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ようこそ「還暦雲巣管理人独言」へ!
還暦がすんだウエブマスター“NASOT”の独り言のような ささやかな日記です、平均寿命まで生きたとしても 日記を書くのは、7,000日足らずです、 毎日書きますのでよろしく!。 とはいうものの、書いていることは日記ではないし、 コラムというほど大層でもないし、やはり独り言か。 平和や反戦、政治や経済のこと、高齢者の恋愛とセックス、 老化や衰えのこと、チョッと助平なこと、好きな音楽のこと 長年住んでいる「西院」のこと、ペットのこと、イベントのこと ボクシングのこと、お酒や食べ物と女のこと、事業の失敗のこと 人生の「山」と「谷」のこと、ファッションのこと、京都のこと そして、ほんの少しの、小さな オレの夢とこだわりと生きがいのこと 「第10回西院MUSIC FESTIVAL 2011」 楽しく、暑い、熱い2日間のイベント! 開催決定!2011年8月6日(土)・7日(日) ボランテイアスタッフ募集中!!! 第10回開催のスポンサー募集!! http://saifes.dip.jp/
「ロームのクリスマスイルミネーションー2」
「ロームのクリスマスイルミネーション-1」
「新風館のクリスマスイルミネーションー1」
「嶋原の太夫さん」
「化野念仏寺・紅葉ー1」 還暦雲巣管理人独言(還暦のウエブマスターの独り言) [全2511件]
今日の午後から地域の自治会館でデジサポ京都主催の地デジ推進 の説明会、共同アンテナで受信している世帯へ向けの地デジの説明 会、エコポイントがらみで11月末に地デジ対応テレビを購入、今 は近くのマンションの共同アンテナでテレビ受信、地デジテレビを 見ようと思えば、自分で比叡山の方角に向けてUHFアンテナを立 てるか、室内アンテナを購入するか、ケーブルテレビに加入するか、 光ケーブルの契約をしなければならない、テレビの受信だけ考えれ ば、しかも家が電波状況の非常にいい場所なら室内アンテナ、そう でなければ、UHFアンテナを立てる方法が一番安上がり、だと思 う、丁度、1年前の12月にもデジサポ京都主催の説明会が開かれ た、たまたま去年と今年が町会長で町内の人が、「共同アンテナは どうなる」、と聞きに来る人がいた、「これは町会長が間に入る問 題ではなく、総務省と個人の問題、聞きたい事がれば、地デジ化推 進窓口に電話をしてほしい」、とこたえていて、以前にビルのオー ナーから、「アナログ放送の時代はビルを建てようとすると、ビル が建つために電波障害が起きる可能性がある、そのためには必ず共 同アンテナを立てて、近隣の人たちが電波障害なくテレビ受信がで きるようにする、土下座までしてビルを建てさせてくださいとお願 いした、ところが事が地デジになると、先にビルが建っていて、後 から地デジ放送が始まる、ビルのオーナー側から言わせると、『そ んなことは知ったことか』、という事で、地デジ放送の共同アンテ ナの事は全く考えていない」、と言っいていて、ビルのオーナーの いう事が筋が通っていると考えていて、町内の人が共同アンテナに ついて聞きに来た時もそのように返事をしていた。 ただ、これが町会長として正しいのかどうか定かではなかった、 だから1年前の説明会に出席して、主催者のデジサポ京都のメンバ ーに確認すると、「その通りです」、との返事が返ってきた、この 説明会に町内の人の出席はなく、説明会の後で、「どうでした?」、 と聞きに来る人がいて、「町会長として出席したのではなく、個人 として出席したので、その時の資料を渡しますので、読んでくださ い、もしわからない事があれば、書いてある電話番号のところへ電 話をして聞いて下さい」、といって当日の資料を渡した、この1年 前の説明会では、京都は比叡山方面からの電波と生駒山方面からの 電波を受信して地デジ放送を受信する、だから比叡山方面に向いた アンテナと生駒山方面に向いたアンテナの2本のアンテナを立てて ください、デジサポ京都の担当者は説明、10年前に電波領域を整 理して、テレビのアナログ放送から地デジ放送に切り替えると電波 領域が整理されて、テレビ放送が使用する電波領域がコンパクトに なって、将来において必要となる電波領域が確保できるという理由 で、アナログ放送から地デジ放送に10年後の切り替えるという事 が国会で決議されて、法律でこの事が決められた、その間、201 1年7月24日から地デジ放送に切り替わるという有名タレントを 使ったCM、チデジカなるキャラクターが作られて、地デジに切り 替わる日の広報は行われていたのだが、各家庭のアナログテレビは 各家庭の財産である、電波領域の整理という大義名分はあるが、国 が個人の財産権を侵害してまで行うことが果たして、という疑問が あり、総務省が各家庭にお願いをするという姿勢があってもいいの ではないか、10年前に国会で決めた法律が出来て、これに従えと いう態度、この総務省の態度の少々立腹と大きい不信感、そのため に1年前の説明会の時のデジサポ京都の作成した資料を町内の人数 人に見せはしたが、口で説明をする事はしなかった。 この説明会の3ケ月後、マンション管理人の仕事をしている管理 会社から、「京都では生駒山方面からの電波が弱く、比叡山の中継 局を強化して、比叡山方面からの電波で地デジ放送の全チャンネル を受信できるよう、8月を目途に行われる」、という予定を聞かさ れた、この時に3ケ月前の説明の時には比叡山方面と生駒山方面と の2本のアンテナが必要と説明、この説明会の時の説明を近所の人 に話さなかった事を幸いにさえ思った、オレの説明を聞いた近所の 人が2本のアンテナを立てていたらと思うと冷汗が出る思い、あの 時に町会長が2本のアンテナがいるというたので、2本のアンテナ を立てたけど、1本のアンテナでよかったんや、事ある毎にこれを 言われる、現在の地デジ化推進の組織、総務省からデジサポ京都が 委託されていて、こういう事のなんら責任をとることもなく、責任 を感じることもなく、勧められていて、総務省とデジサポ京都に大 きな怒りさえ感じていた。 