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つい先週、はてなで新しい遊びを思いついて、思いっきり遊んでいる。 もうすでにはてなの史上最高回答数を超えたようで、反響も大きく楽しんでもらっているようでうれしい。 これである。 【ネタ】おれ、2010年から来た未来人だけど、何か質問ある? 現在は、どうもブラウザの仕様上の限界を超えてしまったようで、はてなに対応を聞いているところ。 うーん、困ったものである。 実はこれ、2chのVIP板ではやっている、 「おれ、○○だけど、何か質問ある?」 というやつをポイントシステムを使ってやってみるとどうなるかを試してみたくてやってみたのだが、はてなという良質のユーザが集まるサイトで、これでも一応Webマスターをやっていた元プロのファシリエイターが組み合わさっただけあり、なかなか楽しいものになっている。 しかし、あるサイトでのコメントで、 「でも、2chのほうが展開力があるんだよな」 と書いてあるのを見つけ、わたしは考え込んでしまった。好意的なコメントの中だったので本音であろうが、わたしの知識を動員してみても、物語解析でいうところの、「単極的物語」に該当することが自明だからだ。 そうなのだ。物語解析を持ち出すまでもなく、多極でない物語は展開力に欠ける。連続ドラマなどで、登場人物のあちらこちらで騒動が起こるのを見れば明白なように、展開力というのは多極であることによって、発生することが多い。 わたしは2chのスレッドを思い出してみる。 あちこちで騒動が起こり、そしてどこかへ向かっていく。 技術的には単なる掲示板であり、書き手も誰だかわからない。 それでも毎日のように新しい遊びが生み出され、流行って、廃れていく。 いまだに、2chほど発想豊かなコミュニティはない。なぜだろう、それがとても不思議なのだ。 2chとは、ファシリエイタの存在しない、無秩序の掲示板だ。ファシリエイタというのは議論の司会役のようなもので、通説では存在しないとブレンストーミングみたいに、方向性のないものになってしまうといわれる。 わたしはファシリエイタ大好きのマーケティング会社で、ずいぶん長く働いていたので、このファシリエイト論は無限に話した。 人力検索はてなは、実はファシリエイトの格好の実験場といえるサービスで、まず質問し(これが議題)、ぽつぽつとくる第一波の回答にていねいに返答をし、その返答の文章で、議論の方向をコントロールしていく。 はじめはうたがい半分であったユーザの議論は、ある地点に来ると臨界し、爆発し始める。こつこつとたねをまき、チャンスと思ったときには大胆に反応し、徐々に回答のエネルギーを高めていく。 ある地点にくると勢いが落ちはじめ、そこから徐々に終局に向かって、落ち着かせていくことになる。 このエネルギー量をどこまで高められるかが腕の見せ所で、何十人という人々のエネルギーがある方向性に向かって集約されはじめると、想像もしていなかった面白い場ができ、そしてログが残る。 もくもくとブログを書くのとはまた異質の体験だ。 わたしはこれが面白くてなにか面白いことを思いつくとはてなを使うのだが、これはわたしがファシリエイトすることによって、その意思が、しっかりとログにのこり方向性と品質が保証される。 ファシリエイトなしの2chであれほどまでの創造性が発揮されるのをみると、なぜだろう、どうして可能なのだろうと疑問に思ってしまうのだ。 多極のファシリエイトは実は技術的には難しくない。 一言で言えば、一部の人にファシリエイトを負かしてしまうのだが、この際のコントロールは多少複雑になる。 わたしを頂点に複数の補佐的なファシリエイターを置いて、専門分野を決める。大方の細分化された領域でかまわない議論は、各担当者に任せ、その担当者が処理できない議論をまわしてもらうのだ。たいていは一番の本質に近いところの議論であり、これをわたしが答える。このとき、多少力強く答える。 この方式の肝は、各担当者が答えられない本質があることで、できるだけ核心部分をわからないようにしておくのがいいのだ。 そう、これは情報格差を使っているのだ。 その格差の構造をうまい設計に組み上げることにより、行っていくのである。 未来は誰にもわからない。 なので、うまくファシリエイトすることが、容易なのである。 実はこの仕組みは会社組織と相似している。 トップがもっとも情報力を持っており、下に下がるにつれて徐々に情報力が小さくなっていく。社の思想も、総合的な情報も全部がトップに集まり、これをどのようにどのタイミングで下にリークしていくかによって、下を誘導していく。 これは別に自由に動かしたいからそれを行っているのではなく、単純に組織をひとつの方向に導いていかなければならないからなのだ。 成果物の保障をするのはトップである。 ただでさえ個性的な、さまざまな意見のある組織の活動を一方向に向けるには、こういった手段を用いざる終えない。これは使えばえらくなるというような話ではなく、単に使わざるおえないだけなのだ。 普通にしていればばらばらになってしまう個々を誘導し、ひとつのエネルギーとして爆発させるにはこの手段が極めて有効だ。小泉首相をあげるまでもなく、トップはその考えを周囲に安易に話すことはできない。 わかるだろう。 情報格差を作ることが、組織をまとめる有効な手段だからだ。 しかしてと、最近の会社を見ると、Googleをはじめとするフラット化された会社をよくみる。 すべての情報が全員に平等に分配され、あちこちで議論が起こり、だれもが会社の主役である。これまでの理屈から言えば、まったく収拾のつかない、なにも生み出せない会社ということになるが、Googleはどうだろう。なんといっても、ばらばらにあちこちで百花繚乱の議論がされているのだから、方向性がまったく生まれないし、ベクトルが全方向に向いていては、すべて足し合わせてみると、0になることになる。 Googleはこの問題をどうしているのだろう。 古い考えのわたしはそう感じてしまうのだ。 さてようやっと結論に近づいてきたのだが、このフラット化された組織は、2chに相似していないだろうか。 2chは管理人さえも内容には干渉せず、完全にすべてのユーザが平等なコミュニティである。情報格差は一切なく、誘導も行われない。しかし、このコミュニティが生み出す創造性は、おそらくYahoo掲示板などと比しても飛躍的に高いはずなのである。 ブログのように仕組みも規定されていない。 本当に無秩序な掲示板群。 技術的には10年は進歩していない、このコミュニティはいまだに他に破られない力を持っているのだ。 これはなんだろうか。 自治力か。 グーグルにあるのも、この自治力か。 快適な場所を作れば、その住民の自治力が生まれ、混沌は創造性に、連帯が方向性につながるのだろうか。 まあ、よい。 2chは不滅だろう。 のんびり考えればいい。 最近ニューロマンサを再読していて、チバの光景を読んで2chを真っ先に連想した。 2chは日本にしかない不思議である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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