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2008年11月18日
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人々が景気の後退局面に際して、多極主義の世界的な規模での蠢動がなんらかのかたちで関係していると気づき始めた。これは実は、予想もできない「大きな出来事」のひとつだと思う。かつて国家社会主義の時代、政治が世相を席捲したならば人々はその実相に思いを至らせる猶予などなく、翻弄されるだけだった。しかし、いまやさかのぼって過去の国家社会主義の台頭と猛威、そして崩壊にいたる激動の世界史のその背後に多極主義の操作を読み解きいまやその行く末を占うことすらヒラの国民に可能になりつつある。


「プロセッサー」の登場、まさしくパソコンの普及に象徴される高度集約性のある電子機器が廉価に普及し始めたことが飛躍的な情報処理の端末をヒラの国民に提供し始めた。この事が実現させた「現在」。ついに世界史の複雑な動きの背景にも想像力を投じることに機会と可能性を提供しはじめたという事だろう。ふたたびわれわれが国際金融資本にしてやられるとしても、この経験はけして無駄になることはない。そういう時代がついにやってきた。



国家社会主義とは、反国家(=国民国家)的な政治思潮である。それは社会主義が、反国家的であることと、軌を一にしているかのようだ。多極主義が結果として個別の個人を英雄に吊り上げる「虚構のクレーン」であるとしても、それはいわゆる国民経済の健常な意味での個人への尊厳に配慮したものではありえない。歴史的、地縁的国民国家を最終的に破壊し、収奪することが擬制の国家を肥大化させることは、すでにわれわれの体感レベルである。



国家の貌をしているが、国民経済を支配するその力はいかに強大であろうと社会と歴史、その民族的な起源を保有する諸国民の生活と経済を最終的に破壊しつくすまで荒ぶる神、それが国家社会主義が我々に押し付ける国民経済に対して超越的な巨大な官僚国家なのである。つまり、この司法ファシズムで覆いつくされた我々のの日常こそが国家社会主義の先端的なすがたである。



このような箇条で、断続的にこれまで「時代」を考えてきた。



かつて、60年代。少壮哲学者として登場し始めた頃、梅原猛が創価学会をファシズムであると分析する論考を出したことがある。絶版になっているが、古書店のかたすみでほこりを被っているであろうその刊行物の内容は痛烈だ。彼は哲学者特有の嗅覚で、この多極主義の時代に果たす巨大カルト集団の背後に国家社会主義の「実行部隊」を直感していたのだろうか。











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最終更新日  2008年11月18日 06時10分43秒
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