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すでにお気付きの方も多いと思いますが、今月より「たわむれアーカイブ」と題して、04~08年の同日にアップした記事を選別し、掲載をはじめております。 実は、この楽天ブログに移籍する09年5月以前に利用していた『cgiboy』のレンタルスペースにアップしていた過去記事を、そのサービス終了にともない『インフォシークisweb』のレンタルサーバに保管していたのですが、その『インフォシークisweb』も去る20日でサービスを終了することになってしまい、この『ひとりたわむれ』の過去記事を閲覧していただくには、他のサーバを探さないといけなくなったのです。 日記の原本は自宅PCのハードディスクに保管してあるし、他に移管するスペースもないワケではなかったのですが、せっかくこの『楽天ブログ』のスペースがあること、最近本稿に穴を開けがちなことを考慮して、このような対策をとらせていただきました。 つきましては、本ブログのタイトルからナンバーを割愛し、スッキリと『ひとりたわむれ』に戻して新たなるスタートを切りたいと思います。 ワタシが書いた文章は、ワタシの分身でもあります。これを機に埋もれていた分身に今一度光をあてて、あの時の自分に思いを馳せてみたいと思います。 これがまた読み返してみると、意外と読みごたえがあるんだなぁ。『ひとりたわむれ』(爆笑) ぎっちょ
大相撲夏場所での旭天鵬の平幕優勝は、初優勝の最年長記録から、初土俵や新入幕以来の所要場所数の最多記録など、記録ずくめの優勝となった。まずは四十を目前にしてなお、衰えを感じさせない旭天鵬の日頃の努力に改めて敬意を表するとともに、最大級の祝福の言葉を贈りたい。 今場所は、稀勢の里以外の大関陣が優勝争いに絡むことができず、全員勝ち越しとはいえ不甲斐ない印象が拭えないが、それでは過去の平幕優勝場所はどうだったかと思い立って、当該場所の横綱・大関の勝率(休場は負けに換算)を紐解いてみた。 現行とほぼ同条件での比較ということで、部屋別総当たりが実施された昭和40年初場所以降のデータを見てみると、平幕優勝は昭和43年春場所の若浪を皮切りに、今回の旭天鵬が13回(12人)目となる。うち、横綱・大関の勝率が5割に満たなかったのは6場所あって、やはり伏兵出現と上位の不振は表裏一体なところがあるようだ。最低勝率は、昭和50年名古屋(優勝は金剛)で、横綱二人(北の湖、輪島)大関二人(魁傑、貴ノ花)でわずか17勝、2割8分3厘という惨状だ。輪島が全休、貴ノ花は未勝利のまま途中休場、魁傑は千秋楽にやっと勝ち越し、北の湖も9勝しかできず、金剛と千秋楽まで優勝を争ったのは同じ平幕で同部屋(当時)の青葉城。どちらが勝っても平幕優勝という情勢は今場所とよく似ているが、ふたケタ勝ったのもこの二人以外に小結・旭國と平幕の富士櫻しかいなかったことが、空前の荒れ場所を証明しているようでもある。 勝率ワースト2位が平成13年秋場所(優勝は琴光喜)。2横綱4大関が顔を揃えながら、横綱・貴乃花が全休、大関の魁皇と千代大海、雅山が途中休場し、皆勤した大関・武双山が辛うじて10勝したものの、横綱・武蔵丸は9勝にとどまった。残った二人が同部屋だったため、横綱・大関戦が一番も組まれなかったという点でも異例の場所だ。 混戦という点では、初代栃東が優勝した昭和47年初場所が群を抜く。一人横綱だった北の富士が十四日目になって休場し、千秋楽結びの一番が大関・清國と4敗で首位を走る栃東の対戦。栃東が勝ってスンナリ優勝となったが、もし負けていたらこの二人を含めた8人が10勝5敗で並び、トーナメントでの優勝決定戦となるところだった。