水泳は続いてます
「イカ泳ぎ」も25m平気で泳いでますが
まだまだ 改良の余地あり
逆クロールも少しやってます
そうして 朝のジョギングも20分ほどやっているし
体自体は だんだん 引き締まって来たように思います
ところが 仕事をしていると
「目」が 老眼とでもなく、目が疲れたときになる
「ロンパリ」 が酷くなってきました
視力というより
目の周りの筋肉が 力無くなってきているのだと思います
だから 次ぎは「目」の体力回復だ!
長年 乱視の歪曲したレンズに慣れて
メガネを外すと 特に左目で見ると 初めて乱視メガネはめた時のように
世間が歪曲し 頭クラクラします
メガネを常時はめ始めて 30数年
メガネに頼った目の筋肉は 老化もあって 「筋肉なし状態」
鍛えなおさねば
以前 勉強したことがあるので わかります(アメリカの本)
マバタキを繰り返す フラッシング という方法などあります
あと 物を 人の目をちゃんと見れる心を取り戻さなければいけません
いい加減に見ている ことも影響してます
そんなことでは 「 だ 目 」 ですね
水泳を始めてから5週目に入り 体力的はともかく 水中には慣れてきた。
そして
少し 運動する意識が 再燃し ジョギングも始めましたが・・・
「 陸で体を動かす 」ことは 水中より大変なことになっていまして・・・
ジョギングといっても 足の動く回数の割りに前に進んでないので
スピードは 早歩きくらいのもんです
自分の体重を 足腰の筋力が 支えるのがやっとで
歩くのには問題ないとしても 走るまでの余力が少ない
上半身の 余分な肉が 痛いぐらい揺れます
試しに 10mくらいの ダッシュをしてみたら もう まさに そうなって
さらに
水泳を先にやってきたので 水泳で使っていたとはいえ 違う筋肉の動き方なので
そこらじゅうの足の筋肉引きつります
水泳やってきても まだ 全然 体がダメです
体脂肪率31%だし・・・・これが物語っているか?
水中で生きれても 陸上では ダメだ~
今や よほど水中のほうが 自由人
そう 陸上では 「丘に上がった亀」ですね
あああ いっそ 世の中が皆 水中になればいいーーーー!
そんなことで ジョギングはもっぱら 風景を眺めての
「散歩」感覚でございます
小中高と学校の水泳部でしたが
40年ぶりくらいに最近マジメにプール行きだした。
その昔の その都度 最終学年ではキャプテンをやってきたので
練習方法を考えることをよくしていた。
顧問の先生が水泳選手でというのは 小学校の時だけ
あとは 顧問の先生は ちょっと 顔を出すぐらい
大会で優勝狙う感じの選手も少なく
「泳げるように」というまったくの素人もいた
それで シーズンオフになると 参加者数人か 1人で練習の時もあった
だから サッカー部に混ざって サッカーの練習してましたが・・・
そんな部活の 水泳の練習を組み立てるのだから
皆揃って 大会も近いとなると まともな練習メニューにはしたが
普段は
「いかに楽しく 夢を持ってできるか」だった(企画しないと人来ない)
・水球
・ドロジュン(鬼ごっこ)
・潜水競争
・飛び込み台 どこまで高くして飛び込めるか
・遠泳
・真っ裸泳ぎ(水着もなし)
・「プールさん プールさん ありがとう」の全員挨拶
・海水浴(高校はもちろん 中学でも皆で相当 遠出した)
・シーズンオフは土曜は 顧問の先生に言って
「近くの川の源流まで走ろう」
「学校の周り 何週走れるか(2kmくらいのコース)大会」
「遠くの市営スポーツ施設に行こう」
などなど
そして 今 1人で スイミングクラブのフリーコースに行くようになって
「自由」だから
「イカ泳ぎ」「進まない泳法」「回転」「瞬時に止まる」「瞬時に全速力で泳ぎだす」
を訓練してます
組み合わせてやると 相当体力いります
既製の4種目の泳法で泳ぐ個人メドレーより たいへん
「水球」や「シンクロ」に使えそうなことをやっている感じです
これらは 通常の泳法には使わない筋肉も使いますので
全身運動に良いと言われる水泳で さらに くまなく使う筋肉で
体に良いはずです
そんな こんな 水泳についての ウンチクを語りだしたら
きっと 本が書けるでしょう
そう だから 私は この際 「水泳研究家」ということで
それは 「速く泳ぐ」が目的でなく
「いかに 水と 一体化でき 魚のようになれるか」が目的
理想は「いつまでも 水の中にいられる泳ぐ作法を体得する」です
私は 若かりし時 「半漁人か」と言われるほど
一度 「 水 」に入るや 出てきませんでした。
それが 4歳の頃から 18歳まで
それから 大学、社会人早期は
頻度は減れど どこかのプールに行ってました。
30歳になって独立開業してからは 仕事の虫
スポーツクラブに入っても月1回しか行かないか
まったく行かなくなりました
そして
この10数年たるや キャプに行った時 川で泳ぐのみ
完全に「陸に上がったカメ」状態で 動きは遅く
固い人間になってしまいました
体は固いし きっと心も固い ・・・そうなってたような・・・
先日来 入会したプール 7日目で
今日 蘇ったものがあって 気づいたんです
「水を捕らえる感覚」
筋力が無いので 速く泳ぐとかできなくても
この 水を捕らえる感覚は
真に「水と戯れる喜び」を感じる
そうして 「水中を楽しめる」
競泳に勤しんでいる他の人達が それを感じているのかはわからないが
今日 また 別のコースで 水中エアロビクス教室始まり
アップテンポの音楽流れ
軽快な音楽聴きながらドライブする最中の快感のような
爽快な行け行け状態になりました
「超きもちいいー!」って
あの平泳ぎオリンピック選手のように叫びたいところ!
