|
カテゴリ:お出かけ:岐阜県
5/1朝の体重:
お休み ******************************************************** 写真をクリックすると、フォト蔵で大きくして見られるよ わんこと一緒に岐阜&北陸3県・世界遺産とちょっと早い誕生日祝いの旅 U^ェ^U ダワン! 【世界遺産『白川郷』】 の続きです。 まず見えてきたのは明善寺鐘楼門、その向こう側に明善寺本堂。 明善寺鐘楼門 屋根は茅葺きですが、1階に板庇(ひさし)をつけた珍しい建築物。 亨和2年(1801)加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたと伝えられています。 梵鐘(ぼんしょう)は第二次大戦中に供出されたため、 現在のものは戦後に鋳金工芸作家の中村義一氏(高岡市)によって作られたものです。 明善寺本堂 文化3年(1806)より欅材の伐採に着手し、 20年近い歳月を経た文政10年(1827)に高山の大工水間宇助により、 延べ9191人を要して建築されたといわれています。 正面(西)及び南、北に縁があり、南側奥が花立部屋、北側は半鐘部屋、東奥側には後堂、 中央部は2間で手前に外陣、その奥に一段高くして内陣があります。 向拝の龍頭の彫刻などに細工師のすぐれた技術をうかがうことができます。 早速お写真をパチリ 明善寺本堂にて 左手には明善寺庫裡郷土館とイチイの木。 明善寺庫裡郷土館 江戸時代末(1817年頃)に、高山の大工副棟梁与四郎によって建てられました。 客間である「でい」が「口のでい」「奥のでい」と3室に分かれており、 南側と表側の一部が庭に面して回廊になっているのが大きな特徴です。 階上は郷土の民具などの資料が展示された「明善寺郷土館」として公開されています。 明善寺のイチイ 文政10年(1827)、本堂の建設に際し、副棟梁の大工与四郎が鐘楼門の横に記念樹として植樹したものと伝えられています。 明善寺の石垣は伝建地区の保存対象となっていますが、このイチイの木はその石垣の一角にあって、 境内全体の調和を保っているといえます。 明善寺庫裡は『当村で一番大きい合掌造りです』と言うだけあって大きい~ 離れて撮らないと全部写らない (前の建物の陰になっちゃってるけど、一番奥が庫裡だよ) 合掌造り集落をプチ大地メレミントと一緒に散策 『長瀬家』最大級の合掌造り家屋は5階建てで、合掌柱が11mあるんだって 『神田家』築160年以上。 宮大工の手で10年の歳月をかけて建造されたと言われているんだって。 『和田家』国指定重要文化財。 築後約300年が経過した今も実際にお住まいだなんてすごいね。 山があって川があって田んぼがあって・・・ 自然に囲まれたこの暮らしが昔からずっと続いているんだね。 白川郷、もう1回だけ続きます 明善寺鐘楼門とイチイ 皆さま素敵なGWを もしプチ大地メレを気に入っていただけたら、応援クリックよろしくお願いします ( 別ウィンドウが開ききるまではそのままでお願いしますm(_ _)m ) 今までのハンドメイド作品をまとめました 画像をクリックすると今までの作品をご覧いただけます ******************************************************* 東日本大震災で被災された方の生活支援を行なっています *******************************************************
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[お出かけ:岐阜県] カテゴリの最新記事
|