上位は1横綱4大関で勝率3割8分7厘。前述した北の富士に大麒麟、前の山の両大関も休場とあっては混戦もやむなし…か? 逆に、上位が軒並み皆勤して成績もそれなりなところでの平幕優勝となると、その価値も倍増だろう。魁傑が優勝した昭51年秋場所は、2横綱(輪島、北の湖)3大関(貴ノ花、旭國、三重ノ海)が皆勤して勝ち越し、三重ノ海以外はふたケタ勝利で勝率も6割8分と高いが、魁傑が元大関で優勝経験もすでにあった(小結時代の昭和49年九州場所)ことは割り引いて考えるべきか? 上位総崩れの印象もある今場所だが、千秋楽休場の琴欧洲を含めて全員勝ち越しで、勝率は6割9厘。6割越えは、全員皆勤して勝ち越しと合わせて先の魁傑優勝場所と今回の2回しかなく、旭天鵬優勝の価値をさらに高めていると言っていいだろう。最後に、場所ごとの詳細について列記しておく。 カッコ内は成績。勝―負―休の順に表記。 昭和43年春場所 優勝 若浪(13-2) 横綱 佐田の山(2-4、引退)柏戸(9-6)大鵬(全休) 大関 玉乃島(12-3)北の富士(9-6)琴櫻(10-5)豊山(12-3) 54勝、5割1分4厘 昭和47年初場所 優勝 栃東(11-4) 横綱 北の富士(7-7-1) 大関 大麒麟(全休)清國(9-6)前の山(3-2-10)琴櫻(10-5) 29勝、3割8分7厘 昭和47年名古屋場所 優勝 高見山(13-2) 横綱 北の富士(全休) 大関 大麒麟(2-2-11)清国(9-6)琴櫻(8-7) 19勝、3割1分7厘 昭和50年名古屋場所 優勝 金剛(13-2) 横綱 北の湖(9-6)輪島(全休) 大関 魁傑(8-7)貴ノ花(0-4-11) 17勝、2割8分3厘 昭和51年秋場所 優勝 魁傑(14-1) 横綱 輪島(12-3)北の湖(10-5) 大関 貴ノ花(10-5)旭國(10-5)三重ノ海(9-6) 51勝、6割8分 昭和59年秋場所 優勝 多賀竜(13-2) 横綱 北の湖(0-3-12)隆の里(10-5)千代の富士(10-5) 大関 若嶋津(11-4)北天佑(9-6)朝潮(11-4)琴風(10-5) 61勝、5割8分1厘 平成3年名古屋場所 優勝 琴富士(14-1) 横綱 旭富士(8-7)北勝海(9-6)大乃国(4-5、引退) 大関 小錦(12-3)霧島(10-5) 43勝、5割7分3厘 平成3年秋場所 優勝 琴錦(13-2) 横綱 北勝海(全休)旭富士(2-4-9) 大関 小錦(11-4)霧島(12-3) 25勝、勝率4割1分7厘 平成4年名古屋場所 優勝 水戸泉(13-2) 横綱 不在 大関 曙(全休)小錦(10-5)霧島(11-4) 21勝、勝率4割6分7厘 平成10年九州場所 優勝 琴錦(二回目、14-1) 横綱 貴乃花(12-3)若乃花(9-6)曙(全休) 大関 武蔵丸(11-4)貴ノ浪(8-7) 40勝、勝率5割3分3厘 平成12年春場所 優勝 貴闘力(13-2) 横綱 貴乃花(11-4)曙(12-3)武蔵丸(11-4)若乃花(2-4、引退) 大関 出島(11-4)千代大海(8-7)貴ノ浪(7-8) 62勝、5割9分 平成13年秋場所 優勝 琴光喜(13-2) 横綱 武蔵丸(9-6)貴乃花(全休) 大関 魁皇(0-4-11)千代大海(4-5-6)武双山(10-5)雅山(3-7-5) 26勝、2割8分9厘 平成24年夏場所 優勝 旭天鵬(12-3) 横綱 白鵬(10-5) 大関 日馬富士(8-7)把瑠都(9-6)稀勢の里(11-4)琴奨菊(10-5)琴欧洲(8-7)鶴竜(8-7) 64勝、6割9厘 ぎっちょ
ぎっちょ ?@sunmanigiccho
