投資で大損したおかげで、値動きの流れが見えてくるようになった。
人間関係で失敗して、
怒られて無視されて煙たがられて、
人の心の動きが少し見えてくるようになった。
どれもこれも、ありがたい前ぶれだったんだ。
いっぱい失敗しなきゃ、
ゆっくりと大局を見れるようにならなかったんだ、私。
ようやく、「流れ」を見れるように心が落ち着いてきたんだ。
よかった、今まで生きてきて。
よかった、これから今までの数多くの失敗を生かしていけるから。
失敗も損も、
私を育ててくれてありがとう!!
今までより不幸になるのは、「難しい」!!
という言葉を見たとき、逆ではないかと思った。
でも今は、今日は昨日より不幸にはなれないはず、と思う。
昨日より、成長しているもの!
ありがとう!
生きていて、よかった。
こんな言葉に出会えるなんて、シアワセ。
幸せになるのは、カンタン(なはず)!
今以上に不幸になるのは、難しい(はず)。
口ぐせでそう言っていると、
本当に幸せになるのはカンタンだ!と思えてくると思う。
幸せになるのは、カンタン!
不幸になるほうが難しい。
ずっと落ち込んでいます、ありがとう私。
ずっと、自信がありません、ありがとう私。
成功できる自信がなくなりました、ありがとう。
つぶれています、ありがとう。
自分を情けなく思っています、ありがとう。
成功できるはず、と思いながらも、あきらめかけている私、ありがとう。
何が違うのか、わからない私、ありがとう。
苦しんでいる私、ありがとう。
悩みのほとんど9割以上は、「ガラクタ」と立ち読みした私、ありがとう。
「自分がいい気持ちでいられる人間関係」以外は「ガラクタ」だと立ち読みできた私、
ありがとう。
お金を失った私、ありがとう。
失ったお金で、今までにない体験ができた私、ありがとう。
生きている私、ありがとう。
失望しながら、明日を夢見る私、ありがとう。
絶望しながら、今日も生きている私、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
生き延びていて、ありがとう。
昨日、娘の入学式。
両親が来ているけど、母が相変わらず私の話や父の話を聞かないことに腹を立てている私。
母のお守りをすることに疲れたなあ。
もう、母に合わせたくないなあ。
私が娘の学校の話をすると、
すぐに自分の知り合いの話しを出して、話題を変えようとする母。
がっかり。
父を追い立てたり、父をバカにしたりする言葉を出して、
父から罵声をかけられる母。
あ~あ。
母も、話を聞いてほしいんだろう。
母も、自分に注目してほしいんだろう。
母も、ほめてもらいたいんだろう。
だけど、私も同じ。
親なんだから、子どもの私を先に認めてよという思いがある。
でも、親ってえらくないよね。
子どもにやつあたりしたり、
愛し方を間違えたり、
子どもを踏み台にしたり。
自分がそうだから。
母も、未熟なんだね。
私も未熟。
だから、いちいち頭にくる。
今までは我慢して、母に合わせてきた。
もう、母のお守りはしたくない。
だから、せっかくの娘のお祝い会の夕食も沈黙。
母と話したくないから。
だけどこんな私を見ている、私の愛する子どもたちがいる。
母が、よくやっていることはある。
掃除、洗濯、料理、支払い、家計の管理など。
ただ言葉が家族に優しくないから、
一緒にいると苦しくなる。
我慢しないで、
感謝できたらいいな。
母がいやなことを言ったとき、
「またか、ああ、やだな」と思う。
そして、もうこれ以上聞きたくないから、
母と会話を交わさないように沈黙し、
自分の感情を抑えるのが今までのやり方。
「またか、ああ、また修行させてもらっている。
ありがたいな」
「またか。
母がなんと言おうと、
私は自分で自分のご機嫌をとり続けられる。
私って、えらいな」
「またか。
母の言葉にいちいち引っかかるほど、私も寂しいんだね。
私、よくやっているね。
私って、がんばっているなあ」
こんなふうに、
自分で自分のいい気持ちを失わないようになれたらいいな。
退院してすぐだったけど、
娘の入学祝に来てくれた父、ありがとう。
毎月、栃木まで来てくれる母、ありがとう。
毎日、ご飯を作ってくれる母、ありがとう。
