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ヒヤシンス1962の日記 [全491件] 「今回が一番よくできている」毎回思うことは、回を重ねるごとに、そう感じさせて頂くことです。2011日8月30日7:20~イードおめでとう。今朝は5時半に起きました。(八月一日から八月二十九日までラマダーンの断食部門のみ参加七回目終了)今回も断食時間が無事終えられて、気分は感慨無量です。いい期間でした。善き習慣を与えられましたことを神様に感謝致します。 仕事をしておらず、ずっと、家で過ごすことがほとんどでした。日中、入院患者のようなのろのろ動作でありましたが、トイレ後の手洗いを終えた後には肩逆立ちのポーズをすると決め、一日に何回も、壁に向かって逆立ちをしました。砂時計をひっくり返して血液を動かしているという情景で、お腹にものが入ってないと、ヨガのポーズがラクに出来るとわかりました。 今朝、普通に日の出時間(5:03)後に起きてみると、体調はすこぶる快調で、気が漲っていると感じます。起きて水を500ml飲んで、珈琲を入れて飲んでみましたが、新鮮な喜びがきます。このラマダーンの断食習慣は、私の毎年の恒例の習慣になるでしょう。霊性が非常に善くなる、キレイになると実感するからです。自分って、なかなか素敵だなと思えるからです。よく、やってるねと。 こういうきっかけからイスラームを理解していこうとする行為は、世界の平和につながる歩みよりです。イスラームの方は、周囲に、まだ誰とも出会ってはいませんが、いつか、役に立つ時がくることでしょう。今後、図書館でコーランを手にとって読んでみることでしょう。一日に五回の祈り、まだ、やってみたことはないのですが、やってみようかな、と、今そういう気分がおこっています。 夫もよく協力してくれました。寝過ごさないように。声掛けを。で、こういう中で、家にお客様もいらっしゃる機会があり、家事も出来る限り、頑張りもしたのです。体にハンディのある人のようなノロノロ動作ながらも、合理的手順を考えて、量も多く、質もよく、掃除をある段階まで進めることが出来ました。(お客様に感謝)夫・母の霊界が、私にきて、家事を指導してくれたように思います。 ノートに日記を書いていました。曙時間、日の出時間と、準備しながら、ノートに向かうと、言葉がどんぶりこドンブリコと、川のように、おもいが、ノートにすべりだします。(ワタシが先、ボクが先)つぎつぎ、あふれるものですから、書ききれず、あちこち、意識が飛び跳ねて、詩人って、こんな感じなのかなと。断食時間を設定すると、書く喜びは、楽しくて、豊かで、充実。幸せで、たまらない。 ああ、神様、生きているうれしさ、神様との霊的交流、なんて、おいしい御馳走でしょう。この期間は、たくさん、読むこともしました。いい読み物も見つけたのでした。夫にも、その充実をおすそわけしました。朝5時~6時まで、足から頭のてっぺんまで按摩しました。頭の方にきたときに、いろいろ得た情報を話してあげ、感動したことを毎日話してあげるのです。夫は按摩もうれしいし、話にも感じいってくれ、それが、善き習慣にもなりました。神様、ありがとうございます。(7:51) これから書くことは意義があります。書いたものを印刷して文集にしていきます。本にしていくと場所を取りません。紙をまとめ縦にしまうと邪魔になりません。私は詩を書く人になります。書いたものを、朗読しつつ推敲しますと、短い一行の詩が、神様の声となって誕生するのです。(9:12) 最終更新日時 2011年8月30日 9時24分25秒