(2005年5月21日付本稿の再掲) 後ろ足で直立する世にも珍しいレッサーパンダ、千葉市動物公園の【風太(ふうた)】君が話題だ。このニュースは、海を飛び越えて英国の新聞『デイリーエクスプレス』紙でも大きく取り上げられたという。着ぐるみのごとき愛くるしいその姿は、このところ殺伐としたニュースが続いていたこともあって、一服の清涼剤になっている。 アイドルアニマルといってまず思い出すのは、上野動物園のパンダ【カンカン】と【ランラン】である。1972年に日中友好の証しとして中国から贈られたもので、国民的人気を誇った。ワタシの妹も、当時は大のパンダキチガ…もといwパンダマニアで、ぬいぐるみなどを多数集めていたっけ。その人気に便乗してレコードも多数発売され、その中で『パンダのロック』という曲が一枚、マイコレクションとして手元に残っている。 最近では、フラリと現れた野生動物が注目を浴びるケースが多い。記憶にも新しいアゴヒゲアザラシの【タマちゃん】や、千葉・鴨川にあらわれたゴマフアザラシの【カモちゃん】、袖ヶ浦に迷い込んだクジラなんてのもあった。定置網にかかっての溺死ってのはちょっとカワイソウだったな…。 後ろ足二足歩行で話題になったものといえば【エリマキトカゲ】がある。敵の攻撃を受けそうになると、首の回りの“エリマキ”をおっ立てて立上がり、ユーモラスな格好で走り去る姿がCMで取り上げられて人気となったのだが、そのせいで乱獲されて絶滅の危機に瀕しているといわれる。 あまり知られていないが、ビーバーも後ろ足だけで立って歩く。ビーバーといえばご存じの通り川にダムを造って生活するのだが、その“ダム製造工程”を以前何かの番組で見た。流木を集めて器用にダムを建設していく過程で、セメントの役割として川砂を使用しているのだが、なんとその川砂を前足(両腕)で大事そうに抱えながら、後ろ足で立ち上がって“建設現場”まで運ぶのだ。その姿たるや 「えっさっ、ほいさっ!」 とか 「よっこらしょ~の~どっこいしょっ!」 と吹き替えを入れたくなる面白さなのである。ちなみに、ビーバーはダム完成まで不眠不休で働くらしい。そのマジメさは、我々人間も見習うところは多いのではないだろうか。 思えば、ワタシんちでも数多く動物を飼育してきた。軒下から落ちてきたスズメのヒナを育ててなつかせたり、セキセイインコは口の中に入って歯の掃除をしてくれるまでになった(悪い病気を持っている場合もあるので、よい子はマネしないように)。犬の『ヤッホー』は14年一緒に暮らした。今は、実家と妹んちに猫三匹がいる。やんちゃなオスの『ぶう』については先日触れたが、妹んちの『はにゃこ』は老いていることもあるがその“おっとりぶり”がまた愛らしい。ワタシが実家に招き入れたメスの『コロン』は、一人暮らしする前は一緒のフトンで寝起きし、毎朝6時きっかりになると「ニャン、ニャン」と言いながらワタシの胸をさすって起こしてくれる“世話女房”だったが、食っちゃ寝るの生活を続けるうちに飼い主同様丸々と太り、今やタヌキと見紛うほどだ。タヌキ狩りの猟師に誤って撃たれないことを切に願う(^-^) ぎっちょ
