自称革新的な左翼、その未来
0:前言「現代日本の常識」問1:民主政体でその主義主張を変える手段として容認しうるものは何か?答1:選挙、あるいはそれに付随する各種合法的政治活動問2:法治国家において法に反する行為は一般に何と呼ばれるか?答2:犯罪問3:現代民主主義国家内において、暴力をもってその国家の存在を覆そうとする行為を何と言うか?答3:テロ・革命問4:日本は民主主義国家か?答4:○ 以上異論のある方はおいでだろうか?ではこれらを踏まえていただいた上で・・・問5:違法行為や暴力を容認し自らの政治的主義主張を他者の迷惑を顧みず強要する行為を認めるか?この答えはあえて明記しない。 さて犯罪を政治的に擁護するという主張が散見されるようになった。そういった主張者は概ね下記のような論陣を張る。「政治的主張があるのだからこれは思想・信条の自由の表現であり、これを裁くことは思想弾圧・政治弾圧である。」だが彼ら以外の多くの政治的主張が一切の犯罪行為を付随せず行われ続けてきたことは考慮されない。そう、これらの行為は政治的主張だから裁かれたのではない。手段として「犯罪」を用いたから裁かれたのだ。彼らは言を左右に話題を逸らし、「犯罪者」を擁護していることについては一切触れようとはしない。 目的が手段を正当化することはない。あってはならない。それすら理解出来ないから「犯罪を手段として利用する自称革命的行動」を擁護するのだろうか。1:選民主義的革命思想「全体主義への回帰」 これら独善的論者には歪んだ選民思想が見て取れる。ここではそれを証明してみようと思うので以下の引用を読んでいただきたい。ちなみに発言者当人は自らを「確信犯的な左翼」と称している。>民主主義は常に衆愚政治に陥る危険があります。多数者が正しいなんて保証はどこにもないのです。 多数決が正しいなんて保証は誰にも出来ない。だが少数よりは多数の方に「より正しい」見解を持つ人間が多数含まれている可能性は高い。ただし少数派と多数派それぞれ派の人間の知能・倫理のレベルが同じ分布曲線を示す、すなわち同じレベルの人間であるという前提が必要ではあるが。 これに続く部分が「選民思想」が溢れ出した瞬間である。当人に自覚は無いのかもしれないが、もしそうならより危機的状況であろうことは想像に難くない。>しかし、私達がシニシズムや絶望に陥らない限り、潜在的な真の多数者が目覚める時が必ず来ると確信しています。 ここが自分(とその仲間)が含まれる少数派だけが正しいと盲信している部分である。これを読み解けば、文の主語の「私達」は「潜在的な真の多数者」(そのようなものが存在する根拠は書かれない)を目覚めさせる、導く存在である、と主張していることが判る。すなわち「真の多数者を目覚めさせる」「私達」は当然既に目覚めており、「真の多数者」が含まれる一般の大衆とは一線を画した進んだ存在なのだ、そういう主張、思想、すなわち「選民思想」が読みとれる。 この発言に対し主張を同じくする他の論者から付いたコメントはこの推測を更に補強する。以下を読んでいただきたい。>私もそう思います。非人間的な人間は人間性という重みが欠けてるがゆえに、身軽で無意味に活動的で、非常に行動が迅速だという気がします。だから一人で百人分くらいの活動が出来、実際よりも遙かに人数が多いかのように見えるのです。 文頭の同意の次、自らの主義主張に同意できない人間を「非人間的」「「人間性という重みが欠けている」と言い切り、昨今の世相の変化はそういった人間が「実際よりも遙かに人数が多いかのように見える」せいで、実相はそうではないと元発言者の趣旨を補強している。当然その根拠は示されず彼らの「根拠無き思いこみ」だけがそのベースとなっている。根拠など無いのは当人がその文章の中で語っている以下の部分、>けれどもそういう人達の方が、人数的には多いと思います。