毎日、洗濯をして干してたたんでくれる母、ありがとう。
私を心配してくれる母、ありがとう。
私を心配してくれる父、ありがとう。
私を不安に思っている母、ありがとう。
私を不安に思っている父、ありがとう。
私が間違っていると思っている母、ありがとう。
私が間違っていると思っている父、ありがとう。
私は常識がないと思っている母、ありがとう。
私は未熟すぎると思っている父、ありがとう。
私の将来を心配し、不安に思う母、ありがとう。
私の生き方を認めない母、ありがとう。
私の人生を否定する父、ありがとう。
私の人格を否定する母、ありがとう。
私は、こんな感じで生きていくのだろう。
変わろうとしながら、あまり変わらずに。
今のままの私で生きていくだろう。
間違ったまま、生きていくだろう。
これが私だ。
父が心配しても、
母が否定しても、
私はこのままで生きていくだろう。
ありがとう、私はこのまま生きていく。
ありがとう、私はこのまま生きていく。
私はもがきながら生きていく、ありがとう。
心配されても、否定されても、私は私だ。
父が心配すること、気にしないにしよう、ありがとうとだけいって。
心配に反論しないにしよう。
母が否定すること、反論しないにしよう、ありがとう勝手に心配してくれて。
父と母が勝手に心配したり、否定したりすること、
私が気持ちを高ぶらせたり落ち込ませたりしても、無駄だっただなあ。
私が感情をかき乱す必要はなかった。
勝手に心配、否定してくれて、ありがとう。
投資の損を一部手仕舞いし、気分がすごく楽になった。
お金持ちになる方法を読み、
きれいにすることが一番にあげられていた。
掃除もそうだろうけれど、
気になって眠れない、いや、睡眠に逃げるほどになっていたので、
損も「きれいに始末」することにしたのだ。
パソコンの回りも本が山積みで、
これじゃお金が集まってこないそうだ。
心から笑っていない私。
幸せとは、やりたいことができる状態。
望みがかなうこと、だそうだ。
今日は娘の入学式。
私も、自分に似合った服がほしい。
卒園式に着た服も、写真で見ればイマイチ。
「私」に似合う服が欲しいなあ。
娘に、すばらしい担任がついて欲しいなあ。
先週、座敷わらしがすむ旅館に2泊したの。
帰宅して、
そういえば、「宝くじをよく当てる人が買う宝くじ」に応募してたけど、
あれが送られきて、1000万くらい当たるといいなあと思っていた。
すると一昨日ね、
宝くじが送られてきたの。
8000人近くの申し込みで、
333人の当選。
なんだか、宝くじが当たりそうな気がする。
1等が当たったら、家をまず買うつもり。
当てるためにも、
ありがとうを言い続けようとしてるけど、
ちょっと気がゆるみがち。
必死さがあまり出ない。
それも、いいのかな?
私、今でも幸せなんだろうな。
他力本願で、明日こそ何とかなるかも、
という状態を、私が望んでいるんだろう。
私の望みとおりの人生になっているんだろう。
心から笑っているとは、限らない。
でも、こんなだらだらした状態を、
私は望んでいるんだろう。
友人が、
「お金は自分が汗水働いて稼ぐもの。
お金に働かせてはいけない(=投資)」
と言うようなことを、一人さんが言っていたよと教えてくれた。
ショックだったなあ。
実際、私の投資はばくち感覚で、
上がるか下がるかの「単なる賭け」だったから。
もっと情報を調べるとか自分が汗水たらせば、
稼げても、「自分の身につくお金」になったんだろうけれど、
あぶく銭、どころか、「体験代」として消えていくことになった。
でも、
ギャンブルに狂うというすばらしい経験だった。
気ばかりもんで、時間を失う日々。
でも毎日、何も書かないでいた日記を見に来てくれた人がたくさんいた。
ありがとう。
本当にありがとう。
すごくうれしい。
土曜日に、
映像監督の永伊智一さんの講演会に出かけた。
3歳で両親が離婚。
預けられた親戚での差別。
母の病死。
一緒に暮らした父からの暴力。
父の蒸発。
学校給食しか食べられず、
食べ物を万引きし始めたという。
しかし、
「こんなことをするために生まれてきたんじゃない」
と、夢を描いたという。
私は、何のために生まれてきたんだろう??