(2007年5月20日付本稿の再掲) 『猫の神様』 東良美季(とうら・みき)著 新潮社刊 この本は表題に『猫』と入っていても、単なる“猫バカ”の猫大好き評論文などという生易しいものではない。著者と愛猫【にャ太】と【ぎじゅ太】との生活、それも壮絶極まる“闘病記”である。その冒頭は、いきなり【ぎじゅ太】の死の描写からはじまり、【ぎじゅ太】が生まれながらに持っていたと思われる病気との闘いの日々や、その出会いから葬送までを一気に振り返る。共に暮らすうちに深まる愛猫への思い。特に、病弱でちょっとドジな【ぎじゅ太】へは特別な思い入れで世話をする著者。それだけに【ぎじゅ太】が死んだ日、その異常を著者に知らせるかのような行動をとった【にャ太】のいじらしさ、それ以前に異常に気付いてやれなかった著者の悔恨が胸をしめつける。その生き抜いた10年という年月が長いのか短いのか…【ぎじゅ太】を送ったあと、病弱な【ぎじゅ太】にかかりきりだったためにあまりかわいがってやれなかった【にャ太】をなでてやりながら、 「こいつとはあと何年…」 と思いを馳せる著者だったが、さらに間もなく残った【にャ太】にも容赦なく病魔が襲いかかる。 著者は、彼らを「猫の神様からの授かりもの」とし、育てていつか神の元へ帰すのだと悟る。奇しくも、ワタシにも世話は実家の母に任せきりとはいえ「授かりもの」が2匹いる。今年の秋で、出会ってから8年を迎える。最近、茶虎の【ぶう】は時折具合が悪くなり、床に伏せることがたびたびあるようになった。野良あがりだけに、先天的な病気をなにか持っているのかもしれない。逆に、洋猫のミックス【コロン】は丸々太って病気のカゲなど微塵もない。コイツらとも、いつかは別離の時がやってくる…のだろうか?いや、にわかには信じがたいが、それが事実なのだ。今日は1週間遅れの母の日で実家に行っていたのだが、いつものようにヒザに乗って丸くなるコロンをなでながら、 「お前とはあと何年付き合うことになるのかなあ…」 とつぶやいた。目を細めて、コロンがワタシの顔を見上げた。 http://www.amazon.co.jp/%E7%8C%AB%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A7%98-%E6%9D%B1%E8%89%AF-%E7%BE%8E%E5%AD%A3/dp/4103042311/ref=pd_bbs_sr_1/503-7912798-6467906?ie=UTF8&s=books&qid=1179670105&sr=8-1 ぎっちょ
いやあ~・・・えらい展開になったものだ。大相撲夏場所、一時は後続に星ふたつの差をつけて、自身初めてにして6年ぶりとなる日本人力士による優勝が確実視された稀勢の里が、昨日おとといと連敗を喫し、完全に圏外と思われた白鵬もまじえた5人が星ひとつ差にひしめきあう大混戦となった。 大相撲で“荒れる場所”といえば三月の大阪と七月の名古屋が代表格で、五月の夏場所は比較的順当な結果に落ち着いているような印象もあるが、古くは時津山(昭和28年)や安念山(昭和32年)といった関脇以下の伏兵が飛び出したこともある。また、大相撲史上で【若三杉】というシコ名の力士が優勝したのは別人により二度あるが、いずれも夏場所(昭和35年、52年)であったという因縁があったり、昭和52年に優勝した後発の若三杉はのちに横綱昇進で【若乃花】を襲名するのだが、初代横綱若乃花が大関で初優勝したのも夏場所だったり、大関で初優勝といえば現役の白鵬、琴欧洲、日馬富士がそれぞれ大関として初優勝を飾ったのも、奇遇なことにいずれも夏場所でのことだった。 もっとも意外性に富んだ結末となったのが今から51年前、昭和36年の夏場所だ。この場所は2横綱4大関が名を連ねながら、横綱・朝潮が途中休場、大関も琴ヶ濱が負け越し、若羽黒は勝ち越しがやっとの状態。もう一人の横綱・若乃花はすでに晩年で衰え著しく、優勝争いをけん引するべく期待された若き柏戸と大鵬の両大関も序盤から精彩を欠いていた。