サイレント・マジョリティーって奴ですね。 で明らかになる。思っているだけで何ら証明はしていない。そして自らを受け入れない社会の方が間違っており、自分たちこそが正当であると以下の結言を持ってきている。>人間性や思慮深さを無能とする、今の価値観の方がおかしいのではないか? とね。 自らは人間性を持ち思慮深く、他者はそうではない。自ら以外の多数は間違っており、自分を含む少数が正しい。根拠すら存在しないこれを「歪んだ選民思想」と言わずして何と表現すればいいのか。 ここで歴史を紐解いてほしい。ドイツ第三帝国、ソビエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国。これらは「選ばれた思想を持つ人間がその他の一般人を善導する」といった選民思想を共通項に持ち、その途中経過で他民族や他国民、あるいは自国民すら粛正した歴史を有する国家群だ。時として自らが定めた法すら無視し、目的は手段を正当化するという行動を行い続けてきた国家。時として法の無視を容認し、目的は手段を正当化するという行動を主張し行い続けている自称「確信犯的左翼」。何かが似てはいないか? 彼らの選民思想はその劣化版コピー、不出来な孫達と言えるのではないだろうか。歴史を60年以上引き返してそういった国家体制を作るのが彼らの基本思想ならば我々の選択肢は一つしかない。2:狂気と革命の閉塞「アナーキズムの美学」>言っとくが、僕はそこらのネトウヨどもよりよっぽど執念深くサディスティックに「粘着」するタイプだからな。 >狙ったネトウヨ君のネットライフはもちろん社会的生命を根絶するところまで攻撃の手をゆるめず、2ちゃんの叩きもかくやというまでに残虐な活動をすることも辞さないほどに恐ろしくサディスティックなコミュにしたんだがね。>というわけで、こっちもネトウヨもビビるほどの邪道なゴロツキ、リンチ好きの狂犬の集団になって、あらゆる悪罵と脅迫と陋劣によって、エモノを追い詰め、ギタギタにしてやろうじゃないかと提案してるのです。弱いものイジメは楽しいぞ♪ さて、これらを読んで感じただろうか。字面だけみればそのエゴイズムと暴力的性向、そしてその背景となる狂気に恐れを抱くかもしれない。だが私は「この人は暴力を是とする無頼漢であるという「演技」に自己陶酔する哀れな人か、真性の○○なのだな」と思った。よく言われることに「ヤクザではチンピラほどいきがる」というものがある。「弱い犬ほど良く吼える」とも言う。もし本当に「完膚なきまでに叩きのめしたい」のであれば相手の警戒していない隙に行うべきだ。そのために現代戦では情報の収集・秘匿が重視されてきた。「今から叩き潰す」と吼えるのは「相手を怯えさせる事で引き下がらせる」効果を期待しているだけだ。 もう一度言う。チンピラがいきがる理由はいきがることで相手をおびえさせ自己を上位に見せかけるため、すなわち虚勢にすぎない。よって私はこう判断する。「このような手法に出る相手は、力関係において互角以下の存在であるか、そういった基本も理解できていない愚物」なのだと。 さてこういった人物が自らの友人にいた場合あなたはどうするだろう。1 友人として彼を諌める。2 友人としての付き合いを絶つ。まぁこういう感じだろうか。だがそれでは自称「確信犯的左翼」にはなれないのだ。以下は自称確信犯的左翼の発言からの引用である。>○○さんはリアルで会うと人間味溢れる本当に人間らしい方なんですよ。>○○さんはそういう発言をする方なのです。それを理解し受け入れた上で、私はかれの友人であるわけです。>かれの友人という立場を離れて、社会運動に携わる者らのうちの一人として言えば、別の作風というか運動スタイルが望ましいと考えています。>過激かもしれませんが、それでも私は○○さんのことを大切な友人だと思っているし、信頼している、ということです。