旅行するため。
先週、東北旅行に行った。
大満足、とはならなかったのは、
自分のねたみとか、方向性が定まらないからとか、
自分のせいなんだが、
行きたいところに行けたこと自体は満足。
行けたことは、感謝。
私、夢はあるけど、
夢が遠くて、つぶれそう。
眠って、現実逃避したい。
旅行では、
現実逃避できたから感謝なのかも。
そして現実逃避したからこそ、
自分の中にくすぶる思いがわくのだろう。
永伊さんは言った。
「感情の奴隷になるな」と。
知識で心を磨き、
無知のメカニズムに巻き込まれて、
表層的な感情の奴隷になるな、と。
つぶれそうな私。
無知なまま、死ぬな。
つぶれそう、という感情に流されて、
おろおろするだけで何も手につかない。
でも少しずつ、知識を増やそう。
流されないように、
おろおろしても、流されないように。
私は、本当は自分が大好き。
子どもより大事。
でも、他人に認められないと自分を責める。
他人に認められないような自分じゃダメ、と。
他人から好かれない人じゃダメ、と。
完璧な人間にならなくちゃダメ、と自分をいじめる。
他人から認められなきゃ自分を認めないと、
自分をいじめる、責める。
本当は、他人に嫌われても、好かれなくても、認められなくても、
自分で自分を認めていたい。
でもそれって、すごく大変なこと。
自分で自分を認めるために、
私にはたくさんエネルギーがいる。
それをやりたくないだけ、面倒がっている。
本当は、こんなバカな自分が好き。
失敗しながら、
泣きながらはいつくばってがんばっている自分が好き。
成功もしないし、していないし、
(本当は成功してる、でも自分が認めるレベルになっていない。
他人から、親から認められるレベルになっていない)
だから自分が許せない。
でも本当は、こんな自分を好きでいたい。
成功もしていない自分を好きでいて、いいの?と思っている。
もっと、自分を叱咤激励しなくきゃ、
自分はレベルが下がっちゃうんじゃないの?と思っている。
親にほめられず、ずっと叱られてきたことがいやだったのに、
同じことを自分にしている。
親と同じことを子どもにもしないと決めて出産したのに、
子どもを守れていない。
いいんだよ、私はこれで。
失敗ばっかりしていても、いいんだよ、これで。
これでいいんだよ。
これでいいんだよ。
これでいいんだよ。
私は、これでもいいんだよ。
だって私には、明日をがんばる意志がある。
だから今日、負けてもいいんだよ。
私はこれでいいのだ。
これでいいのだ。
人と比較しないでいいんだよ。
だから私は、これでいいんだよ。
こんなんでもいいんだよ。
本当は、こう自分に言ってあげたかった。
でも自分の中で、
これじゃダメだって言う自分がいた。
同じ自分が言うから、
その自分のいうことも聞こうと思った。
だけど、それ間違っているよって言う強さが、
自分の中になかった。
いいんだよ、これで、私は。
人と比較しなくていいんだから、これでいいんだよ。
そう言える強さを持ちたい。
私はこれでいい。
昨日より、賢くなったから。
私はこれでいい。
昨日より、体験を積んだから。
私は、これでいい。
昨日より、悲しみを知ったから。
私はこれでいい。
昨日より、笑いを知ったから。
私はこれでいい。
これでいいと言い聞かせられると、
今死んでもいいと思える。
億万長者になれない今でも、
私はこれでいいと思えたら、シアワセ。
これでいい、私は。
誰とも比較しなくていい。
だから比べる基準がない。
だから、このままでいい、私は。
誰とも比べられないから、
私はこれでいい。
ああ、すごくラク。
私は誰とも自分を比べなくていいから、
幸せだ。
私はこれでいい。
これでいい。
これでいい。
自分で自分のこと、本気で好きになろうとしていなかった!!!
と、このキャンプで気がつかされ、
頭ガーン!
息子も、自分が好きじゃない。
でも同じ悩みなのに、アドバイスもできない。
自分がまだ、自分を好きになると解決できていないから。
いや、本気で好きになろうと努力していないから。
だから、何もアドバイスできない。
何もアドバイスできない、
情けない自分を見るのがいやだったのだ。
悩み続けてきたのに、
たいした成果も出していない、ふがいない自分を
息子を通して見つめさせられるのがいやだったのだ。
だから息子が、自分を好きじゃないことがすごくいやだった。
息子が私と同じ悩みを抱えているから、
自分が真剣にならざるを得ないのに、
自分を好きになろうと努力することが面倒くさかったから。
好きになる努力をするより、
「自分が嫌い」と自分を責めているほうが、ラクだったから。
自分はダメなヤツと自分をいじめているほうが、
努力するより簡単だったから。
本当は、自分が大好き。
自分が一番大切。
子どもより、自分が大切だ。
それなのに、
人から好かれない自分を、自分で見下げたりいじめたり。
自分で自分をいじめて、うっぷんはらしをして、
そのストレスをさらに子どもに八つ当たりした。
本気でやらざるを得なくなった。
気がついちゃうと、
自分の嘘を、
自分を偽っている自分に気がつくと、
本気で自分で自分を好きになれる、
誇らしい自分を作りあげなくちゃならなくなる。
誰かが私に対してよくないことを感じても、
それを跳ね返せるくらい、私は自分自身を一生懸命生きます。
自分を好きなのは、当たり前だった。
もっと、自分を自分で誇れる人に私はなりました。
私は、私を誇りに思います。
私は、自分がすばらしいと自賛できます。
私は誇り高い自分が、大好きです。
私って、すごく弱い人だと思った。
一人じゃ、生きていけなかったから。
学べる機会のあるお化粧品会社に登録をして、
毎月地元である研修に参加した。
でもここ2ヶ月は地元での研修はなく、
栃木では宇都宮まで行かないとなかった。
寂しかった。
電話で質問はよくしたの。
CDも聞いたの。
でも、直接会える人にはかなわなかった。
地元で講習会をたびたび開いている、
別の化粧品会社に乗り換えることにしたんだ。
昨日、今までお世話になった前の化粧品会社にも、
お断りの話をした。
研修が、地元で開かれなかったことを責めてるんじゃない。
私は、こんなにも「ヒトに出会うこと」を求めていたんだ!!