高いビルやマンションの共同アンテナ、地デジ放送になれば共同 アンテナの対応はしないと理解し、町内の人にもそう説明してきた が、ところが8月頃からアナログの画面の下に共同アンテナの施設 に対する助成金のテロップが流れるようになって、共同アンテナで 受信している家庭はその施設に相談してくださいと書かれている、 それだけではないエコポイントがらみで駆け込みでテレビを購入の 家庭、アンテナを立てるときに電気工事の人が共同アンテナで受信 の家には、町会長さんと相談してください、それを聞いてまた町内 の人が数名、共同アンテナのあのマンションへ行って、話し合いを して欲しいといってくる人も、またもや頭にくることが、そこで1 2月15日に説明会開催の案内の回覧板が自治連合会から来た、今 日の午後に出席、デジサポ京都の説明が30分、電気屋さんとNT Tの人が相談窓口として出席、デジサポ京都の人が、「地域内で共 同アンテナの施設が32施設で現在既に地デジに対応している施設 が6施設、その他の28施設は個別受信検討中、周知報告の時期は 未定、と施設名ごとの状況をプロジェクターからスクリーンに映し て一通り説明、後は個別受信の方法の説明とアンテナとケーブルテ レビの事は電気屋さんに相談、光ケーブルに関してはNTT相談、 という事で説明会は終了、出席者の20人ほどの殆んどが共同アン テナで受信の家庭の人、ここまでで何か質問、直ぐに手を上げて、 先ほど見た地デジに未対応の28施設、個別受信検討中、周知時期 未定、とある殆んどの施設、地デジ対応が無理なら無理というのが この説明会の趣旨と違うのか、もう少し待てば共同アンテナの施設 が何とかすると期待をする人も今の説明ではいると思う、もう切り 替えまで7ケ月ほど、いまだに地デジに未対応の施設はその気がな いと言い切ったほうが誤解を招かないのではないか」、「検討中と いう返事をいただいているから、そうとしか説明が出来ない」、「 そんなこといっていて、検討中が来年の7月23日までかかって、 その日の個別視聴に決定といわれたら、誰がどう責任をとるんや」、 一番前の席だったので周りの反応が分らずに、勝手に腹を立ててい たが、デジサポ京都にこんなことを言われてもと迷惑そうな顔、光 ケーブルの説明にNTTが来ていたが、光ケーブルはNTTだけが しているのではない、そんな事を考えるとこの説明会も地デジ推進 化と言うものの少々おかしい説明会。 ■「今日の言葉」■ 「 国があってこその個人の生活 である国の恩恵に感謝しよう 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
我が家の浴室、冬になると脱衣場も浴室内も物凄く寒い、だから お湯は熱い目にしている、これは血圧の高い者にとっては良く無い 事で、2年前の正月明けのある日に、仕事に出かける時に家のすぐ 傍のお地蔵さんの水を替えていた斜め向かいのお婆さん、「おはよ うございます、いつもどうも有り難うございます」、と声をかけて、 その日の夜に仕事を終えて午後9時前に帰宅、ピーンポーン、と玄 関のチャイム、「警察ですが、夜分恐れ入りますが、少し伺いたこ とがありまして」、下へ降りて行き、玄関のドアーを開けると警察 官が2人、「午後8時頃に大きな声や、いさかいの声を聞かれませ んでしたか?」、「その時間は仕事中で」、1階から2階のヨメに 聞くが、別に何も聞いていないという返事、警察官に何があったの かと聞くと、「斜め向かいのおばあさんが入浴中に倒れて、すぐに 救急車の手配、救急車が到着した時にはすでに亡くなっていて、事 故か事件かを調べているところです、そのおばあさん心臓の持病が あり、寒い脱衣場で服を脱いで、浴室内も寒く、血管がギューッと 収縮していて、その後に暖かいお湯の中、収縮していた血管が急に 拡がり、一気に心臓へ流れ込み、そのために心臓発作、心筋梗塞の ファーストアタック、これが命取りという事であった、余りにも身 近にこんな事が起きて、脱衣場にストーブを置くようになった。 冬場に孫と一緒に風呂に入る事もある、オレが風呂に入る時のお 湯の温度と、孫が風呂に入る時のお湯の温度に開きがあって、孫に とっては熱いわけである、足の先だけをチョッとお湯に入れて、熱 さでオレの腕に必死で、ベソをかきながらしがみついてくる、「熱 いお湯で無いと風邪を引くから」、といっても、まるで小猿が親猿 にしがみついているようである、仕方なく水を入れてお湯の温度を 下げて、漸く湯船につかる、新聞紙上を幼児に熱湯を掛けて火傷を おわし、虐待死の事件が報道される事がある、風邪を引かせないた めに熱くしたお湯でこの有様である、幼児は5、6歳までに親の顔 を見て、心の底から信頼して笑顔を振りまく、これが親孝行である、 親はこれ以上の事を臨むのは贅沢でもある、幼児が一生分の親孝行 をしようという時期に、熱湯を浴びせて火傷を負わせたり、死なせ てしまう、鬼か悪魔のなせる業であり、哀れで、不憫である。 自分の子供のしつけ、上が男の子、天真爛漫といえば聞こえはい いが、落ち着きのない、ザワザワとした子供、口で言ったぐらいで はいうことを聞かない、5歳くらいの頃から、「パチン」、と平手 打ち、それでも懲りずに、また平手打ち、「パチン」、小学校に入 学した頃、ほっぺたに手形をつけて登校、担任のベテランの女の先 生が、その手形を心配して家に電話、「家で何かありましたか?」、 電話をヨメから代わって、「昨晩、言う事をきかないので平手で叩 きました、これから当分の間はほっぺたに手形をつけて学校へ行く 事があるでしょう、心配は無用です、叩く親のほうの胸が痛いです、 話をしてわかるようになれば、話をします、それまではもう少しの 間は叩かなければわからず、叩くでしょう、ご心配なく、電話有り 難うございました」、「わかりました、早く話をしてわかるように なれば良いですね」、という事で電話が終わった、小学校の3年生 くらいまでは、叩いてわからせようとした、小学校の4年生以降は、 叩く事はなくなり、話をする事によって、殆ど全ての事が解決する ようになり、叩く事はなくなった、口答えをしたり、反抗的な態度 をとることもなく成人に育った、だから男の子は叩いてでも躾をす る、そう思い込んでいるフシがある、しかし孫となると叩きたくな い、また付き合いの密度の影響でそういうことが無かったのだが、 小学生になってから、家に遊びに着ていて、父親に叱られると、「 お父さんなんか嫌い、帰ってくるな、お父さんなんか要らない」、 と言い出す、息子はそれを聞いていて声を荒げる事も無い、尚も、 「お父さんなんか嫌いだ、帰ってくるな、出て行け」、と泣き叫 ぶ、そこで子供といえども言って良い事と、悪い事がある、孫の 胸倉をつかんで、「お父さんに謝れ」、と大きな声を出す、こう いう怒られ方をしていない、だから余計にパニックになって、さ らにエスカレートして泣き叫ぶ、「ジィジィなんか怖くない」、 「怖くなければ泣くな」、といって頬を平手打ちにする、平手打 ちにも免疫性が無い、余計に大きな声で泣き叫ぶ、「もう、遊び になんか来ない」、「もう来るな」、パチン、という具合になる。 テレビなどでも子供の虐待の阻止のコマーシャルも流れている、 隣近所は漸く子育てを終えたばかりという家が多く、少々孫が泣 こうが、喚こうが、「怒られているな、家でもつい最近まで、あ んなだった」、別段、児童相談所に電話される事は無い、孫が帰 った後で、ヨメが、「近所の人が児童相談所にでも、電話をしや はったらえらい事よ」、「確かにな、児童相談所も最近は明らか な児童虐待のシグナルを発信されていて、児童の命を救う事が出 来なかったということがよくあるからな、孫の躾といっても信じ てもらえないかも知れないな」、「そうよ、孫に向かって、生意 気な口を聞いたら承知せんぞォ~、・・・・・すぞォ~、は良く ないよ」、「わかった、気をつける」。 ■「今日の言葉」■ 「 きちんとした躾が土台となって 子供の個性が輝いてくる 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