そのことで私が偏見を持たれてしまうとしても、それは受け入れます「本当は良い人間性なんだ!」「友人だから無批判に擁護し受け入れるのだ!」「信頼しているんだ!」 自称確信犯的左翼は、法に反しようと倫理が怪しかろうと仲間は絶対に守るものなのだ。ああ、素晴らしき哉美しき友情、我らが麗しい同志愛に栄えあれ!それは万人が無批判に受け入れるべき崇高な精神だ!彼らは叫ぶ、自己犠牲と見てくれの友情に陶酔しながら。それが他人には絶対理解されないということを無視しながら。 一歩引けばこれが「仲間内の傷の舐めあい」「暴走族の連帯意識」と同質な低レベルのものであることが理解できる。ではこれらを平気で主張できる「確信犯的左翼」がサイレントマジョリティーから政治的シンパシーを得ることは可能だろうか?答え:「有り得ない」彼らは自身が作り出した殻、その外の人間からは一切賛意を得られない。相手を思想的に転向させることもかなわない。なぜか?「外の人間」な時点で仲間ではないからである。ディスカッションを行い、相手を論理的に納得させ、その上で相手の過去の思想をクリアして咎めないようにして仲間に受け入れることが「転向」させることである。だがかれらはディスカッションの段階で相手を罵り拒絶する。なにしろ「仲間内の論理とモラル、そして仲間自身」が全てに優先するのだから。何より哀れなのはそういった失敗を仲間内で傷を舐めあい、悪かったのは自らの失敗ではなく相手側だったのだと安易な結論へと飛びつくことだ。そう、彼らには進歩するだけの精神的キャパシティーが存在していないのである。 進歩には自らの過ちを認めそれを乗り越えることが必要だ。しかし彼らはそれが出来ない。なぜなら彼らは間違っていたと認めることがないからだ。 相手の論理を常に「反動的」「差別的」と罵り「暴力で排除しようと威嚇」して良しとするからだ。 過ちを認めて修正されない主義主張に進歩などないのだ。3:結論 左翼的政治運動の未来「流れよ我が涙、と確信犯的左翼は言った」>権力と対峙する姿勢のないところに、運動はあり得ない。 権力と対峙する自分に自己陶酔し、それだけが目的であるかのようにしか振舞えない自称確信犯的左翼。>ネットウヨへの対処法が一つしかないのが身に沁みてよくわかった。対話を拒否するしかないのだ。 対話を拒否し、自らの作り出した殻に籠もることでしか自らの思想を守れない自称確信犯的左翼。>「二重基準」など幾らでも言いなさい。私は断固として「偏向」するからね。妥協はしない。 過ちを認めず、自己の思想のみを頑なに守ることでしか自己主張できない自称確信犯的左翼。>私は一切の中立性・偽りの「客観性」・公平性を放棄し批判する。断固として偏向する。 自己を絶対視し他者の視点を認めず、己の判断基準こそが絶対正義であると唯一神の如く吼える自称確信犯的左翼。>××氏をアク禁にしました。さよなら、××氏。 論理的に対抗できないと、自らに与えられている力を行使して対話を拒絶する自称確信犯的左翼。 自称確信犯的左翼氏の哀れな姿を見て、果たして左翼的運動に未来・救いはあるのかと危惧する方も多かろう。だが安心(?)して欲しい。彼自身も語っている。>貴方は「△△△△△」の呼び掛けを揶揄しているのでしょうが、賛同人の中で私は異端的であり、主流派ではない。 そう、彼は彼が認めるように主流派ではないのだ。ある人は彼との対話で「君はこれから尾翼を名乗るって後ろのほうにいると、真面目な左翼の人々が迷惑しなくて済むだろう(笑) 」と揶揄した。そうかれは「左翼」ではない。自称「確信犯的左翼」なのだ。 そしてそれはいくら涙を流しても、自らそれを認知できない限り改めることは出来ない。さらばだ、「確信犯的左翼」とその一党。あなたたちが日の目を見ることは無い。たとえ西から日が昇ることがあろうとも。