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ひまだての日記 [全2462件]
事故調査報告書では、圧力隔壁の損壊部分から与圧された客室内の空気が流れだしたことで、機内には相当な減圧が発生したと推定している。 事故調査委員会はこの減圧についての計算を行い、異常発生の8秒後には機内の与圧は全て失われ、気温もマイナス40度にまで低下したことを示唆している。 これに対して、パイロットが急減圧発生時の所定の対応をとらず、酸素マスクを使用した形跡がないことや、生存者が、室内温度の低下や急減圧時に発生する強風を否定する証言をしている事などから、123便には急減圧が発生していなかったと指摘する意見がある。 この点、運輸安全委員会が平成23年7月に発行した解説書では、2009年7月13日に米国で急減圧事故を起こしたサウスウエスト航空2294便に搭乗していた非番の機長2名の証言を引用した後、「実際に急減圧が発生した際の機内の状況は、乗務員を含めて一般的な理解とは大きく異なるのではないでしょうか」として検証と解説を行い、(1)減圧時の風速は最大でも10m/s程度である、(2)断熱膨張によって室温がマイナス40度まで下がっても、座席などの温度は変わらず、室温もエアコンによって3分程度で回復する、(3)運行乗務員に低酸素症の兆候が見られることから、酸素マスクを使用しなかったのは操縦を優先するためではないか。 にほんブログ村
事故調査報告書では、事故機の垂直尾翼の破壊過程については、尾翼の回収が部分的であるため、その詳細は特定できなかったとしている。 損壊した垂直尾翼については、事故から2ヶ月以上が過ぎた1985年11月に、海上保安庁の協力を得て相模湾周辺の海底探査が行われたが、何も発見できずに打ち切られており、垂直尾翼の大半は回収されなかった。 1986年4月25日に行われた事故調査報告書の案を検討する聴聞会では、公述人として参加した技術関係者や学識経験者から、事故原因の究明に重要な要素である垂直尾翼の破壊過程が十分に解明されていないという意見が出た。 また、尾翼の捜索も不十分であるという指摘もあった。 にほんブログ村
運輸省航空事故調査委員会は、事故発生後の8月14日に墜落現場に入り、本格的な調査を開始した。 調査には事故機の製造国であるアメリカから、国家運輸安全委員会(NTSB)の事故調査官らが顧問として加わった。 事故から約1カ月後の9月6日、事故機の製造者であるボーイング社が声明を発表し、しりもち事故の際に行った圧力隔壁の修理にミスがあった事を認めた。 1987年6月19日、事故調査委員会(委員長:武田峻)は事故調査報告書を公表し、本事故の推定原因を発表した。その要旨は以下の通りである。 1.事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したこ とによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。更に、4系統ある油圧パイプが全て破 壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。 2.圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が 低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。 3.この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング 社による修理が不適切なもの(修理交換した隔壁の下半分と上半分との接続強度が不足した 状態)であったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故 原因に関与したと思われる。 また、報告書では調査結果に基づき、大規模な機体の修理を行う場合は、その修理部分を特別に点検項目に加えて継続監視する事や、与圧構造が損壊した場合のフェールセーフ性を耐空基準に追加することなどを勧告した。 にほんブログ村
家族待機所・遺体安置所として、藤岡市内の小学校・中学校・高校の体育館と校舎が解放された。 遺体の搬出には陸上自衛隊・東京消防庁・近隣各県警・警視庁・海上保安庁のヘリコプターが投入された。 ヘリコプタ-発着場所は藤岡市立藤岡第一小学校・校庭、遺体検視兼安置所は藤岡市民体育館に設置された。 8月14日午前9時頃、墜落現場から直線距離で約45km離れた群馬県藤岡市へ、遺体搬出作業が開始された。 地元群馬県警察医師会所属の医師の他、群馬県内外の医師、群馬大学医学部及び東京歯科大学の教授陣、法医学者、法歯学者、歯科医師、看護師、赤十字関係者などが身元確認作業に従事した。 しかし、墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、犠牲者の遺体の大半は激しく損傷していた。 盛夏であったこともあり、遺体の腐敗の進行も早かった。当時はDNA型鑑定の技術も確立されていなかったため、身元の特定は困難を極めた。 最終的な身元確認作業の終了までには、約4カ月の時間と膨大な人員を要し、最終的に確認できなかった遺体片は、同年12月に群馬県前橋市の群馬県民会館で執り行われた合同慰霊祭で出棺式が行われ、火葬に付された後に墜落現場に近い上野村の「慰霊の園」へ納骨埋葬された。 にほんブログ村