マンションの管理人の仕事、2人シフトで365日休みなし、相 方は女性、年末、年始は家でのする事は女性が多い、だからこの仕 事を始めた時から、12月30日、31日、元旦、1月2日はオレ が出勤する事にしている、以前のように御用納めが済んでから、家 の大掃除をするというわけには行かなくなって、12月の仕事のシ フト表を睨みながら、この休みの日には、網戸洗い、この休みの日 には、壁紙拭きと予定を立てる、ところがその日が雨だったり、物 凄い寒波であったりすると、「別段、網戸をあらわなくても、正月 はやってくる」、と横着を決め込む、去年がそうだった、今年は1 2月になると、「今年は早い目に、する事をしてね」、「そういう わけにはいかん、ちゃんと13日が正月事始になっているんやから 」、今は何もかも便利な世の中になって、御用納めが済んでからで も、正月の準備をしても間に合うが、その昔は門松用の松や竹を山 に入って準備、注連縄も自家製、このようにして正月の準備となる と、13日ぐらいから正月の準備を始めるのが、丁度良い、という 事で13日が正月事始になっている。 今年はうっかりとこの日を仕事のシフトにしてしまったが、休み だと、祇園の花見小路の辺りに出かけて行き、花街の置屋の女将さ ん、芸妓、舞妓、が踊りのお師匠さんを始め習い事のお師匠さん宅 やお茶屋、普段世話になっている店へ行き、「おめでとうさんです、 今年もよろしゅうにお頼み申します」、「おめでとうさんです、今 年もおきばりやっしゃ」、と挨拶回りにうろうろ、それを写真に撮 ろうとするアマチュアカメラマンが押し寄せる、一力茶屋の前には 三脚をすえたり、重装備のカメラを構えて、5列か6列ほどの人垣 が出来ている、この店の前は石畳で、歩道があって、車道、交通制 限はしていないので、火っきりなしに車が通る、そして向かい側に 歩道、こちらの歩道にアマチュアカメラマンが陣取っている、車も 通るし、人も通る、何も知らない人が、一力茶屋の前の入り口を通 るときに、挨拶を終えた芸妓、舞妓が出てくると、「わあ~、舞妓 さんや」、携帯電話を取り出してそのカメラでパチり、パチり、長 時間待ち構えていた人達は、折角の撮影のチャンス、モニターに写 るのは携帯で写真を取っている人のお尻だけ、日本が銃刀類の所持 のフリーな国ならば、毎年ここで死傷者が出る事が予想されるほど、 凄まじいまでの怒声が飛び交う、「こら~、どかんかい、邪魔やァ ~」。 花街の芸妓、舞妓の観光の人達の人気は凄く、祇園町でお座敷へ 急ぐのを見かけると、取り囲んで写真撮影、逃げ出すように先を急 ぐと追いかけてまで、たまりかねて、こういうことを防ぐ自警団ま でができる始末、8月1に日の、「八朔」、12月13日の、「正 月事始」、1月7日の新年の、「年始周り」、観光の人以外に地元 のアマチュアカメラマンも集まる、さまざまな事があるのだろうが、 実に不機嫌で、不愉快そうな、愛想の無い芸妓、舞妓が多く、これ も困ったものである、12月23日には昔より嶋原で餅つきが行わ れていて、男衆が次から次へと餅をつき上げて、太夫などが餅を丸 めていき、その餅を近所の人に配る、これも克っては京都の師走の 風物詩であったのだが、現在では昔ながらの営業をしている店は、 「輪違屋」、ただ1軒のみで、嶋原の餅つきは途絶えていたが、ホ テルで場所を借りて、有料の参加者を集めて行われるようになった、 オレも昨年始めてホテルの横から司太夫と振袖太夫の太夫道中なる ものを始めてみた、この嶋原に比べて京都の5花街は恵まれている といえる、余りの人気で迷惑を蒙る事あるとは思うが、あの不機嫌 で、無愛想な表情はいただきかねる。 昔マンション住まいの頃、そこのマンションに高齢の、生涯独身 で、元小学校の先生をしていた人が家でボランテイアの寺子屋よう な事をしていた、息子はその先生とウマが合ったらしく、良くその 家に出入りをしていて、12月12日の日に、「12月12日」、 と書いた札を、上下さかさまに、入り口や窓に貼り付けていた、そ の事を懐かしく話していて、「あれは何だったんだろう?」、オレ は知らないし、した事もなかった、12月12日は石川五右衛門が 捕まって、かまゆでの刑にされたのがこの日で、「12月12日」、 と書いた札を上下さかさまにして入り口や窓に貼り付けると、「泥 棒除け」、になるということで行われていると知った。 ■「今日の言葉」■ 「 周りの働きに気付いたとき自分 の働きは一層生きてくる 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
午後から市内の真ん中へ、阪急電車でまず烏丸駅まで、いつもの 様に、このあたりは路上喫煙禁止区域になる、それと旨い珈琲、イ ノダコーヒーショップのB1の喫煙OKの店へ、奥のほうの隅の2 人掛けのテーブルへ、「ホット珈琲」、「お砂糖とミルクが入って いますが」、おネーちゃんが生まれる前から知っているよと思いな がら、「ハイ」、砂糖とミルクを入れた珈琲が運ばれてくる、スプ ーンに極小の角砂糖が1つ、珈琲は殆んどブラックで飲むが、ここ の苦い目の焙煎で、エスプレッソ珈琲だけは甘い目が好きで、この 角砂糖も入れる、タバコを吸いながらユックリと飲む、このあたり が路上喫煙になる以前はタバコを3本だったが、今では4本吸って からでる、大丸を通り抜けて錦方面に向かう、中はさすがに12月 で人が多く、アクセサリー売り場はクリスマスプレゼントの下見の カップルが目につく、クリスマスイブまでまだ10日余り、昔のこ とを思い出してつい、「お大事に」、というのが、オレにしては珍 しく、早い目にクリスマスプレゼントを準備、その贈る相手とクリ スマス前のデート、彼女は黒のハンドバッグ、そのバッグの両端の 縫い目のところに埃、何故かその埃が気になって仕方がなかった、 そうなると会話が妙にちぐはぐに、その日のデートの終わりに、も う次は会わない、その日から数日後のクリスマスイブの日の夜、贈 る相手がいなくなったクリスマスプレゼントはベッドの柵に引っ掛 けたまま、寮の近くのおでんと焼肉の屋台で、1人でコップ酒、こ の時のことを思い出して、ツイツイ、老婆心ながら、「お大事に」、 なんて、余計な事を。 その次の年のクリスマス、年末の阪神は、1-6、で荒れるとい うジンクスで、12月に入ってからはどのレースも、1-6、の1 点買い、それが見事にはずれっぱなし、プレゼントを買うお金がな くなり、「そうだ、去年のプレゼント」、ベッドの周りを随分と探 したが、見つからず、プレゼントを持たずにクリスマスイブのデー ト、食事をして、軽くお酒を飲んで、「おやすみ」、寮に戻って直 ぐに電話、「今日は楽しかったけれど、クリスマスプレゼントを渡 し忘れていた、そこで、『賢者の贈りもの』、の話をそれの変わり に」、こんな安上がりのクリスマスプレゼントながらも交際は続き、 次の年のクリスマスイブも一緒に過ごす事に、当時梅田でよく行く 喫茶店のそばに質屋、そこのウインドウにプラチナのネックレス、 値段も手ごろ、値札をはずして箱に入れてもらう、店のオヤジが、 「プレゼントですか?」