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2008年10月17日
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権力の本質を暴力だとする説は、さまざまにみかけた。だが現実に「むきだしの暴力」がそのまま権力の実態だとする考え方は稚拙すぎる。そのような稚拙な考え方が平然と流布していた70年代には、当然社会変革の志の低さが当て占められた。


暴力行為が、人々を麻痺させる程度に応じて政治思想が稚拙に旋回するのは無理ならぬことで学生叛乱期に終始嘆息した一部の人たちを自分は散見できたが彼らが、同時に権力の本質を論じて掴みだせていたか否かといえば、これまた疑問が多い。


最高権力の所在が、巨大な官僚機構に由来すると信じている人たちは多いが、さりとてこれまた丁寧にこれを実証してみせたという事例も案外すくないはずである。さきに述べた我々に示された「天皇制ボナパルティズム説」は、歴史的な役割を担っていた反面でこの種の避けるべきではない実証作業を一層曖昧なまま放置させた元凶のような気がする。「天皇制ボナパルティズム」とは、言い換えれば「強権的な軍事国家」のような意味あいなのだろうか。では、この権力のスタィルはどのような成立と興亡を示したのか、それが現実のわれわれを取り巻く時代とどのように疎通しているのか、気の遠くなるような実証が必要のような気がする。それではマルクス主義者のご都合に沿ってしまう。そもそも国際金融資本のもつ今日的な暴力の実態を隠蔽してしまいかねない。いまやむしろ扱いに苦慮する厄介な教条を発生するノイズのようにすら印象している。


左翼都合としては、「時代について二重権力期だと読み解きしたい動機」がある。つまり叛乱の機運ありと提言したい彼らの謀略的な動機が歴史認識を常に曲げるのである。いずれにせよ権力奪取に国家機構を占有する勢力を想定しているという、ちょっと情けない願望を宿している。その典型がレーニン主義者で、この手の連中はいまもゴロゴロこの国でみかけることが少なくない。



レーニン主義とは、その意味で歴史認識を歪めたいという「願望」の共有運動と呼ぶことが可能だと私は思っている。








この稿もふくめて、以下の7月18日からの連続エッセーです。
内容の理解のために以下の記事から読み返しくださることを
強く推奨します。


2008/07/18
吉本隆明と「関係の絶対性」









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最終更新日  2008年10月17日 19時25分16秒
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