2004年5月29日より このブログを書いてきました。
ほぼ 毎日書いていましたが このところ 書かなくなりました。
Facebookばかりやっているのもありますが
基本は ほんとに「自分日記」だったのを
「発信」しなければと思い立ち
ですから このブログに書いた ずっと以前のものを
なんらか 人のためになるような 話を 絵を 再度Facebookで ご紹介できたらなあ
と 考えているところ
また自分のためにも 年追うごとに低下していく脳の回転を
過去の思いをエネルギーにして 回転し直すのもいいかと
考えを深めるといいますか
若い というのは 多感で いろんな発想が 無秩序にもなるほど
大量に出ています。
だから 思い出す価値がある。
年をとるとは 忘れるよりも 「整理していく」ということ
忘れるとは 失敗経験の積み重ねからか「捨てがち」
物ではないので 整理しておけば いくらでも残しておける。
忘れたり 捨てたり は 「固定概念」を生み出す
整理して 大量に持っていようと思います。
アメリカでは、国旗敬礼、宣誓の言葉 (和訳)
「神の御下で全人に自由と正義をもった、分かちえない国を象徴している、アメリカ合衆国の国旗とその国家に、忠誠を誓います。」
と 学校などで唱えるそうです。
一方、今の日本では「君が代」斉唱を しないか 遠慮するまでにもなっていて
第二次世界大戦では、日本は悪い事をした事になっている。
だから、日本に罪悪感あるのか、劣等感あるのか
考えたくないから、「世界平和」まで飛んで、自国のことは忘れ去り
これはまさしく 「 国家意識なし! 」状態です。
今の民主党政権の多くの議員は、自民党では推薦されない人が
民主党で出て・・・となるだけの ある理由で 希薄な国家意識の人達
しかも 日本に帰化しない外国人からの支持に成り立っている人達
鳩山元首相は、「日本は日本のもだけじゃない」と言い
アメリカの政府関係者、外交官関係者に「過去 ダントツの最悪の首相」と言わしめた人
そんな人達が 国の中枢にいては 日本は日本で無くなってしまいます。
今、親子代々住んでいる外国人の方々
出稼ぎに来て長期居住の外国人の方々
これから 移民受け入れもあるかもしれない そんな外国人の方々
どんな人が 日本に住んでも それは 良い事だと思います。
国が発展します (移民受け入れ大賛成派の私)
ただ 「日本はこういう国なんだ」「その日本を共に盛り立てよう」
という意識を持って欲しい
それには 日本はどういう国で その規範となるべき教訓が欲しいでしょう
アメリカの宣誓文のように・・・
ちょっと直しただけですが こんな感じで・・・
「神の御下で全人に自由、正義、和の精神をもった、分かちえない国を象徴している、日本の国旗とその国家に、忠誠を誓います。」
今の仕事は 大学出てからずっとだから30年はやってきた。
「これは 私の天職かな」とも思えてきていた時期もあるが
ある時、技術的探求意欲を無くす役所の相当偉い人に出会って・・・萎えた
だから もっぱら 会社経営寄りの意識だったかもしれない
また 他事して 探究心を満たしていた
でも 10年くらい前から やっぱり技術探求せざるをえない世間になってきていた。
それでも、私は、過去の経験数からか、惰性でやっていたかもしれない。
だから 頭は使っても 頭の中の筋肉を使っているような感じ
「頭の肉体労働」のようなものだった
それが・・・ ここにきて 似てはいるが違う分野の仕事で、頭をひねっていたら
また ホイットニーヒューストンのことばかり考えていたら
「完璧を目指さなきゃ」と思えてきた
得意先に満足していただく とは
人間的つながりにおいてとか その過程で交流が深まり とか 人情ドラマで満足していた
でも やっぱり コンサルタントなのだから 技術を提供しないといかんね
独立の20数年前 まだ同業者は手作業の人ばっかりのところ
コンピュータでプログラム組んで とか 高額の既製ソフト応用利用してやってたから
ぶっちぎりで 速く 間違いのないものを提供できていた。
今でこそ 専門ソフト使う人ばかりですが・・・
でも その専門ソフト使うばかりに できた感でチェックが手薄になり
昔に比べ ミスがかえって多い。 紙の使用量も多い。
「これではダメだ」 と 今頃気づいたぞ
「スイッチ オン !」だーーーー!
