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     ヒジャイ        日々の詩

     ヒジャイ        日々の詩

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2011/10/03
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カテゴリ:八重山教科書問題
  



 
 子供への教育の目的は、学校を卒業した後に一人前に仕事をやり、会社の一員と生きていけるようにすることだ。中卒、高卒、大卒といずれは子供たちは学校を卒業する。卒業すれば仕事をして給料をもらい、親から離れて自立していかなければならない。親から離れて自立していくためには教育が必要である。
 小学生の時から社会人になる運命は決まっている。そうであれば、子供が一人前の社会人になるのを教育の軸足にするべきである。
テスト成績が世界一で有名なスウェーデンの教育のモットーは、優秀な生徒をつくることではなく、学校を卒業するまでに自立する能力を身に付けることである。
スウェーデンでは高校を卒業すると家を出て親から自立するのが常識となっている。日本からスウェーデンに移住した女性はその事実に驚いたという。

 スウェーデンでは幼稚園から子供の自立を目的にした教育をする。スウェーデンの教育方針は優秀な生徒を生み出すのではなく、落ちこぼれをなくすことである。だから、優秀な生徒はほっといて、落ちこぼれの生徒の学力を引き上げるための教育を徹底してやる。落ちこぼれの生徒は普通の授業を受けながら、早朝や放課後などに専門の教師が個人レッスンをする。
落ちこぼれだけを集めて教える方法では効果はないそうだ。私もそうだと思う。落ちこぼれの生徒は教える時間を長くしたほうが、遅れを早く取り戻す。落ちこぼれの生徒だけを集めた教育はイギリス、フランスなど多くの国で実施したが失敗している。数年前にフランスもスウェーデン方式を導入することにしたらしい。

 スウェーデンの教育は子供が社会に出て自立できるようにする。教育の目的は大人の社会に順応する能力を持ち、社会の仕組みを知ることである。それが教育の基本だ。

 子供を自立した社会人にするという教育の側から見れば、育鵬社の教科書であろうと他の教科書であろうと関係がない。育鵬社を支持している人たちも育鵬社に反対している人たちも、社会人として立派に生きているからだ。育鵬社の教科書を勉強したから社会の落ちこぼれになるということはあり得ないし、育鵬社以外の教科書を勉強したから社会の落ちこぼれになったということもあり得ない。

 又吉嘉例八重山支局長は、教育の軸足は子供と教師に置いたために、沖縄の教師に味方して、「つくる会」系の教科書の採択には反対している。
 又吉嘉例八重山支局長が後押ししている教師は沖縄の教師であり、東京の教師でもなければ九州の教師でもない。沖縄の教師が沖縄地域の特殊性に固執した教科書採択が果たして正しいのだろうか。
教師はずっと沖縄に住み続けるだろうが、多くの子供は本土に出て行く。沖縄の特殊性にこだわりすぎる教師は本当にこれから全国や世界に旅立つ子供にあった教育ができるだろうか。
 育鵬社の教科書は政府の機関である文科省の検定を合格した教科書である。文科省は政府の機関であり、国民に選ばれた議員によってつくられた、いわば国民を代表する教育の最高機関である。

 教員は公務員であり、彼らの収入は税金から賄われている。教員は批判する前に、政府の方向性を理解する努力をするべきだ。そして、国民の代表である政府によって公認された教科書について批判する前に理解する努力をするべきだ。
 教科書の内容を理解した上で批判するのはいい。しかし、捻じ曲げた批判は控えるべきだ。育鵬社に対する批判は政治的な意図で捻じ曲げた批判だ。そんな批判は控えるべきだ、

 教員はペーパーテストである教員試験に合格して教員になったのであり、国民に選ばれたのではない。国会議員や地方議員には「民意」があるが、教員には「民意」はない。「民意」のない教師が教科書を選ぶのはふさわしくない。

 教育が、子供が一人前の社会人になるのを目標しているならば、子供にふさわしい教科書を選ぶのは市民に選ばれた市長であり、市長に任命された教育長や教育委員である。
 
 沖縄の学力は全国最下位である。沖縄の教員は育鵬社問題や集団自決などの政治問題には情熱を燃やすが、学力問題になった途端に静かになり、知らん振りする。そして、学力が低いのは沖縄の家庭は貧困が多いからだという妙な理論が浮上してくる。