大鵬は中盤から持ち直し、十一日目には2敗で一旦優勝争いの単独トップに立つものの、翌日に勇み足で痛い星を落とすなど安定感を欠き、十三日目を終わって3敗でその大鵬と平幕の羽黒花(6枚目)、金ノ花(10枚目)、佐田の山(13枚目)の4人が並走する展開は、同じく3敗で稀勢に栃煌山と旭天鵬の平幕二人が並ぶ今場所によく似ていて興味深い。 これが翌日以降どうなったかというと、十四日目に大鵬と羽黒花、金ノ花が揃って討ち死にして、単独トップに立った佐田の山が千秋楽も勝って初優勝となる。入幕わずか3場所目、しかも全休明けでの平幕優勝というのもかなり異例だが、佐田の山の初優勝が特に異例と思わせるのは四日目の清の盛戦の敗戦だ。清の盛は十両力士で、しかもこの場所十両優勝を果たしている。幕内最高優勝者が十両優勝力士に敗れるなど空前絶後、今後もそういう事例があるかというほど異例づくめの初優勝である。 実はワタシ、稀勢が単独トップに立っていた十一日目を観戦しながら、自分のツイッターでこんなことをつぶやいている。 @sunmanigiccho【大相撲夏場所十一日目】稀勢がこのまま千秋楽まで走るとは思えないんだよなぁ… 05-16 16:47 @sunmanigiccho【大相撲夏場所十一日目】最終的には優勝ラインは3敗、4~5人くらいで決定戦になると予想してみる(^-^)v 05-16 16:51 稀勢の安定感に全幅の信用を置けなかったことや、予想される最終3日間の対戦相手との合口の悪さから、これを全勝することはまず考えにくく、運よくひとつくらいは勝てても2つは負けるのではないかとの予想から立てた「優勝ラインは3敗」だったが、その稀勢が格下の栃煌山にまで敗れてのすでに3敗では、顔ぶれからしてラインが4敗にまで下がる可能性も決して低くない。一時は優勝どころか休場まで取りざたされた白鵬が、ゾンビのように優勝争いに復帰してきたのは感嘆するばかりだが、こうなったら横綱には大変失礼ながら「終わってみたらやっぱり白鵬」なんてドッチラケな結末よりも、恩人でもある退官した前師匠に捧げる旭天鵬涙の初優勝・・・も悪くないが、やはり待ちに待った日本人力士久々の優勝、それも場所前には誰も予想だにしていなかったであろう栃煌山か隠岐の海が賜杯を抱くという痛快極まる結末を、個人的には期待しちゃいたいところなのだが? ぎっちょ
(2006年5月19日付本稿の再掲) 今に始まったことではないが、イマドキの女子高生のスカート丈はやたら短いのが多い。とはいえ相手は娘ほど年の離れた連中だしそういう趣味もないから、別にとっつかまえてどうこうしようとかそういう気持ちは毛頭ないのだがwそれこそヒザの裏側でも見られたら奇跡というくらい長いスカート丈が全盛だったワタシの高校時代を思うと、あの頃クラスの人気者だったC子ちゃんやY美ちゃんがこんな制服着てたら…と思いを馳せてハアハアしたり…というのは少しだけあったりする(火暴) ワタシは朝の通勤時、健康のためにとエスカレーターをなるべく使わずに階段を上るようにしているのだが、先日ふと見上げるとチンチクリンのスカートをはいた女子高生がワタシのかなり前にいた。もう歩くだけでヒラヒラすっから、もう見えそう!…とついついチラ見してしまうのが男のS・A・G・A。ところが…かの女子高生、中にスパッツをはいて完全ガードしてるんですなあ。なるほど。こういうガード技術もあったかと感心したワケで。 短いスカート、カワイイ(*´д`*)でも、見えちゃイヤだからと裾を押さえて階段上るよりは遥かに能があるってもんだ。 そういえば、天下の日テレ男子アナが女子高生のスカートの中をトーサツして捕まったそうな。もちろんやったことはイクナイが、そういう性癖を持つ殿方を挑発するかのようないでたちの女子高生諸君にも問題はゼロではないとおぢさんは思うのだが。政府や自治体も、『共謀罪』やらなにやらくだらない法律ばっか作ってないで、世の女子高生たちにスパッツ着用を義務付ける条例でも作ってみたら、そういった迷惑行為も少しは減るんでないかいな(・∀・)ニヤニヤ ちなみに、前途のような高校時代がトラウマとなっているのか、ワタシのツボはむしろフトモモより【ふくらはぎ】だったりするのですよ(・∀・)ニヤニヤニヤニヤ ぎっちょ
