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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2005.11.28
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カテゴリ:ヒラカワの日常
たかが鼻であるのだが、
されど鼻なのである。
相変わらず、鼻の具合が良くならない。
副鼻空炎というものらしいいのだが、
こんなもの、抗生物質で一発快癒かとなめていたら
細菌になめられた格好になっている。
鼻がすっきりしないということで、
頭もぼんやりとしているのである。
まあ、これは生来のものなのかも知れないが。

さて、鼻をふがふがさせている場合ではない。
少しは頭も働かせないといけないのである。

─ 公的な政策論争で、自分の私利をあからさまに振りかざして
議論する者などまずいない。すべては、一般の利益というかたちで
表現される。

─ アダム・スミスは、市場を重んずべきだと論じて、ひとつの
モデルを提示した。マルクスは、当時の労働者にたいして資本主義が
加えているとされた害悪を認識し、別のモデルを提示した。
数多くの欠陥が文献で十分に明らかにされていたにもかかわらず、
マルクスのモデルは大きな影響力をもった。

ジョセフ・E・スティグリッツである。(翻訳は鈴木主税)
マルクスのモデルが現実では機能しなかったように、
アダム・スミスのモデルも機能するかどうかはわからない。
一部の限定的な地域であれば、それらはたぶん機能するだろう。
アメリカの一部では、それは良く機能していたかもしれない。
北ヨーロッパの国々では、そのままでは機能しないということで
大幅な修正がおこなわれた。
経済システムというものは、おそらくそういうものなのだろうと思う。

グローバリゼーションというとき、ひとつの経済モデルを
世界に隈なく押し付けてもうまくはいかない。モデルが機能するためには
あまりに多くの不確定な要素が地域には存在しているからだ。
そもそも、市場主義といっても、
世界の上位三名の資産合計額が、貧困な開発途上国48カ国のGDPを越える
(http://hiddennews.cocolog-nifty.com/)ような需給均衡とは
どのような神の手による深慮が働いているというのだろうか。

「グローバリゼーションをやめることはできない─グローバリゼーションは
すでに定着している。」と、スティグリッツは言う。そして、問題は
それを機能させる方法なのだと。
そうかも知れない。たしかに、国家単位でグローバリゼーションに抗って
鎖国をしたり、自給自足の経済の中に閉じこもることはもはや現実的では
無い。しかし、だからといって、この市場の暴走を善意の人たちが
ルール化して、環境や貧困に配慮したシステムに書き換える方途というのも
現実的には見えないのである。
グローバリズムは、原理的に、弱者に配慮しないことをその
活力の源としているからである。

では、どうしたらいいのか。
誰もその答えを知らないはずである。あまりに複雑に入り組んだ要素に
支配された世界の未来のことは分からない。
しかし、最貧国の市場を開放せよと迫って、アメリカの強大な資本が入り込めば、
その国の産業はひとたまりもないのは、目に見えている。
はじめから、圧倒的な非対称的パワーをひとつのリングで戦わせることが、
フェアな戦いといえるだろうか。
体重別、男女別ってことだってあるのではないか。
しかし、国際的な市場競争の場に、レフェリーも、コミッショナーも
いないのである。
IMFもWTOも世界銀行も、強者の連合体である。すくなくとも、
自国の利害関係者が、この場に入っているかぎり、国益論的な立場を
離れろと言っても、それは無理な話だろう。
国際的な公共機関ができるならば、それが望ましい。
しかし、それが現実的でないのなら、
俺は、グローバリゼーションの速度を緩める、できれば極限まで緩める
方向に、すべての国際機関が協力する合意の道を探る以外にはないように思える。
いや、これもまた非現実的なことかもしれないが、
市民レベルの圧力を加えることならできるだろう。
なんか、反グローバリストの主張のように聞こえるかも知れない。
しかし、それは短見というものである。
俺はグローバル化は、推進するものではなく、必然のプロセスであり
それ自体が自然過程であるといっているのである。

スティグリッツが公的機関のガバンスが問題であるというとき、
それが、イデオロギーであることを含意している。
つまり、イデオロギーによる、自然過程の私物化が行われているのである。
自然過程は、自然に戻す他は無い。
しかし、それは自然には戻らない。
ならば、
貧国が自国の経済を整えて、自ら成長の軌道に乗るまで少しずつ
競争の原理が浸潤してゆくまでは、公共機関、政府が
過剰な競争に介入して、グローバル化の速度を調整する
という迂遠な方法以外に、
妙案があるとは思えないのである。









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最終更新日  2005.11.29 00:27:00
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