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hikaliの部屋

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July 6, 2006
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グーグルの組織はどうなっているのかを暴いてみた。(上)

 続きである。

 さて、グーグルの組織論に入る前に、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの素質について話してもいいのではないかと思う。(上)で、開発の第一線から、経営の第一線に移ったと書いたのだが、開発の素質は超一流として、経営の素質はどうなのだろう。

 グーグルという大会社が成長していくという現在の課程において、この部分は、多くの人が見落としている部分であると思う。非常に優秀な記者であり、おそらく本能的に書いているであろうバッテルの「ザ・サーチ」には、この部分を的確に捉えている箇所がある(そして、それを発見すると戦慄さえ覚える)。引用してみよう。

 P100
 「「ぼくたちはいっぱい話した。そしてなにかがあった。なにかを感じたんだね。ぼくたちはなんでもからかったり、笑い飛ばす癖があるんだ」
 その日は人気スポットの丘の街をたどりながら、都市開発の進め方など、さまざまな問題をめぐって意見を戦わせた。親友になれるかどうかはまだ分からなかったが、どこかで引かれあっていた。互いに剣の火花を散らしながら、刃を磨いていたのだろう。」

 あまり長く書こうとは思わないのだが、優れた頭脳が都市開発の議論をすると、おそらくもの凄い膨大で多角的な議論になると、わたしは思う。東京に当てはめてみると、
「環状道路の問題」「東京湾開発の問題」「中央線の慢性的なダイヤ麻痺」「成田と羽田をめぐる問題」「東京の生活物価に関して」
 と、2chを賑わしている様々な問題を挙げることができ、おそらくこれまでの議論をテキストデータにすれば数テラに及ぶのでは、と思えるほど無限の問題である。
 とても簡単に書いてあるので、ほとんど想像がつかないのだが、こう言った議論で意見を戦わせる事ぐらい広範囲の興味とマクロ的な視点を要求される事はない。
 都市開発で議論を楽しむ二人が、会社組織の議論を楽しまないだろうか。
 たぶん、今も楽しんでいるのだと思う。
 だから、経営の一線に移ることを、何の苦もなく受け入れたのではないか。
 (なんか、塩野七海っぽくなってきた・・・。ええ、ファンですが)

 このあたりの本質を基礎に置くと、だいぶグーグルの姿が見えてくるのではないだろうか。では、引用を始めてみる。とりあえず、二人が経営にあまり興味がなかった時代から。

 ■グーグルの基本的採用方針

 P193
 「グーグル独特の人材採用方針は、この初期の拡張期に次第に定着していく。
 どういう人物を雇えばいいか、ペイジたちは非常に神経質になっていた。シリコンバレーでの会社設立が直面する問題をいろいろ目のあたりにしており、また兄弟が味わった辛苦を知っているだけに、ペイジとブリンは兄弟や友人の失敗を繰り返さない決意だった。
 なかでも雇用をめぐるスパイラル現象だけは、絶対に避けたかった。
 雇用のスパイラル現象とはなにか。まず経営者がAクラスと判断した人材を雇ったとする。彼は仕事を完璧にこなし、頭は切れ生産的で、会社の雰囲気に溶けこめる。そこで経営者は彼に、適任と判断する者を雇うように依頼する。こうして採用された者が、さらに適任と思う者を採用する。
 しかし、これが続くと、雇用のスパイラル現象という大きな問題が発生する。まずAは自分に刃向かったり脅威にならないような人物Bを選ぶだろう。Bも同じパターンでCを採用する。こうして会社はいつしか、CクラスかDクラスの人物ばかりになってしまう。その結果、会社は独自の社風を失い内部抗争で分裂し、硬直した上下関係が会社を支配するようになってしまう」(2000年)

 なるほど、よく見る光景である。
(しかし、なんて率直な意見なんだろうか・・・)
 ではグーグルはどうしたのだろう。この文章に続くのはこういう文章になる。

 P194
「グーグルにこうした事態が起きないように、ペイジとブリンは社内に人事委員会を設けて、すべての採用をチェックすることにした。ひとりの判断で雇うことはせず、複数の意見を反映させるようにしたのである。最初の頃は全員で就職希望者にインタビューし、少人数のスタッフで意見を交わせた上で採否を決めていた。
「わたしは求職者をひとりひとり、残らず面接しました」とシュリラムは話していた。
 会社関係者の話によると、この新規採用はまるで閉鎖的な学生クラブでの勧誘のようだった。たまたまそうなったのではなく、グーグルの役員たちは社風をエリート大学院の雰囲気にしようとしていたためもあった。
 新会社が成長していくにつれて、人事委員会のコンセプトは社内の隅々まで広がっていき、事業のさまざまな部門にも委員会的な組織が設けられた」(2000年)

 これは「政党」だ。
 規模数十人程度で下部組織にスタンフォード大を持っていた時代は、これでいいだろう。しかし、この方式で数百人規模になったとき、おそらくこの採用方式は破綻した。
 この後、グーグルは政党から議会になり、そして都市となった。

 まあ、あまり先走っても仕方ない。
 その後のグーグルの様子を、ザ・サーチから追ってみることにしよう。

 P204 (シュミットがCEOになった後)
 「次々に新顔が増えていき、本社を移転しても、創業者のビジョンや価値観、哲学、つまりグーグル本来のDNAをどのようにして守り通すか。これが三人の課題だった。ブリンとペイジは人事担当のステイシー・サリバンに指示して、創業時の社員グループとともに、グーグルの中核となる価値を考える任務を与えた。
 そのテーマは、グーグルを業界で抜きん出た存在にする価値とはなにか、グーグルで働く者は互いにどのように遇すべきか、ビジネスとして職場として、グーグルの基本原則はどうあるべきか、などだった。(中略)
 シリコンバレーの企業は、従業員が前の職場の社風を持ち込んで、さまざまな文化や価値観の寄せ集めになりやすい。たとえば、ネットスケープ出身の一派が羽振りをきかせたり、アップル組がアップルの論理を強硬に通そうとして混乱する。このため成長する企業は新しい独自の文化、社風を創りあげる前に、派閥が勢力を伸ばして会社の中心となる価値観を形づくってしまい、企業本来のアイデンティティを喪失する。(中略)
 それではグーグルはどのような結論に達しただろうか」(2001年)