「魔女の宅急便」もう4、5回目観ているというのに、新たな発見があって、泣けた。何度みても人の目に新鮮に映るとは、アートなのだなあ。古典として残る小説や絵画と同じような作品なのだなあと納得がいった。魔女って、本当にいるのだなあと、今日みて初めて思った。魔女とは、天使のことなのだ。見た目、人間と同じ。しかし、天使には、天使の住む世界がある。人間は、人間で、自力で自転車をこがなきゃ空を飛べないとして、飛ぶ天使を見て「かっこいい」と興味をもったり、おもしろく思ったりする。が、本当は、その能力を持っているのだが、事情があって潜在能力を出せないで、可能性を眠らせたまま隠し持っている。映像の中に入り込んだ自分は、自分も実はキキと同じように、ホウキを自在にあやつって空を飛べる気がしてならなかったのだ。(2011年7月8日) 途中、天使の魔女は人間に恋をする。そこが、落ち込む、試練のウィークポイントだ。人間がアニマルセラピーというくらい動物に癒されたり助けられたりするように、そうか、天使世界にも、全く同じような動物が登場するのだね。彼らは、彼らの言葉で会話をする。心も通じる。黒ネコのジジはキキの補佐役として、助け合いながら修行の旅に出るのだけど、途中で、ジジが近所のネコに恋をして、キキとの会話が通じなくなる。ジジの姿は、キキを鏡に表したような存在なので、ジジの様子に、キキは「あっ!」と、魔法の力が弱まっていることに気づくのだった。ちゃんと、キキはわかっていた。自分の気持ちの状態がおかしくなっているってこと。男の子のトンボと親しくなったけど、トンボの仲間たちがワイワイ楽しそうに登場すると、妙に寂しく、意固地な心の状態がおこってしまう。 皆はカラフルな流行のおしゃれな服を着ていて余裕のある立場だけれど、自分はそういう子たちとは立場が違っていて、働いて稼ぎを得ないと一生ホットケーキばっかりの生活になってしまうという生活感のある立場。しかも魔女の服は黒系のダサイ服と決められている。天使はあくまでも、黒子なのである。けれど、なくてはならない、重要な存在として、神様から、特別、人間をサポートするように、あらかじめ、計画されて、創造されている。最後、キキは、人間の男の子のトンボの窮地、絶対絶命の危機を助けます。人間の危機を助けるからキキっていう名前なのだね。悩んでいたキキに「助けなきゃ」という使命感がおこります。本来の魔女の役割は、そこにあるから。13歳の魔女の修行は、人間を助ける使命があったのだ。そこで、使えなくなっていた、魔法が蘇る。しかも、非常事態の時は、自分のホウキでなくても、現場に居合わせたおじさんのデッキブラシでも、魔法をかけて、使えるようにしてしまえる。「いうこときかないと燃やしちゃうわよ」とデッキブラシをおどしてみたり、「お願い、言うことを聞いて」と頼み込んだり。モノに生命を吹き込んで、つかえるモノに立ち上がらせる。天使のモチベーションは人を支えること。役立つこと。かわいがられ、愛されること。しかし、姿形が同じ13歳というのに、「仕える立場」を自覚するのは、心が大人でないと、13歳の天使だって、簡単なことじゃない。つかえるって、とっても気苦労がいるものなのだ。また、天使だって、友達が必要。わかり合える友達が。天使も修行中だが、人間も修行中なのだ。人間は、必ず、天使が通った道を、通らなければならないようになっているのだ。黒子のキキを笑顔で上手に渡れるようになって、初めて、赤・青・黄・白という自由な服を、自在に着こなせるようになるのだ。 最終更新日時 2011年7月9日 0時43分20秒 生協の野菜が好き。特に好きなのは、毎日でも生で食べたいキャベツ。他の買い物は夫が車で調達してくれます。味噌と醤油と塩は、お値段高めでも、品質のいいものを。玄米菜食者には大切なことです。純粋な調味料は、食事に幸せと充実を与えてくれます。昨日の夜は、玄米にごぼうを細かく刻み入れ、さつまいもはおやつ用に丸ごと圧力釜に一緒に入れて炊きました。