って、胸が苦しくなるくらい、痛切に理解したの。
去年からずっと仕事に燃えて、
楽しくない付き合いはいっさい参加しなかった。
ビジネス関係の友人がいないので、
孤軍奮闘だった。
どうしたら仲間が見つかるのか、もわからず。
地元でビジネス仲間が見つかるとは思えず、
東京に行かなければダメなのか、とあきらめ。
学びたいけど、
託児に頭を悩ませ、あきらめ。
信じられる仲間と思っていた人々に、
気が合わないと2回も言われたことも、
人付き合いから遠ざかった原因だった。
私は一人でいい。
一人でがんばる。
一人で結果を出してみせる。
と、つよがりながら、
刺激し相談できる仲間がずっとほしかった。
学べる場がほしかった。
前の化粧品は、今でも気に入っている。
だから、迷った。
でも、今度の化粧品もすごくいいの。
それと何より、
そこのチームは能力開発の研修制度があった!!!!!!
私が求めている、成功のために成長する場があった!!!
いい商品。
仲間。
教育。
この3つが、そろっているの。
だから、乗り換えた。
無敵の人生とは、人から嫌われないことだ、
と、一人さんの弟子さんの芦川さんは言う。
私は、無敵な人になりたい。
私には、敵がいません。ラッキー!
私の中にも、敵はいません、ハッピー!!
私は、親しみを与えられる人です。
私は、やさしさを伝えられる人です。
私は、暖かい気持ちを送り届けられる人です。
私はハッピーだから、ハッピーな雰囲気で人をシアワセにしています。
今日は、キャンプに行きます!
成長とは、「価値観の肯定的変化」だそうである!!!
「自分なんかできない」を、「できる!」に変えること。
「人なんか信用できない」を、「できる!」に変えること。
「自分が嫌いだ」を、「好き!」に変えること。
「自分の人生なんてたいして意味がない」を、
「価値がある!」に変えること。
一昨日、佐藤英郎先生の1日セミナーに出席し、
一番感動したことは、
「成功より成長が先」ということだ。
「成功」は「成長」の結果だから、
「成功」に焦点を当てて生きるのではなく、
「成長」に焦点を当てて生きるのだそうだ。
私、人間関係をつくれない人だったから、
営業とか、訪問販売、ネットワークビジネスとか、
いやだったの。
それどころか、会社に「就職」するのもいやだった(恥)。
だけどね、
自分の魅力を高めさえすれば経済的にも精神的にも成功できると知った。
自分をどんどん変えたい!と思った。
変わりさえすれば(いい方向に)、いいのだもの。
自分が変わりさえすれば、すべてうまくいくんだもの。
だから、変わりたい!と思った。
自分が変わると、
経済的にもよくなるということがよくわかったから、
よけいに変わりたいと願ったの。
自分が変わりさえすれば、
苦しい営業をしなくても、業績が伸びるのね。
苦しい仕事をしなくても、
うまくいくのね。
自分が変わりさえすれば、
苦しまずに、我慢せずに、うまくいくんだ。
「苦しい仕事」をしなくてもうまくいくということが、
とても魅力だ。
私は、苦しまずに成功したい。
私は、苦しまずに成功したい。
苦しまずに、楽しく生きたい。
苦しまずに、笑っているうちに、大金持ちになりたい。
私は笑いながら、大金持ちになれた。
私は楽しく生きながら、大金持ちになれた。
私はハッピーで、さらに大金持ちだ。
私はラッキーな上に、大金持ちだ。
私は笑いながら、毎日大金が入ってくる。
私は笑いながら、すばらしい人生を送っている。