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最近、15歳の脳死少年の臓器移植がされたというニュースがあったので、
うちの話しも。 うちの弟は、小学校時代サッカーのエースストライカーで将来を嘱望される 存在だった。そして、賢く優しくルックスも愛苦しく、周囲の人気の的だった。 小学校5年生の時、神奈川県大会の決勝まで勝ち進んで優勝目前という時に 人生が暗転する。 決勝直前に難病が発症し、以後暗くて長い闘病生活に入った。 生活は大幅に制限され、薬の副作用で別人のようになった。 治ることのない病気とともに、全てが変わってしまった。 そんな弟に心を痛めていたのであろう。うちの母親が、人生最後の仕事として、 弟への臓器移植を申し出た。 日本では、臓器移植に高いハードルがあり、第三者からの提供を待っていても ほとんど無駄というのが現実。 身近な人間を頼るしかないのだ。幸い、医学の進歩で免疫抑制剤が改良され、 拒否反応が出るケースがかなり減少している。 だから、最近では夫婦間での臓器移植も増えているということだ。 母と弟の臓器移植は昨年の6月サッカーワールドカップの期間中に行われた。 母69歳、弟42歳。そんな年寄りの臓器が機能するのかと思ったが、人間の 臓器は(場所によるが)150年ぐらいの耐用年数が確保されているという。 ちょっとビックリした。 そうは言っても、まあ、基本的に他人のものなので長くても15年程度で使えな くなるようだが・・・ 手術は成功、弟はリハビリを経て、30年という人生の長いトンネルから脱出した。 そして、これから短いながらも充実した「普通の生活」が始まるかに見えた。 3月11日(金)東日本大震災の日。 僕らの親兄弟はみな神奈川、東京、千葉にいるため全員難を逃れたと思っていた。 しかし、僕はテレビの映像を見て蒼ざめた。 市原のコスモ石油コンビナートが大爆発を起こしていたからだ。 まさにそこは「普通の生活」を始めたはずの弟が働いている場所だった。 安否不明だった弟からは、後日病院からこんなメールが送られてきた。 目の前でタンクが吹っ飛んで、はるか上空まで炎が上がった時の事です。 なぜだか逃げようという気は全く起こりませんでした。 ただただ唖然として宙を見つめるだけで。 一瞬にして今までとまったく違う世界になってしまう。 この気持ち、僕は他の誰よりもよ~く知っています。 でも、すぐ忘れる。何度痛い目にあっても同じことの繰り返しです。 今回もまた勉強させてもらいました。 明日という日が必ず来るとは限らないって事を。 神様は本当に不公平だと思う。 弟がどんな気持ちなのかは想像もつかないが、1つだけ分かる。 平和な明日が来ることを、それだけで幸せだと思う心を決して忘れてはいけない。 今災害で被災された方々には心からお見舞い申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.17 00:46:26
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