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ようこそ「還暦雲巣管理人独言」へ!
還暦がすんだウエブマスター“NASOT”の独り言のような ささやかな日記です、平均寿命まで生きたとしても 日記を書くのは、7,000日足らずです、 毎日書きますのでよろしく!。 とはいうものの、書いていることは日記ではないし、 コラムというほど大層でもないし、やはり独り言か。 平和や反戦、政治や経済のこと、高齢者の恋愛とセックス、 老化や衰えのこと、チョッと助平なこと、好きな音楽のこと 長年住んでいる「西院」のこと、ペットのこと、イベントのこと ボクシングのこと、お酒や食べ物と女のこと、事業の失敗のこと 人生の「山」と「谷」のこと、ファッションのこと、京都のこと そして、ほんの少しの、小さな オレの夢とこだわりと生きがいのこと 「第8回西院MUSIC FESTIVAL 2009」 楽しく、暑い、熱い2日間のイベント! 2009年8月1日(土)・2日(日)、無事終了御礼 ボランテイアスタッフ募集中!!! 第9回もよろしく。 http://saifes.dip.jp/
「嵐山・紅葉」
「東山花灯路・八坂の五重塔」
「石塀小路・石畳と舞妓さん」
「永観堂・紅葉」
「伏見稲荷・千本鳥居」 Photo Album還暦雲巣管理人独言(還暦のウエブマスターの独り言) [全2124件]
毎月15日の日、午後8時から約2時間、地域の夜回りをするこ ととなった、地域の消防団、少年補導、は地域の夜回りを続けてい る、新たに地域の自主防災組織が月に一度、夜回りをする事となっ た、いくつかの町内がグループになって輪番制で夜回りをする予定、 順番が回ってくるのは年に一度くらいである、「何にもしなくて良 いから」、の一言で引き受けた町会長、町会長になると自動的に自 主防災部長も兼任、この役割も回ってきた、集まりの予定が2週間 ほど前に連絡が来る、オレの今の仕事は毎月20日過ぎに翌月のシ フトを組む、その頃に集まりの連絡が来ていると、翌月のシフトを 前もって休みの日に入れておき、出席する事にしている、集まりの 時間は大体午後7時30分くらいである、土・日・祝日なら仕事終 えて、夕食を済ませてからでも間に合う、長い間仕事一本で、地域 のこういう事には全くノータッチであった、地元で商売をしている 同級生は、若い頃から地域に貢献している、還暦を過ぎて、もう現 役でなくなったオレは、長い間の罪滅ぼしのような気持ちで、地域 の役が回ってきた時には、基本的に引き受ける気持ちになっていて、 こういう事が好きかといわれると、「別にィ〜」、と答えてはいる が、正直な気持ちを言えば決して嫌いではない。 この地域の自称防災の年に一度の大イベントが2月14日の午前 10時から始まる、地域の自主防災訓練というのがある、この日に は、約400人ほどが参加の訓練である、煙の中の避難訓練、車の 中での強い地震の体験、AEDを使った救命措置訓練、緊急避難時 の防災グッヅのデモンストレーション、こういったメニューが用意 されている、今年の4月にマンション管理会社の研修会で、人工呼 吸の方法、AEDの使用方法の講習を受けていて、この講習を終え ると、普通救命講習修了書が発行される、それがこういうところで 役立つわけである。 町会長を引き受けて、半年あまり、ふと思うことがある、オレが 子供の頃は、地蔵盆というと、中学生になると、大人の世話役の人 たちの手伝い、地蔵盆の経費となる寄付集め、地蔵盆当日のいろい ろな遊びの準備、買い物の応援、当日には小さい子供の世話等の手 伝いをした、小学生の頃にはそういう手伝いをする中学生に憧れ、 小学校の高学年になると、中学生になった時の準備に中学生のする 事を見て、覚えようとした、また夜回りの小学生の高学年と中学生 の役割であった、町内を数人で拍子木を持って、「チョン、チョン、 火の用心、マッチ一本火事の元、秋刀魚焼いても家焼くな、火の用 心」、大きな声で町内を一周、当時は各家庭には火災報知気なんて ものはついていなかったが、この火の用心の拍子木と子供の声で、 「おう、火の用心かァ、戸締りと、火の始末に気をつけよう」、と こういう風であった、ところが最近では子供はこういう手伝いを全 くしなくなっている、これが何となく不思議な気持ちになっている、 恐らくいつの頃からか、子供はこういう事をするよりも、塾などで 勉強、それの方が大事、その上子供がこういう手伝いをしている時 に事故や事件に巻き込まれたら、一体誰の責任、といった責任問題、 等々の理由で子供が手伝わなくなってしまった、しかし子供がこう して成長して大人になった時に、地域に対する愛着を持つことがで きるのか、この事を考えると、いささか不安にも感じる、数十年間 の長きにわたって地域の事を全く考えなかったオレの口から言うの もおかしな事だが。 ■「今日の言葉」■ 「 物や金だけをあてにしていると やがて虚しさを感じる時が来る 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
年齢と共に体の衰え、男性の場合、歯、眼、マラ、といわれてい るが、眼のほうは主学生の低学年から近眼、眼鏡をはめていて、還 暦を前にして老眼、現在では遠近両用メガネのお世話になっている、 こと眼に関しては、お袋が強度の近眼で、お袋の血を引いたといえ る、歯はオヤジの血を引いたといえる、オヤジは若い時から部分入 れ歯をしていて、戦争が激しくなると歯の治療どころではなくなる、 と考えて、40歳になる前に総入歯、比較的若い頃から総入歯のお 陰で、年がいっても何でも食べる事が出来た、オレも40歳くらい までは歯痛と歯から来る肩こりに悩まされた、仕事に追われていて 少々歯が痛くなっても、なかなかは医者へいけない、どうしようも ないほど痛くなってから歯医者へ行く、その昔、虫歯で詰め物をし ていた歯、年数が経って、その詰め物ががたついている頃、硬い物 を食べた拍子に、その歯が根元まで割れてしまった、すぐに歯医者 へ行けばよいものを、暫くほうっておくと、その歯の根元が化膿、 痛み出してきて、明日こそは行こう、明日こそは行こう、と思いな がも、辛抱が出来ないほどの痛みではなかったために、ほうってお いたある日の夜、ズキン、ズキンと痛み出す、早く寝てしまおうと 布団に入るが、ますます痛みが激しくなり、寝るどころではない、 薬好きで、薬マニアのようだが、痛み止め系統の薬は苦手で、その 系統の薬の持ち合わせはない、ウイスキーでも飲めばすぐに寝られ るだろうとウイスキーを飲む、ところがこれが神経を過敏にさせた。 