、「ハイ、そうです」、「申し訳ありませ んが包装紙がございません」、「新聞紙かチラシでもあれば」、店 のオヤジが本当に申し訳なさそうに新聞紙で包んで持ってきた、食 事の時に渡そうかと思いながらも、そこには他人の目が、新聞紙に 包んだクリスマスプレゼントでは彼女に失礼になると、別れ際に周 りをきょろきょろ見渡して、誰も見ていない、「ようし」、と彼女 にクリスマスプレゼントを渡す、結婚をしてからは我が家には節の 日には家のまっすぐに帰るというルールが出来て、正月、節分、バ レンタインデー、夫婦お互いの誕生日、結婚記念日、正月事始、ク リスマスイブ等々、以来クリスマスイブには格別な想いではなし、 但しクリスマスイブの前後は妙に忙しかった、ある年以来、年末の 高島屋の催しで、「文化人、画家のチャリテイ募金」、というのが あって、絵画その他を入札し、後日入札通知と引き換え日の連絡、 京都新聞社の8階で、お金と入札した品物を交換、小さい作品をク リスマスプレゼント用に会社へ置いておき、それをクリスマスプレ ゼントにしていた事があった。 混雑していた大丸を通り抜けて錦通りの出口へ、右に直ぐのとこ ろが高倉通、錦市場の始まり、まだ正月の準備には早いがここも普 段よりも混雑、買い物する人、錦市場を見物する人、写真を撮りに 来る人、まだ歩けないほどではないが、ユックリしか歩けないほど の混雑、今の仕事をする前には、御用納めが済んだ後、網戸洗い、 照明器具の掃除、壁紙拭き、高いところの掃除、普段は滅多にしな 掃除を家のしきたりのように掃除をする、大晦日の午前中までに全 てを済ませて、午後にこの錦市場に1人でやってくる、大混雑、人 の流れにもまれながら、それでも左右の店を見て、正月の間に自分 が食べたい物を探す、からすみ、このわた、本モロコ、鴨ロース、 てっさ、マグロのブロック、ローストビーフ、ブルーチーズ、こん な物を買い込んで家に帰る、その後はお屠蘇をつけて、箸紙に名前 を書く、最近では売っているところが少なくなったが、ヘギのつい た箸紙、箸は柳の箸、箸紙に一家の主を、「主人」、重箱用には、 「組重」、家族は敬称抜きで名前のみ、娘でもヨメに出すと、名前 の後に、「様」、をつけ、息子の家族には名前の後に、「殿」、を つけて、1月の15日まではこの箸を使う、年が明けて宵恵比須か 本恵比須が祇園の事始になる、クラブのママなどをさそって、恵比 須神社へお参り、祇園の寿司屋へ予約を入れておく、すると店の中 にカウンターに、ちゃんと名前を書いた箸紙が置かれている、○○ 様、上様、と並べてある、これも勘定の内とはいえ、馴染の客とし ては嬉しい事である、明日の12月13日は正月事始であり、セミ リタイアの管理人も走る師走。 ■「今日の言葉」■ 「 目的をはっきり持っていないと 努力は喜びでなく苦痛となる 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
沖縄の基地移転問題、民主党政権が誕生した時点では、アメリカ と日本政府、当時の自民党との間で辺野古沖への移転が合意に達し ていた、外国とのこのような合意事項は前政権の約束事に従うのが 当然の事であるのだが、政権交代後の鳩山首相は、民主党政権発足 時には社民党と連立政権を組んでいて、社民党は基地移転は国外へ の移転を主張、これに擦りあわすかのように、沖縄県外、日本国外 への移転を口にし、また戦後長きに渡って沖縄に米軍基地を押し付 けて集中さて来た国の方針に対して、沖縄県民に感謝とお詫びを口 にし、誠に軽はずみながら沖縄県民の意思を尊重するといった、そ れ以後の沖縄県に於ける選挙、直近の沖縄県知事選挙まで、基地反 対派がことごとく勝利、時間が経過すればするほど、辺野古沖への 移転が困難になつって来ている。 沖縄県の基地の依存度、これは想像以上に低くなっていて、大規 模な基地の押し付けのための助成金、この助成金が沖縄の新たな産 業が興こり、雇用と拡大する需要が生まれると、沖縄県民が裕福に なり、「沖縄に米軍基地は要らない」、こうなる事を恐れて、こう ならない用途に使われ続けてきた、先日テレビの報道番組で、日本 の地図を見た時、東京を日本の中心として考えると、南の端の島で ある、この感覚で沖縄に基地を押し付けた飴の部分としての助成金、 助成金が南の僻地の島として使われ続けてきた、しかし、視点を変 えて、沖縄から、東南アジアの国を眺めてみると、沖縄から飛行機 で4時間以内で東南アジアの主要都市に到着する事が出来、東南ア ジアの主要都市の中心に位置すると言える、すでに全日空の貨物便 は、東南アジアの主要都市向けの貨物は最終便で沖縄の那覇空港に 運び込み、翌日に東南アジアの主要都市に向けて4時間以内に到着 する事が可能な貨物を送っている、日本から送る東南アジアへの貨 物を沖縄に集中させれば、基地があるために米軍が沖縄に落とすお 金、或いは基地を押し付けるための助成金、沖縄のは確かにお金が 落ちる、しかし、これにより沖縄の新しい産業が起こり、雇用が増 加し、重要が増大し、沖縄県民の収入が増えるという事は望めない お金である、しかし沖縄の立地条件を最大に生かし、東南アジアの 主要都市の中心、航空貨物を沖縄の集中させると、それにより新た な産業が興り、雇用が生まれ、沖縄の経済が活性化し、沖縄県民が 豊かになる、こうなると米軍の基地依存どころではなく、米軍基地 不要になる、沖縄県が基地無しでも経済が成り立つ、こうなると、 沖縄県以外の日本人にとって沖縄に米軍基地が集中的に存在するの は非常ヌ都合の良い事ではあるが、基地無しで沖縄県が経済的に自 立できるとなると、ここで始めて米軍基地問題は日本国、日本人全 員の問題となる。 沖縄の米軍の基地が無くなれば、日米安保も含めて日本の国防問 題が議論される番である、尖閣諸島沖での中国漁船の海上保安庁の 巡視船体当たり事件後、日本の国防問題を議論する絶好の機会であ った、しかしマスコミはというと、その事件のビデオテープの流出 事件と、流出の犯人探し、そしてこの2週間余りは市川海老蔵暴行 事件の報道、続いて大連立問題、マスコミのはもう、世論調査とワ イドショー的なニュースしか流す事が出来なくなっている、マスコ ミが本来有する機能の放棄、そして政治家は政治を行う機能を放棄 して、政局と選挙のために奔走するだけ。 ■「今日の言葉」■ 「 人への不満が生じている時こそ 自分を省みる時である 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
