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著作権の問題で、どうしても消えないおかしな理屈が、沈んでは浮き、沈んでは浮くので、何がいけないかを書いてみたい。 ちょっと暴論になることまず謝りたい。 ただ、皮膚感覚的には非常に似ているので、ここで並べることを許して欲しいのだ。 多分、この感覚が分かれば、オープンソースVSマイクロソフトで何が対立しているかが分かると思う。 また、多くの知識人が超えられない壁というのもここにあると思う。 YouTubeが生存を許されているのはなぜかという理由の解明にもなると思う。 著作権をはじめとする知財問題でこれほどまでにごちゃごちゃになっているのは、多分この問題に集約する気がする。 著作権者がNOと言えば、NOであることを、NOと言ってはならないのだ。 また、先走って、結論を言えば、著作権者がNOと言えば、著作権者に不便さがやってくるように誘導するのが解である。不便さを許容するか、YESというか。YESを強要するのは強奪以外の何も出もない。 これがどうしても、ほとんどの人に理解できないらしい。 先日、我が家にもおれおれ詐欺がやってきて、いやな時代になったね、という話になった。 どうも、大学の名簿が流出しているらしく、わたしの名前を使ってやってきたというから、うっかりだまされ掛けたという。話を聞くと、どうも同じような手口でやってきた電話が近所にあり、どうも大学だろう、という話しになった。 もちろん、ふつうは騙されるほど馬鹿ではない。 だけれども、そんな電話を掛ける方だって、ふつうの人間が騙されるわけはないと思っている。だから、1日に100件も、10日に1000件も詐欺電話を掛け、誰かが引っかかってくれればペイ、という寸法である。 もちろん、引っかからなければ害はない。 そうだろうか? このわたしの心に染み付いた、この不愉快さはどうしたらよいのだろう? 実家にいちいち電話を掛けるにも、合言葉を三回、それから毎週変わるパスワードを述べてから会話なんて、背筋がぞっとしないだろうか。 わたしの生年月日なんかじゃだめだ。 なんたってあらゆる個人情報は、ゆびとまの件を見れば明らかのように、非合法組織間を流通しているのだから。 この事件が不愉快なのは、電話番号の差し止めが出来ないからだ。 もし、一件でもあやしいと思われ通報されれば電話番号が差し止められるのであれば、おれおれ犯罪団は、闇で仕入れた電話番号に払った金額をペイできない。 そうすれば、1000件もの詐欺電話は掛けることが出来ず、自然消滅すると思われるのである。 わたしは、以前、電子書籍の会社にいて、その社長の言葉が耳にこびりついて離れない。 「作家にとって、コンテンツというのは自分の子供のようなものだ。だからその懐に手を入れてうちで儲けさせてあげますよ、なんていうのは、言語道断。そんな大切なものを預かるのだから、銀行などよりも信頼できるパートナーになりなさい」 わたしは様々に、コンテンツ業界を歩いたけれど、その著作者たちが感じている不安感というのは、好き勝手にされるのではないか、という恐れであった。 例えばアニメ業界において、わたしがアニメの販促ページを作ったとする。 そのときに、クリエイターが心配するのは、不当に自分たちの作ったコンテンツがチープに宣伝されるのでは、ということだ。 だから使用する画像等は先方業者のチェック済みのものだったし、加工さえNGのところが多くあった。しかし、販促する側では、お客様にアピールするよう多少の押しが必要になるし、いただいた素材では、十分にアピールできるものが出来そうにないこともしばしばあった。 それでもわたしは、とにかく売ることを優先したので、ばしばしとルールぎりぎりのところで攻めまくる事が多かった。 そうしないと、売れないのだ。 そして、著作者チェックとなるのだ。 これが悩ましい。 一概にアニメの権利者といっても、たいていは数社あるので、それを順番にOKを貰っていかなければならない。しかも、その権利者の中には、自社でWeb展開したいので、わたしのところがおおっぴらに注目を集めて話題になるのを避けたいと思うところがあったりする。 そんなこうごちゃごちゃした権利関係の中で、大胆にどかんとプロモーションをすると、こちらとしては良かれと思ってしても、ぼこぼこに叩かれたりすることもしばしばある。 これはどういう構図かというと、 数社で合同でプロモーション → 一部サイトが突出 → 難癖つけて止める という感じだ。 参加する数社とも、それぞれにビジョンを持っているので、勝手なことをしては困るということなのだ。 