(2004年5月18、19日付本稿を編集のうえ再掲) 今も日中は営業車でラジオを聴いているのですが、もともとワタシは”ラジオっ子”です。それも、FMではなくAM派です。魅力、というと大袈裟かもしれませんが、音質もよく、BGM的に一方的に喋って曲を流す都会的雰囲気?のFMに比べて、”庶民の雑談”といった趣のあるAMラジオに、なんとも言えない親しみみたいなものを感じるのです。 AMラジオとの付き合いは古く、30年ほど前に叔父からレコードとラジオが一体となったステレオを譲り受けたことに端を発します。今にして思えば、当時としてはかなりの高級品だったと思われるのですが、夜のプロ野球に土曜昼の東京六大学野球と、野球少年でもなかったクセに何故か野球中継をよく聴いていた想い出しかありませんd(^-^) 小学校高学年になると、いわゆる【聴視者参加型】番組を聴くことが多くなり、そのハシりとなったのが『子ども電話相談室』。友達を家に集めて電話の前に陣取り、今日こそはムチャク先生とお話しするんだと、受付時間を過ぎると必死こいて局に電話しまくったものです。結局、一度も繋がることはありませんでしたが…w 同じ頃、夜の時間帯で『夜はともだち』という番組がありました。当時、まだTBSの若手アナだった生島ヒロシ氏がメインパーソナリティで、アシスタントのおねいさん(エミコさんと言います)とリクエストを一曲ずつ出し合い、お椀の中にサイコロをふって、大きい目が出た方の曲をかけるという【ふりちんリクエスト】をはじめとする様々なコーナーがあり、ウルフマン・ジャックや伊武雅刀のナレーションで有名な『スネークマンショー』もここでやっていましたっけ。番組の提供は小学館で、今は廃刊になってしまった「GORO」という雑誌のCMを毎回やっており、「ヌード」とか「ビキニ」「水着」といった刺激的な言葉がよく流れていたのを覚えています。 『夜とも』の中でワタシがもっともハマったのが『赤塚不二夫のギャグラジオ』というコーナー。赤塚氏をメインに、タモさん、所サン、高見恭子氏がレギュラーメンバーで、毎回ミニコントとネタはがきのコーナーで構成されていました。当時”はがき職人”として目覚めつつあった幼き日の私の作品も二度ほど採用されたりもしまして、その景品として「タリラリラ~ンステッカー」なるものをもらいました。たぶん、所サンが書いたと思われるメンバーの似顔絵がシールになっているものでしたが、嬉しくてノートなんかにペタペタ貼ったりしてたもので、現物は残念ながら残っておりません…。 その後、中学以降は『オールナイト・ニッポン』の全盛期となるワケですが、最盛期には月(中島みゆき)・火(とんねるず)・木(ビートたけし)・土(笑福亭鶴光)と週4日聴いていた時期もありました。鶴光師匠には、明るく楽しく”性教育”をしてもらいましたwコーナーも多彩で、歌の一節を巧みに使って文章を作る「そのとき君は」や、大喜利の王道「あいうえお作文」など多士済々のコーナーがあり…そういえば、同時期にオールナイトをやってたタモさんと【なんちゃっておじさん】の元祖はどっちかと論争になったこともありましたっけ。ちなみに、今タモさんが『タモリ倶楽部』でやってる【空耳アワー】と同じことを、鶴光師匠が「オールナイト~」で【この歌はこんな風に聞こえる】というコーナー名でやっておりました。