『生んでくれて、ありがとう』

『生んでくれて、ありがとう』

 
  だいすきなママへ・・・・・・。
  ボクはこのことをどう、つたえたらいいのか、
  ずっとかんがえてきた。
  これからボクは、ママのこころに
  とてもたいせつなことをかたりかけるよ。
  ボクをうんでくれたママに、 
  ボクのこと、もっとしってほしいから・・・・・・。

  ママ、ボクがうまれたとき、
  ボクのカラダのことをしって
  おどろいたでしょう?
  ごめんね。ボクがみんな
  とすこしちがっているんで、
  しんぱいしたんだね。

  でも、ボク、ちいさいけれど、
  ほら、こんなにやわらかくて、あったかい。
  そして、いっしょうけんめいに
  いきようとしている!

  ボクのカラダは、
  けっしてまちがいや、ぐうぜんで
  こうなったんじゃないんだ
  もちろん、なにかのつぐないなんかでもない。
  ボクがほかのことちがうのには
  ふかいわけがあるんだ。
 
  なんだかボク、おかしなことをいってるみたいに
  おもうかもしれないけど、
  このカラダそのものが、ボクのすべてではなく、
  そのおくにいて、カラダをいかし、うごかしているのが、
  ほんとうのボクなんだ!
 
  ボクはしっていた。
  ママのおなかのなかで、このカラダが
  できるまえから・・・・・・。
  ボクが、どんなふうにうまれるかを。
  それだけじゃなく、これからさき、
  ボクがどんなせいかつをし、
  どんなじんせいをおくることになるのかも
  ぜんぶわかっていたんだよ。

  すべてをわかったうえで、
  ボクはママをママにえらんだ。
  なぜって、こんどのじんせいで
  ボクがチャレンジしようとしていることに
  もっともふさわしいカラダのボクをうけいれる
  おおきな、おおきなあいが、ママにはあったからだよ。
  ママもこころのどこかで、そうかんじていなかった?

  そう、これはボクにとって、
  たいせつなチャレンジなんだ!
  このせかいでハンディキャップをもって
  いきることが、どんなものであるかを
  けいけんするための・・・・・・。
  このカラダで、ボクはじぶんが
  どこまでがんばれるのかを
  ためすつもりさ。

  うまくいえないけれど、
  このカラダはボクじしんが
  のぞんだものなんだよ。だからママは、
  もうじぶんをせめたりしないでね。
  むしろボクは、ありがとうって、いいたい!
  こんなふうにうんでくれたママに、
  こころから、ありがとうって・・・・・・。

  ボクにとってたいせつなのは、
  じんせいのそのときそのときを
  いかにいきるかなんだ。
  ふつうのじんせいをおくり、
  あたりまえのせいかつをするには、
  ひといちばいのどりょくがひつようだけど・・・・・・。
  でも、これはボクにとって、
  とてもやりがいのあることなんだ。

  たしかにボクはいろんなこと、
  ほかのこたちとおなじようには
  できないかもしれない。
  でも、よおくみて!ボクはまいにち、すこしずつ、すこしずつ
  せいちょうしているよ! ママはわかるでしょ。
  あたりまえのことでも、ボクがこのカラダで
  はじめてやれたときのよろこびは、
  なにものにもかえがたいものだよね!

  ボクがせいいっぱい、いきることで、
  みんなにつたえられることがいっぱい
  あるとおもうんだ。
  いきること、あいすること、
  いのちのすばらしさ、ふしぎさ・・・・・・。
  それを、ママやパパや、きょうだいたち、
  まわりのひとたちにかんじてもらえたら、
  ボクはとてもうれしい!

  それから、みんなのたすけがひつような
  ボクのようなにんげんが、このせかいには
  たくさんいるんだということを
  おおくのひとにしってもらうことも、
  こんどのボクのじんせいの
  たいせつなもくてきのひとつなんだ。

  でも、じつをいうと、だれもがなにかの
  ハンディキャップをかかえていきている。
  あかんぼうも、わかものも、おとなも、おとしよりも、
  せいかくだって、かおつきだって、たちばだってさまざま。
  かんぜんなひとなんていないんだよ。
  そうなんだ、ひとはみんな、
  なにかしらのハンディキャップがあるからこそ、
  おたがいにきづき、まなべることが
  たくさんあるんだ!
 
  ママ、ボクをみて!
  これがボク、ありのままのボク。
  だけど、ママ、これからさきのことをかんがえて
  おそれないで!あきらめないで!
  なにがあってもだいじょうぶ。
  このよにおこることには、すべていみがあり、
  むいみなことなんか、なにもないんだ。
  おおきな、おおきな、みえないちからをしんじて、
  あんしんして、このことをうけいれればいいんだよ。

  つらいときには、そこからすこし、はなれてごらん。
  そうすると、みえなかったものがみえてくるよ。
  くるしみのなかにも、よろこびややすらぎがあり、
  うつくしさだって、すくいだってあるよ。
  しんぱいしないで。
  すべては、なるようになっていくからね。

  もちろん、ボクだって、これからさき、
  うなったり、ないたり、おこったり、
  はがゆいおもいをしたりもするかもしれない。
  でも、そんなボクを、こころのふかいところで
  じっと、みまもっているもうひとりのボクがいる。

  ママもそうだよ。なやんだり、
  かなしいおもいをしたりしているママを
  ふかいところではげましたり、なぐさめたり、
  やさしくみまもっているそんざいがいる。
  だからママは、けっしてひとりぼっちなんかじゃない。
  じぶんひとりで、くるしみをぜんぶ
  ひきうけなくてもいいんだよ。

  ボクはママをしんじている。
  はじめはたいへんだし、つらいだろうけど、
  そのうち、ママはボクのためにもつよく、
  たくましくなっていき、
  もう、どんなことにも、なきごとをいわなくなる。
  むしろ、ボクのようなこどもをもったことで、
  ほんとうのあいや、いのちのすばらしさをしり、
  おもいやりぶかいひとになるだろうって。

  ボクにとっても、ママにとっても、
  まわりのみんなにとっても、
  このいっけん、ふこうにみえることも
  じつは、そうぞうもつかないほどの、すばらしく、
  かんどうてきなドラマだって、いずれは
  おもうはずなんだ!
  
  ボクのねがいは、
  ママがだれにもひけめをかんじることなく、
  むしろほこりをもって、いきてほしいってこと。
  きそいあったり、くらべたりするせかいとはちがう、
  おだやかで、おもいやりにみちた、やさしいせかい。
  それが、ボクのいきているせかいなんだ。
  ママも、みんなも、すこしずつ、
  そのことがわかってくるはずさ!

  たいせつなのは、ボクもママも
  いま、いきているってこと。
  すぎたことをくよくよかんがえたり
  さきのしんぱいなんか、しなくてもいいんだよ。
  ボクといっしょに、このいちにち、いちにち、
  いっしゅん、いっしゅんを
  ひたむきにいきようよ!

  ママ、ほんとに、ボクをうんでくれて、ありがとう!
  パパ、ボクをうけいれてくれて、ありがとう!
  みんなで、とくべつの、とびきりのじんせいを
  あゆんでいこうね!


      書籍名:『生んでくれて、ありがとう』より
      著者名:葉 祥明
      出版社:サンマ-ク社


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