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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.11.11
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カテゴリ:ヒラカワの日常
11月1日付朝日新聞夕刊(大阪)に一文を寄稿した。
タイトルは『生活感が宿ってこそお金だ』巨額の資金が踊る金融危機に思う

新聞掲載ということで、校閲があり元々の荒削りの文章とは
少し異なったものになっている。
以下はそのオリジナルのほうである。
どちらも俺が書いたものであり、違いは微細な部分に留まるが、
俺の体臭は勿論こちらの方に色濃く漂っている。



巨大な経済に潜む闇と、小さな経済に宿る神

 サブ・プライムローンの破綻に始まった金融崩壊と世界同時不況。状況は日々変化しており、専門家の言うことも楽観論悲観論こもごもである。「資本主義の暴走が引き起こした現象であり、世界恐慌の入り口に立っている」と誰かが言い、「米国は日本と違って素早い対応をしているので、十年かかった日本ほど時間はかからないだろう」と経済の専門家が言う。「痛んだのは複雑な金融商品を開発し、その決済ができなくなりお金が回らなくなった。失墜した銀行の信用を回復するには、不良資産を整理し、目減りした資本を増強して資金の流動性を回復すればよい」と別の専門家が言う。ご意見の真偽の以前に、私はその語り口そのものに違和感を覚える。だから何だというのだという気持ちになる。それを喩えればこうなる。森を見て木を見ず。当今の議論は森を守れと大金があちこちに移動しているが、生きている一本一本の木、つまり人間の生活は置き去りにされている。
 新聞には毎日、数千億円、数兆円という金が、政府から銀行へ、民間から民間へ移動する様子が報告されている。私には、触ったことは勿論、見たこともない金額である。触ったことも、見たこともないという意味は、骨身に染みる実感のない空虚な記号でしかないということだ。青島刑事は「事件は現場で起こっている」と叫んだが、この度の「事件」には、現場のもつ確かさも、生々しさもない。ただ、人間の欲得が作り出した巨大な闇があるだけだ。起きてしまったことの事実報告と、あやしげな経済理論による対処策があれこれと詮索されているが、何故こんなことが何度も起こるのかはよくわからない。やっかいなのは、この記号の中の出来事は、記号の中だけでは終わらず、早晩私たちの現実の世界を侵食しはじめる。すでにその兆候は顕れている。冬のボーナスはカットされ、下請け企業には仕事が回らなくなり、零細企業者は資金繰りに窮している。
この度の騒動が起こる以前から、テレビも新聞も日々、株価情報や為替情報を伝えていた。「市場はどう判断しているのか」とキャスターや専門家が解説を加える。市場の値動きが民意とでもいうように。いったい日本においてどれほどの人間が、株や債権で資産運用をしているというのか。株式相場、先物相場、為替相場といった金融取引の場を「市場」と呼ぶことに私は強い違和感を覚える。市場に任せる。市場原理。しかし、この相場には厳密な意味での商品が存在しない。交換されるのは欲望とリスクという形のない幻想である。幻想には限度がないので、市場原理とはいうものの、商品市場のような需給バランスもまた存在しない。いやそんなことはない、という人もいる。透明性が確保されていない不完全な市場だからこんなことが起こるのだと。しかし、透明で完全な市場など存在したことがあるのだろうか。誰かが、相場を市場と呼び替えた。生産者と消費者が商品を迂回して交通する場が市場である。身を削って生産された商品が、切実な生活費の一部と交換される。イカサマ商品は、消費者によって市場からはじき出される。商品の存在自体が信用を担保し、市場の暴走を食い止める枷になるのだ。日本が失われた10年から回復したのは、銀行に公的資金を注入したからでもなければ、金利操作などのテクニックが功を奏したからではない。実物の経済を回復させたのは生産者がコストダウンの圧迫に耐えながらも商品を生み出し続け、消費者も低金利の預金を取り崩したり、薄給をやりくりしながらすこしづつ必需品を買い足していったからである。人間の欲得が破壊した市場に活況がもどるまでには十年が必要だった。
木の議論をしたいと思う。必要最低限の栄養分と少量の水があれば、木は生きていける。木にとっては成長促進剤も、包装や装飾も本来的には不要なものだ。九千億円の話にはリアリティはないが、九百円はコンビに弁当や、にんじんや大根と交換できる金券である。お金には、私たちの汗やため息が染みこんでいる。だから労働者の汗が染みこんだ商品と交換可能なのであり、だからこそ、私たちはお金を尊いものだと思えるのだ。このお金への眼差しがなければ、お金は記号に過ぎなくなる。お金の価値は、小さな経済のほうに宿っている。





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最終更新日  2008.11.12 08:37:11
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