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29日の毎日新聞夕刊によると、消費者物価が2.4%も上昇したとある。
16年振りの高水準だそうである。 一般企業の労働者ならびに、派遣労働者などの所得水準は上がっていないので、 相対的には所得下落と同じである。 こういった渡世でも儲けている奴はおり、自分の所得だけは しっかりと確保している富裕層もあるので、所得格差は拡大するばかりである。 中小・零細企業は、大手企業の生産調整と、消費者の買い控えによって 前年比20%から、業種によっては90%の落ち込みだそうで、 俺の周囲を見渡しても、これは実感できる数値である。 どうも、げんなりする社会が出来上がりつつある。 2000年ごろから、グローバリスムは直感的にも原理的にも、もたない、 新自由主義的な改革には、実効的にも、文化的にも 病的な金銭フェテシズムに侵されたよくないものがあると 申し上げてきたが、それでも破綻が急激過ぎて暗澹とした気持にさせられる。 本音を言えば、経済政策が問題なのではない。 どんな顔をしたどんなやつがそれを発案し実施しようとしているのかが問題なのだと俺は思っている。 顔ってあんた、全然論理的じゃないねと言われるかもしれない。 だけどね、万能で、万全な政策など在り得ない。 どこかで、誰かがやり繰りし、やり繰りできないものと何とか折り合いをつけながら政策を実行する。 現場とはそういうものであり、一進一退を繰り返しながら 最悪の事態を回避しながら進めていくのがあらゆるマネジメントの要諦でしょ。 だから誰が、どのような見識と意図を持ってその政策を打ち出し、実行しようとしているのかが問題なのである。 経済政策の根本には公正さが必要だってことだ。 公正さとは何か。不正な蓄財をしないとか、虚偽の申告をしないというような ことを言いたいのではない。 それを止めろといったところで、どんな時代にも、機縁と必要があれば、 誰だって不正に誘惑されることを止めることはできない。 公正さとはもっと別の概念であり、実行可能なものだ。 俺は『株式会社という病』のなかで、それをこう書いた。 「お金とは本来、商品の前では万能であるが、もともと商品ではない人間の 精神的な領域、つまりは矜持、義理や人情、友愛や意地の前では無力であるべきなのだ」 市場万能主義、経済ダーウィニズムを遂行しようとするものたちには、公正さへの目配りが根本的に欠如していると俺は思っているのだ。 今日の資源価格の高騰、格差の拡大、金銭フェテシズムの横行、 これがグローバル資本主義、市場万能主義の結末である。 いや、まだ結末ではない。 もっと酷くなる。 先日のNHK『クローズアップ現代』“グローバル・インフレの衝撃”は、 現在の世界に起きている経済的地殻変動(パラダイムシフト)について 分り易く、それゆえ衝撃的な内容を伝えていた。 グローーバリズム、市場原理主義というものの行き着いた先が どのような惨憺たる無秩序であったのか、そしてその真相を多くの人たちが いまだ見過ごしているのかということについて、 俺がその発言に信を置いている二人、三菱UFJ総研の水野和夫と榊原英資が このパラダイムシフトについて大変分り易く解説してくれていた。 ときおり、NHKはこのような見逃せないプログラムを放送する。 問題は、資源価格の高騰であり、やがてこれが穀物価格の高騰に繋がる。 そして、原材料の価格の高止まりは、製品価格に転嫁されることなく、 貿易をすればするほど赤字が拡大するようなビジネス構造に組み込まれてしまった 日本や韓国がどのようにしてこの苦境を脱出できるのかということである。 何故、資源や穀物価格が跳ね上がっているのかについて、 榊原は、いままでは投機的なマネーが原因であったが、 サブプライムローンが破綻し、信用収縮した金融のマーケットにおいて、 逃げ場を失った年金基金などの投資運用マネー(投機筋ではない)が、 資源や穀物に集中してきており、 結果として資源や穀物が確実な金融商品になったことが原因であると分析している。 投資債権は長期保有が原則なので、多少の上げ下げはあっても 長期的に見れば資源、穀物は高値のまま推移し、 安い原料を輸入して、付加価値製品を製造するビジネスモデルを採用している 国は容易に苦境を脱出することができない。 これまでの世界の生産調達構造が根本的に変化したということであり、 この危機を過去の成功事例を参照することで乗り切ることはもはやできなくなっている。 新自由主義は、市場の需給バランスが価格を調整し、秩序を維持することを 基本に構築された経済理論であるが、もはや、市場の調整力は働かなくなっているのである。なぜなら、実需とストック資源との間には、市場経済的な相関がほとんどなく、 資源メジャーや穀物メジャーによく国際的なカルテルに関しては それらに歯止めをかける法律が存在していないからである。 これは市場原理ではなく、市場崩壊あるいは市場溶解といってもよいのではないか。 勿論、こういった事態の中でも(こういった事態だからこそ)利益を得ているものがあり、 自らの戦略的ポジションを固定化しようとする連中の政治的な意図があって、 いまの状況が生み出されてきているわけである。 しかし、どこかでその政治的経済的意図を超えて、世界の経済秩序が崩壊に向かって 動き出しているように見える。 アフガンや、イラクに民主主義を植えつけようとして武力介入し、 結果として介入以前とは比較にならない混乱と混沌を作り出してしまった 米国の政治戦略の失敗と、現在の世界経済の混乱はパラレルに進行している。 どちらも、「公正さ」への目配りのできいない指導者が先導し、 かれらのプロパガンダに乗せられた人々が後押しして作り上げた状況である。 金が万能だと思っているものと、(軍事)力がポリティカルパワーだと思っている ものと、パワーを失うとジリ貧になると恐れている多くのものたちの合作である。 残念ながら、これらすべてが公正さを欠いた思想であるといいたい。 先の二人のアナリストの見解は、個人や企業の努力では 現在の経済的な混乱はもはや修正不可能なところに来てしまった。 何らかの国家レベルの政策、市場への介入が必要ということであった。 それが一体どういうもので、どんな意味を持つのか、俺にはよくわからない。 ただ、確実に言えることは、これまでの景気循環期待や、小手先の景気浮揚策では もはや解決不能なところへ踏み込んでしまっており、この先長期に亘って 日本は経済的な苦境に立たされるだろうということである。 もちろん、すでに九つの金融機関が破綻した米国の凋落はさらに進行し、 覇権は完全に資源国や、中国のように国策で資源メジャーを買収している 国に取って代わられることになる。だからなんだというのだ。 出口がない。 出口がなくとも、救いがないわけではないと俺は思う。 経済のパラダイムの変換は、金銭フェテシズムが生み出したものだ。 ならば、こちらの思考のパラダイムを変換して、金銭欲とは無縁の価値観と 生活規範を作り上げてゆけばよいだけである。参照例がないわけでもない。 ― 典型的な一日というわけでもなが、それほど特殊な一日ともいえない。 どうしてこんな商売を続けているのか、自分でもよくわからない。金持ちに なれるわけでもないし、愉しいことがそうそうあるわけでもない。 (フィリップ・マーロウ、村上春樹訳)
Last updated
August 29, 2008 22:08:26
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