コーナーの最後に、その日採用された作品を連続してプレイバックするのですが、寄せられた作品のほとんどが”お○○こ(別名:東京4文字)”や”お○こ(同:大阪3文字)”といった女性の秘部ネタばかりになってしまって、さすがの師匠もパニくっていたことが思い出されます。 たけしさんのもよく聴きました。今はすっかり”監督”が板についてしまい毒が抜けてしまった感がありますが、当時好きだったのが著名人をネタにしたコーナーで、【村田英雄】【ガッツ石松】【ジャイアント馬場】らが俎上にあげられました。村田氏がスナックで 「俺のボルトを出せ」 と言ったとか、馬場さんがオープンカーで移動中にいきなり”ウエスタンラリアット”と”アックスボンバー”を食らい、びっくりして振り返ると信号と歩道橋だったとか、実話ともネタともつかない(馬場さんのは明らかにネタか?w)話に大いに笑わせてもらいました。 特筆すべきは、やはり中島みゆきさんですかねえ。歌の暗さとしゃべりの明るさのギャップが印象的でした。番組中さんざんはしゃいできたのに、ラストはやっぱりしんみりとした話から、みゆきさんの曲がかかる…そんなエンディングがまた、余韻を残す独特の雰囲気がありました。 他にも様々なパーソナリティがいました。松山千春、所ジョージ、糸井吾郎、つぼイノリオ、長渕剛、桑田圭佑、坂崎幸之助、2部だったけど谷山浩子… あなたの『オールナイト・ニッポン』は誰ですか? ぎっちょ
(2006年5月17日付本稿の再掲) 「虫も殺さぬいい男」 な~んて例えがある。ワタシは“いい男”ではないがw“虫も殺さぬ男”ではある。一般的に忌み嫌われ、我が家にとっても招かれざる客であったりするクモやハエに至るまで、決して殺生することなく根気強く外にお引取りいただくよう交渉する。唯一、勝手に人の血を吸うばかりか痒みを注入して逃げやがる蚊だけは例外で、こいつらは見つけ次第“辻斬り御免”でたたっ切るのだが。 ワタシがこうなったのは、やはり幼児体験が大きいようだ。虫捕りをしてきたところ祖父から「逃がしたれ」と言われ、せっかく捕ってきた虫をみすみす放すのは悔しいからとグズっていると、 「おまえがもし、せま~いとこにぎょーさんの人と一緒に閉じ込められたらどう思う?」 イヤだ。そんなのイヤだ。虫かごの中のチョウなどに自分を重ね合わせると、狭いカゴの中でもがいている虫たちが不憫に思えてきた。 「放してやったら、また遊びにきてくれるわ。」 だから放してやった。飛んでいくチョウを見ながら祖父が言う。 「ほれ、虫が『ありがとう』言うてるでぇ」 翌年、チョウやカナブンはまたウチの庭にやってきた。もちろん去年放してやったヤツらではないのだが、無垢なワタシは 「おじいちゃん、チョウが帰ってきたでぇ!」 と喜び勇んで祖父に報告に駆けていったものだ。 最近、命の重みについて考えさせられる事件が続いている。実の娘を殺害した上にその遺体を半年に渡って放置し、他にも複数の腐敗した幼児の遺体と共に長年暮らしていた女。自分をいじめていた同級生をその父親もろとも惨殺した男。暴力に耐え兼ねて恋人を殺害、解体して遺棄しようとしたが首だけ切断して精魂尽き果てた女…数年前ならこんなこと小説の中だけの世界で、現実に起こると“衝撃ニュース”として伝えられたような事件が当たり前のように続いているのである。 最近の少年犯罪にかこつけて、ゲームやインターネットの悪影響をまことしやかに語る評論家がいたりするが、ゲームやネットをしない親の世代ですらそういう人間がいたりするのだ。学歴や学業成績に重きを置くあまり、本来あるべき命の重さ・尊さについて考えることを軽んじる傾向。そんな世相こそが、皿を割るかのごとき感覚で人を殺められる人間を作り出したのではないだろうか。ネットやゲーム、学校に責任転嫁する前に、良いことは良い悪いことは悪いと親がきちんと教えればいい。ただそれだけのことなのだ。 もはや世間一般には学歴尊重の風潮がどっかと根をおろし、掘り起こすのも不可能なのではないかと暗澹たる思いにかられる今日この頃。今日も無事に過ごせたことに感謝しつつも…? ぎっちょ
