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久恒啓一

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茨城県の北、福島県いわき市と接した五浦(いずら)に明治の美術行政家・美術運動家・岡倉天心1862年ー1913年)を記念した美術館がある。この美術館の一室が岡倉天心記念室である。太平洋の荒波が押し寄せる断崖の上に建っている。

そしてここから10分ほど下ると、天心邸が残っている茨城大学五浦美術研究所があり、この研究所の道を隔てた対面には天心の墓所もある。研究所のその突端の崖の上に有名な六角堂がある。眼下に波のしぶきを見下ろせる。天心が開扉した法隆寺夢殿(八角)を模したともいわれている不思議な建物である。朱塗りの外観の中に、畳を不思議な形に切って、4畳半ほどの空間が見える。ここが天心の書斎だったのだ。外側から部屋を通して海に目を転じると、太平洋の豊かさと眼下の波のしぶきのみが見える。空と海と対峙しながら思索や読書に時間を過ごしたという。朱塗りの柱、屋根の上の如意宝珠、床の間を備えた茶室的空間である。断崖のすそを払う太平洋の波音を聞きながら思索にふけり、和漢の書を紐解いた場所である。ここにインドの詩人・タゴールも大正5年に足を運び、亡き友を偲んでいる。私個人は、この六角堂に深い印象を受けた。

この五浦では、東京美術学校を辞し、日本美術院を創設し、この茨城の地に本拠を構えた。東京美術学校校長時代の一期生横山大観(1868年生れ)、二期生の下村観山、三期生の菱田春草、そして木村武山を引き連れて、道場のような生活を送った。この4人が断崖絶壁の上に建った研究所で修行僧のような生活をしている写真が残っている。この地が大観や観山らを輩出した日本美術再興の地となった。また天心邸の隣には、大きな石碑が建っている。「亜細亜ハ一なり」という横山大観が揮毫した書が彫りつけてあった。

天心が行った柄の大きな活動は、欧米の模倣に終始するかぎり真の芸術はうまれない。足もとを掘り返そう、日本独自の種子を見出してそれを育成しようという運動であった。

天心が著した「東洋の理想」などをみると、歴史と地理の中に対象をおいて、その位置と意味を明らかにしていくという方法を用い、絢爛たる言葉を縦横に駆使しアジテーションしていくという文章である。当時の知識人や後代の文人たちにも大きな影響を与えたことを思わせるすぐれた文章家・思想家でもあった。

「東洋の理想」
アジアは一つである。二つの強大な文明、孔子の共同主義をもつ中国人とヴェーダの個人主義をもつインド人。ヒマラヤ山脈がわけへだてているのも、両者それぞれの特色を強調しようがためにすぎない。
地中海・バルト海の海洋民族がひたすら個別的なものに執着して人生の目的ならぬ手段の探求にいそしむものとははっきり異なっている。

「茶の本」
茶の始まりは薬用である。のちに飲料となった。中国では8世紀には洗練された娯楽の一つとなり、詩の領域に入った。日本では審美主義的宗教である茶道に高められた。美を崇拝することを根底とした儀式である。

記念室では、天心の一生をさまざまな品物や写真などで説明してくれる。フェノロサ(1853-1908)との出会い、文部省入省後、フェノロサとの欧米の美術事情視察、東京美術学校校長(28歳)、36歳校長非職、日本美術院創設、インド旅行でタゴールに会う、41歳「東洋の理想」発刊、42歳ボストン美術館、44歳五浦移転、「茶の本」ニューヨークで出版、50歳、中国、インド旅行、女流詩人バネルジー夫人と会う、51歳死去。

岡倉天心はアジアを視野においた思索と活動をした大きな存在であり、簡単に論評を行うべきではなさそうだ。本日、詩人・大岡信の名著「岡倉天心」(朝日選書)をようやく読み終えた段階であるが、天心本人が書いた書物を今から読みたいと思う。
1900年前後に新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心らは、英文で書物を著し、それを翻訳で後世の我々が読むということになっている。これらの書物は日露戦争の仲介をアメリカが果たすきっかけになるのだが、彼らの和・漢・洋の教養の広さと深さには驚きを禁じえない。

また平山郁夫先生(1930年生れ)は東京美術学校を継承した東京芸大の学長をつとめているが、日本美術院理事長職も襲っている。そしてアジアの遺跡の保護を訴え、さまざまな活動を精力的に行っている。平山先生は岡倉天心の跡を継ごうとしているようにもみえる。










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Last updated  2006/06/25 05:40:34 PM
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