|
カテゴリ:焼き鳥・串焼き
久米川駅南口にある焼き鳥店「福徳 久米川店」。私は年に1~2回くらいしか行かないから、お店にとってはあまりいい客ではなかったと思う。それなのに大将は「よく来てくれましたね」という感じでニッコリ笑顔で迎えてくれたし、お母さんは「あら、久しぶり」と顔を覚えていてくれた。私にとってはとても居心地のいいオアシスのような焼き鳥店だった。 一体、何から話せばいいのだろう……。 今でこそチェーン系の居酒屋でもホッピーを出しているが、私が最初にこのお店を紹介した2004年当時、ホッピーを出すお店は珍しかった。しかもナカ(焼酎のこと)を濃い目に出してくれるから、ホッピー1本を頼むと3杯は飲めてしまう、まさに庶民の味方的なお店だった。 今のマンションに引っ越す前は、久米川駅に行くには必ず「福徳 久米川店」を通っていた。小さい息子を連れて歩くと、必ずお店の前の道路から1段高いところを息子を歩こうとして、よく大将に声をかけられたりした……。 エピソードを並べ立てても仕方がない。もう「福徳 久米川店」は閉店してしまったのだから……。 6月27日に読者の方からこんなメールをもらった。 本日、焼き鳥の福徳の前を通りかかったところ、忌中の張り紙がありました。 何か詳しいことをご存知でしょうか? 翌28日の午前11時半ごろだっただろうか、私は張り紙を確認すべく「福徳 久米川店」へ行った。そして通夜・告別式の日程の書かれた張り紙を読んでいると、後ろから黒く車体の長い車がゆっくりと進んできて、「プァーン」と長めのクラクションを鳴らして通り過ぎて行った。 「あっ、これはお店との最後の別れだ」と思った私。「だとすると、亡くなったのは大将なのだろうか?」……張り紙には亡くなった人の名前が書いてあったが、私は大将の本名を知らないので、「お店の誰が亡くなったのだろう」とずっと考えていたのだ。 もし大将が亡くなったとしたら、お店はどうなるんだろうか?……お母さんはまだいるワケだし、しばらく休んでから再開するんじゃないだろうか……などと考えつつ、「お店が開いたら、すぐにお母さんに挨拶に行こう」と思い、私はその場を立ち去った。 そして7月3日……。 冒頭の写真はその時に撮ったモノだ。よく見ると、シャッターは半分だけ降りて、半分開いている。まるで半旗のようだ。 さらによく見ると……。 大将が立っていた焼き場の前のガラス窓に張り紙がしてある。忌中の告知とは違う張り紙だ。 拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 さて、突然ではございますが、昭和五十九年十二月七日開店以来、二十四年余にわたりお引き立て頂きました福徳久米川店を店主○○○死去により六月末日をもちまして閉店いたすこととなりました。 皆様の温かいご支援の中での苦渋の選択となりましたが、何卒ご理解賜りますようお願いもうしあげます。 皆様の長年にわたるご愛顧に心から感謝申し上げますとともに、皆様の今後ますますのご健勝をお祈り申し上げます。 平成二十年六月三十日 福徳久米川店 張り紙を読んで、私はしばし呆然としてしまった。 この看板も近いうちに外されることになるだろう。でも私は決して忘れない。焼き場に立って黙々と焼き続ける大将の姿とお母さんの優しい笑顔、そして旨かった焼き鳥の味を。 大将、ありがとう。ゆっくり休んでください。 お母さん、ありがとう。いつまでも元気でいてください。 【DATA】 住所:東村山市栄町2-1-9 電話:042-395-4461 【このお店に関する過去の記事】 *2004年11月06日「ホッピーがウメぇ~ッ!」 *2005年12月02日「優しいお母さんのいる焼き鳥屋」 ★お店や料理に関する記述は、訪問時における管理人・マサ本人の主観によるものであり、誰が行っても同じ印象を抱くとは限りません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「福徳 久米川店」は残念ながら2008年06月30日に閉店しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[焼き鳥・串焼き] カテゴリの最新記事
|