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2008年09月23日
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かつて 吉本隆明の門弟格だった滝村隆一が「マルクス主義国家論」を刊行した時点でその国家論の内実が、古典政治学の解釈に終始していると思われて失望した記憶がある。せいぜいヘーゲルの丁寧な購読に過ぎないように思えたからだ。


一方、都留重人の述べる国際金融独占資本の動態は、それらに比べると遥かに獰猛で危険な現実の脅威を帯びた「超国家主義」を同伴する理由と帰趨を印象させた。


国家権力を、政治学の古典でいくら弄り回しても匂いたっては来ない。権力は、無人称な「物理力」のようにも描けはするが、現実には個々の欲望、野心の重層構造であって「関係」のつみあげである。そのような欲望に発したとはいえ国家権力を組み従えるほどの「超絶的な関係」に踏み込むにはどのような感覚の疎通が可能なのだろうか。日本のマルクスボーイが、いくら書物を読み上げたとしても、所詮現実の巨大な金融資本の生々しさと「関係」を取り結ぶということが可能だとは思えず、ただの読書家の与太に堕してしまうのは避けがたい。


マルクス主義者の陣営から発した権力論は、ほとんどどれもこれも使いものにはならない。
その意味でも、共産主義者であったはずの都留重人という人物は特異な気がする。
















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最終更新日  2008年09月24日 02時14分52秒
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