高校の2年生と3年生の時の担任の国語の教師、「ジョンブル」、 という仇名で、少し頬が垂れ下がっていて、どこかブルドッグに似 た容貌、大柄で背が高く、スマートな雰囲気で、英国の紳士の風格 も漂っていて、ブルドッグの前に敬意を込めてジョンをつけた仇名、 芭蕉と同じ病で痔と喘息が持病で、声はガラガラ声であった、高校 の卒業を前にして、2学期から、新聞の社説には余り難しい漢字が 使われていない、せめて新聞の社説に書かれている漢字くらいは書 けなければいけない、という事で国語の授業の初めに、先生が新聞 の社説を読み上げて、それを生徒が書いていく、これが今でも身に ついているかというといささか疑問ではあるが、新聞の社説を読む のがっ習慣になっている、「それと高校を卒業した後に、毎月1冊 の本を読みなさい」、という言葉、当初は毎月1冊の本を読む、こ れはたやすいノルマ、と考えていたが、大学時代はまだしも、就職 をしてから以後は本を読まない生活を長い間過ごしてきた、このブ ログを書いていて、高校時代の思い出を書いているときに、この、 「月に1冊の読書の勧め」、を思い出した、大学を卒業してから約 40年間、毎月1冊の本を読んでいれば、約480冊の本を読んだ 事になるのだが、約480冊分の読書のノルマを果たしていない事 に気がついた、この読書のノルマを果たそうとすれば、この後、読 書の出来る生活が後約10年とすると、毎月、5冊の本を読む事に すれば、その時の月に1冊の読書の勧めのノルマを果たす事が出来 る、昨年の後半から今年にかけて、月に7、8冊の本を読み出した、 68歳にして最高に本を読んだ年となった。 まず初めに、読み出したのが、文化勲章を受章した小説家であり ながら、新聞の記事などで見かける時には、およそふさわしくない 服装で、下駄を履いて、傘を持って、買い物籠を下げて出かけてい る姿、ストリップ小屋の楽屋で踊り子との談笑、そういう記事であ り、実際の本人とは少し異なった、そんな風変わりさの興味から永 井荷風を読み出した、「あめりか物語」、「ふらんす物語」、「す みだ川」、「日和下駄」、「濹東綺譚」、「花火」、「西遊日誌抄 」、「断腸亭日乗」、と読み、次に谷崎潤一郎、「刺青」、「蓼食 う虫」、「鍵」、「卍」、「ふうてん老人日記」、「痴人の愛」、 「猫と庄三と二人の女」、そして、「細雪」、は読まずに、いかに もオレらしいのだが、老人と性の問題がらみで川端康成の「眠れる 美女」、この次に浅田次郎の、「輪違屋糸里(上・下)」、「壬生 義士伝(上・下)」、この時に小説を読みながら涙を流す事の初経 験、「プリズンホテル(夏・秋・冬・春)」、この時には小説を読 みながら笑い出すことも初経験、「日輪の遺産」、「地下鉄に乗っ て」、「歩兵の本領」、「シェラザード(上・下)」、「鉄道員」、 「椿山課長の7日間」、「活動写真の女」、幾つかの短編集を数冊、 週刊誌のコラムを集めた、「勇気凛々瑠璃の色(数冊)」、「蒼穹 の昴(1・2・3・4)」、「珍妃の井戸」、「中原の虹(1・2 ・3・4)」、「お腹召しませ」、「王妃の館(上・下)」、「月 島慕情」、「霞町物語」、「真夜中の喝采」、「血まみれのマリア 」、「三人の悪党」、「見知らぬ妻へ」、「オー・マイ・ガアッ! 」、「サイマー」、「天切り松闇がたり(1・2・3・4)」、「 薔薇盗人」、現在売られている文庫本のほぼ全て、今年夏の新作の ハードカバーの、「終わらざる夏(上・下)」、小説で泣かされて、 笑わされて、悪党のように見えて、実は善人で、その底には家族の 絆、人間の絆、義理と人情、浅田ワールドに引き込まれて、最後に はいつもホッとさせられ、どこかカッコ悪くて、しかしカッコいい 人物、約半年間は浅田次郎にどっぷりと、浸っていた。 次に読み出したのが、「敗れざるもの」、の沢木耕太郎、「一瞬 の夏」、「テロルの決算」、「危機の宰相」、「無名」、「深夜特 急(1・2・3・4・5・6)」、「凍」、「檀」、この、「壇」、 を読んで、檀一雄の、「家宅の人(上・下)」、三浦哲郎の、「白 夜を旅する人々」、「バーボンストリート」、「チェーン・スモー キング」、「右か左か」、「血の味」、「彼らの流儀」、「世界は 『使われなかった人生で』あふれている」、「イルカと墜落」、ち ょっと表紙が気になった本で遠藤周作の、「私が捨てた女」、作者 がデリーからロンドンまでバスで旅行をする、「深夜特急」、の旅 に持参した、林芙美子の、「浮雲」、有川浩の、「阪急電車」、タ イトルで買った、三島由紀夫の、「不道徳教育講座」、澤田ふじ子 の、「高瀬川女船頭唄(一・ニ)」、ノンフィクションの世界もフ ィクションの世界も、オレには区別がつかないが、大学時代には日 本はもしかすると社会主義国家になるのでは、そんな事も考えてい た頃もあったが、池田勇人首相が打ち出した、非常にわかりやすく、 夢のあるスローガン、「所得倍増論」、しゃにむに働いて、なりふ り構わず、何よりも仕事を最優先にしてきて、60歳でセミリタイ ア、この間に大きな忘れ物をして、生きてきたような気にさせられ る、こんな事を考えるようになったのも本のお陰、今年はまだ後、 数冊の本を読むことだろう、生涯で最高に読書をした1年。 ■「今日の言葉」■ 「 親の恩に気づいた時から 新たな人生が開けてくる 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
5年前の7月の京都では宵山の日に、ヨメの叔父がゴルフに行っ ていて、ゴルフ場で倒れて、救急車で病院へ直行、入院、集中治療 室で治療、そのまま意識が戻る事無く、約3週間後に死亡、この叔 父は面倒見のいい人で、兄と姉の子供、姪や甥たちを春休み、夏休 みなどに、鳥取から大阪の家へ招いて、大阪で様々なところへ遊び に連れて行く、甥と姪が11人、全員が世話になっていて、お通夜 と告別式には全員の甥や姪が参列して、口々に、「叔父ちゃんには 随分と世話になった」、思い出話をしていて、さすがに面倒見の良 かった叔父の通夜と告別式、そう思っていたのだが、叔母は生まれ て間もない女の子を連れて叔父と再婚、実の親子以上に仲のいい父 親と娘の関係を築いてきていた、ところが叔父が亡くなって遺産相 続の段になって、叔母と娘が叔父の遺産の全てを相続する事思って いた、そこで初めて叔母の娘を叔父との結婚の時に養子縁組をして いない事に気付いた、叔父と娘の養子縁組をしなかったのは、今か ら約50年ほど前の区役所の窓口、サービス精神のかけらもない対 応、不親切な対応、叔母が婚姻届を出しに行くと、窓口の係りの人 は、「この子供さんの養子縁組をしますか?」、「この子供は実子 です」、「そうですか」、といって叔母の婚姻届を受理、この時に、 「この子供を養子縁組をしないと、法的な娘ではなく、同居人とし て扱われます」、このように説明をして、「このケースではこの子 供さんの養子縁組をされた方がいいですよ」、この一声があれば、 叔父の死亡による遺産相続にピリオドを打つのに、5年と数ケ月の 歳月を要しなかった。 