朝は生の人参をガリガリ味噌で食べ。大根は塩で只今、浅漬けにしているところです。(2011年7月8日) (未発表の過去日記11月22日(月)2時/満月)2010年11月23日(火)3:51の下書き) 【もしかして・・おもいつきですが・・満月を意識する意味とは、霊界の家族との面会日の意味?がありますか?神様。ならば新月も?上弦も?下弦も?そうでしたら、ひと月のうちに4回、面会日がありますね。どうしても、満月から48時間以内に書き終えたい。いいえ、ぎりぎりでも大潮の期間内に仕上げるべきです。その他のスケジュールも立て込んでいるのですから、悩んでなどいられません。マス目を埋めることは、とにかく、なんでも、どうにでもなるのです。ですが、神様、せっかく、講座に参加しているのですから、この締め切り期間の中で、何かを突破したい。何かに到着したいのです。テーマごとの私における節目を作りたいのです。決着をつけたいのです。そうしたら、とーっても合理的でありましょう?一石二丁。合理的好きな私は、一つのことをするのに、最低二つの効果を得たいという人なのです。私は偏官の女ですから。夫を「好き」と口にすれば、夫も気持ちよく、また発信源の自分の気持ちも幸せになれるのです。 今回のテーマは「他人を描く」です。誰を描写したいか、さほどの迷いはなく、描写したいのは、祖母「かよ」です。かよさんは、明治30年6月4日生まれで今も生きていれば113歳です。わけあって、かよさんは、娘を出産後、すぐに赤ん坊を手放さなければならない事情がありました。話せば長くなるその事情を説明しようとするとき、私の心も辛くなります。きっと、かよさんも。きっと母も。ですが、おばあちゃん、私はここ、最近、おばあちゃんを心の中で、たびたび声をかけて、おばあちゃんに話しかけていたのです。おばあちゃん。あなたが生存していた期間、対面したのは、たったの一回です。母は自転車に小さい私を後ろに乗せて、田舎道の実母のいる家を探しあて、会いに行ったのです。何かに突き動かされて、突進した、衝動的な行為だったかもしれません。すでに母の養父母は他界していましたし、遠慮や気遣いする人は誰もいませんでした。農家の納屋で、老齢化したその人は、ぼけ症状がきているようでした。 腹巻にお金を入れて「世の中、金だ」そう言っているようでした。私の年齢は5、6歳だったと思いますが、その人は、少し気がフレテルように感じられました。若い母は、私はこういう者ですと、挨拶をしたでしょうが、対話になっていませんでした。座って、挨拶したり、お茶を出して、しみじみ語らいをするという場面はのぞめませんでした。母は10分、20分、その場にとどまったでしょうか。気がフレテいるような、その人を目にして、落胆したようです。帰り道、来なきゃよかった。がっかりした。来るんじゃなかった。悔恨の言葉を発していました。「ふーうん」子供の私は客観的です。~続】 最終更新日時 2011年7月8日 15時28分9秒 岸谷五郎演ずる秀吉を観て、新たに思ったことあり(『江』)実際の秀吉は見た目もいい男だったのだろうな。茶々も秀吉のことを好きになったというのは本当だろうな。惹き付けられる魅力があったのだろうな。なぜか気になって、どれが本当の生年月日なのか、いろいろシミュレーションしてみた。ああ、やっぱり正しい年月日はコレだ。年譜ともピタリと合う。利休と一体化していたら朝鮮出兵はなかったなと思った。(他の発見も。亡くなった夫・父がつけた夫の名、その一字に無理やりついている「臣」という字。