この場合、だれかがNOと言えばNOとなる。 だから、だれかが叫んだNOが、効力を発しないことはない。 しかしもし、このとき、 「いや、うちはうちの権利を買っているのだから、その範囲内で何をやっても自由だろう」 とそれを押し切ったとしたら、全員が全員で好き勝手なことをし始めたら、みんなのNOが消え去ってしまうことが想像できる。 そうなれば、原作者の希望はないがしろにされ、アニメ制作会社の希望はないがしろにされ、音楽製作者の希望はないがしろにされ、協力していたスタッフたちの希望がないがしろにされる。 誰かにプロモーションの判断を一任し、その人に全権を委ねるのであれば、交通整理が出来そうだが、数社の合議体でこれをうまくまとめきるのは難しそうではないか。 これは特許などでも頻発する問題で、共有に係る権利の問題、として試験に良く出る。 知財法における手続きにおいて、共有に係る場合の原則は、誰が一人がNOと言えばNOである。 知財において、NOと言う権利行使は、最も強い権利行使であり、最低限守られるべき権利なのだ。 ■NOと言える権利は(=差止請求権なのですが)、違法な電話を止める権利と同じ もし、違法な自分の知財の流通を発見したとき、差し止める事が出来ないということほど、怖いことはない。 合法であっても、例えば契約をしたエージェンシーが、契約したんだから好き勝手にしてもいいだろ? というのは、著作者にとっては至極怖いことである。だから、やめて、といったときに、即座にやめる、ということが知財系においては最も大切なのだ。 YouTubeがあれほどまでに違法状態にありながら生存が許されているのは、差し止める機能を充実しようとしている部分にある。 著作者にしてみれば、たとえ全世界に、自作の作品が違法に流通していても、 「やめて!」 といえば、全世界の全作品の流通がストップするのであれば、多分、これほどまでにネットに対して恐怖感を感じることはない。 もしくは、ここまではよい、という約束の範囲内で自由に流通するなら良い。 いつまたおれおれ詐欺の電話がかかってくるか分からない気持ちの悪い社会で生活をする事が耐えられないのであって、本当は静かにしていて欲しいのである。 きみんち、おれおれ詐欺の電話かかってきたって、別に騙されてないからいいじゃん? は通用しない。 YouTubeが生かされようとしているのは、いずれ、やめてといえば全部やめてくれる機能を実装してくれるであろうという期待感であり、YouTubeは、YESという事のメリットを大量に提示して、YESといわないと不便だよ? と働きかけているのである。 メリットを提示できなければ、そりゃダメでしょ。 知的財産権は、無体物であって姿かたちのないものである。 わたしが、いまここで、画期的な発明をしたとする。 もちろん、特許は取った。 例えばそれが、画期的な傘のアイデアだったとして、長年の研究の成果だったりする。 わたしの手元には設計図があって、売れることが間違いないとする。 この際、それを「盗んだ」、大手自動車会社(注:かなりありえない例として例示している)が3000億円の投資をして傘の大量生産工場を作ったとして、傘で大もうけする。この際、わたしから盗まれた財産は何だろう? 知財はもともと形のないものであるから、非常に盗まれやすく、しかも、盗まれたことを証明することは非常に難しい。 例えば、画期的な圧縮方法があったとして、それがマイクロソフトのソフトウェアに盗まれて実装されていることを証明することは非常に困難だ。 そういった極めて無法地帯になりやすい状況から、創作者を守るために知財法はあり、差止請求権という極めて強力な権利を権利者に付与するのである。 お金のためじゃないんですよ。 お金のためでもあるんだけどね。 マーケティングの話じゃないんですよ。 金融の話でもない。 知財の話なんです。 創作者が不愉快にならないためにはどうしたらよいか、なんです。 公正なルールでみんなが公正にやるならば、それでやりましょうって話なんです。 創作者を脅かすようなことを言うと、おれおれ詐欺が蔓延しているのだと思って、余計硬化するんです。 権利者は大切に。 http://peer2peer.blog79.fc2.com/blog-entry-275.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 26, 2007 09:25:48 PM
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