叔母は当初、遺産相続の全てを自分が相続するために、法的に遺 産相続の権利のあるものに相続放棄の手続きを始めた、遺産相続の 法的に権利を有するものは、叔母、叔父の兄、(長男)、既に死亡 のためにその子供の3人、叔父の兄、(次男、ヨメが長女、弟と妹 )、既に死亡のためにその子供が3人、叔父の姉、(長女、認知症 で、その子供が5人)、法定相続人は叔母を筆頭に、ほか7人、の 合計8人となった、長男の子供3人と次男の子供3人は相続放棄に 応じた、ところが認知症の姉の子供の5人がこれに異議申し立て、 叔父が娘の養子縁組をしなかったのは、血のつながっていない娘よ りも血のつながった人間に相続をさせたいという願いがあったから で、相続放棄は出来ないと言い出し、長男の子供3人も説得されて、 相続放棄しない事になった、相続放棄に同意したのがヨメの弟と妹 との3人となった、叔母にすれば叔父はサラリーマン、面倒見が良 くて、付き合いが良い、遺産といってもたかが知れている、今後、 親戚の付き合いを絶ってまで争うほどの金額ではない、そう思って いたところに、今でま随分と世話をし、面倒を見てきた甥や姪たち がそれぞれの相続を主張、そこで相続の件は弁護士に依頼、弁護士 は法定相続人の確定、ここで身内の者が誰も知らないもう1人の法 定相続人が現れた、叔父の父親の戸籍を上げると、父親は再婚して いて初婚の人に間に男の子が1人いた、その相続人の人は、この件 に関して一切関わりあいを持ちたくないと弁護士さんへ話す、遺産 の相続は放棄する、この件で煩わせられたくないというのである、 法定相続人が確定された後は叔父の遺産相続の財産目録の作成であ る。 その作成された財産目録が少なすぎると異議申し立て、娘が結婚 後に家を建てた、その時に叔父が資金援助をしていて、その分も相 続の財産目録に入れろ、娘の学費、娘の結婚式の費用、娘の養育費 の費用、こういうものまで相続の財産目録に咥えろ、叔父の銀行の 貸し金庫の中身を立会い確認、弁護士もここまでいう人は始めて、 裁判所の調停を仰ぐことなった、ここまで叔父の死後約5年が経過、 裁判所は弁護士さんが作成した財産目録を支持、これ以上何かをし ようとするなら、自分達で弁護士さんを立ててください、しかも財 産の一部の株式投資、亡くなった時期から今までの間に値下がりも している、これ以上長引かせてももらえる物が多くなる可能性は少 ない、よく考えなさいという事であった、暫くして裁判所の調停案 を受け入れようという事になった、その条件として2つの申し入れ 事項、1つはこの件に関して鳥取から大阪へ何度も出てきている、 その旅費と通信費として、相続放棄をしない8人の甥と姪に1人つ き、10万円の支払い、2つ目は相続放棄をした3人の甥と姪の相 続分を加算して相続、という条件を出してきた、1つ目の条件はO K、2つ目の条件はNOという事で最終の決着を見た、姉に830 万円の相続、これは恐らくその子供5人で分割という事になるのだ ろう、長男の子供3人に総額、約410万円が相続される事となっ た、11月の末にこれを支払い、漸く叔父の死後5年4ヶ月目に解 決を見た。 今日の午前中に叔母が家に来て、「いろいろ心配を掛けたけど、 漸くこんなかたちで決着がついた」、と弁護士さんが作成した書類 を持参して説明してくれた、「嫌な思いをして大変でしたね、これ ですっきりしますね」、「まだ済んでないことがあるネン、あんた 達、兄弟3人には、感謝してる、私の気持ちとしては、先に支払っ た人たちの倍以上貰って欲しい、いらんといやろうけど、私の気持 ち、だけ受け取って欲しい」、「気持ちだけありがたく、いただき ます」、「それでは私の気がすまん、裏切られた気持ちの中で、あ んたら3人の、お金よりもこれからの親戚付き合いを大事にという 気持ちに感謝している、せめて支払わなアカン分の半分だけでも受 け取っといて」、「気持ちだけやったら、5万円とか、10万円で 」、「これは私が貰って欲しいお金やなんや、頼むさかいに気持ち よく受け取っといて」、と弟と妹の分、こちらから振込みをして欲 しいといって、3人分総計210万円を置いて帰った。 ■「今日の言葉」■ 「 自分から心を開く勇気が 不和や誤解を解いていく 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
歩いている時、交差点の信号、青信号の点滅になっていると交差点 を渡らない、工事現場の入り口や、ビルの駐車場の入り口に立ってい るガードマン、点滅棒で、「早く通って下さい」、と合図をする、「 どうぞ、そちらのほうを先に」、合図に従わない、こういうと、非常 にゆったりとして、急きも騒ぎもしない性格のように思えるが、本当 のところは信号やガードマンによって、マイペースが乱されるのが嫌 いなだけである、若い頃、ヨメと連れ立って百貨店へ買い物に、百貨 店はアルバイトとセールス時代の経験で好きであり、自分のペースで 買い物をしたり、売り場めぐりをしてもあきないし、疲れない、とこ ろがヨメのペースに付き合うと、まず歩くスピードの違い、これを初 めとして疲れるわけである、だから百貨店に着くと、入り口にところ で、「イチロク、マルマル、現在地に集合、それまで散会」、(午後 4時にこの入り口に集合、それまで自由行動)、という事になる、左 足の怪我以来、随分と歩くのが遅くなった、先日久しぶりにヨメと出 かけた時に、歩くスピードはヨメのほうが速くなっていて、暫く歩く とヨメに待っていてもらう、そうして到着したバス停。 行き先の系統のバスが来た、ほぼ座席はなし、そのバスに乗り込む のはオレとヨメと前に叔母さん、ノンステップバスで前のタイヤの上 の席の右側が1つ空いている、前の叔母さんはその席を狙う、当然オ レもその席を狙う、叔母さんの右側にオレが通れるスペースが開いて いたので、右へ小さくサイドステップ、素早く左足を大きく、叔母さ んの側に踏み出す、左足だけではなく、左腰と左肩も叔母さんの前に、 この2歩でオレ、叔母さんと、開いている席との位置関係が逆転、そ の時の席取はオレが制する事になった、ヨメが、「仕事の日にはバス 通勤を2往復、さすがに席取は素早いね」、「今の仕事を約6年、身 体が反応するようになった、それと特に朝は同じ時刻に同じ人が同じ バスに乗り込む、2日も続けて同じ相手にせり負けが続くと、3日目 はもうこれ以上連敗はゴメンとばかりに、そのオヤジを相手にスクラ ッチの勝負、先に乗り込んで席を取る、これでは喜びが小さく、相手 を先に乗り込ませて、逆転をして、お互いに狙った席を取る、こうい うときは心の中で小さくガッツポーズ、毎日もまれているからね」。 昨日は午後から出かけていて、午後4時頃に河原町三条から3号系 統のバスに乗る、四条河原町から若い女性が2人乗り込み、オレが座 っている横に立つ、次の大丸前の停留所で前の席の人がその駅で降り るために席を立つ、若い女性2人がどうぞ、どうぞと譲り合っている、 「アナタのほうが遠いから」、という事で1人の女性が座ろうとして、 身体がその体勢に、2人の間隔が今までよりも少し開いた、その時、 大丸前から乗り込んできた人、人というよりもトートバックとハン ドバッグがその開いた席に素早く置かれた、置かれたバッグに人がつ いてきた、小柄な帽子を被った、叔母さんとお婆さんの間のような女 性であった、こういう席の取り方はいつもの事と想像される、その平 然とした座り方に、2人の若い女性は、顔を見合わせて、「凄いね、 信じられないね」、という苦笑いの表情を浮かべて顔を見合わせてい た、オレはというと席の取り方の素早さは見事、しかし品が無さ過ぎ る、思わず、エアー・後デコパッチンを力を込めて。 