暫くすると、先ほどは歯の周りだけだった痛みが、片方の頭が締 め付けられるように痛み、ギリギリ、ずきんずきん、その痛みが激 しくなる、またウイスキーを飲む、ウイスキーがまわってきて眠く なる、うつらうつらしだすが、激しい痛みで眠気が飛んでいく、( この時まで歯の痛みにはなれていて、少々なめていたのだが)、小 さな痛みがどんどん大きくなり、最後には頭を万力のようなもので、 ギリギリと締め付けられるような痛み、ベッドでのた打ち回り、脂 汗が流れ来る、今日、歯医者へ行かなかった事を大いに後悔をしな がら、仰向いたり、横になったり、うつ伏せになったり、海老のよ うに丸くなって頭を抱え込んだり、そして痛みのピークを通り越す と、今度は潮が引くように痛みが引いていく、ここでホッと一息つ く、タバコを一服、吸っている途中に、遠くのマンションなどで鉄 の扉の閉まる音がすると、またたちまち小さな痛みがズキンときだ す、その痛みが次第に大きくなり、ズキンズキン、そしてギリギリ と激痛に変わってくる、ベッドでのた打ち回り、脂汗を流して、激 しい痛みが通り過ぎるのをただひたすら待ち続ける、結局、朝まで これの繰り返し、当然翌日の朝一番に歯医者へ、まずレントゲンを 撮って、「根元まできれいに割れている、根元がきつく化膿してい る、昨日は痛かったやろう」、「歯の痛みがこれほどだとは」、「 いつから」、「1週間ほど前から」、「その頃に来ていたらそんな に痛まなかったのに、もうこれは抜かなしょうがない」、「はい、 よろしく」、歯茎に麻酔注射を打ってから、あっけないほど簡単に 歯を抜かれて、麻酔で唇の感覚がなくなったように痺れている、小 1時間もすると唇の痺れが次第に取れて、もらった痛み止めがいら ないほど痛みは消えていた。 オレが30歳くらいの頃、歯医者が予約診療制になりだした頃、 折角予約しても仕事の都合でその時間にいけない、歯医者を点々 としていた、その頃に見つけた古い、いかにもはやっていなさそ うな歯医者、飛び込むと、殺風景な待合室に診察待ちの人は誰も いない、すぐに診察室に呼ばれて治療台の上に、先生が、「はは 〜ン、この歯やなァ、もうぐらぐらや、治療してもすぐに抜く事 に」、診察台から見える本棚に医学の本ではなく、居合い抜きの 本、刀の本、人きり浅衛門、等の本が置かれている、そのかれて いる本から、直感的にこの先生は歯を抜くのは上手そう、「抜い てください」、でっぷりと太っていて、頑固で、無愛想な面構え の先生、ここで始めてニッコリと、だみ声で、「抜きましょう」、 置かれている本からの直感はあっていた、麻酔の注射の後、歯を 抜く時の力の入れ具合、まるで居合い抜きデモするように、ほん の一瞬で、「ズボッ」、と一気に奥歯を、痛いともなんとも感じ る間なく、一丁上がり、ただこうして歯を1本抜くと必ず反対側 か、隣の歯がすぐにぐらぐらに、そしてその歯医者で歯を抜く、 こうして数本の歯を抜いた後、ある日の夜に歯の痛み、以前に懲 りているから翌日の朝、会社の近くの歯医者へ電話、予約はない が今すぐ来れるなら診察できるという事で。 そこの歯医者初めて、全ての歯のレントゲンを撮って、痛んで いる歯はこうして治療、ぐらついている歯も多いので、本格的に 治療しますか、「長くかかりますか」、「週に一度で、数ケ月、 会社とも近いことだし、朝一番の予約でどうですか」、という事 でそこの歯医者で、徹底的に治療、まず上の奥歯の左右4本づつ のブリッジで部分入歯、その前に上の前歯の6本も左右の端にブ リッジの入れ歯を引っ掛けると、その両端の歯に強い力がかかっ て、すぐにぐらぐらになる、そこで部分入れ歯にする前に上の前 の6本の歯を補強、毛利元就の3本の矢と同じで、前の6本を先 に繋ぎましょう、部分入れ歯でかかる力を6本で受けるわけや、 という事で、前の歯の裏側を削って、歯の裏側の殻斜め上にくぼ みを作って、歯を削った部分に頑丈な金属の裏打ちを作って、そ のくぼみに裏打ちを接着剤をつけて差し込みくっつけてしまう、 そのお陰でその治療後約20年ほど経過するが、上の前歯6本は 今も健在、上の左右の奥歯、10数年かけて1本ずつ抜いている、 歯茎が平たく変形している、歯茎といっても中身は骨である、食 事の時に噛んでいると食べ物が歯茎にも当たる、そのために骨が 押し付けられて平らに変形、これは山形になっているほうが部分 入歯が歯茎をグリップしやすい、という事で、歯茎を切り開いて 平らになっている骨の両端を爪きりの様なものでバチン、バチン と切り取って、山形にし、傷口が治ってから、部分入歯の型を採 って作成、期間は半年、費用は1本。 以来この20年、歯医者へ通うことは無くなったのだが、今度 は下の前歯、3年前にぐらついていた歯が1本痛む事無く抜けて、 暫くすると抜けたところがわからなくなり、ほうっておいたのだ が、その隣がぐらつきだして、抜けるのは時間の問題、ところが それから1年以上しぶとく残っている、これが抜けると歯医者、 家の近くで良い歯医者を探しているところ、眼はお袋似で若い頃 から悪い、歯はオヤジ似で若い頃から丈夫でない、残るはもう一 つ、これは誰に似たのか、だましだましながらも、精神面でカバ ーして、かろうじて今も健在。 ■「今日の言葉」■ 「 幸福は感謝する心にある感謝 を深めて確かな幸福を築こう 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
桜の時期は短いが、紅葉の時期は長い、これはどうも昔の話で、 最近では紅葉の時期も随分と短くなってきた、以前は11月始めの 文化の日が済めば、マウンテンバイクに乗って洛中を紅葉を求めて 走り回り、勤労感謝の日当たりが紅葉の最終であり、ところが場所 によっては12月の初めでも紅葉がまだ綺麗な所、忘年会へ出かけ る途中に見かけることもあった、ただ12月の声を聞くと、もう紅 葉の写真を撮る気にはならい、ところが最近では、11月の中旬く らいに、待ちきれずに何処かへ出かける、殆どが一部紅葉、一部ま だ青々としている、そして一部カリカリになって散紅葉も多い、来 るのが早かったのか、それとも遅かったのか、わかりにくい紅葉ぶ り、何年か前の写真で、南禅寺の本堂横、南側に大きなもみじの樹 と銀杏の樹があって、もみじは真っ赤に紅葉、銀杏は真っ黄色に紅 葉、そんな風景を撮影している、以来何度か同じような風景を撮ろ うと南禅寺を訪れているが、銀杏が真っ黄色の時にはもみじが青々 としていて、もみじが真っ赤に紅葉すると、銀杏はもう落ち葉、両 方がきれいに紅葉しているのには出くわさない。 京都の紅葉は勤労感謝の日を挟んだ連休あたりが盛りになってい る、以前にその連休に真如堂へ行くのに西大路四条からバスに乗る、 普段は約30分で到着する予定が、道がひどい渋滞で、なんと2時 間かかりで到着、真如堂から、銀閣寺を経て、哲学の道を通って南 禅寺の予定が、真如堂でおしまい、この真如堂はオレにとっては縁 起の悪い場所で、この頃はデジカメとフイルムカメラの2台を持ち 歩いていた時期で、その前年にフイルムが終了して、フイルムを取 り替えようとするが蓋が開かない、仕方なく、フイルムでの撮影を 諦めて、デジカメだけで撮影、帰りにカメラ屋さんへ持ち込み、そ のままメーカーへ直送、メーカの暗室でフイルムを取り出す時には、 別段、何の異常もなく取り出せたという報告、そしてこの年にも又 もや同じ事がおきた、フイルムが終わって、フイルムを取り出そう とすると、また蓋が開かない、縁起が悪いといよりも少々気味の悪 い場所でもある、交通渋滞のために予定より大幅遅れで真如堂に到 着、到着した頃にはもう陽が西山に傾きかけていて、この真如堂は 黒谷という小高い場所にあるために、西山に沈みかけている夕日が、 真っ赤に紅葉したもみじの、横や、下の方から照りつける、真っ赤 なもみが一段と色鮮やか、陽が西山に沈む少しの間、その陽の光が より下の方からあたる、もみじの鮮やかさがそれにつれてます、ま るで周りが火事で、炎に囲まれているよな錯覚さえ覚える、燃える ような見事な紅葉を経験、これもバスが渋滞に巻き込まれて、到着 が大幅に遅れたお陰ともいえる。 