父はもしや秀吉が好きだったのかなと思った)【豊臣秀吉1537・3・17生/丙午・帝王(比肩)/癸卯・正官・沐浴(印綬)/敗財・死(正財)62歳/1598・9・18没/大運・戊子・食神・胎(偏官)/流年・戊戌・食神・墓(食神)/月・辛酉・正財・死(正財)/日・辛未・正財・衰(傷官)】(利休は月・傷官/年・印綬の人物ではないかと検討をつけた/本日2011年7月8日) 【2010年9月文章講座・課題テーマ「9月10日」の提出文】 『文章講座の第二回目を休んだ自分は、次の課題テーマに対してずっと書けないで、時をやり過ごしてきてしまった。締切日は10月8日。昨日である。昨夜23時時点でどうしようか悩み、いったん寝て24時に目を覚まして、これから書こうかと起き上がる。少し考えて、夜はどうせ気持ちのよい文章とはならないのでと目覚ましを4時半にセットして眠ることにした。眠りの中でももがいていて、ついに、朝方、「ああ神様」という声が心の内におこった。夫の手を握る。「どうしたの?」実はずっと悩んでいて・・。最近書くことができないでいて・・。 会社で新しい部署になってから、案件ごとの説明文章に、こと細やかなチェックを受け、とくにあなたの文章は長い、3行に短くまとめてと言われ、自由な気持ちで日記も書けない状況に陥っていて・・。「うんうん」前の部署では、どうぞお好きなようにと自由にさせてもらっていた。けど、今は自分を成長させてくれる場所だし期間なんだと思うんだ。「うんうん」で、実は文章講座の締め切り日が昨日迄で、最低、今日の出勤前までメールで送らないと載せてもらえないんだ。「うんうん。それはどうしても出さなきゃならないの?書けなかったら書けないでしょうがないんじゃないの」うん。私もそう思った。でもね、今回のことでこう思ったんだ。人は限られた期限の中で生きているんだって。この地上に生きている期間は有限なんだよなって。限られた期間内にやるべきことをやるっていう訓練なんだなって。「うんうん。で、どうするの?」うん出すよ。これから起き上がって書くことにする。 2010年9月10日はイスラームでは断食月終了後のイードというお祭り日。イスラーム研究から6年、断食に関する恩恵を健康面で受けてきた自分は、イスラームに関する美点は原稿用紙30枚は書けそうだ。が、スカーフを被った人たちを見かけても一度も挨拶をしたことがなかった。私が住む地域ではどこに、そういう人たちが住んでいるんだろう?初めて興味を持った。日の出時間、青汁ジュース作りのための若葉のヨモギを摘みに行くのを休み、出勤時間前までインターネットと地図帳でその場所を知り得た日。行ってみよう!という時がきたら、いつでも取材に出かけることができる。そういうところに行きついた記念すべき日。』 最終更新日時 2011年7月8日 12時54分1秒 仕事は辞めたものの、電車定期が7月21日迄あるため、私は散歩と称して、毎日15時半になると出かけ19時に戻る。街に出て本屋を巡り、帰りはついでの野菜の買い物をし汗だくで帰宅。運動後の水シャワーが爽快だ。が、それも一週間続くとつまらなくなる。飽きるのだ。作戦を変えよう。 5時半の始発に乗ってみよう。おおかたの人々がまだ眠っている。やはり散歩は朝がいい。朝の霊気、大気を吸い込んで、質のいい日の光を全身で浴びる。歩く、走る。モチベーションが上がるではないか。帰りは6時31分の快速に乗ってくる。待ち時間がガラガラのため朝一の新聞を広げられる。人がドヤドヤ入って来た。新聞はしまい本を取り出す。昨日心にこうしてみようと描いた小さな目標は達成した。小さな成功をいくつも重ねるって大事だな。少しずつ大き目のことも描いてみよう。あなたはやろうと思えばできる子だ。必ずできるから。(2011年7月8日(金)午前) (2010年7月文章講座・課題「自分を描く」の提出文『私は人の美点をキャッチする能力がある』)『ふいに出た言葉が、詩になって、私の心をふるわせた。 「私は人の美点をキャッチする能力があるんです」だなんて。しかし、よく言ったものだ。 