 (す、すごい文章である・・・。続きを読もう)

 P205
 「参加したエンジニアたちは唖然として聴いていた。パテルがエンジニアの立場を集約した。
「エンジニアは非協力的で個人主義的な者が多くいます。このような細かい規則を好みません。そしてエンジニアは効率、能率を優先します。独創的である必要はなく、すべてをひとことで簡潔に表現することです」
 グーグルの歴史でもっとも大切なことを三語で表せないだろうか」(2001年)

 このP205のこの発言を覚えていてもらうために、一切の言葉を避けよう。
 この後の結論はグリコのおまけについてくるプラスティックのおもちゃみたいなものだ。

 ■数百人規模で苦労するグーグル
  ~検索エンジンからLabsへ

 P208
「エンジニアの数はたちまち100人を超えたが、彼らの時間管理をどうすればいいか明確な方針もなく、このような急成長に対応するために首脳陣は、結局はヒエラルキーに基づく伝統的な管理方法に頼ることになり、エンジニアを10あまりのチームに分け、各チームの主任がブリンとペイジに報告する体制を組んだ。
 しかしこの方法は頭でっかちで官僚的に硬直化し、技術改革のスピードは落ちていった。
 2001年9月、ブリンとペイジはエンジニア部門の主任全員を集めて、現職から解くと通告した。大半はグーグル内のほかの部署に職を得たが、創業者たちは、当面は解雇しないものの今後はグーグル流に人事管理を行うと言明した。
 貴重なエンジニアの人材を10人あまりもがんじがらめにするような、非現実的なトップダウン式の代わりに、ブリンとペイジはダイナミックな機構を作り、そこでは少人数のエンジニアでチームを結成して、一度に多くのプロジェクトに取り組むことにした」(2001年)

 ここで、年表に戻った人は、たいへんな勉強家である(笑)
 この辺りから、ペイジとブリンは、開発を離れて、経営を始める。

 ここからある意味、グーグル社が始まる。

「ブリンとペイジ、それにシニアマネージャーが定期的にプロジェクトの進行状況を点検して、優れたプロジェクトには開発費と人材をつぎ込むことになり、ただちに上位100のプロジェクトリストが作成された」(2001年? 2002年?)

 非常な重要なところなので、年表に戻るが、このとき推定従業員数は500人を越えないはずである。エンジニアはもっと少ない。

 P209
「自分の手がけるプロジェクトがこのリストに選ばれるよう、エンジニアたちは競い合った。グーグルラボを開設したときには、上位100のうち興味深いプロジェクトが、社内で一般に公開された。
 この百花繚乱方式のマネジメントは全般的に好意的に受けとめられたが、批判的な従業員もなかにはいた。
 「非常に政略的な場所になってしまいました」と退職したエンジニアは言っていた。率直に話してくれた人はみな匿名を希望する。「ラリーとサーゲイの許可がおりなければ、わたしたちはなにをする権限もありませんでした」(中略)
 しかしともかくペイジとブリンの独特のマネジメントは一部から批判を受けながらも、大部分は才能を開花させ、会社は確実に新生面を拓いていった」(2002年)

 さて、ずいぶん長くなってきたので、次の引用を今日の終わりとしよう。

 P216
 「2002年中頃までグーグルは連戦連勝だった。(中略)
 グーグルの社員もまた「さわやかで気分がすっきり」していた。多額の利益配分が誇らしかった。(中略)事実、人材登用の大切な武器になっていた。
 ギーグ(プログラミングマニア)には反社会的な性格の人が強く、このため企業としては彼らを社交的に育てる必要があった。グーグルでは機会をみてパーティを開き、仕事の合間には遊ぶように従業員に勧め、社内にはバレーボールやフットボールのコート、ピンポン台、スクーターのコースなどが備えてあった。
 グーグルの社員は行く先々でこうした特典を自慢した。(中略)
 グーグルは勝手気ままなギーグ文化をでっち上げたのではなく、それを主義として取り入れただけだったが、これができたのは、2002年後半ではグーグルだけだった。それだけにグーグル社員の会社自慢は、人によって会社に絶対的な信を置く、勝利主義ととらえられた。」

 と。
 とりあえず、ここまでがバラ色のグーグルであり、わたしたち一般人が、グーグルに対してあこがれを抱くとき、よく引用したくなる部分であろう。ざっと見て、といいたいが、楽天文字数制限に引っかかるので、また今度。

 長くなったので、短く聞いて、答えは明日の楽しみにしよう。

「で、ひとことでいうと、グーグルって?」
(今、気づいたがグーグル流である)

 三語がルールらしいので、日本語だと、接続詞も含めて二単語である。
 考えてみるとおもしろい。
 答えが出せたら、けっこう凄いと思う。

 
 ■参考文献
ザ・サーチ Google誕生





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Last updated  July 7, 2006 01:29:43 AM
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まなかなまなかな@ Re: 三井アウトレットパーク入間へ行ってきた。(01/18) 蘊蓄野郎だな!うざい。
松本智津夫@ 松本智津夫さん 検索ランキング 1位 イシク湖  猛毒…

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