思ヒ出話【1】
自衛隊に入って十数年、いろいろな思い出があるわけだが今日はそれを少し語ってみようと思う。 某学校を中退し、その学校からの就職斡旋を蹴って自衛隊の門をたたいて幾年月、何の間違いか陸曹から幹部候補生の試験に受かってしまいぺーぺーの3尉として転属したA駐屯地。 部内からの選抜幹部の義務と言わんばかりに「陸曹候補生選抜試験」(要は陸士(兵)から陸曹(下士官)への昇任試験)の合宿教官役を仰せつかった。試験は1次試験(学科)と2次試験(面接他)からなっており、その試験に合格すれば陸曹となり自衛隊に定年まで勤務する資格ができる。学科の主担任教官は頭のいい防大卒のピカピカ3尉がやり、私は副として国語や自衛隊法関連などの科目を受け持った。 バブル崩壊からまだ数年、自衛隊を辞めたとしても再就職の先も少ない時代のこと、受験資格のある陸士50人ほどのうち約7割が合宿参加を希望し、その時の1次試験には6人ほどが合格した。(あとから聞いた話だが、普通は2、3人受かればいい方なのだという) 2次試験は面接主体なため、自衛隊風の面接をこなしたことのない防大卒の3尉と立場を入れ替え、主担任が私にまわってくることになった。面接や基本教練の基礎的事項の他に、見栄えの良い動作、受けの良い話し方などの要領とともに、大隊長の強い要望で「自衛官としての考え方の基本」を教えることになった。 さてずいぶんと難解かつ曖昧なことを申し使ったとは思ったが、確かにこれができていなければ陸曹として合格させるわけにはいかない。しかしまだ20~24歳の若い隊員が、日々の訓練や日常業務の中でそこまで考えていたのか、あるいは考えることができるのか、まずはそこを見極めなければならなかったわけだ。 面接の教育は、オーソドックスな質問例題集に対して受験者それぞれが自らの考えで回答を準備する。それに対して主担任の他に応援の幹部自衛官(時として大隊長や連隊長までお願いした)二人を加えた三人の面接官が質問をする。もちろん質問に対する回答に対しては、更に一歩も二歩も彼らの予想しない方向から踏み込んで質問を追加するわけで、私相手の面接の練習を受けた若い隊員からは「X3尉(私)の質問が本番の面接よりも怖かったですよ。」と言われるのが常だった。 ある日普段から私と話の合う仲の良い先輩幹部のH2尉とM中隊長の三人で面接指導を行った。M中隊長は一通りの指導を行うと別の仕事のために早々に退出した。偉い人が帰ったあとの流れは大体こんな感じだ。H2尉「んーあれだな、おまえらもう少し質問のつっこみに耐えれるくらいの知識付けろよ」私 「そうだなB士長、おまえ自分で興味があるとか言っといて、国連の常任理事国を間違えるのはやばいだろ」B士長「いや、突然振られたもので・・・あせっちゃって」H2尉「本番の面接で「今日はこの問題質問するよ~」なんて言ってくれないぞ?」という調子で、和気藹々としながらその日の面接の失敗を反省しつつ缶コーヒーを飲むのがパターンだった。(缶コーヒーは私のおごりで、たまに若い隊員たちが「いつも悪いですから」と気を利かせてくれることもあった) そして話が横道にそれながらも、合格して陸曹になったらどうするとかの話になったとき、かねてからのH2尉と打ち合わせていたとおりに私が質問の口火をきった。「おまえら陸曹合格してからさ、もしどっかの国が攻めてきて戦争になったらどうするよ?」H2尉も事前の打ち合わせどおりに「まー死にたくないよなぁ」と合いの手を入れる。世間話といえど私たち二人の頭の中には、「どうするもこうするも任務ですから」という感じの答えが返ってくることを当然として次のステップが組まれていた。「親や恋人が反対しても?」とかの追加の質問が準備されていたわけだ。 6人の受験者は「好き嫌いの問題じゃないですよね」「逃げてしまえば部隊の仲間に卑怯者扱いされる」「その時のために給料もらってるわけだし」と次々とほぼこちらの想定どおりの答えを言う。 そのなかで一人、K士長だけが違った。彼はなかなかに頭もいい。