 新聞記者は中立であるべきとは言わない。しかし、客観的ではあってほしい。
調査員の順位付けは実質的に教員が教科書を選択することになるからと、文科省は順位付けはやらないようにという通知をだしている。しかし、この事実を沖縄の新聞は一度も報道していない。
石垣市、竹富町、与那国町の人口比が18対1対1であるのも報道していない。
実際の育鵬社を読んだ中立の立場の市民の声もない。投稿欄の実際に読んだ人の意見は、育鵬社の教科書が、愛国心とか天皇崇拝、軍国主義につながるとは思えないという感想が多い。

 又吉嘉例八重山支局長は、玉津教育長が自民党の国会議員の後押しを受けたことを政治の介入と決め付けている。民主主義国家では国会議員は選挙で選ばれたのであり、市民の代表者だ。法律に詳しい国会議員が玉津教育長にアドバイスするのはいいことであり、国会議員のアドバイスを受けたのになんの問題もない。むしろ、国会議員のアドバイスを受けたから玉津教育長は法を守ることができた。他方、国会議員のアドバイスを受けなかった竹富町や県教育庁は法を破ったのだ。

 又吉嘉例八重山支局長が新聞記者として客観性を優先させていたら、文科省の発言の正当性を認め、育鵬社の教科書には反対だが、竹富町や県教育庁のやり方は間違っていると指摘できただろう。しかし、感情的になっている又吉嘉例八重山支局長は、「竹富町の5教育委員だけが、その場に教科書を持参していた」と息鵬社の教科書に反対している竹富町の教育委員を持ち上げるのに懸命になっている。

 竹富町の教育委員だけは9月8日の協議会に教科書を持参してきたということだ。しかし、調査員が1位に順位付けした教科書を採択している竹富町の教育委員は教科書を読む必要がない。読む必要のない教科書を協議会に持ってきてなんになる。まじめに教科書選択に取り組んでいるというポーズをしたいのだろうが、調査員に従属して主体性のない竹富町の教育委員が教科書を持ってきたのは滑稽だ。
 
 それを大まじめに「子供にふさわしい教科書を選ぶ立場として、どちらが責任ある態度なのかは明らかだ」と書いている又吉嘉例八重山支局長には笑うしかない。又吉嘉例八重山支局長さん、竹富町の教科書を選択するのは教育委員ではなくて調査員だ。教育委員が教科書を持っていてもそれは飾りにしかならない。
 竹富町の教育委員は教科書を読む必要はない。だから今まで教科書を読んだことはなかったと思う。たまたま、今年は育鵬社と東京書籍に採択が分かれたから協議会で教科書の読み合わせをするかも知れないと考えて持ってきたのではないのか。でも、9月8日は教科書の読み合わせをする場所ではなかった。教科書は持ってくる必要はなかった。
竹富町の教育長や教育委員は協議会のことを理解していないのではないか。

 とくめいさんによる以下の書き込みがあった。学習塾をやっていた経験からとくめいさんの考えに答える。

正しくは、「竹富町」です。 たかが中学生の教科書とは思えません。 素直な子どもたちは、教科書を読み、そこに書いてあることを信じ、それが何年も何年も続けば、間違ったことでも洗脳されると思います。

 生徒が関心あるのは中間テストや期末テストだ。残念であるが教科書の内容に興味を持つ生徒はすくない。テスト前に勉強するときはテストに出そうな箇所を覚える勉強や問題集を解く勉強をする。テスト用に勉強すると文章を暗記するだけで内容は頭にはいらない。特に、公民の内容は中学三年生にとって内容が高度であり内容を噛み砕いて理解するにはかなりの時間を割かなければならないが、公民を噛み砕いて説明する時間はない。

 戦前の軍国主義国家のように小学一年生から徹底的に教えれば洗脳することはできるが、今の教育体制では洗脳するのは不可能だ。特に中学三年生になると進学問題がある。高校入試の勉強をしなければならない。入試の勉強は数学、英語、国語、理科の順に優先される。社会科のランクは低く単純暗記の勉強をする。

 現代社会は情報過多だ。生徒の思想は学校だけでなく一般社会も大きく影響を与える。むしろ学校以外の一般社会の影響のほうが大きい。教科書で生徒を洗脳するのは不可能だ。
それに人間の思想は中学より高校、大学時代の方が大きく影響すると思う。
 育鵬社に反発する思想は、多くの教師は教師になってからつくられた思想であり、戦後の祖国復帰運動を担ってきた沖教祖の強い政治方針が影響を与えているだろう。





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Last updated  2011/10/03 11:49:17 AM
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