Facebook友達のブログが見逃せない「キリグア物語」
Facebook友達のマサキさんは素晴らしい女性です。毎日のようにグアテマラのキリグア村の暮らしを拝見していますが、Facebookの記事からブログを巡回していくらでも時間が潰せるほど飽きない興味深い内容がたっぷり。そんなマサキさんが日本に帰って来られたりすることもあるので講習会で出会った方もおられるかもしれませんね。今日は、バナナのお話。80年代の小学生は、鶴見良行さんの「バナナと日本人」とかで詳しかったりしましたが、あの頃の小学生たちが父親、母親になっても忘れずにマサキさんのように周囲に懇々と伝えていってくれると良いのになあと思ったりします。巨大ムカゴを収穫し終わって台所に戻ってくる途中でバナナの木が倒れているのに気づいた。もう少ししたら収穫しよう、あともう少し、と思いつつすっかり忘れていたので、そのバナナの木はバナナの重さに耐えられなくなって倒れてしまったんだ。バナナは根がほとんど張らない。ものすごく倒れやすい。だからバナナ農園ではバナナの木がピアノ線で括りつけられていたり、つっかえ棒がしてあったりする。倒れていたのは正確にはバナナではなくてプラタノ(platano)、英語でplantainという調理用バナナだ。日本人が食べているバナナはこれと区別するためにデザートバナナと呼ばれている。世界的にみるとデザートバナナより調理用バナナの方が生産量が圧倒的に高い。アフリカや中南米などの途上国ではこれが主食に近いものだからだ。もう少し正確にいうと倒れていたのはプラタノとバナナの中間のようなもので、青いうちはプラタノのように調理して食べ、黄色く熟したらバナナのように生で食べることができる優れものだ。しかも幹ががっしりと太くて普通のバナナに比べ倒れにくく寒さにも強い。このバナナはホンジュラスにある元ユナイテッドフルーツ社のバナナ研究所で、アジアの各地から集められたバナナの希少種とブラジルのPrataと呼ばれる酸味の強いバナナを掛け合わせてできたものだ。ゴールドフィンガーと言う名前で90年代になってから世界的に商品化されたようだけれど、キリグアはユナイテッドフルーツの本拠地、試作品が70年代くらいから入ってきていたそうだ。バナナが新大陸に入ってきたのはスペイン人の侵略以降で、もともと新大陸にバナナはなかった。中南米の熱帯雨林が伐採されて大型プランテーション栽培が始まったのが19世紀末で、コロンビアからグアテマラにかけてバナナ共和国が広がった。彼らが中南米で最初に栽培したバナナはグロスミッチェルという種類だが、1900年にすでにジャワ島で最初の真菌による感染が見つかり、1903年には中米のパナマまで広がってパナマ病という名前が付けられた。パナマ病に感染するとその農園はもうバナナを栽培できなくなる。そこでまた新たに森林を伐採する。パナマ病は土壌や水を介して感染するから、感染した農園の泥のついた靴で新しい農園に入ればそこもまた感染する。さらに1935年には中米でシガトカ病が発見された。これは強力な農薬で対処できるらしく、グアテマラでは硫酸銅溶液、ボルドー液が使われた。真っ青なボルドー液が散布されるので、そこで働く労働者はその液を全身に浴びて真っ青になっていたらしい。品種改良にも力が注がれたが、パナマ病に強くしかもグロスミッチェルのようにおいしいバナナを作るのは難しく、それでもなんとか満足のいく結果がゴールドフィンガーだった。ゴールドフィンガーは酸味があってもっちりしていて確かにおいしいけれど、グロスミッチェルの代替品にはならなかった。バナナスピリッツやバナナパフェにゴールドフィンガーは合わなかったからだ。そして60年代にグロスミッチェルは商品棚から消えて、キャベンディッシュと言う中国原産のバナナがこれに取って代わった。キャベンディッシュはパナマ病に強く味や外見もグロスミッチェルに近かったため消費者にほぼ違和感なく受け入れられたようだ。キリグアでは80年代ごろまでグロスミッチェルが栽培されていたらしく、うちのダメダメ大工のティトはその当時、バナナ農園で働いていたので全てのバナナを植え替えたこと、パイプをめぐらして水浸しにしたこと(たぶんパナマ病対策の冠水休閑法)などをよく話してる。キャベンディッシュはグロスミッチェルを滅ぼしたパナマ病には強かったけれど、80年代になると新種のパナマ病がアジアで確認され、複数の国に広がった。中米にはまだ来ていないと聞いているが時間の問題とも言われている。キャベンディッシュが滅んでもバナナは絶え間なく世界中の消費者に供給しなければならないから、新たな熱帯雨林に分け入り新種のバナナを探してきて交配して改良種を作るか、菌に感染していない熱帯雨林を伐採して新たにプランテーションを作るかすればいいだけの話かもしれないけれど。熱帯雨林がなくなるまで。20世紀初頭にパナマ病の調査をしたスコットランド人の農学者でClaude Wardlawという人がいる。彼は当時すでにバナナ栽培が中南米の生態系を破壊することを警告している。Virgin forest is the raw material of the agricultural pioneer. Before it can be exploited to advantage, its value must be truly assessed, otherwise the exploiter may find himself bankrupt while posterity is left with an infinitely poorer heritage. Panama disease was the product of willful disregard of the laws of nature. 何も評価せず、何も考えないで感謝ばかりしていたら確かに気分はいいだろうが、未来に残されるものはどんどん貧しくなっていってしまう。倒れたゴールドフィンガーバナナをマチェテで切り落とし、房ごと引きずっていこうと思ったけれど、重たくて引きずることもできない。少しずつ切って台所裏まで運んできた。今朝の収穫はゴールドフィンガーとサワーソップとパパイヤ。青いゴールドフィンガーバナナはスライスして揚げて食べた。ゴールドフィンガー | キリグア物語 http://yaplog.jp/quirigua/archive/1084↘クリックするとマサキさんのブログに飛べます。キリグアの宿までの交通手段 キリグア村マップ グアテマラシティからZona1にあるLITEGUA社から頻繁にプエルトバリオス方面、リオ・デュルセ方面行きのバスが出ています。キリグアまでのチケットを購入し、車掌のキリグアの歩道橋(Pasalera de Quirigua)かYamahaで降ろすように伝えてください。バスを降りて、村人にマサキの家はどこ?と尋ねれば親切に教えてくれます。5時間LITEGUA: 15 calle 10-40 ZONA1CALL CENTER (502) 2220-8840www.litegua.com.プエルトバリオスからプエルトバリオスのリテグア社からグアテマラシティ行きのバスに乗りキリグアで降りてください。1時間コパンからコパンから国境まで、国境からチキムラまでバスに乗り換えながら来ます。チキムラでVargasかCarmencita(どちらともプエルトバリオス行き)というバスに乗ればRioHodoで乗り換える必要なく、キリグアまで来ることができます。