3313143 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2007.07.11
XML
カテゴリ:ヒラカワの日常
神戸北野ホテル宿泊。
さきほどまで、仕事がらみで
鷲田清一先生と夕飯。
大林組の長谷川常務、船橋くんらと歓談。密談。相談。
大阪大学の学長になることが決まって超多忙なのであるが、
それでも、哲学者鷲田さんは、悠揚として迫らぬ
はんなりとした風情で
話は転々、淀川の川原に転び
心地よい時間を過ごすことができた。

大林組がタクシーチケットを出してくれたので、
そのまま北野ホテルへ向かった。
以前築地の場内すし屋をご案内した永末支配人から
ご案内状をいただいており、一度はその「世界一」の
朝食を食ってみたいと思っていたからである。
車中、ひとつの考えが浮かぶ。
いや、この間ずっと考えていたことである。

違法な行為があったとか、
態度が気に入らないとか言うこととは別に
コムスンの社長、ヤンキー先生、ワタミの社長は
同じ穴の住人であるということである。
ここに、ホリエモンを加えてもよい。
あるいは、石原慎太郎も。
彼らは、成功者であったか、あるいは今でも成功者であるように見える。
しかし、俺は彼らの成功にどんな意味でも賞賛を与える気持ちにならない。
ただ、ことさらに持ち上げる必要もなければ、
貶める必要もないやりきれない凡庸さだけがあるだけだ。
彼らは、それぞれ、一緒くたにしてほしくはないだろうが
俺にとっては同じ穴の住人に見える。
どんな穴か。

それをご説明するには
すこし長いたとえ話をする必要がある。
それはある青年の一代記である。
たとえば、駅前にたこ焼き屋を開いた青年がいたとする。
(コロッケ屋であったかもしれないし、小さな工場主であったかもしれない。
だから、たこ焼き屋とはひとつの職種の記号だと思っていただきたい)
彼は、このたこ焼き屋でちょっとした、小金をためることができた。
彼の店は立地に恵まれ、コストバランス、営業感覚に意外な才能を発揮した。
彼は小金を貯めて、小さなレストランを開業した。
このレストランも大いに繁盛し、彼は小金以上のものを貯えた。
彼はその小金を元手に金貸しをはじめ、金融の世界でもちょっとした成功をおさめる。
そして、彼はこの町の町会議員に立候補し、見事に当選する。
そしてついに、彼に国家からお声がかかる。
「ひとつ君の才能を、もっと人々のお役にたたせていただきたい。」
彼はそうやって国会議員に立候補するか、あるいは国家機関の一員に
リクルートされることになったのである。

これは、ひとりの立身出世の物語である。
同時に、手のひらの確かな感覚を他者に届けるところから出発した
彼の職業が、サービス、金融、公職といった
高度ではあるが手のひらの実感から遠ざかってゆく場所へと
階梯をのぼりつめてゆく歴程でもある。
かれの描いたキャリアパスは、人々のリスペクトを集める場所へ自らを
押し出してゆくということであった。
キャリアパスというものを考えたとき、誰もがこのように考えるかもしれない。
ただ、彼はもう最初のたこ焼き屋や、コロッケ屋や、小工場主に
戻ることはない。

「それは象徴的にいえば、田中康夫が県知事になったとき、彼(高橋源一郎)が野球や競馬のテレビ評論家になったことからも推論することができる。(途中略)
わたしはためらいなく田中康夫は少しだけ文学の休暇をとったつもりでも、それは文学の放棄につながるだろうが、高橋源一郎は呼べば即座に活気意を持って文学に戻ってこられるに違いない。そんな完黙の詩心を失っていないまま、競馬や野球の仲に入っていることがよくわかる気がした」
これは、吉本隆明が高橋源一郎を評した言葉である。
わたしは、この吉本の評言に「錆付かない批評眼」というものを見る思いがした。だれも届かないような見事な分析である。吉本はこの部分に続けて、県知事としての田中よりも、競馬評論家としての高橋のほうが二枚も三枚も上手であると言っている。

コムスンの社長は、商社をスピンオフして、遊興ビジネスの世界で大きな成功をおさめるところから出発した。
週刊誌を開くと、かれは安倍首相と握手をしたり、クリントンと肩をならべた写真を誇らしげに公開している。(勿論、介護ビジネスで大成功したからである)
ヤンキー先生に関しては、こちらにほとんど知識がない。しかし、ひとりのどこにでもいるしがないヤンキーが、先生になることで人生に逆転があることを象徴的に示した事例としてマスコミや、教育再生委員会が持ち上げた(らしい)ことは容易に理解できる。
今度は、参議院議員に立候補だそうである。
ワタミの社長もまた、居酒屋チェーンから出発して、学校をつくったり、委員会の委員になったりして、キャリアを駆け上っていったのだろう。世直しなんてことまで、考えるようになっているのだろうか。
ドラえもんも国会議員に立候補しちゃったよね。
そこにあるのは、あの立身出世の階梯を上っていた青年と同じ、どこにでもいて、誰にでもある志向性である。
学校経営者が居酒屋になったり、国会議員がプロレスラーになるといえば、俺は拍手したいが、そういうことはほとんどない。
それは、ある意味では自然なプロセスである。
しかし、吉本の言葉を借りるなら、彼らに欠けていたのは、出自である職業に息づいていただろう「詩心」である。
いや、かれらには、階梯の先端はよく見えていたが、出自に対する「詩心」など最初から持ち合わせていなかったのかもしれない。

俺は、遊興ビジネスの世界の成功者が、介護ビジネスに進出すべきではないと言いたいわけではない。(すこしは言いたいけれど)
ただ、出自の世界から、社会的にリスペクトを集める職業にステップアップしても、もう一度元の場所へといつでも戻れるのでなければ、それは最初から出自の世界への矜持も愛情も持ってはいなかったと同じだということが言いたいだけである。
かれらは、ただ脱皮を繰り返して、キャリアアップしたに過ぎないということであり、そこにあるのはやりきれない凡庸さだけである。
もし、彼らのうちの誰かが、もう一度凡愚の世界へ引き返すというのなら、話は別だが、そのようなことは決して起こらない。
だから、かれがどんな成功をおさめようが、どんな業績を残そうが、俺はリスペクトを与える気持ちになれないのである。
もっといえば、彼らの指導者面にはうんざりだということである。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.07.12 07:43:31
コメント(9) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.