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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2005.06.24
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カテゴリ:ヒラカワの日常
田島正樹という大学の先生のブログを読んで
唸ってしまった。
世の中には頭のよい人はたくさんいる。
路地裏のカフェのおやじだって
そのくらいのことは知っている。

しかし、それを俺のような
浮世の渡世人(ってビジネスマンですが)に
噛んで含めるように語りかけ、
それがあたかも、
俺が言いたかったのはこういうことなんですよ
と思わせるほどに
不可視の読者に憑依するような言葉で
語れる人はそうたくさんはいない。
偉い方である。

回りくどい言い方をしたけれど、
要は、文体を持ったアカデミシャンであるということを
言いたいのである。
文体を持った作家ならたくさんいる。
いや、文体を持たなければ作家にはなれない。

田島さんの文章は、易しくはないけれど
どこかで大向こうを唸らせたいというよなけれんもなければ
自分の知性を他人にたいそうなものだと思わせたい
あるいは、自分でもそう思いたいというような
ケチ臭い根性のあとが寸毫も伺えない。
美しい文章である。
簡単なようだが、こういった誘惑から自由になることは
案外難しい。

ただ、自分の直感が、
はたしてどの程度の普遍性に位置取りされうるのかということと、
どの程度、未知の相手の理解と承認をとりつけられるのか
というふたつの時間軸の異なる要請に対して
理路という道を
ただまっすぐに、最短距離で歩んでおられるような
語り口である。

「我々の外交的オプションを増やすということは、何も主権国家として自由に軍隊を派遣できるようになるというようなことではない。何にもとらわれることなき自由な振る舞いなど、我々自身を本当に自由にするものではない。国際連盟を脱退したからといって、日本帝国はより自由になったであろうか? 自由のためにはルールや枠組みが必要であり、その制約の中に自ら進んで入ること、あるいは他国(たとえば中国)を誘い込むことは、自国にとっても他国にとっても有益であるとの理解を得る可能性があるのである。たとえば、自国の軍隊の運用に関して初めから大きな憲法的制約があるということは、外交上必ずしも不利でないばかりか、その事が可能にするオプションもないわけではない。いずれにしても重要な事は、長期的外交・安保の戦略をいかに構想するかにかかっている。」

無理がなく、よく身体になじむ論理である。

ここで展開されている論理は、ブログエントリの劈頭に記された
「スピノザは、否定的なものを否定する事によって肯定的なものが得られるとは考えなかった。一見否定的なものも、それが存在する限りは、それを取り囲む諸般の事情から理由あって存在し、理由あって存続しているものなのだから、否定的なものだけを手術のように切り取る事などできないのだ。」
という政治的な必然性への原理的理解を、そのまま普段着の言葉で
現在の憲法論議や靖国の問題にまで引き伸ばしてたどり着かせている。
トリッキイも揚げ足取りも、妙な国際政治常識も愛国心もない
透明な言葉だけで作られている。

俺は、ほとんど付け加えることがない。
付け加えることができないといったほうがいい。
いや、こういった理路が、
それはまるで俺が最初から思っていたことだと
思わせてくれるような仕方で、
教えていただいた。
知性の伝達ということの
理想的なかたちがここにはある。

ここのカフェのお客さんにも是非お読みいただきたいと思って
ご紹介させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/26188819.html


ところで、この田島先生は
どうやらウチダくんの大学の先輩にあたる方らしい。
ウチダくんがコメントを付けているのを偶然に見つけた。
あしたは、
その、ウチダくんに
箱根で経営者相手の講演をお願いしている。
できれば、余興の世相漫談もやりたいと思っている。

ウチダくん、あした、よろしくお願いします。






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最終更新日  2005.06.25 08:34:38
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