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テーマ:心と家族と人間関係(1209)
カテゴリ:ひねもす・毒
【続き・2】
わたしは17、8才の頃、認知症の祖母と暮らしていた時期がある。 認知症の症状は今の舅か、それよりも進んでいたか。 以前にもブログの記事にしたことがあるけど、夜間の徘徊対策のために 祖母をわたしやきょうだいで外に散歩に連れ出したりもしていた。 お風呂に一緒に入ったり、オムツ換えもしていた。 たしかに嫌な事でもあったけど、わたしたちは祖母が好きだったし、 今では笑い話も多い。 どんどんわたしたちのことを忘れている時間が長くなっていく祖母を 見るのはつらかったけど、良い経験だったとも思ってる。 「それでもね、お姑さん。 わたしは自分の子たちに、お舅さんをそんな風に看させようと思っていません。 甘いのかもしれへんけど、うちの子たちはまだ小さいと思ってる。 Aにわたしがしたように、お舅さんの手を引いて歩かせたり、いっしょに お風呂に入らせたりしたくない。 というより、させるつもりがないんです。 でも、同居をするとしたら、わたしがずっと手伝うとしたらそうなるでしょう? わたしはそれは嫌なんです。」 姑は同居嫁で、それに否応がなかった。 同じ嫁の立場で、わたしはそれを拒否する。 姑からすればこちらの方が理不尽だろう。 けど、同居して我慢していたのは姑だけじゃない。 さっき書いたように、小姑1も、小姑2も、相方も我慢してきた。 それは悪いことばかりじゃないけど、悪影響もあった。 わたしはそれは嫌だから、別の道を選ぶ。 子どものためとかそういう事ではなくて、その方が自分が楽で良く思えるから。 嫌だけど我慢して、得られるものもあるけど、そうじゃないものを選ぶ。 家族の事を「我慢して看る」気持ちは嫌だ。 だから、きっと姑さんとはどうしても解りあえないんじゃないかなあ、と思う。 利己的だと思うだろうし、実際そうだから。 わたしにはこの答えしかない。 姑さんは、結局だからずっと無言だった。 どっとはらい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.05 11:34:50
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