京都の市バスの主流は、床の低いノンステップバス、バスの前に車 椅子のマークが着いている、相変わらず車椅子の人の乗り込みに、も たつく運転手さんもいるが、大方の運転手さんは手際よく、車椅子の 人を乗降させている、この低い床のバス、確かに乗り降りは楽だが、 座席は随分と犠牲になっている、この床の低さ、足などを怪我してい る者にとっては、特に降りるときにはこの高さでもきつく、オレは去 年の怪我の時に、椅子に座っても左足は曲げることが出来ずに、前の 席の床下に足を伸ばして座っていた、こういう姿勢で座れる席は3つ しかなく、バスのタイプによっては1つしかそういう席のないバスも あった、このノンステップバスというのは誰にとって優しいバスとい えるのか疑問にも感じる。 バスに中に優先座席、お年寄り、病気の人、怪我をしている人、身 体に障害のある人、妊婦、小さい子供連れの人、のための席が設けら れるようになった、その昔は、こういう席が設けられていなくても、 当たり前に行われていた事なのだが、ルールとかマナーといったもの は自分で、心使いや気遣いで身につける時代ではなくなった、だから そういう注意書きが無いから、行われないが、行われれば、バスの中 で快適に過ごす事ができるいくつかの事がある、京都市バスはワンマ ンカーで、真中から乗り込み、前から降りる、前のタイヤのある部分、 通路が狭くなっている、その癖にこの両側に立つのが好きな人が多く、 出口の近くで糞つまり状態、この両側にたっている人がリュックを担 いでいれば、通る隙間が殆ど無し、バスの中ではリュックは肩からは ずして脇に抱え込む事、前輪のタイヤの部分の両側には人が立たない こと、そこの片側に人が立っていれば、もう一歩の片側には立たない 事、身体を進行方向の正面に向けた人は次の停留所で降りますという 合図、次の停留所で降りる人はそういう姿勢の人の後ろについていれ ば良い、次の停留所で降りない人は、身体をバスの進行方向の正面に 向けない、乗り口よりも後ろのシート、2人掛けのシートが通路の左 右に、このシート幅は大人が2人掛けると窮屈で、冬場に着膨れてい て、太目の人に詰めてくださいといわれると悲劇である、このシート は先客があれば太目の人には諦めてもらう事、それとこのシートは後 で降りる人が奥に座る事に、もし奥の人が先に降りるような場合、通 路側の人が席を立って降りやすくしてあげる事、こんな事を気遣えば バスの中も快適になる、全てが当たり前のことなのだが、最近でこう いう事を注意書きのように書かなければ、「そんなことは知らなかっ た」、「早く言ってくれたら」、そういう時代でもあるようだ。 ■「今日の言葉」■ 「 相手の欠点を嫌がるよりも 自分にないよさに気付こう 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
今日は今年最後の定期診察日、約28年ほど前の年に一度の健康 診断の時に、不整脈が見つかり、その時から暫くの間、負荷心電図 をとったり、24時間心電図、心臓のエコー検査、MR検査、その 結果から心房細動と診断、約1年間ほどは薬で不正甥脈の治療、薬 の効果がなく薬での不整脈の治療を断念して、心拍数が上がって急 激にファーストアタックが心臓を襲うというタイプの不整脈でない ために、不整脈による脳梗塞の予防的な治療が専ら行なわれている、 アスピリンや小児用バッファリン等で血液をサラサラの状態に保ち、 血圧が高いので降圧剤、60歳を過ぎた頃からより一層、血液をサ ラサラにするワーファリンを飲んでいる、この薬は効きすぎると血 液が止まらなくなる、だから2ケ月に一度は血液検査で薬の効き具 合を検査して薬の飲む量の調整をしている、同じ頃降圧剤も朝1錠 であったのが夕方にも1錠追加される事になった、ただ同じ病気で 約30年弱も治療中、こうなるとその病気なれという事が起きてい る、それと、健康診断で不整脈と診断される、約10年ほど前、3 0歳の頃結婚を機に少し大きめの生命保険に加入、その時の診察の 時に、先生が聴診器を胸に当てて、「いい心臓のリズムです、何か 運動を?」、「高校の時に陸上部で中距離をはしっていました」、 「陸上の中距離ですか、その影響でしょうか?」、ただそういわれ ても中学校時代はバスケットボールと陸上部、高校時代は陸上部の 400メートルと800メートルと200メートルハードルの選手、 毎日その練習に明け暮れていて、高校3年生の夏休み終了後に、大 学受験の勉強のためにその練習をプッツリとやめてしまった、不整 脈もその影響が出ていると思っている。 毎月の診療所での検診、心電図検査、尿検査、血液検査、レント ゲン撮影、これら2つづつほど組合わせて検査、年に一度の心臓の エコー検査、大体、午前9時頃に診療所へ行き、検査は30分もあ れば余裕で終了、後は検査結果が出て、そのカルテが主治医のとこ ろへ回り、その診察室から呼ばれるのを、ひたすら待つだけである、 1時間半から、2時間ほど待って漸く、名前を呼ばれる、オレは大 きい病院はここしか知らない、この待ち時間に苛々する、血圧もピ ークに達している事だろう、それでも診察待ちの人同士の会話、「 ここも待たせるけど、他所に比べたらここはまだマシな方や」、そ んな馬鹿な、そういう思いで、この会話を聞いていたのだが、実際 に去年の春に、マウンテンバイクで遠出中に左太ももの血管が切れ て内出血、家では湿布薬を貼るだけ、左太ももが内側から押し上げ られるようなズキンズキンとくる痛み、寝る前になって足が曲げら れない、トイレも左足を伸ばしたまま便座に座る、夜寝る時には、 どの角度で寝ても足が痛く、脂汗を流しながら、殆んど眠る事がで きずに、仕事のために午前6時に起床、這うようにして仕事場のマ ンションへ到着、午前中にするべき仕事を1時間ほどで片付ける、 Gパンが左足だけがパンパンに張ってくる、左足が破裂しそうな、 内側から来る痛み、兎に角、左足の太ももに何が起きているのか、 窓口の札を業務に付外出中にして、病院へ行こう、という事で仕事 場から一番近い大きな病院へ行く、午前9時30分に病院へ到着、 診察を終えて、お金の支払いを済ますと午後2時を回っていた、そ の時に初めて、いつも行く診療所での、「ここはまだマシな方や」、 の会話に納得した、以来いつも診療所での待ち時間、午前中に家に 戻れればいい、そう思うようになって、イライラする事が少なくな った。 とはいうものの、1時間半か2時間の待ち時間は長い、診療所の 外へ行かないとタバコが吸えない、タバコを吸っている間に呼ばれ でもしたらという強迫観念でタバコも吸いにいけない、電車の揺れ の中では直ぐに寝られるが、待合場所のソファーでは寝られない、 最近では文庫本を持って行き、これで時間がつぶすことが出来る、 今日も本を読んでいて、横を通る看護婦の足元が見える、黒いスト ッキングを履いた足、アキレス腱のところがきゅっと締まった、綺 麗な足、オレは別段、谷崎潤一郎のように足フェチではない、しか し、その足が横を通るたびに足に目がいく、何度目か、その足が近 づいてきた時に目を本からその足の持ち主の顔へ、オレが診察を受 ける診察室の看護婦さん、眼のクリッとした、色白の可愛い看護婦 さん、美人だが残念ながら好みの美人ではない、当然の事ながらそ の看護婦さんはオレを好んではいないのだが、名前を呼ばれて診察 室へ入り、先生の横に座る、向こう側に机には看護婦さんが座って いる、目があって、いつもとは少し違う、「こんにちは」、長い待 ち時間の割りに診察はそっけない、「お変わりはないですか?」