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注:この小説は、震災ストレス解消法として、寄付をオススメする内容です。
寄付は義務ではないですが、ストレス解消法として大変効果がありますと書いています。 NHKラジオを聞いていたら、震災被災者を西日本の温泉旅館に避難してもらって、国費でその費用を出すなんて話があって、温かいお風呂に入ると、身も心も温まるなんて話をしてた。 いいんじゃん。 バスなんてじゃんじゃん送っちゃってさ、とりあえずほっとしてもらえれば、どんなにかいいかさ、病院だってあるし、食べものもあるし、国費で神戸牛を食べてもらってもいいし、西日本の腕の立つ料理人は、ボランティアでもおいしいものを食べてもらおうと腕を振るうだろうしさ。 電車に揺られて、何か計画停電であわてふためいて買った携帯ラジオを聞くのがなにか最近マイブーム。 単四電池で毎日聞いても4日は持つし。 イヤホンから流れてくるニュースを聞きながら、これは夢じゃないんだって思う。それでも流れてくる話を聞きながら、ああ、日本の形が変わってしまったのだと、そう思う。 (地図が変わっちゃったんだよね) もういっかい、書き直しじゃん、地図、大変だね。 それでもコカコーラZEROを飲むとしゅわっと口の中ではじけるだけで、元気になる。このおいしさを味わえばみんな元気になるのに、なーんて思ってしまう。 休日の私鉄電車はがらがらで、みんなそれほど暗くない顔で乗っている。 明るい日差しに照らされる人たちの顔をみていると、ここは平穏で、あの震災のこわい混乱から隔絶された世界のように見えてくる。 車窓の外に見える明るい街並みを見ていると、なにかほっとする。 あたしにとっては、初めて身近に感じた震災。 テレビで見て、ラジオではずっと聞いている、そんな震災。 沢山のひとたちが苦しんで、あたしたちは今のところ安全な所にいる、そんな震災。 ときどきある計画停電にもだいぶ馴れて、それでも停電のたびに、むっと怒るのだけど、それでも被災地のことを思うと、まあ、しゃーないかって、そう思う。 電車を降りると、言葉の少ない人たち。 そこをすたすた歩いて、改札へ向かう。 あたし、言っちゃったんだよ。 お前たちのクズみたいな言葉よりも、500円玉の方が価値があるって。おまえらがくだらないことをぎゃーぎゃー言い合っているよりも、100円募金する方が価値があるって。だからこれは自己責任。この前、もらったグーグルの広告費を崩しに行く。こんなのあぶく銭みたいなものだし。 携帯を開くと、ネットの怒号がすぐにやってくる。 なんだろ、この人たち、白痴みたい。 ストレスを処理できなくてわめき散らしているだけなんだって、あたしでも分かる。 (そうでなければ、悪意を持って混乱させようとしているのだけど) かわいそうな人たち、ばいばい。 あたしにはそんなのにかまっている暇はない。 昨日のテレビでは、無残な被災地の様子が映し出された。途方にくれたようなリポーターの正直な感想が、ああ、あそこに立ったらこう思うのだろうなって、それぐらいは感じた。 被災地では、避難所で暖房もなく、食料もないのだという。 黒い波に呑み込まれる街と、逃げ戸惑って波に飲まれる自動車。 淡々と正常を維持しようとする、妻を失った老人。 もうそんなのが、現実なんてイヤじゃん。そんなの受け入れられないじゃん。 でも、それが現実なんだって、分かるしかないじゃん。 それが出来ないひとたちが、騒いでいるだけなんだよねって、分かる。 「お前たちのクズみたいな言葉よりも、500円玉の方が価値がある」 そう呟いて、グーグルマップの印刷を見る。 銀行がすぐそこにあるはずだ。エスカレーターに乗って、エレベーターに乗って、土曜日に開いている銀行窓口に行く。あたしみたいなお客をブルーのシートと、大画面のロイターの為替情報が迎えて、親切なお姉さんが、応えてくれる。 「あの、募金したいんですけど。今あるドルを全部円にして」 「ではまずサインと、ここと、こことですね、ご記入をお願いします」 さらさらっと書いていく。 困って聞くと、お姉さんが丁寧に答えてくれる。 「お振込口座はどこですか?」 しまった、分からない。 でも、そう、確かそうだ。 「テレビ朝日でやってたんです。振り込めって」 「ああ、ではお調べします」 しばらくして、お姉さんがあたしよりもきれいな字で書き込んでくれて、それで全部終わったらしい。 「大変もうしわけありませんが、週明けの処理になります」 うん、それでいい。 丁寧な複写用紙を受け取って、その銀行を出て、エレベータに乗って、電車に乗ったけれども、なにか実感が湧かなかった。 (あのお金でなにが買えるだろう?) そう想像した途端、沢山のひとたちが、おいしいあったかいコーヒーを飲んでいる光景が浮かんできて、コーヒー、おいしいって言葉がきこえて来て、なにか背筋が震えた。あたしが払ったたいしたことのないお金が、少なくともあたしみたいなどうでもいい人よりも役に立つんだって想像できて、吊革を握っているのが困難になった。 (あたし、役に立ったじゃん) そう思った途端に、なにかこれまでの震災ストレスがなくなってしまったような気がして、その代わりにコーヒーおいしいと言っている人たちの顔が浮かぶようになった。 気付いたら、なにもかもが消えていて、暖かかった。 駅を降りて、あたしすっからかんになっちゃったなと思った。 まあ、もともとすっからかんなんだけど、なんでかあった貯金まではたいたのかと、思った。でも、まあ、死ぬわけじゃないし。 改札を出て、自動販売機に150円を入れてコカコーラZEROを買おうとして、手が止まる。 (このしゅわしゅわ、被災地の人に味わってもらいたいかも) そう思って、今日の150円は募金に回そうって思うと、心が軽くなる。 ひとり100円、一億人なら毎日100億円じゃん。 一年続ければ3兆6500億円。 こんなストレス抱えているぐらいならば、一日百円寄付する方が楽なのにね! あたしは、駅を出て、自宅へと帰っていく。 「ばかばかばか、みーんな、ばか、おおばか。なんにも分かってない。こんちんちきの、くたびれもうけだ!」 そう大声で叫んで、あたしはご機嫌で商店街を歩く。 節電しているお店の間を歩くうちに、ふふっと笑みが漏れる。 「でも、ないか」 世界が輝いて見えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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