「頭の肉体労働」からの脱却です!
「信じる」とは何でしょう
きっと、多くの人は
まず、その事を論理的に理解しようとしてから始まりましょう。
理解できなきゃ信じない。
そして、その情報の出何処とか、それを言っている人などの
いわば、外見から信頼し、信じるかの判断をします。
両方整って、「信じる」ということになりましょう。
これは「信じよう」と努力しても きっと時間かかることですね。
でも 人によっては
論理的思考からでなく、前述の後者、外見を信じて
少しの理解でか、論理関係なく信じてしまう人もいましょう。
と ここまでは、世の「信じる」ということの説明です。
私はといいますと
日頃 空想のような事をたくさんしています
(”経験知”というのもありましょうが)
その空想、想像を元手に
どんな意見も「それは有りうる」とすぐ信じます。
だから「信じることが出来る人」は、
空想つまり「想像力」があるのではないかと思います
今まで 考えてもみなかったこと 知らなかったことを聞けば
不安になり 信じられないのはわかります。
例えば「死について」とか 教科書に載ってなさそうな話
そんなことも 想像した事があるので
その 想像したことに照らして 「そうかもしれない」となります
もし 想像もしたことない 聞いたことも無いことに出会ったらどうするか
それは その場で 想像してみることです。
論理的な理解でなく・・・
例えば、「地震のメカニズムは、水蒸気爆発である」という話を始めて聞いた時
「ある原因(省略)によりマグマに地下水が接触し爆発するんだ」とは
想像すると 映像がありありと思い浮かびます。 想像できて、信じます。
そういうことです。
なお、 この空想とか 想像というのは
この世ならざる全ての世界を信じる、執着のない頭で
ということになります。
だから 私にとって「信じる」ということは、信じるも何も
「思ってたことと同じだ」という反応のことなのです。
自分とは何か 何のために生きているか 今更考えていたら・・・
今 立ち位置が ハッキリしました。
生きる道と書きましたが具体的ではないし、立ち位置か
それは、「博愛の精神」
せっかく小学校6年の時から持っていたのに失ってしまった。
我子が小学校6年から科学者になることを目指し
そのとおりに進んでいるのを昼食一緒にしながら見ていて 気づきました。
私の目指していることは 具体的ではないけれどね
ある時 大きく落ち込むようなことがあって
自己卑下の人生 反骨精神で頑張った時もあって
人には良く見せようとも時にするけど
結局 何も取り戻さないで、何も獲得せずに生きてきました。
「執着を絶つ」という言い方も逃避だったかも
また、その自己卑下が取れてないことは 個人主義になっていたのでした
それでも 「自分は何か持っているだろう」と考えました
自分で考えて でも 自分を第三者的に見て考えて
そこで 「博愛の精神」だけは 人一倍持っているのではないかと
<意味>
すべての人を平等に愛すること。
人種・国家・階級・宗教などの違いを越えて、
人類は広く愛し合うべきであるとする主義。
1対1の 愛 は たとえ男女間でなくても 男同士でも 暖かいものです
だから 博愛というのは 寂しくもあります。
だから 博愛から 離れて 個人の愛とか 自分自身の中に居ました。
でも
本気で 以下のような絵のように 星が街中に広がれば
全ての人が 幸せになるだろうと考えています。
そんな人が 世の中にいてもいいのではないかと 思えてきました
それが 自分
と このように「博愛の精神」をもって 生活する 生きる道 大げさで「立ち位置」で
物事を見聞きし 考え 勉強し 行動する
それを 今日をもって 取り戻し生きて行こうと思いますっ!
全ての人々 100%の人々の幸福を願います
私の生きる指針 ペンネーム ”most-asa ”の意
最高の「 All people Smile at All people 」
「全ての人が、全ての人と微笑む」ために 生きていこうと決めました。
キラリと光る星
みんな星を持っている
人間も 動物達も 植物達も
自然界の鉱物、水の類や人工的な物理的なものも
それぞれ 皆 光るものを持っている
いや ひょっとして 光るものでできている
つまり 星でできている
本能でのみ生きている動植物は、
それらを作られた偉大な存在である神様の意のままに従順に役目を果たしている光
自然界の鉱物、水、気体もしかり
人工物は、作った人間の期待のような光、つまり星が行き続けている。
そして、人間は、それらと共通する光 つまり星の持ち主でもあろうが
人間だけに備わっているある力がある
それは その光 星を自ら 自分以外の人に手向けると
その星は どんどん 人間の内面に湧いてできてきます。
だから 人間は 惜しむことなく 星を周囲に降らしてあげるべきです。
その方法は
1)手をふる
2)笑顔
・
・
などなど 星をまいてあげることになるのですが
一番簡単にできるのは 1)手をふる です
手をふって 星が手の平から出て出て 街中星だらけ
人間は星を増やすことができます
みなさん 手をふって 街中 星だらけにしてまいりましょう!!