、 「ハイ」、「血圧を測りましょう」、「160の85」、「胸を出 して」、聴診器を胸に当てる、そして足のむくみを調べて、「いつ もどおりの薬の処方箋を、42日分、お大事に」、これで終了、約 5分弱、外へ出て待っていると、看護婦さんが処方箋をもって出て きて、カレンダーを見ながら、次の診察の予約日、「来年の1月1 8日でいいですね」、「ハイ、いいです、何をいまさらといわれそ うですが、今日つくづく足を見ていて、本当に綺麗な足ですね」、 「いえいえ、そんな事はないですよ、ほんとうに、いえいえ、でも、 いつもオシャレな人にそんな事をいわれて嬉しいです」、「死ぬほ どヒマな休みの日に、一度お茶でも」、「いいですよ」、「看護婦 さんと付き合ったことはないのですが、業界では柔らかい約束は守 るのですか」、「柔らかい約束?」、「今の、『いいですよ』、が 柔らかい約束です」、「面白い人ですね」、「死ぬほど退屈な休み の日が早く来ることを」。 月に一度の定期診断の日、今日のようなことは始めて、毎月一回、 午前中を診察のために、これを約28年間、330回余り、これを 無駄な時間と思うか、一病息災の貴重な時間と思うか。 ■「今日の言葉」■ 「 心配事が多いのではない心配 する気持ちが強いのである 」 (自然社・平成22年・新生活標語より)
手帳というと、買うものではなく、銀行辺りからもらうもの、持 ったとしても、12月は忘年会の予定がびっしりと書き込まれてい るが、それ以外のページは殆どが白紙で、スケジュールのところに ポツン、ポツンとゴルフの予定が書き込んであるだけである、携帯 電話が無かった時には、手帳に電話帳を挟んでいた、得意先でゴル フの接待の話になると、手帳を取り出して、2ケ月ほど先のゴルフ の約束をする、得意先の人がオレの予定日を書き込んでいる手帳を 除き見て、「見事なほど何も書いていないね」、「さすがに12月 の忘年会の予定は覚えられないですが、他の月のスケジュールは大 概覚える事にしています」、あんまり手帳に頼ると記憶力が衰えま すよ、そういう気持ちを込めて、ただ、手帳は閉じて服のポケット やバッグの中に入れてしまう、手帳を取り出して、手帳を開いてみ る、この習慣が全くついていない、ただ、書き込むだけに終わって しまう、几帳面な正確でないために言い訳のようなものでもある。 では、仕事の時には、何も書いていなかったというと、そうでは ない、どうしていたのかというと、B5の用紙に月のスケジュール 表と週のスケジュール表を作って、それに書き込み、机の上のいつ も見られる場所に置いていた、これでスケジュール管理をしていた、 2日前に書店で有川浩の、「阪急電車」、という本を買って、初め て読む作者の本で、買ってから、テレビドラマで現在放送中の、「 フリーター、家を買う」、の作者と知った、買おうと思った動機は タイトルであった、長年スタッフをしている西院フェス、来年で第 10回を迎える、その第3回目の時に、嵐電の西院駅から嵐山駅ま での走っている嵐電車内ライブが始めて行われた、この時に嵐電ラ イブを行ったミュージシャンのうちの1組が、この日のために、「 嵐電は恋の電車」、というオリジナル曲を作って、ライブを行った、 四条大宮から嵐山駅まで、11の駅という、ローカル私鉄である、 「太秦」、「蚕の社」、「帷子ノ辻」、「有栖川」、「鹿王院」、 「西院」、などよみ方の難しい駅名、それらを歌詞に入れて、いか にも電車に揺られているような楽しい曲で、このローカルの私鉄を 舞台にした物語か、小説でも誰かが書かないかなどと考えていた、 それだけにこの、「阪急電車」、問いタイトルにつられてこの本を 買った。 物語は関西の大手の私鉄の阪急電鉄の全国的に余り名の知られて いない短い支線、宝塚えきから西宮北口駅までの8つの停留所しか ない、今津線の往復の車内の模様の物語であって、宝塚を出た電車 が次の駅、宝塚南口駅、この駅の近くに宝塚ホテルがあって、その ホテルの名前の入った結婚式の引き出物の紙袋を持った若いきれい な女性、引き手物の袋を持っているから結婚式の出席には違いない が、着ている服は花嫁以外は着るのをタブーとされている純白の高 級なドレスである、純白のドレスを着て結婚式に出席したのには訳 があった、社内恋愛で5年間付き合っていた彼がいて、周りでは2 人の結婚が秒読みの段階と思われていた頃、結婚を間近に控えて、 一過性のマリッジブルーで2人の関係がギクシャグしていた頃、彼 女の職場の後輩で、取り立てて美人でもなく、仕事が出来るわけで もなく、目立った存在でもなく、自分を頼りにしていた女性と彼が いつの間にか交際していて、いよいよ結婚の話しかと思って彼と会 うと、彼女も同席していて、「彼女は妊娠している、だから分かれ てほしいと切り出された」、5年も付き合っていて結婚間近の彼女 がいながら、人が良いだけが取柄の女性と付き合い、今日は安全だ からといわれて安心してセックス、それで彼女は妊娠、片方の責任 は放棄して、片方の責任だけをとろうとする彼のバカさ加減には愛 想が尽きたが、彼も彼女も同じ職場、女としてのプライドが許さな い、「話はわかったから、結婚式には必ず招待して」、と約束をさ せる、その結婚式にタブーとされている白いドレスで出席、キャン ドルサービスの時に、自分の座っている席に来た時に、花嫁よりも はるかにきれいな彼女を見た時の、花嫁が鬼のような形相で新郎に 振り返り、新郎は目の前の新婦と彼女を見比べて、明らかに自分の 選択間違いの後悔、結婚式を2人の生涯の最高の楽しい思い出にさ せてなるものか、執念と呪い、自分の身に降りかかった事なら笑い は出来ないが、他人の身の上話、彼女の復讐劇に思わずエールを送 り、胸のすく思い、まだ読んでいる途中だが、面白い本である。 結婚式の時に、健やかなる時も、病める時も、死が2人を別つま で生涯、愛し続けますと神の前に誓ったはずなのに、ついついして しまう浮気、コンドームというのはじゃまっけな物で、これをつけ ないと妊娠というリスクが背中合わせ、浮気はしてもこのリスクだ けは回避しなければ、当時の流行でもあったリスクマネージメント、 浮気相手の生理の周期を手帳によって徹底的に管理、日付のところ に二重丸、生理が始まった日、星印、整理が終わった日、丸印、安 全日、ペケ印、危険日、の記号が書いてある、黒、青、赤、3色使 っている時もある、ある期間にはオレンジと、グリーンの5色も使 っていた時期もあった、この手帳は去年の年末には自分の部屋を大 掃除、その時にこの手帳の類を全て処分、だからこの話はオレの話 ではなく、人から聞いた話、昨日のテレビの中で、様々な種類の手 帳が売り出されていて、これが良く売れているという事だった。 ■「今日の言葉」■ 「 物に恵まれた生活より感謝を 湛えた生活に幸福がある 」 (自然社・平成22年・新生活標語より) |一覧| |