事故が発生した日は夏休み中で、「お盆の入り」の前日であった。同便には出張帰りのビジネスマンの他、帰省客や観光客が多く搭乗した。 最終便が満席で乗れない客が発生することを防ぐ理由もあり、最終便1本前である同便は、ほぼ満席の状態だった。 生存者は4人であった(非番JAL客室乗務員の26歳女性、34歳女性と8歳女性の母子、12歳女性)。 救援隊の到着時に、現場で実際何人が生存していたのかについては、情報が錯綜した。 生存者4名は発見から数時間は現場からのヘリ搬送が行われず、特に34歳女性と8歳女性の母子は大変な重傷で、猛暑の中体力を消耗した。 捜索隊による生存者か遺体かの判別は、呼びかけたり叩いた時に反応があるか手で触って脈があるかなどで行われていた。 生存者発見後に医師・看護師が墜落現場へヘリで派遣、生存者4名が病院に搬送され、それ以外は遺体として藤岡市民体育館へ運ばれた。 著名人やその関係者 ■ 坂本九(歌手) ■ 北原遥子(元宝塚歌劇団娘役で女優) ■ 中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長) ■ 浦上郁夫(ハウス食品代表取締役社長) ■ 塚原仲晃(大阪大学基礎工学部教授・医学博士) ■ 藤島克彦(コピーライター) ■ 伊勢ヶ濱親方(大相撲・元大関・清国)の妻子 ■ 吹田明日香(タレント)の母 ■ ダイアナ湯川(バイオリニスト)の父(銀行家)。ダイアナ湯川自身の出生は、事故から1カ月後。 ■ 辻昌憲(シマノレーシング監督) ■ 緋本こりん(同人漫画家)など にほんブログ村
1995年8月、当時123便を捜索したC-130に搭乗していた元米軍中尉が、事故直後に厚木基地の米海兵隊(後に座間の米陸軍と訂正)救難ヘリを現場へ誘導したが、救助開始寸前に中止を命じられ、またその事実も他言しないよう上官から命令されたと証言した。 生存者の証言によると、墜落直後の現場にヘリコプターが接近したが、やがて遠ざかっていったという。 また、報道機関としては事故現場を最も早く発見した朝日新聞社のヘリは、現場を超低空で飛行するヘリを目撃している。 マスコミ各社は「日本側が米軍の救助協力を断った」などと報道し、救難体制の不備や関係当局の姿勢に対する批判が高まった。 にほんブログ村
放射性物資 事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。 また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物資が墜落によって現場周辺に飛散し放射能汚染を引き起こしている可能性があった。 このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、直ぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという。 関係機関との連携体制 航空自衛隊百里基地のF4戦闘機による事故直後の19時01分の緊急発進、百里救難隊による最初の救難捜索機(MU-2S)や救難ヘリ(KV-107)の出動は、航空自衛隊への東京空港事務所長からの災害派遣要請が出される前に行われた。 陸上自衛隊も群馬、長野の部隊が19時30分頃から出動態勢を整え、派遣要請を待っていた。 航空自衛隊からの再三の要請督促を受けた羽田RCC(東京救難調整本部)から、既に現場に到達していた航空自衛隊への災害派遣要請は20時30分過ぎと遅れ、陸上自衛隊に対しては航空自衛隊への要請が済んでいたため、要請の必要性をしらずに21時30分頃と更に遅れた。 また、当時の東京消防庁航空隊にはサーチライトを搭載したアエロスパシアル製救助ヘリコプターが2機配備されていた。 事故当夜は関係省庁からの要請に備え、いつでも出動できるように待機していたが、東京消防庁への出動要請はなかった。 のちに運輸省・警察庁・防衛庁ともに、このヘリの存在を知らなかったことが明らかになった。 東京消防庁も自ら出動を申し出なかった受身の姿勢だったこともあり、緊急時における縦割り行政の問題点が浮き彫りになった。 この消防ヘリについては事実の誤認があり、着陸灯を探照灯(サーチライト)と間違った可能性がある。 なお、東京消防庁航空隊は13日に、陸上自衛隊が事故現場よりヘリで搬送した生存者4名のうち2名を上野村臨時ヘリポートで降ろした際に、同乗した前橋赤十字病院医師の判断で、救急車から消防庁の幹部移送のために駐機の消防ヘリに載せ替えて搬送している。 民間機遭難を想定した当時の「航空機の捜索救難に関する協定」では、主に警察庁と運輸省(航空局)などが中心になっており、捜索救難の主体は警察が担うことになっていた。 また、警察と各自衛隊との協力は防衛庁を通しての間接的な連携であり、航空自衛隊救難隊との直接の無線連絡は勿論のこと、航空自衛隊中央救難調整所(RCC)との連携なども不明瞭な状態に置かれていた。 また、航空自衛隊のKV-107救難ヘリは夜間救難用のサーチライトを装備して、当時でも夜間救難作業に従事するなど、サーチライトの有無が事故機救難の阻害要因とは考えられない。 なお、航空自衛隊の救難ヘリは警察の捜索隊との無線連絡の出来ない中で、搭載の着陸灯、サーチライトなどを用いて上野村に派遣された群馬県警捜索隊への必死の誘導を試みている。 にほんブログ村 |一覧|おすすめアイテム
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