結果的にベトナムにおけるアメリカ軍による戦闘の拡大を招いてしまったアメリカのジョンソン大統領は、アメリカ国内外のマスコミから連日のようにベトナム戦争への対応のまずさを批判されるようになった。
この頃ジョンソンはニューハンプシャー州の予備選でユージーン・マッカーシーに対して勝利したが、ジョン・F・ケネディの弟で、ケネディ政権とジョンソン政権の司法長官を務めていたロバート・ケネディが大統領選への出馬を表明したこともあり、世論調査で最低の支持率を記録した。
また、ケネディ政権に於いてベトナムへの軍事介入を自らの「分析」を元に積極的に推し進めジョンソン政権でもアメリカ軍の増派を推し進めたものの、北爆の中止を巡ってジョンソン大統領と意見が対立したマクナマラ国防長官が1968年2月29日に辞任する事となった。
これらの影響を受けて、3月31日にジョンソン大統領は、テレビ放送によって北爆の部分的中止と、この年に行われる民主党大統領候補としての再指名を求めない事を発表した。
理由として、ベトナム戦争に対する反戦運動などによるアメリカ国内の世論分裂の拡大を挙げた。
この後も反戦集会は連日全米各地で巻き起こっていたが、この盛り上がりに大きな影響を与えた公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、4月4日に白人のジェームズ・アール・レイに遊説先のテネシー州メンフィス市内のホテルで暗殺された。
更に、公民権運動団体などを中心とした支持を受けて民主党の大統領予備選に出馬し優位に選挙戦を進めていたロバート・ケネディが、カリフォルニア州ロサンゼルス市内のホテルで遊説中の6月5日に、パレスチナ系アメリカ人のサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された。
相次ぐ暗殺事件にその後アメリカ国内の情勢は混乱を極めたが、8月26日から29日にかけて、民主党の大統領候補を指名するための党大会がシカゴ市内のホテルで行われた。
これに合わせてシカゴ市内では学生を中心に大規模かつ暴力的な反戦デモが行われたが、ベトナム戦争推進派のデモと衝突した上、リチャード・J・デイリー市長の指示により、市警官隊がデモ隊に対して暴力的な弾圧を行い多数が逮捕された。
なお、ジョンソン大統領は自らが所属する党の大会であるにもかかわらず、会場内外における混乱を避けるため出席することは叶わなかった。
この様に国内情勢が混沌とする中、政権末期のジョンソン大統領は10月に北爆を全面停止させた。
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