陸士で既に結婚しており子供もいるため、真剣に自衛隊に定年まで勤めたいという希望を持っていた(とそれまでは思っていた)。ただやや自己中心的な言動が目立ち、いままで何回か1次試験を合格はしているものの面接で不合格になっていた。その彼が何の迷いもなく、しかし半分冗談めいた口調で言った。「あ、俺その時は自衛隊を辞めますから」 一瞬周囲が凍ったかのようだった。一緒に受験する他の5人も固まった。おそらく時間にすればほんの10秒だっただろうが、固まった時間をH2尉が静かに動かすように冷たい声で言った。普段の彼を知っている人間には信じられないほどの怒りを含んだ声だった。「辞めるなら今やめろ、おまえは自衛官として、仲間として失格だ」K士長当人も失言だったと思って何かいいわけをしようとしたのだが、普段はいつもにこにこと冗談を言い、部下にも優しいH2尉が更に冷たく言い放ち彼の言い訳を遮った。「例えばおれはX3尉といつも冗談を言いながら笑っているが、有事の際に必要とあらばこいつに死ねと言う、言わなければならない。」私の顔を真顔で見ながら続ける。「本隊が撤退する時間を稼げとXとその小隊に命令する。Xも当然それで死ぬのをわかっているが、それで俺を恨むことはないし俺と冗談を言い合ったことを悔やむこともない。」私は黙ってうなずいた。「階級が上がるってのはそういうことだ。上がれば上がった分、偉くなればなった分だけ部下の命を預かることになる。お前達が陸曹になるということは後輩や部下の命を預かり、仲間の命に責任を持つってことだ。そういう立場になろうとする人間が絶対に言ってはならないことってものがある」K士長は黙ってうつむいた。「誰が悪いとかじゃない。なぜそういうことを言ってしまったのか、言わなかったやつも自分にもそういう考えがなかったか、それを考えろ」そこまで言うとH2尉は缶コーヒーを一息に飲んだ。「X、用事があるから先に帰る」目線がフォローを入れておけと語っていた。「なあ、お前ら」H2尉が部屋を出て行ったあと、椅子に座って缶コーヒーを飲むともなしに抱えている6人に向かって私は言った。「H2尉の言うことの意味がわかるか?」答えは返ってこなかった。「わかるまでじっくり考えろ。午後の教科は基本教練の予定だったが変更だ、今の話について考えて明朝レポートを提出しろ。椅子を片付けて解散」 その10日ほどあとに行われた2次試験で、我が部隊からは6人中3人が合格した。(2次合格率50%は部隊としても久々の快挙だったらしい。)「お前らが合格したら寿司おごってやるよ」とせいぜい1、多くて2だろうと踏んでいた私の軽口の報いで、総勢4人で寿司屋に行くことになった。「回らない寿司屋行ってみたかったんですよ」と冗談めかして言う若い隊員の、普段食べる量を考えて私は死をも覚悟した。「X3尉、あのときのH2尉との会話、あれマジだったんですか?」日本酒を飲みながら寿司をつまむ私にB士長が尋ねた。「さぁなぁ、ただあれでお前らみんなの目の色は変わったよな。」「ええ、衝撃でした。あれで目が覚めました。」うんうん、とうなづく私にB士長は酒をつぎながら言った。「ところで」「なんだ?」「大トロ頼んでもいいですか?」その月はやけにカップラーメンを食べる月になった。 私がその部隊を転属するまでに8人の陸曹の合格に関わった。奇しくも私とH2尉が同時に転属することになったとき、その8人が見送りに来て言った。(そのなかには後から合格したKの姿もあった)「ありがとうございました。おかげさまで陸曹にさせてもらいました。」「俺達がしたんじゃない」H2尉は言った。「お前らが陸曹になれるだけの能力と心を身につけただけだ、これからも頑張れよ」私達は私有車に荷物を積み込み乗り込んだ。「あいつら、立派な陸曹になりますかね」との私の問いにH2尉は答えた。「なるさ、バックミラーを見てみろよ」そこには私達の車に向かって、私達が教えたとおりピクリとも動かぬ姿勢で、教科書に載せても恥ずかしくない立派な敬礼をする8人の若い隊員の姿があった。バックミラーの中で次第に小さくなるその姿は涙で少しかすんでいた。すでに昔の話である。