カテゴリ:ヒラカワの日常
「路の記憶」より 湯田川温泉 友人の内田樹のお兄さんが、肺がんで亡くなってから一年が過ぎた。わたしと同じように、若くして起業したが、わたしとは違って立派な会社に育て上げた。ビジネスの才能があるようには思えなかったが、将来を見る独特の見識眼があった。何事も自分の頭で考え、思い立ったら真っ直ぐに行動した。徹底した合理主義者だったが、会社を離れれば情のひとであった。最終的には大手の医療機器メーカーに全株式を売却して、悠々自適の生活に入った。 生前、公私ともにお世話になり、亡くなるまでの十数年は、毎年箱根の吉池という宿で二泊三日の麻雀を楽しんだ。 「生きていれば返してもらうが、俺が死んだら君にあげるよ」といって貸してくれた五本のチャン・イーモウのDVDは返さずじまいになった。 一周忌ということで、内田樹くんをはじめ、ご一族がお墓のある鶴岡に集合した。わたしは、前日に飛行機で庄内に飛んで、そこからタクシーで前泊予定の湯田川温泉を目指した。 鶴岡といえば、ほとんどの観光客は、温海温泉か、湯の浜温泉へ流れていく。 どちらの温泉場にも、近代的で快適な旅館が多く、日本海を眼下にする露天風呂の施設も充実している。 いっぽうの湯田川は、三方を山に囲まれ、かつては湯治客が長逗留する温泉場として栄えていたようだが、今はひなびた温泉街であり、宿もどちらかといえば、古風な日本家屋である。 つかさ屋の説明書には、「庄内藩主酒井家の湯治場として、また出羽三山参拝の精進落としの歓楽街として賑わっていた湯田川温泉にあって、つかさや旅館は湯のぬくもりが時代を経ても決して変わらぬように、一貫して訪れる人々の心をねぎらうおもてなしに心掛けてきました」とある。現在の当主は9代目だそうで、江戸時代から続く旅館の風情を味わうには、もってこいの宿であった。 寺の上り口に、藤沢周平原作、山田洋次監督による映画「たそがれ清兵衛」のロケーションが、この湯田川で行われたという説明板があった。そう言われれば、あの貧乏侍が暮らしていた山里の光景は、この神社周辺の光景そのままであり、誰が保存するでもなく当時の空気が保存されていることに改めて気づかされる。夕暮れ間近の神社には、セミの声だけが反響している。 この地には、柳田国男、種田山頭火、斎藤茂吉、竹久夢二、横光利一など錚々たる文人墨客が来湯しており、あちこちにその碑があるということなのだが、神社の境内のあまりの蚊の多さに辟易して、すぐに退散した。東京もんには、この地の蚊の凶暴さに打ち勝つ免疫は備わっていないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.09.26 02:27:53
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