今年は紅葉を見に出かけたのは15日に同級会を兼ねて日帰り旅 行で長野県の富士見台高原、16日は京都の嵯峨野方面、ここの一 番奥の化野の念仏寺、この近辺の嵯峨鳥居本の町並みも好きだし、 その昔、あちこちの点在していた小さな供養石塔、無縁仏をここに 集められて供養されていて、普段は殺風景ながら、紅葉の時期にな ると周りや、中のもみじが、まるで供養でもするかのように一段と 色鮮やかに紅葉する、ただ観光のお客さんの混雑と、今のオレの足 では遠すぎる、という事で化野の念仏寺は諦めて、その次にこの辺 りで好きな小倉山に建てられた常寂光寺へ行く事に、入り口の門か ら中を覗くと、赤というよりもオレンジがかった紅葉、まだ青いの もあり、苔の上に葉っぱが随分と落ちていて、庭師の人が苔を守る ために庭箒で落ちたもみじの葉っぱを掃き落としていた、それでも 観光に訪れたお客さんは口々に、「きれい」、「ここに来て良かっ た」、と、写真に撮るときれいに紅葉しているところだけ写真に撮 り、写真をカラー補正、そこそこきれいに紅葉しているように見え るが、それでも毎年、ここの紅葉はこんなんではなかったはず、も っと鮮やかだった、ただ昔もこんな程度だったのかは、むしろオレ の思い込みかも知れないと最近思うようになってきている、毎年思 うことなのだが、嵯峨野方面の日没は早い、午前中から出かけてこ ないとと思いながらも、例年、午後から出かけてきて、午後3時が 過ぎると日陰になる、日陰になると急に寒さが厳しくなる。 仕事のシフトとにらめっこ、19日、22日、25日が休みの日、 22日は3連休の中間、この日はマウンテンバイクで行ける所、1 9日は平日という事で昨日は東福寺へ、来た門を入ってから少し行 くと、屋根つきの橋、ここから通天橋が正面に見える、周り一面の もみじが紅葉、その真ん中に通天橋、この風景の撮影ポイント、こ こが満員電車状態で、カメラを構えられない事もある、昨日はそこ まで混んでいなかった、ただ昨日では紅葉には少し早すぎた、残る は22日、この日は交通渋滞のピークになるからマウンテンバイク で移動、銀閣寺から永観堂、南禅寺、そして清水寺、東山を訪れる 時は決まったように北から南へ、数年続けて、清水寺では完全に日 没、だから今年は南から北へ移動、1番最初に清水寺へ。 ■「今日の言葉」■ 「 社会の恩恵を忘れると 社会に対する不満が多くなる 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
年賀状の数が年々少なくなってきて、150枚くらいを印刷する と足らなくなり、200枚印刷すると少し余ってくる、今年は18 5枚くらい印刷しようかと思っている、ここ最近の年賀状で増えて いるのが写真の年賀状、PCのセミナーで知り合ったオレよりも少 し年下の男性、55歳で早期退職して、旅行、ビデオ撮影、カメラ 三昧の生活、年に一度は夫婦で海外旅行、毎年その旅行の時の写真 を年賀状に、写真の年賀状では例外的に年配者、殆んどが若い人で、 「今年、結婚しました」、と結婚式の写真を年賀状に、ところがこ れが案外続かない、ところがこれが案外続かない、1年ポッキリだ ったり、2、3年だったり、繊維メーカー時代のデザイナーさん、 結婚して双子の女の子が誕生、以来、毎年その双子の女の子の写真 を年賀状に、今はもう高校生、いや女子大生かな、10数年それが 続いている、これだけ続くと毎年年賀状の写真を見るたびに、随分、 大きくなったァ〜、お母さんよりもキレイかなァ〜、なんて格別の 思いで、見ている、こういう事も継続、継続すれば家族の歴史のよ うなものである、もっと凄いのを紹介すると、息子の嫁、女4人、 男1人の5人きょうだいの長女、両親が結婚の時から、2人の写真 の年賀状がスタート、以来約40年、長女が生まれて3人になり、 次女が生まれて4人になり、一番年下の妹が生まれて7人になり、 7人家族の写真が続き、やがて次女が結婚して、8人になり、女の 孫が生まれて、9人になり、長女がオレの息子と結婚して10人に なり、現在では孫が4人、合計13人の家族の写真、息子も結婚以 来、この年賀状の写真撮影のために盆休みに、ヨメの郷へ里帰り、 妹さんが海外流が中の時には、学校の卒業アルバム撮影の時に欠席 した生徒を写真の上の端の別枠で写真、それと同じように、正月の 里帰りの時にはその毎年の年賀状用の写真、約40枚を見ながら、 家族で大いに盛り上がると聞いている、ここまで来ると、もう家族 の歴史以外の何物でもない。 写真といえば、オレのオヤジは明治40年生まれであるが、赤ち ゃんの頃から、子供時代のセピア色の写真が随分と残っている、と ころが大正3年生まれのお袋、赤ちゃんの頃からオヤジと結婚する までの間の写真が1枚もない、たった1人の身寄りだった姉の娘の 従兄弟に聞いてみたが、従兄弟も、「私のお母さんの写真もないと いう事だった」、今はビデオなどの動画が残る時代、そこから考え ると、信じられない気もする、オヤジのアルバムを見ていると、独 身の頃、セルフタイマーで、ちょっとポーズをつけて自分で撮って いつ様な写真も多く、恐らく大正の末か、昭和の初め頃からカメラ を持っていたようで、そのカメラがどんなカメラかは定かではない、 ただオレが物心着いた昭和25年頃、カメラの蓋を開けると蛇腹が 出てくる、ブローニングフイルムのスーパーシックス、これを愛用 していて、やがてカラーフイルムが売り出されるようになって、当 時のフイルムはさくらかフジであって、そのさくらフイルムの小西 六が初めて売り出した一眼レフのコニカ2Aというカメラを長い間 使っていた、スーパーシックスは手元にないが、コニカは手元に残 っている、今の一眼レフに比べると随分と小型だが、全てが金属製 のためにズシリと重く、現在のカメラのマニュアル撮影と比べもの にならないほどマニュアルである、電池は要らない、フイルム感度 はASA50からASA200まで、フイルムを入れると手動でこ のASAをあわせて、フイルムの巻上げリング(レバーではなくリ ングを回して巻き上げ)の上の枚数をセット(例えば36枚フイル ムなら36枚にあわせて、そのメモリがゼロになれば、フイルムを 巻戻して、フイルムを取り出す、シャッターはせるタイマーはつい ていない、バルブはあり、1秒から500分の1秒まで、絞りは2 から22までの7段階、シャッタースピードを手動であわせて、シ ャッターセット、絞りも経験と勘で手動でセット、ピントはファイ ンダーを覗きながらピンと合わせ、全てを手動でセットをして、そ れからシャッタでーある、電池がいらない代わりに電池によってで きることが全てが手動、このカメラで撮影はもうオレにはできない だろう、とは言いながら中学校の修学旅行の時に初めて買ってもら ったのがミランダの1眼レフ、このコニカと同程度のマニュアル、 このカメラを高校卒業まで使っていた、当時はこれで普通に写真が 撮れていたのだが。 オレと違って凝り性でなかったオヤジ、新しい良いカメラが発売 されても見向きもする事無くこのコニカを使用、撮る事は好きだっ たので写真は多く残っている、当時と今とではレンズの質が違うの か、それとも腕がよかったのか、実にシャープな写真が残っている、 ただオヤジが70歳を過ぎた頃からこのコニカが重いと言って、オ リンパスのXAというハーフサイズの小型カメラ、これも持ち歩く 時にポケットに入れると肩がこるといって、同じカメラの新しいタ イプ、金属部分が少なくなって、プラスチックに代わり、その分、 目方が軽くなった製品、これを90歳まで、1人で好きなところへ 出かけて行き、妹の娘の7つまいりの時、一緒に下鴨神社まで出か けて行き、その日の夜に銭湯で気分が悪くなり、向かいの魚屋さん の大将に手を引かれて家に戻り、1ケ月の絶対安静になった、この 時から急激に老け込んだのであった、ただ7つ参りの時の写真、現 像が出来上がってきたのを見ると全てがピンボケ、カメラのアング ルが傾いていた、自覚症状はなかったのだが、身体に異変が起きて いたようだった、この日以来カメラを持つことが無くなり、その後、 オヤジの興味を引こうとオレのデジタルカメラでオヤジを撮りなが ら、いろいろ説明をしたのだが、もう興味を引く事はなかった。 ■「今日の言葉」■ 「 生活にけじめをつけることは 明るい心と健康の元である 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
2008年度の自殺者数が今年も、11年連続で3万人超えで、 3万2千人余り、1日換算90人ほどが自ら命を絶っている勘定、 戦場でもない平和な日本の国中での出来事、依然として自殺者に、 気が弱い、卑怯、何も死ななくても良いのに、こういったマイナ スのイメージが付きまとい、国も、政府も、政治家も、一般の人 達も余り関心を示さない、政治家、特に国会議員の仕事は、立法 である、自殺の理由、これを分析すれば、立法で自殺者減らす事 が出来ると思う、この事を真剣に考え、この問題こそ、5年後の 半数に減らすとか、具体的な数値目標を掲げて、本気で取り組む べき問題、これをあえてしようとしない事は、国会議員の職務怠 慢による殺人行為である。 オレも1999年に商売を閉めて、その後、不動産の売却等々 で残った借入金の返済、商売を閉めたのだから、勿論収入はゼロ である、ただ商売を閉めようとした時点では専属工場へ2千万余 りの貸付金があって、毎月20万円くらいづつの返済、これで右 から左へ返済にまわす予定を立てていた、ところが商売の整理に かかりだした頃に、不渡りを出すわけには行かないのでというこ とで、もう200万円の追加融資の申し入れ、専属工場へお金を 貸すようになったのは、専属工場が銀行などの通常に金融機関か らの借り入れ枠が少なくて、またその枠の限度一杯を借り入れ中、 そこでお金が足りないとなって、ややこしいところからの融資を 受けて切り抜ける、こういう事が起きないように、お金が足りな いとなると、お金を貸し付けるようになった、商売をやめる決心 をして、整理中に追加融資の話、勿論現金はない、「手形でも良 いか」、「割り引き枠には余裕があり、手形でも良い」、という 事になって、手形で追加貸付をする事になる、それから2週間後 くらいに、専属工場の社長から、「電話では話しにくいので明日 の早朝にお伺いします」、との電話、悪い話の予感、翌日会社へ 行くと、専属工場の社長はすでに着いていて、2日前に2度目の 不渡り、銀行取引の停止、昨日弁護士に法人と個人の破産申請を 行ったという事で、迷惑をかけて申し訳ないということであった、 まさに青天の霹靂、会社を締めた後の等分の頼みの綱であった、 2千数百万円がパー、最後の追加融資の200万円も使った後、 手形はどこへまわっているのかわからないのだが、いずれにせよ 手形期日には200万円が必要になった、これで会社の整理計画 が大いに苦しくなる、約8ヶ月間で社員を全員解雇、退職金の支 払い、会社の土地建物の売却、その代金で借入金の返済、こうし て、無収入の身に、複数の借金だけが残り、インターネットのネ ットショップをスタートさせる、これが当初考えていたよりも大 きな見込み違い、1年半はなんとしても頑張ろう、来る日も、来 る日も注文なんて来ない、1999年の3月に会社を整理しよう と決断、1999年10月末に会社の営業活動の停止、翌月から 無収入、2000年の5月に会社土地建物売却、仕入先の支払い、 経費の支払い、加工賃の支払い、銀行借入の完済、そして残った のが京都信用保証協会の代位弁済債務、国民金融公庫の借入金、 消費税の未払い分、会社のコピー機と専属工場のミシンのリース 代、個人の住宅ローン、トータル1億円弱。 この間1年数ヶ月間、自分の思惑通りに事が運んだ事といえば、 社員の退職金を1999年10月末まで勤務した事にして社内規 定の退職金の支払い約束とその履行、それ以外の事に関しては販 売先、仕入先、加工先、銀行、全てが付き合いの長いところばか り、にも拘らず、先方が債権保全のために、先方の思惑通りに事 が進められる、そして最後に会社の土地建物売却の折に債務の一 本化を図るが、結果として無収入ながら、多重債務者となる、京 都信用保証協会には代表者以外に保証人をとられている、それと 損害補填金という名目で年に14、5%利息がつく、債務が年々 膨らんでいく、国民金融公庫は返済の減額して返済の延長を申し 込むが、この借り入れには第3者保証人の保証付、返済条件の変 更は債務者とではなく、第3者保証人と話し合うといって取り次 いでくれない、未払い消費税に関しては税務署が手形化小切手を 10枚要求、その上にリース代、家計費、住宅ローンの返済、無 収入の身の上にとっては全てが厳しい条件、蓄えを切り崩してい けるうちは良いのだが、こういうものはすぐに底が着く、もうこ うなると万事が窮す、オレの場合はこういう時に頭に浮かんだの が、「生きているだけで丸儲け」、兎に角、生命保険を解約、自 殺しても1円のお金も入ってこない、これが逆保険で、保険の解 約が皮肉な事に自殺防止の保険となる。 自分の周りからまるで潮が引くように人が去っていく、言う事 が聞いてもらえない、自分の意思が通らない、信用がなくなる、 ただ幸いな事にこの時には子育てが終わっていた、学費の必要が 無い、家族が不仲になるということもなかった、これには救われ た、インターネットのネットショップに目途をつけるまでの1年 半、この間は午前中はサイトを色々いじくって、午後からはする 事もなく家でポツンと一人、誰とも話をしない事もない日が続く、 毎日、不安が膨らんでいく、電話がなるとビクッとする、寝つき が悪い、寝つきの悪いのは睡眠導入剤で解消、午後ポツンと家の 中に1人でいると、気分が滅入ってくる、漠然とこんな事をして いたらうつになる、こういう時期に病気になるのは一番の無駄使 い、一番の贅沢、雨以外の日には、昼食後、マウンテンバイク目 的もなく走る、そして午後5時過ぎに家に戻る、こんな生活を1 年半、今思うと毎日マウンテンバイクで出かけていなかったらと 思うとぞっとする事がある。 再建のたらいまわし、保証協会の保証付融資、銀行からお金を 借りていても、返済が滞ると、保証会社が代位弁済、債権は保証 会社に移る、すると全然面識のない相手と以後の交渉に移る、住 宅ローンの返済も滞ると、住宅ローン保証会社が代位弁済、残債 の話し合いは初対面の住宅ローンの保証会社の担当者との話し合 いに移る、税金の支払いが滞ると、税金の滞納は悪であるのは重 々承知はしているが、こうなると桜の代紋の取立て屋である、不 動産屋さんに専任売却委託している不動産でも平気で差し押さえ、 オレは2期分の消費税滞納をしていて、差し押さえ解除の条件と して、不動産売買代金で1期分は支払い、残りは10回払いの手 形か先付け小切手を支払い、不動産を売却しようとすれば、差し 押さえという人質を取られている身、承諾をせざるを得ない、無 収入とわかっていながらがそれぞれが自分達の思惑で債権の保全 を図ろうとする、残された道は自己破産しかない、しかし、返済 不能に陥る気配のない時に、形だけのつもりで複数の家族の保証 人の保証をつけている、これが自己破産をするにしても大きなハ ードルとして存在、これを自分ひとりで戦わなければならない、 生真面目な、几帳面な人は考えれば、考えるほど、どうにもなら ない迷路に迷い込む、助かるのはお金だけ、解決策が見当たらな い、相談する人もいない、うつ病という病が忍び寄る、その前に まわりは借りた物は返せといっているが、命まで盗ろうというも のは誰もいない、ここで適当な居直り、「生きているだけで丸儲 け」、こういう気持ちに如何になるか、といっても年間3万千人 余りの自殺者、ここには3万2千余通の原因や理由が存在する、 一つの立法や、政策で劇的に自殺者を減少させられるものでは決 してない、まず3万2千人余の自殺に至るまでの経緯を調査する 事、時間はかかるであろうが、戦場でもない平和な日本の国で毎 日約90人が自ら命を絶っている、これを見過ごし続ける国、政 府、国会議員、職務怠慢による殺人と言い続ける、このブログを 書き続ける事にも助けられた、朝起きると兎に角、今日のブログ を書こう、そして明後日の事はわからないが、明日も必ず書こう、 その延長線上に今日がある、このような体験談が役に立つのであ れば、どこへでも出かけて行こうとも思っている。 ■「今日の言葉」■ 「 よく話し合うことは安らぎの ある家庭を築く始まりとなる 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
2階級制覇のWBO世界ウエルター級チャンピオン、34勝(2 7KO)1敗、プエルトリコの英雄ミゲール・コット対4階級制覇 (主要4団体の世界チャンピオンに君臨したのは4階級だが、フラ イ級、スーパー・バンタム級、スーパー・フェザー級、ライト級、 しかしフライ級からライト級までのチャンピオンに君臨、スーパー ・フライ級、バンタム級、フェザー級、の3階級を飛び越してのタ イトル獲得、獲得したタイトルは7階級にわたっているといえる、 そして今回はスーパー・ライト級を跳び越してのウエルター級のタ イトルに挑戦、この試合に勝てば5階級制覇だが、実質的には9階 級制覇にも等しい快挙)、フイリッピンの英雄、いまやボクシング 界の英雄とも言える、マニー・パッキャオ、50勝(38KO)3 敗2分、の一戦が15日に行われた、WOWOW放送ではデジタル 放送でのみ同時中継、アナログ契約のオレは勝敗の結果を知ってか らの昨日の夜の再放送で見た。 試合の中盤から終盤にかけて、ボクシングは3分間戦い、1分間 の休憩で、世界タイトル戦などでは12回を戦う、両者のこの試合 での1分間の休憩、パッキャオはコーナーに戻ると、椅子に腰を下 ろして、マウスピースをはずして、口をすすいで、ほんの少し水分 補給、汗を拭いて、意識を覚醒させ、深呼吸をしてから呼吸を整え て、ここまでが休憩時間の約30秒、残りの30秒間は、少し前屈 みになって、トレーナーのフレディ・ローチのアドバイスを聞きな がら、闘志をかきたてながら次のラウンドのゴングを待つ、1分間 の休憩で身も心もリフレッシュ、昨日はローチは殆どアドバイスを する事無く、「素晴らしいぞ、このままのペースで行け、上体のゆ すりをとめるな、パンチのスピード、狙うな、今夜はお前が歴史を 変える夜だ」、恐らく穏やかに優しく、ボクシングの試合を愉しむ ように話しかけるだけであっただろう、一方のコットコーナーは、 ラウンドが進むにつれて顔のキズが増えていく、こういうことは3 5戦の中で初めての経験、コーナーのスタッフも動揺、椅子に腰掛 けて、マウスピースをはずして、水で口をゆすぎ、コットはコナー ポストに頭を持たれかけて、傷の治療を待つ、鼻血の血止め、両目 の腫れを脇へ逃す、左眉毛の出血止め、コーナースタッフは慌てて いて、汗を拭く事もなく、血を吹くこともなく、呼吸を整える事も なく、あせって血止めをする前に傷口にこってりとワセリンを塗っ たりして、一応治療が終えると、もうセコンドアウトの50秒が経 過、1分かの休憩の殆どがリフレッシュする事無く、怪我の治療に 追われる、ラウンドを重ねるごとにコーナーでのコットの息使いが 荒く、2こと、3ことのアドバイスにも弱気な表情を浮かべて、目 の力が失せていく、好対照の両者のコーナーでの1分間の休憩。 こうして向かえた12ラウンド開始のゴング、パッキャオは是が 非でも倒してやろうというよりも、今日の素晴らしい試合を後1ラ ウンド愉しもうというような動きでリング中央へ、コットは3ラウ ンドにワンツーを打った後、ホンの一呼吸を置いて、パっキャオの ガードの隙を狙って、パンチを打ち込もうとしたときに、パッキャ オは振り子のように上体をゆすって、右に振り切った位置から、コ ットの左横のほうから、顎を引っ掛けるように右フック、コットは 前のめりにバッタリと手を着く、このダウンは大したダメージでは なく、カウント8後に試合が再開されると、ダウンのハンデイを跳 ね返そうと攻めに出る、鉄壁の防御を誇るコットのガードも攻撃中 には無防備に近い、そこをパッキャオは上体をゆすりながら、コッ トの顔の真ん中を打ち抜く、ここでこの試合はいずれにしてもそう 長くは無いだろうとの予感、それが4ラウンドに表れる、コットの ボクシングスタイルはまず鉄壁の守りを固めて、それから攻撃を展 開、しかもワンツーはこれだけで倒そうというパンチではなく、相 手にダメージを与えておいて、次の攻撃のステップのようなパンチ、 この次の攻撃に移るまで、微妙な間がある、次に上を打つか、ボデ イをたたくか、相手のガードの隙を狙って強いパンチを打ち込み、 このパンチで相手を倒す、ボクシングのスタイルはどちらかといえ ば防御型といえるが、性格は超攻撃型、試合前の記者会見で、パッ キャオはコットを充分に研究して、対コット専用のトレーニングを 充分にして来たと胸を張って答えていた、パッキャオチームはコッ トのボクシングスタイルだけでなく、コットの性格分析までしてト レーニングをし、作戦を立てて試合望んだと思われる、いつもより もガードを高く固めて、上体を絶え間なく動かし、この上体を動か す事は出来るだけ相手のパンチの標的になりにくくする防御のため であるが、パッキャオは上体をゆすりながら、コットの予想外の位 置からパンチを繰り出す、そうすることによって、相手の急所に当 てやすい位置からパンチを出す攻撃のために身体をゆすり続けた、 それとパッキャオは50勝のうちでKO勝が38もある、所謂、倒 し屋であり、強打者である、こういうボクサーにつき物という、倒 すパンチを狙って打つということが全くない、構えた位置からノー モーションでスピードとタイミングと、踏み込みと、体の回転でパ ンチを打ち込む、それが最近の3試合で特に顕著である、ライト級 に体重を上げたデイアス戦、デ・ラ・ホーヤ戦、ハットン戦と。 3ラウンドのダウンで一気にポイントを取り戻し、試合の流れを 引き戻そうとコットの攻撃が強くなり、手数も多く、打ち合いに持 ち込むコット、その打ちあいの中でパッキャオのアッパーカットが コットの顎を大きく跳ね上げる、このアッパーはコットに大きなダ メージ、完全に足にまで効いた一撃、このダウンで試合終了と思え るほどのダウン、コットは足がふらつきながらもカウント8で、試 合再開に応じる、足が踏ん張れないながらもコットは反撃の打ち合 いに応じる、パッキャオもカウンターであわやというパンチを打ち 込む、このラウンドをかろうじて持ちこたえたコットは次のラウン ドから、足を使ってアウトボクシングに切り替える、離れてフット ワークを使うが、一発逆転を狙うにしては足の踏ん張りが効かない、 ただパッキャオとの距離をとっているだけ、強いパンチのの反撃が ないために、パキャオは飛び込んではパンチ、コットが打ってくる と、打ち終わりにカウンター、そして中盤には先に書いた両選手の 1分間の休憩の違い、パキャオは毎ラウンド完全にリフレッシュし て、コーナーから出てくる、コットは漸く傷の治療を終えて出てく る、ラウンドの前半が過ぎるとガス欠状態、徐々にコットのダメー ジが蓄積、一発で逆転のチャンスは次第に遠のく、最終ラウンドは ウエルター級のチャンピオンとこのクラスのパウンド・フォー・パ ウンドとも言われている、そのプライドと意地で最終回終了のゴン グを聞くまでは、その願いもむなしく、12ラウンドの55秒、パ ッキャオがロープに押し込んで連打、コットはロープがなければ倒 れる、そんな状態でロープにもたれかかったところで、次のパッキ ャオのパンチが当たる事を防ぐかのように、コットの体を抱きかえ るようにして、この試合をストップ、コットは29歳、この試合後 のキャリア、これが守られた試合でもあった、ただパッキャオチー ムはこの試合をウエルター級のリミット147ポンド、それを2ポ ンド下回る145ポンドでの試合を条件としていた。 試合後、パッキャオの口からフロイド・メイウエザーの名前は出 なかったが、会場からは、「2人の試合が見たい」、コールが湧き 上がっていた、2年余りの引退からカムバック、それも強敵のファ ン・マニエル・マルケスをカムバックの緒戦にしては難敵すぎる、 カムバック戦に失敗すればパッキャオ戦はなくなると思われたが、 マルケスを子供扱い、ボクシングをさせずに圧勝、本当はもう一戦 はさんで、パッキャオ戦と行きたいところだが、来年の春か夏ごろ にこの一戦が見られるかもしれない、コット対パッキャオ戦は20 09年度のベストマッチ、パッキャオは八トン戦での2009年度 のベストKO賞と、209年度のMVPのトリプル受賞であろう。 ■「今日の言葉」■ 「 分っているという思いになると それ以上は学ぶ事はできない 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
韓国の釜山の射撃場で日本人観光客が死亡という記事、多くが福 岡の同級生との事、年齢はオレの息子と同い年だけに他人事ではな い、それ以上にドキッとしたのは、その翌日の昨日、小学校・中学 校の同級生の有志、男性5人と女性6人で日帰りバスツアーに出か ける予定だった、数年前から同級生有志で、不定期に日帰りバス旅 行を企画、何度かお誘いを受けていたのだが、多くが冬場の日本海 松葉蟹食べ放題ツアーだった、以前に組合の旅行で夏場に、冬場は カニ料理専門の民宿に止まった事があった、その民宿の畳、柱、壁、 天井に蟹の匂いが染み付いていて、冬場に蟹を食べている時はそう でもないと思うが、その染み付いた匂いを夏場にかぐと、決して良 い匂いとは言えず、随分と閉口したことがあった、以来どうもこの ツアーには行く気にならない、それと本来この食べ放題というヤツ はあまり好きではない、10年ほど前は年に2回、組合関係の1泊 2日のバス旅行に行っていたのだが、商売をやめてからそれがぷっ つりと、ところが以来10年も経つと、生理的衰えというか、肉体 的衰えで、夜中に確実に1度か、2度トイレに起きる、その何がと いうか、おしっこが近くなっているのである、仕事の日に帰る時に トイレを済ませて帰る、ところが最近は観光のお客さんが多くバス が混雑する、乗っている時間も普段の倍ほど時間がかかる、すると 降りる頃にトイレに行きたくなる、そういう訳でバス旅行というヤ ツが結構、億劫になる、いつも仕事のシフトが入っているとか、そ の日は都合が悪いとか口実を作って不参加であった。 ところが今回は最近は同級会も開催されなくなっていて、幹事と も親しいという事もあって、初参加する事になっていた、行く先は 富士見台で日本アルプスで紅葉を見て、昼食は気にいらないのない のだが炙り牛肉味噌だれ寿司、松茸しゃぶしゃぶ、3種類フルーツ 食べ放題、そんな日帰りバスツアーであった、朝まだ暗い内の5時 過ぎに起きて、午前7時45分に四条大宮のバスターミナルに集合、 集まる顔ぶれは聞いていない、メンバーは小学校・中学校で同じク ラスにもなっていない、大して一緒に遊んだわけでもないメンバー が半分、オレの場合は同級生の殆んどが名前で、○○チャンと呼ば れていた、付き合いの極少ない僅かの同級生だけが苗字、○○君、 と呼んでいた、参加の11人の半分が、○○君と呼んでいた、不思 議な顔ぶれといえば、顔ぶれといえるメンバー、ただこれも小学校 と中学校が全く同一学区、9年間同じ学校であった特色といえるか もしれない、それでもここが同級生の良いところといえるのかもし れないが、顔をあわせてしまうとそういう事はお構いなし、さすが にこの年になると全員が集合時間の前に集合、乗る前にバスの中で の飲み物を自動販売機で、「今までやったビールなんだけど、トイ レが近くなるし」、すると、「俺も」、「俺も」、ここが同級性の 良いところ、「ご同輩、お前もか」、「だからオレはこれを」、バ ーボンを入れたフラスコを見せると、「それが正解やなあ」。 バスが動き出すと男性陣はフラスコのウイスキーを一口づつ分け 合って飲んで、直ぐに朝が早かったのとバスの暖房でこっくり、こ っくり、居眠りが始まる、ところが女性人ときたら、バスが動き出 してから、何度かのこの日帰りバス旅行の思い出話から始まって、 食べ物の話、レストランや料理屋の話、12月のデイナーショーの 予定の話、年末年始の温泉旅行に海外旅行の話、次の同級会の話、 習い事の話、スポーツクラブの話、年相応だと思ったグランドゴル フの話、等々、暗い話や愚痴話は一切なし、前向きというか、元気 というか、毎日が盆と正月の繰り返しかと、突っ込みを入れたくな るような話ばかり、午前7時45分から、帰り着く午後9時過ぎま で、途切れる事無く話が続く、このパワーに呆れるやら、羨むやら、 男性陣が元気がよくなるのはトイレ休憩にバスが到着する時だけ、 まずタバコ、トイレ、そしてタバコ、その間も女性陣はお土産探し と、お土産の試食、口は話をするか、話が途切れる時は何かを食べ ている時だけ、昼食の食べ放題も女性陣の方が先にお代わりを取り に行く、この食欲がパワーの源。 富士見台山麓駅までバスで行き、ここが約800メートル、ここ からロープウエイで2、500メートルの長さで、所要時間は約1 0分、山頂駅は1、400メートルの高さ、場所によってはほぼ垂 直近い登りかた、眼下には南アルプスと中央アルプスの山々、黄色 から濃い黄色、薄いオレンジ色から濃いオレンジ色、薄い茶色から 濃い茶色、紅葉また紅葉の世界、ただ残念な事にこのあたりの紅葉 は10月初めから山頂から始まり、山麓まで紅葉が降りてくる、1 1月15日では山頂部分の紅葉はもう終わっている、ロープウエイ の山頂駅に昼に着いていて、天気は快晴、温度は7度、売店の中で 熱いココアが身体を温めてくれる、昼食の後、JRで6駅ほど移動、 この列車の中から進行方向に向かって右に紅葉の南アルプスが見え、 左側に中央アルプスが見える、紅葉のアルプス展望列車を楽しむ、 こういうツアーでいつも感心する事だが、料金は日曜日なので約9、 000円、まずロープウエイの往復料金が2、000円、JRの料 金が2,400円、昼食代が1、000円として、夕食用の軽食2 00円、これだけで合計5、600円、残りは3、400円弱、こ こにバス代、ガソリン代、運転手さんの日当、ガイドさんの日当、 どういう計算になっているのだろうかと不思議に思う、観光シーズ ンで途中高速道路が渋滞、出発から14時間弱、無事に京都に到着、 京都ではなかなか見られないダイナミックな紅葉と久し振りの同級 会をたっぷりと楽しんだ一日でした。 ■「今日の言葉」■ 「 不満にとらわれていると今恵 まれているものまで失ってしまう 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
毎年この時期になる鳥取のヨメのお袋さんからコッペ蟹(メス蟹 ・親蟹)が送られてくる、実はヨメと結婚するまでメスの蟹がこん なに小さいとは知らなかった、ゆがいて、ゆで汁で大根を入れて味 噌汁、ところがゆがいたこの小さな蟹を食べるのが苦手、ヨメが器 用に食べるのを観ているだけであった、ある祇園の小さな割烹屋さ んでも出される事があった、いつも食べないか返品であった、店の 大将が、仕込みの時に小さな足の身をきれいに出して、甲羅に詰め ておいてくれた、これならオレも食える、その時の食べた印象、小 さな足の身に蟹の味が凝縮されて、濃厚、蟹の中でこいつが一番旨 い、そう思った。 この話にヨメにすると、今時分にコッペ蟹が送られてくると、ゆ がいて、細い、小さな足の身を出して、甲羅につめておいてくれる、 オレが名付けてコッペ蟹の大名食い、甲羅の中に入れられた身にポ ン酢をかけて、3杯か、4杯ほど食べる、今年はオスの蟹も1杯送 られて来たので、甲羅に蟹ミソと味噌を入れて、オーブントースタ ーで焼いて、焦げ目をつけて、コッペ蟹の身をそれにつけて食べた、 ますます蟹の味が濃厚、旨い。 ■「今日の言葉」■ 「 未来を共有するからこそ平和と 信頼関係が重要なのである 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
京都市内の代表的なラブホテル街というと、岡崎と東山安井である、 岡崎も東山安井も近くに京都の代表的なデートコースがあり、デート コースを回った後に食事、お腹もふくれ、少しアルコールも、もう暫 く辺りを散策、そうこうしている内にラブホテル街のネオン、成り行 きでその中へ、重要と供給、その接点に市が立つではなくて、ラブホ テル街が形成された、と極単純に思いこんでいたのだが、京都のフー ゾク史を調べているとそうでもないことがわかった、その本はフーゾ ク史をそれを欲求をする男の需要と、その欲求に対して供給する女性 がいて、発展をしてきた、何を以って発展といえるのか、それは今日 ではフーゾク市場が約4兆円の市場であるといわれている事実がフー ゾク市場の発展の証明といえる、このフーゾクの発展を空間スペース のレンタル業として捉えて、フーゾクの発展を考証した本である。 空間レンタル業として、貸席業と席が席貸業があって、実に紛らわ しい言葉ではあるが、両者は全く異なった業種である、まず貸席業、 これは古くは、「ちゃや」、とルビをふられていた頃があって、今現 在京都の五花街に残っている、「お茶屋」、お客さんはこの座敷に上 がり、ここを通じて置屋さんから舞妓、芸妓を送り込んでもらい、食 事をしたければここを通じて料理の仕出しを頼む事が出来、「お茶屋」、 お茶が出るわけでもなく、お茶を飲むわけでもなく、お座敷、お座敷 遊びをするための空間レンタル業である、一方、席貸業は現在の旅館 業に近い業種で、ここでは直接に舞妓、芸妓を呼ぶ事も出来ず、料理 を出すということもせず、宿泊のための空間レンタル業といえる、こ れが比較的密集している場所が、先斗町の近くの木屋町であり、祇園 町の近くの下河原、お座敷の馴染みのお客さんが長逗留、当然の事な がら舞妓、芸妓の出入りや泊まりもあったと考えられる、東山安井も 祇園町の南に隣接する地域である、祇園町で遊んだお客さんがお座敷 の後、お気に入りの舞妓、芸妓と今夜は泊まりという段になった時に、 「よろしく頼む」、とお馴染みさんにだけ寝る場所を提供する、会員 制に近い席貸業があった、ただ東山安井の席貸業が増えた原因として、 京都独特の、「やとな」、の存在も大きく、この、「やとな」、とい うのは、先ごろ亡くなった森繁久弥の代表作の、「夫婦ぜんざい」、 浮気性の気の良いだけの、甲斐性なしの亭主を支える、しっかり者の 嫁さん、大阪で、「やとな」、をして家計を支えていた、料理屋が直 接仲居を抱えていると、忙しい日もあれば、暇な日もある、コンスタ ントにお客さんがいるとも限らない、そこで仲居さん派遣業、バンケ ットサービス派遣業、なるものが出来、そこへ登録しておくと、料理 屋さんの中居として派遣される、純粋の派遣仲居さんであった、とこ ろが京都ではこの、「やとな」、独自の発展を遂げた、料理屋さんへ やとなが派遣、やとなも仲居の給料ではたかが知れている、そうなる とお座敷の後のサービス提供、アフターが主な収入源となる、そうな ると仲居としてのサービスがエスカレート、踊りや、三味線や、唄な どチョッとした芸のできるやとなも増えてくる、そうなるとついつい 食事の後の約束という事になる、舞妓、芸妓と遊ぶよりも料金が安い、 格式ばる事も無く敷居も低い、花街で遊ぶよりもやとなと遊ぶほうが 安い、それと厳しい芸事の修行はいらない、若い素人の女性でもその 気になれば出来る、お客さんはいつの時代でも若い女性と、素人っぽ さを求めるものである、お客さんはコストパフォーマンスの高いほう におのずと流れる、花街が脅威に感じるほどやとなクラブが東山安井 あたりに多くできる、こうなるとやとなクラブのすぐ近くに、やとな がアフターの仕事をする空間レンタル業がとなってくる、ここで東山 安井のそういう席貸業が多く出来た。 ただフーゾクの世界は川の流れと同じで、留まる事な絶えず変化す る世界である、若くて、素人っぽい、安いフーゾク遊びもやとなとの 遊びに留まる事無く、大きく変化、ソープランドを見てみると、昭和 30年頃に単なる健康志向のスチームバス娯楽場として誕生し、そこ で勤める女性の制服は、ショートパンツで、申し訳程度に上着が切り 離されていたセパレートタイプの制服が、お客さんの要望か、経営者 の策略か、露出度が多くなり、健康志向型のレジャー設備から、健康 志向型のフーゾク産業へと移行をする、以来、トルコ風呂というネー ミングと共に、 (ここからソープランドの技術革新を、「オスぺ」の開発から、「泡 踊り」、に至るまでの猛スピードのこの業界の技術革新について書い たのだが、どれかの表現に公序良俗に反する表現ありと、投稿をはね られ続けて、どの言葉か表示されず、どの言葉か特定できませんので、 中略しますが、本日書きたい趣旨とは余り縁のない部分ですので、省 略します。) 画期的な技術革新はなされていない、 ソープ業界に取って代わるように登場したファッションヘルス、ここ のいたるとフーゾク業界のコンビニエンス化、ちょっと話が長くなった がこの業界の栄枯盛衰は世の習い。 という事で京都の花街でさえ脅威を感じたやとな、しかしより安い、 より若い、より素人っぽい、フーゾクの登場と共に料理屋でやとなを 呼んで宴会、その後のやとなのアフター、これに取って代わられるよ うになった、ここで東山安井のやとなと遊ぶ席貸業は業態変更として、 誰でも入ることができる、逆さくらげマークの、当時は連れ込み旅館 と呼ばれていた業種に転向、部屋に通されて、やがておばあさんがお 茶を持ってきて、「ご休憩ですか?、お泊りですか?」、のこのシス テムは利用者にとっては好ましいシステムではなく、世の中の住環境 も洋風に変化、建て替えをして、連れ込み旅館からラブホテルに変化、 ここにきょうとで1、2を争うラブホテル街となり、東山安井という と、安井の金毘羅さんの縁きり碑よりも、ラブホテルの方が有名にな った。 このラブホテルもバブル期には、様々な遊び心のある部屋、豪華な 部屋、シテイホテルのような雰囲気、が求められて東と南の京都イン ターチェンジのそばや、ホテル街以外の場所にぽつんと建っているラ ブホテルが好まれるようになり、東山安井にあるラブホテルは古くな り、小さくて、汚くて、いかにもという感じで、若い恋人たちには徐 々に敬遠されるようになり出したが、ソープランドに取って代わるよ うに登場したファッションヘルス、フーゾク産業のコンビニエンス化、 立地条件は便利の良い場所が要求される、しかも安い料金、となると 新規にこの店用にビルの建設は初期投資が大きすぎる、古いビルを無 理に改造して、小さい部屋を幾つも作り店舗型ファッションヘルスが 急激に増加、気軽に飛び込めて、安く遊べるが、狭い部屋の、薄汚い 雰囲気、これが最大のネック、ここで無店舗型のデリバリーヘルス( デリヘル)、ホテルファッションヘルス(ホテヘル)、が登場する、 デリヘルも、ホテヘルも、紹介用の事務所だけがあるという形態、こ こに遊ぶ空間スペースのレンタル業が必要になってくる、これらの業 者は東山安井のホテル街に目をつけ、このホテル街の近くで事務所を 開設、幾つかのホテルの、幾つかの部屋を専属契約、東山安井は克っ ては、祇園街が近いという条件で席貸業ができ、やとなの出現でその 数も増加、フーゾクに対するトレンドの変化で連れ込み旅館を経て、 ラブホテル街、そして現在では無店舗型ファッションヘルスに部屋を 提供、江戸時代より今日までフーゾク産業の空間スペースのレンタル 地とホテル街となっている。 ■「今日の言葉」■ 「 子供の我が侭に妥協していると 親も子も物事にけじめを失う 」 (自然社・平成21年・新生活標語より)
13日の金曜日、天気も悪い、月初めの冷え込みで比叡山から東 山にかけての山は色づき始めているが、京都の洛中の紅葉にはまだ 早い、こういう日はあまり出かけたくない、そうしているとポスト に喪中の葉書、子供の頃斜め向かいに住んでいた同い年のタケちゃ んから、今は兵庫県住まいで同窓会くらいにか合わないのだが、こ こ最近は両親の介護で欠席という事が多かった、オレの両親とほぼ 同じ年くらいのはず、随分と長生き、父が今年の2月に97歳で死 去のため年末年始のご挨拶は失礼とあった、オヤジもお袋ももうす でに送っているが、長い期間の介護の経験はなかった、だから大変 だっただろうとは思うが、その割りに余り実感がわかない、今年の 2通目の喪中の葉書、1通目は同じく高校の同級生の女性で、同窓 会の時に恩師が彼女を紹介する時、長岡京市の古い神社へ嫁入り、 この神社は創建以来、何十代にわたって、その系譜がはっきりして いる貴重な神社、と解説付であった、彼女とも出会うのは同窓会の 時と毎年の年賀状のやり取りであった、年末の喪中の葉書、何年か 前までは自分か奥さんの両親であったが、最近では同年代の人の喪 中の葉書が随分と増えてきた。 11月になると喪中の葉書がきだして、11月の月初めにはお袋 の命日、マルの命日、これは例外だがヨメの誕生日、今年の2月く らいに録画をしておき、以来、長らく見ないで残っていた、「おく りびと」、下手をするハードデイスクの容量がなくなってしまい、 苦し紛れに消してしまいかねないという事で、午後からヨメが外出 している間にそれを見ることに、オレ自身が納棺に立ち会った経験 はオヤジの弟の叔父、お袋、オヤジ、との3度であるが、不思議と 鮮明によく覚えているのが、お袋の時、であり死後硬直で関節がも うすでに硬くなっていて、足の指、足首、膝、肩、肘、手首、指、 それらを伸ばす時に、ぼきぼきという不気味な音、咽頭部のがんの 治療のために5度のコバルトの照射、その後遺症で胸のあたりが黒 いケロイドのようになっていて、納棺師の直ぐ近くで見ていただけ に、ちらりとその黒いケロイドが見えた、オレは乳離れが遅く、妹 とお袋のオッパイの取りあいをしていた、それがこんなになってと 思うと、それか納棺の間中、人間というものはこれほど涙を流す事 ができるのかと思うほどの涙を流して泣いた、納棺師の人から、「 終わりました」、と声をかけられるまで、約1年間で2度の入院、 2回の大手術、入院中は入れ歯をはずしていて、口元が物凄くおば あさんのようになって見えてた、眼の前のお袋は髪の毛をきれいに とかされて、口に入れられた含み綿のセイで頬はふっくらとして、 頬紅をつけられ、口紅をさされて、血色の良い、若返った顔、オレ がお袋を綺麗だと感じたのがこの時が最初で最後、思わずそのふっ くらした頬を指で触ってみた、その指を直ぐに離してしまうほど冷 たい頬だった、このお袋の納棺の事を一番に鮮明に覚えている。 「おくりびと」、のビデオを見て、最近、殺害後、死体遺棄の犯 人が長期逃亡の末に逮捕、猟奇的ともいえる島根の女子大生殺害事 件及び死体遺棄事件、千葉の女子大生殺害後の放火事件、それの事 件を思う時、映画の中で丁重に、湯棺をされて、着替えをされて、 死に化粧までされて、丁寧に納棺されて旅立つ人の幸せ、人の死の 尊厳、風呂屋のオカミサンの焼却炉のスイッチの点火の瞬間、思わ ず涙がこぼれてきた、この映画を通じて強く感じた事、職業に貴賎 なし、生き方に貴賎あり、納棺師という仕事、まず主人公は、最初 のこの仕事の厳しさを、肉体的というか生理的に、死後日数の経過 した独居老人の腐乱死体の納棺、匂いを嗅覚と腐乱死体を見た視覚 とに、強烈な洗礼を受ける、それが余りにも強烈過ぎてやめようと するが、社長に、「この仕事は君の天職だといわれてしまう」、社 長は自分の奥さんを見送る時に納棺をして、思うところがあってこ の納棺を生業とし、会社の女事務員はこの社長の納棺に立会い、自 分が死ぬ時にはこの人に納棺をして欲しいと思い、ここへ勤めるよ うになる、次のこの納棺師という職業に対する世間の人の考え、友 達は見損なったと言い、ある納棺の場で、親が若い不良仲間に、「 まともな生活をしなけれ、この人のようにこんな仕事をして償わな ければならない」、と仕事をさげすまれ、妻からは、「汚らわしい 」、と実家に帰られ、それでも納棺師という仕事を続けているうち に、この仕事に誇りを感じてするようになり、やがて奥さんも子供 がお腹に出来ているのを契機に家に戻り、2人でよく通った銭湯の オカミサンの納棺に立ち会うことによって、夫の納棺師という職業 を理解するようになり、主人公を幼い頃に捨てた父の葬儀に出かけ て行き、葬儀社の社員が亡骸を雑に納棺しようとして、それを止め ようとする夫、いぶかる葬儀社の社員に向かって、「私の夫は納棺 師です」、誇らしく言う、この映画を観た後で、オレもヨメも葬式 不要派、最後の別れをするのは極近しい身内だけ、しかしヨメが先 に死ねば、納棺師の人に納棺だけはして貰おうと思うようになった。 ■「今日の言葉」■ 「 毎日する事こそ喜んでしよう それが幸せな人生を築く 」 (自然社・平成21年・新生活標語より) |一覧| |