カテゴリ:ヒラカワの日常
蕎麦を食いに、
まるを車に乗せて高速にのって浦和へ。 電話予約無用、一切宣伝なしでも列を成す 知る人ぞ知る(だぶんだれも知らない)名店、「しのうち」 は、県道沿いにひっそりと半紙に墨で「蕎麦切り場」の看板を上げた しもた屋風の蕎麦屋である。 横浜の「神星」と浦和の「しのうち」をもって、関東近県の双璧となす。 なんて、かっこつけてもしょうがないのだが、 とにかく、たまにむしょうににここの蕎麦が食いたくなるのである。 11時30分頃からのれんを上げるが、売り切れ終了なので、 油断がならない。 蕎麦、天ぷら、仕上げにしるこ。 堪能して、そのまま戻る。 夕刻、まるを実家にあづける。 月曜日から金曜日までは、シリコンバレーである。 月曜日は、出発の前に、TBSでラジオの録音がある。 BSデジタルラジオというやつで、BS-i461chテレビでスチールを見ながら聞くラジオである。番組名は「元気e!」60分プログラムである。 知らないよな、誰も。 俺も、知らなかった。それでも結構聞いている人がいるらしい。 俺はBSチューナーもないし、聞けない。 偶然にも、パーソナリティーは、木村政雄さんであった。 話題は、ビジネスに関することと、個人的なプロファイルだそうだが、 まあ、その場で考えることにする。 以前、ここに「ほとんど価値あるものは金では買えない」と書いたら 幾人かのかたから、共感のエールをいただいた。 あの、ホリエモンが「金で買えないものはない」とぬかしたから、もし、本気で言っているなら度し難い馬鹿だと書いた。 ライターの柿本さんという方から昨日メールをいただいた。 取材の申込みなのだが、その中で、堀江がどっかで 「金で買えないものがあるとしたら、それは差別だ。血筋、家系、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明でフェアな基準ではないか」 と言っているとあり、あまりの馬鹿馬鹿しさにあきれた。 堀江はどうやら本気なのである。 それとも、これをして、いさぎよい生き方であると賞賛されたいのか。 むりだね。 どうしてかって。 堀江は、金で買えないものがあると思っている。それは、血筋とか、家系、毛並みだという。あるいは、そういったものを背景にした利得、権益がはなからフェアネスを欠いていると批判しているわけだ。 そして、カネだけが、無色透明でフェアな基準である。と。 堀江君よ、君の言っていることはまったく正しい。 その通りである。 もし世界が、堀江が言うところのカネで買えるものと,堀江が考えているらしいカネで買えないものだけで構成されているとすればの話である。 カネで買えるものを考えてみれば、それが何であるかがわかるはずだ。 車、豪華なマンション、金目当ての人々の関心、カネで何でも手に入ると思っている女の自尊心。要するに、カネで買えるのは、カネで買えるものだけである。 これが、同義反復というのなら、もっと分かりやすく、計量可能なものだけであるといってもよい。 計量可能なものであれば、だれでも、どこでも、いつでもこれと交換できるという意味で、カネほど便利で、貴重なものはない。そして、確かに血筋はカネでは買えない。 俺も有り余るカネがほしいとおもう。(誰だってそうだろう。) しかし、世界は計量不能のもので満ちている。 敬意、愛情、おもいやり、つつしみ深さ、恥じらい。矜持。信頼。これを見えない価値といってもよいかも知れない。もちろん、憎悪や嫉妬といったネガティブな価値を加えてもよい。 でもね、血筋や家柄なんて買いたいとも思わない。買ったところで、持て余すだけだからだ。 計量できないものを手に入れるために、時にひとはカネをどぶに捨てることもある。敬意や尊敬は、そうしないと手に入らない場合もあるからだ。空間的なものは、ほとんど計量できるかもしれないが、時間が育むものはほとんど計量不能であるといってもよい。 金は、ものの価値のものさしであり、同時に欲望のものさしでもある。 三百万円出せば買えるロレックスは、それで「金持ちの象徴」を手にすることができる。金持ちに対する畏敬や、羨望をひきつけることもできる。 このときお金の象徴が意味しているものは何か。 それこそ、堀江が血筋や、家系、毛並みといった言い方で表現したもののイミテーションである。 カネは差別を無化しはしない。則物化するかもしれないが。 あえて、イミテーションの世界を俺は愛すると堀江が言うのなら、拍手するしかない。 でも、俺の前には現れないでくれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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