(2006年5月16日付本稿の再掲) スポーツ好きのワタシだが、サッカーは今一つノレない。なぜなのかよくわからないが、「点の入らなさ加減」がどうにもまどろっこしい、というのも原因のひとつかもしれない。それを言うなら、オメェの好きな相撲の仕切りや格闘技の膠着も十分まどろっこしいじゃねぇか、とサッカー命の方から言われそうだが、相撲の仕切りはせいぜい4分、格闘技だって1Rは最大10分、トータルでも20分だ。攻め合いしのぎ合いがあるにせよ下手すると2時間も0―0のままスコアが動かないゲームなんて、もう見ててまどろっこしいったらありゃしないのである。そのくせ、いつも得点はちょっと目を離したスキに入る。だからサッカーはあまり好きになれない(-"-;) そんなワタシでも、昨日がドイツW杯代表メンバー最終選考日だというくらいは知っていた。いつも車で聴いているラジオも、人気コーナーを休止してまでジーコ監督の口からメンバーが発表される様子を生中継していた。 「イナモトは?」 「シュンスケは?」 いや、名前くらいは知ってるよ。けど、前回のW杯で中村俊輔が代表から洩れたことすらワタシの記憶にはなかったのだからw 「カワグチ」 「ナカムラ」 「ナカタヒデ」 ジーコの口から聞き慣れた名前が次々出てくる。事前予想では、今回は順当な選考でいわゆる“サプライズ”人事はなしとの見方が強かったようだが、さすがジーコも役者。最後の最後に「あっ!」と驚くタメゴロー(フルイねぇ~苦笑)も用意していた。 「マキ」 一斉にどよめく会見場の様子から、かなり予想外な人選であることは、サッカーオンチのワタシでも容易に察することができた。が、何しろ代表メンバーの名前を聞いて顔が頭に浮かんだのは「川口」と「ヒデ」と「俊輔」「稲本」くらいのワタシにとって「マキ」と言われて頭に浮かんだのは【ジュエリーマキ】と【マキ上田】くらいのものだった(火暴) 「マキ」選出がいかに驚きだったかは、今朝のスポーツ紙の一面がすべて彼の名前で飾られていたことでも明らかである。早速、チーム得点王の久保を外してまでのこの選考について賛否両論議論百出しているようだが、久保は故障で充分戦えないためという理由も、素人目で恐縮だが骨折で長く実戦から遠ざかっていた柳沢が入っていることとの整合性は?と思ってしまう。もちろん、まだ若い(よね?年齢知らんけど)久保の将来も考えて無理をさせないという意思もあったのかもしれないが、やはり何だかんだ言っても4年に一度、勝ってナンボの国際大会。ここは「より勝てる可能性の高い」メンバーで臨むべきだったのではないかと思うのだ。いや、「マキ」では勝てないと言うのではない。未知数の可能性にかけるより、より実戦を経験し、より実績を積んできたメンバーを選ぶべきだったのではないかと。久保にしてみたって、ピッチに立てるか否かもわからない4年後を待つより、例えドイツのピッチでブッつぶれても本望なのではなかったかとさえ思うのだ。 まあ所詮素人のたわごとと聞き流してくださいな。ムヒヒヒヒヒヒヒ。 ぎっちょ │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |