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2006年10月30日
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格差社会と言われるものは階級社会と言う考え方と、一体なにが違うのだろう。

自分は、共産主義や社会主義が広く正義だと信じられていた時代に育った。それの
影響がまったくなかったか。これは微妙な話題だ。なんらかの影響を受けないことが
考えられないというのが昭和という時代だ。あの思想については、ちょっと丁寧に話題
にしておく必要がある。





一つ、マルクスの思想としての「共産主義」
二つ、日本の政党で、公党としてしられる日本共産党が掲げる「共産主義」
三つ、歴史的に世界に拡散し終焉をとげた「共産主義」
四つ、三つ目の中のひとつであったロシアで広まった「共産主義」
五つ、学生叛乱期のなごりに継承されている全共闘運動時代の追慕者。


以上の五つの違いが理解できる人は、楽天にはいないだろう。

自分は、たまたま学生時代に猪木正道の影響が濃厚ではじめて読んだ共産主義に
ついての手ほどきが「共産主義の系譜」という猪木の大衆向けの啓蒙書であったことで、
のちのち大きい影響があったと思う。なにしろ自分の周りは、学校といわず地域と
いわず、圧倒的に共産主義者というのか、共産党支持者が多くて渦中に生きていた
中で、自分はかなりかわったキャラクターだったと思う。

共産党支持者の中で、とりわけ父親などを通じて日本共産党の青年組織である、
民主青年同盟(民青)にはいれと打診されたこともあった。一時期、家の中に民青
だらけ、というような不思議な時期すらあったし、高校時代の同級生は、ほぼ民青
か、新左翼という時代である。そんな渦中で、武者小路実篤ばかり読んでいる自分
は、変わり者というよりも、「ほぼアホだ」と断定されていたように記憶する。





結論から言おう。


一つ目の、マルクスの思想としての「共産主義」と呼ばれているものは、いわゆる
本質としては、一種のギリシャ古典哲学の変形みたいなもので予想外に価値の
高い極めて普遍的な思想だ。


一つ目そのものが、かなり危ない境界的な要素にさらされている。なにも知らない普通の
生活者の中では、すでに命運つきたものと考えられているだろう。現状では、再生の手を
差し伸べなければいよいよ救いがない誤解にまみれたままだろう。二つ目から、五つ目まで
は消えて行く以外に手のほどこしようが無い。


「主体的なものはプロレタリアートであるが、プロレタリアートは形而上学的範疇であることを
度外視してもなお個性を没却した集団であり、全体であって、一回生起的な人格の尊厳は  
集団としてのプロレタリアートの階級意識の中へと完全に埋没されてしまっている。こうして
マルクスは人間を自己疎外の魔術性から解放しようとしながら、かえって物質的生産力や
プロレタリアートという集団の魔術性に呪縛してしまった。

ここにマルクス主義が「プロレタリアートの独裁」の名において全体主義的な奴隷制を生み
出す危険が潜んでいる」(『共産主義の系譜』,角川文庫、P、70)



解放の神学としての、マルクスの思想はそれほど舐めたものではない。われわれが、人間である
限りはマルクスの思想は、よそ事ではないという迫り方をしてくる。ところが、マルクスが 
一旦「階級意識」という没人格的な社会装置を、唯一無二の地上的な組織として想定しちまった
ありから、その解放の神学の成分が希薄になってゆく。歴史的には、似ても似つかない反対極へ
触れてしまうことは皮肉なものだ。



しかも、地上的な組織に転落してしまったがために、マルクスの思想の形而上学的な骨格、 
後背すら希釈され、地上的な権威に跪拝する相対主義に化体する。となれば、「なんでもあり」
なのだ。実は、いまや共産主義とは共産主義者の数だけ存在するというような、いってみれば
極めて状況的な思想になり果ててしまったようである。

だから、「北」の首領さまの指導理念も、ネパールのマオイストも、いまや共産主義として立派
に誇示しうる。情けない話だ。そいう風に、捉えている。






・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。
―「人間的な、あまりに人間的な」―

・多く考える人は党員には向かない。
というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。
―「人間的な、あまりに人間的な」―

・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
―「権力への意志」―

・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
―「この人を見よ」―

・君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
―「ツァラトゥストラ」―

・世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
―「反時代的考察」―






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最終更新日  2006年10月31日 06時15分23秒
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