皇建有極
北京3日目、故宮(紫禁城)を見学する。天安門広場には民族の数だけ、赤い柱が2列に立っている。人口の90%以上が漢民族だそうだ。他民族が1億として平均200万か。辺境の地にある民族は捨て置かれる存在になりかねないね。そうでなくても10億の人々を纏めるには至難の技に近いな。「太和園」は故宮で1番大きな建物かな? 中央に玉座がすえられていた。この玉座を見よう、と中国人、観光客が殺到していた。中国の地方からの観光客も多いそうだ。玉座の上に「皇建有極」と書かれている。明か清の初期の皇帝 直筆の書だそうだ。皇帝自らができることは限りある、ってところか。哲学の言葉「無知の知」に近いような言葉だな。巨大中国を統一することは大変なことだが、初期の皇帝たち、もちろん毛沢東もだが、人民を束ねる術を知っているし、謙虚だったんだろう。「太和園」の「和」の文字の言われは、稲穂に口だそうだ。食べることに満足できれば、和むってことだ。決してなり上がりでは皇帝になれないだろうが、数代も続けば 腐敗政治の駄目な国家に成り下がることは歴史でも明らかだ。故宮は特別感動するところは少なかった。建物が大味すぎる。それに石畳、同じ色彩の建物。木はほとんど植えられていない、そんなところがもう少し調和と言うものがないのか、と言いたくなる。故宮の下は毛沢東の命により、故宮の宝物が地下に仕舞われているそうだ。故宮はもの凄く建物が多い宮殿だ。理由はそれぞれの建物に各層の女を囲っていたようだ。日本の昔の皇室のような身分の女性たちを住まわせて、気の向くまま、今夜のお相手を決めていたらしい。大奥とは一回りスケールが大きい、ってところか。ただこの写真のような建物を見ると、ずいぶん味わいのない生活をしていたな、と思う。