負った。そうして戦争に乗じ経済復興に拍車をかけることができたのだ。

●このように振り返ってみると、今でも全然変わらない『戦後』を創り出したのは吉田茂である。【天皇象徴の平和憲法・官僚主導・経済第一・日米安保条約】これらの流れを作り、ジャパンアズナンバーワンとまで言われ、日本が一番という気流を1990年ころ(40年後)に達成できたのは、良くも悪くも吉田茂様のおかげ。しかしその後かげりが出てから『失われし20年』を経験した後、私たちは東日本大震災を経験し、再び復興を目指さなければならなくなった。続く・・・

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最終更新日  2012年11月01日 13時48分29秒
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