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カテゴリ:何かおかしい
お弁当配達車を横断歩道で止める。小さな子供の手を引いた母親が軽く会釈をして渡った。こういう時、われわれ日本人はいいなと思う。 1549年、宣教師が我が国に初上陸。日本人を観察して驚いた。彼らが広めようとしていた西洋人の礼節、教養、振る舞い。それらは何年もかかって、宣教師が自分の土地で苦労して教育して来たものだった。 日本人には、ほんの幼児に至るまで既に身に着けていたのである。これでは宣教師の出る幕が無いではないか。 昭和35年。10月の国会。兇刃に斃れた社会党委員長浅沼稲次郎氏の追悼演説。池田隼人総理は次のように語った。 「ただいま、この壇上に立ちまして・・・私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。・・・その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。・・・今はその人はなく、その声もやみました。私は誰に向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。『わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない』『暴力は民主政治家にとって共通の敵である』とこの声は叫んでいるのであります」 今、オールドメディアを中心に国葬反対の声が喧しい。民主主義の戦いの最中に凶弾に斃れた安倍元総理を貶めるような発言をする野党の政治家がいる。国葬に欠席することを声高に言う。 古来、村八分と謂う。火事と葬儀は残りの二分だ。 死者を冒涜するようなことをやるのは日本人の心には無い。それは一部の大陸の文化である。 国葬には世界中から要人が安倍氏の遺徳を慕って来られる。 今日は静かに安倍晋三氏を送りたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年09月27日 20時05分59秒
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