カテゴリ:靖国雑考
さて、前回の話で私の神道観として
・一神教の神は唯一絶対完全な存在だが、日本の神道の神様は八百万もいる不完全な神様 ・社は神様や怨霊を封印し、祀り上げるための装置 という話をした。まとめと若干(かなり)文面が違ってるが、大意は変わらないと思う。 それでは私の靖国観を披露していこう。 2.私の中の靖国観 ・慰霊という行為 そもそも靖国神社は明治天皇が戊辰戦争の戦死者を供養することから始まった。国難にあたり死亡した軍および軍関係者が祭られているのだ。では彼らは一体どのような霊なのだろうか。いや、そもそもなぜ慰霊という行為を行うのだろうか。 戦死した人たちに共通することは非業の死を遂げたことにある。彼らの大半は無念のうちに死んだと考えていいだろう。あるものは故郷に残した家族を思いながら、あるものは仲間のその後を気遣いながら、あるものは目の前の敵陣地を恨みながら死んでいったことだろう。いや、中には気がついたら死んでいた、というものもいた事だろう。そんな彼らに共通するのは強烈なまでのこの世への未練である。こういった霊はどのような存在になるのか。前回紹介した菅原道真のように、怨霊となってしまうだろう。戦死者の無念の思いが強烈なものとなってさまよい、害を及ぼすのである。(ここまで読んで、いや、彼らは国を思っている戦士達なのだからそんなことにはならない、という方もいるかもしれない。そういうひとは、実生活においても、相手のためを思ってやったことがかえってよくなかった、ということが多々あることを忘れている。) つまり、慰霊と言う行為は、こういった無念のうちに死んだ彼らの霊を慰め、あらぶる魂をなだめる行為に他ならない。そして、それを行うには、彼らを慰め、弔う場所が必要なのだ。これこそが靖国神社である。 ・なぜ靖国でなければならないのか まず私は第二の追悼施設として無宗教の施設を作ることに反対であることを明記しておく。そもそも慰霊という行為が宗教的思想からきているのだから分離のしようがない。そしてもうひとつ、「果たして慰霊施設として機能するのか」ということだ。 靖国神社の強みは「神社」という形態をとっていることにある。私達の身の回りには神社がかなりあるはずだ。大きい神社はもちろん、都心でもちょっと裏に回るとお稲荷さんを祭った社があったりと、かなり身近な宗教施設である。そして、誰もが気軽に行って賽銭を投げつけ、願い事ができる。これはそのような形式にしていることもあるが、幼いころから親に手を引かれ、神社に行き、お参りをしているといったことが習慣化しているのが大きいと思う。つまり、靖国神社は神社という形態をとっているため、だれもが気軽にお参りし、賽銭を投げつけ、勝手な願いをして帰っていける、地域密着の慰霊施設なのだ。 では、靖国以外の無宗教施設はどうなのか。例えば広島の平和記念公園のようなものを想定してみよう(単に私がいったことがあるから、という理由だけだが)。だだっ広い敷地に整備の行き届いた芝生が生え、石で舗装された遊歩道を渡っていくと、目の前に芸術家がデザインしたオブジェがデーンと建っていて、そこに天を突くかのような慰霊碑が、台座の上にそびえ立っている・・・・・想像できましたでしょうか、これは広島記念公園とはちょっと(かなり)違う光景だが、おそらくこのようなスタイルになるものと思っている。で、皆さんにお聞きしたい。このような施設を気軽に訪ねられますか?、と。私は無理だ。気軽に訪ねられるような場所ではない。 いや、気軽に訪ねられるような施設である必要はない、と言われるかもしれない。慰霊という心を表す場であれば、と。しかし、それなら靖国神社でも十分に事足りる。いや、外国要人を招くことができる施設が必要なのだ、という意見もあるかもしれない。しかし、靖国神社だって招くことは可能である。伊勢神宮には外国要人もかなりの人数が行っているわけだから宗教云々は関係ない。A級戦犯についても、アメリカ軍人をはじめ、各国要人が参拝しているのだから、これに関しては問題があるとはいえない。中国韓国が・・・というのであれば、たかだか数ヶ国の意見に左右されて、数百億の資金を投入する価値があるとは思えない。維持にも毎年最低数億~数十億が消費されるだろう。さらに、靖国はそのまま残るのだから当然上記のような事態となれば「税金の無駄遣い」との批判のそしりは避けられまい。 そもそも、どのような思いで慰霊碑を建てるのだろう。「太平洋戦争は間違ってました。ごめんなさい。」という気持ちから建てるのだろうか。だがそれなら、太平洋戦争以前の戦争で亡くなった方々を無視している。「日本のために戦い、非業の死を遂げた人々のために」ということならどうであろうか。靖国神社と役割がかぶっている上に、式典はどのような形式をとるのか興味津々なところである。八月十五日のみに行うのであれば「戦争の反省の上に云々」という話になるだろうし、それならば日清日露などの勝ち戦はやはり無視している。いや、靖国神社も八月十五日が焦点じゃないか、といわれるかもしれないが、前の戦の終わった日(名目上であるが)という、戦後を象徴する日であることからあのように騒ぎになるのだろう。靖国神社の宗教行事自体は季節折にいろいろと行っている。個人的には八月二十九日か九月二日あたりにでも参拝してくれると内心ニヤニヤなのだが(笑) 話がずれたが、ようは靖国神社は人々が気軽に行けて慰霊が行える、きわめて優れた慰霊機関なのだ。 ・まったり氏のコメントを受けて まったり氏のコメントを受けての返答。 >靖国は対外的にまたは対内的に変えるべきか、否か。 靖国神社が慰霊という一点の目標にまい進し続ける限り変わる必要はない。遊就館についても、あのような展示を行い、展示を見た人達が祭られている人達に心を寄せることが慰霊になるのだから。対外的なメッセージも大々的にやっているわけではなく、私達の態度としてはこのようなものですよ、という一宗教法人としてのものであるから、目くじらを立てる必要はまったくない。 ただ、いまの体勢、一宗教法人となっていることにはいささか不満がある。異例という行為はやはり国が行うべきものであると考えるからだ。だが、靖国神社が慰霊という目的を謝らない限り、あのままでもいいとは私は思う。 >また公式参拝はするべきか、否か。 私はするべきだと考える。理由は日本国民に選出され、引っ張っていく立場にある以上、彼らに対し報告を行い、彼らの魂を安堵させる必要があると考えるからである。しかし、政教分離の観点からの問題がまだ結論が出ていない(私個人は政教分離もクソもないとおもうのだが。そもそも政教分離は宗教の政治介入、そしてそれとあわせて政治の宗教への介入を禁止し、分離させたことからくるのではなかったか。それから考えると何で問題になるのかわからない。首相が神社に参拝したところで宗教に介入しているわけでもないし、宗教が政治に介入しているわけでもないからだ。)ため、しばらくは私的参拝が続くことになるだろう。ただ、私的参拝とはいえ続けるべきではある。今の政府は間違いなく彼らの屍の上に建っているのだから。 ・A級戦犯について A級戦犯の分祀は不可能であると靖国神社が言うのだから、不可能なのだろう。政治的な圧力をかけて分祀させようとするなら、それこそ政教分離に反する行為である。そもそも分祀はコピーアンドペーストであって、A級戦犯を祀るだけの社があらたにできるだけで、かえって拡大するだけである。じゃあ第二の施設を・・・・という上の話に戻るわけだが、そもそも「A級戦犯」と声高に叫ぶ人達はいったい誰を指していっているのか。11人すべてがだめだといっているのか、さらに、B級、C級についてはまったく言わないが、こちらの処遇はどうするつもりなのか。また、誰を残し、誰を排斥するのか、といった具体的な話は一向に聞かない。そして、もし具体的な話が出れば、反論を受ける。そこで修正すればまた反論を受ける。万民が納得する答えなぞ、そもそも出しようがないのだ。「批判があるから変える」というのは一見するとすばらしいことのように見えるが、実際には堂々巡りを招くだけの愚策である。そしてこういった精神的なものの場合、答えが出るものではない。 それに日本の神様は欠点だらけだから、あの程度の欠点がついたところでたいしたことはないんじゃないか?という思いもある。A級戦犯は戦勝国が一方的に裁いたものであり、公務に服した戦争の犠牲者、ともいえるし、無念のうちに死んだことにも変わりはない。そもそもなにを以って罪とするか、と突き詰めていけば戦争指導者たちは「負けたこと」が罪になってしまうと私自身は考える。だが、中には戦争を指導したこと・・・戦争期にリーダーとなったこと・・・自体を罪かのように言う人もいる。こういったものをみると、罪だなんだと考えるのは単純化させるように見えるが、むしろ逆で複雑化させるだけだと私は思う。もちろん、歴史を見つめ、失敗や成功を拾い上げ、教訓とするべきだが、その過程でこいつがいいわるい、なんていうのは余計なバイアスであって、この人間のこの行動がこれを招いた、といった程度の評価にするべきであろう。歴史に影響を与える人間は概してなんらかの指導者である場合が多いが、善か悪か、罪かどうかといったものは評価として適当ではなく、その行動の是か非かが評価されるべきものであろう。 まぁ私なんぞは、神無月で出雲大社に集まった明治天皇が東条を叱責しているんじゃないかと思っているが。「私の大切な臣民をあれほど死なせるとはなにごとか」とね(笑)。そう考えるとどこかほほえましい気がするのは私だけだろうか。 さて、以上がとりあえず私の靖国観であり、意見である。まだまだ書き足りないところもあるかもしれないが、とりあえずここまでにして筆をおくことにする。 ここまでお読みくださった皆様、ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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