新人時代、先輩女性の私に対する独り言を聞いて、涙を流したことがある。「自己中心的、デリカシーがない」数年後、一度だけ帰り道に長話をした。「今もあやまる気はないよ。けど私のことを人に悪く言わなかったね。魂がきれいだからなのかな。でも私のことは苦手でしょ」えっ、あせった。 思いついて、私は自分の母親の話をした。「身内だから聞きづらいことを言うのだ。他人がどうしてキツイことを言うものか」辛口な母の口癖。「だから、先輩のこと、初めからいい人だってことわかっていました。私は人の美点をキャッチする能力があるんです」先輩は声をあげて笑ってくれた。 ある日、仕事でお世話になった上司男性に、お礼の挨拶のあと、こう言った。「私、○○さんの美点を、原稿用紙30枚は書けます」相手の反応は「ええっ?」細めた目からは涼しげな風がふいていた。私は咄嗟に発した自分の言葉に高揚した。いつかそれをやってみたい。一人につき30枚分の美点を書く作業。それを本当に実行していったら、どんなにか面白いことがおこるんだろう。 仕事がうまくいったあとに、コメントを求められる場面がある。「上司の○○さんのおかげです」決まり文句のあとにもう一行だけ添えてみたい。(こんなにも感謝しているのです)という思いを伝えたい。その時の準備のため、日頃から心を動かされた出来事や、人から受けた恩を、忘れぬように書き留めておく習慣が出来ていた。具体的に何をありがたいと思っているのか。どのようなところに影響を受け成功したのか、詳細を文の中で明確にしていく。そういう作業をしていくと、ありがとうの気持ちは、私の全身に伝達される。さらなる美点を発見するセンサーが鋭敏になる。(こんなによくして頂いたのですから、その方が、どうか幸せでありますように)という思いが湧きだす。』 最終更新日時 2011年7月8日 11時36分6秒
負なるわだかまりを捨てようと紙類を火で燃やす。(2010・7・7)灰になる迄お経あげ見守った。祈り生じ涙。すっきり。面倒くさい牛蒡の皮削ぎをする気になる。お腹が空いた。生のまま味噌で噛み噛み食べる。30分過ぎてお手洗いに行った。「えっ!?」これは何?牛蒡の効用か?おしっこが「ジャーっ!」と勢いよく出たのです。(下記は2010年12月文章講座「他人を描く」の下書き) 『「この十二月で八十二歳になります」昭和三年生まれのその方は、色白のためか、しわがないのではないか?私の目には見えないのだが。テーブル越しのその方との距離は一メートル半ほど。化粧はしていないようだ。目は澄んでいて、伝える言葉の感性は少女の天真爛漫さ。ひっつめの髪型のためか顔立ちは古風に整った印象を醸す。話しているうちに頬が高揚し、きれいなピンク色の肌から光が生じている。つややかに上気させながら、話すほどに、いきいきしだす。目を細め、はにかむような笑いかた。清潔感。お風呂から洗い上がったばかりというさっぱりした表情。 コリアの本を読む会の常連Tさんだ。会費二百円はTさんが集める係なので、そのときに頭を下げて挨拶する程度。七十代後半にご主人を見送った後ハングルの勉強も始めたらしい。溌剌とした存在じたいに刺激を受ける。「熱中するものがなかったらうつ病になっていたかもしれない」とも添えていた。ある時、米粉と砂糖だけで出来ているという、昔ながらのお餅を買ってきて皆にふるまった。喜んだ私に「一つ残ったから、もう一つ、おあがりなさい」と私におみやげにもたせてくれた。 明治32年に生まれ88歳で逝った祖母イトは、私の父の母親だ。一緒に暮らしたことはない。七十半ばの頃には皺がいっぱいあったという記憶。植物の葉脈を克明にスケッチしていた小学生の私は、ある日、祖母の住む家に行った。得意なところを見せたかったのか、外孫ゆえに気を引きたかったのか、そばに座って似顔絵を描いた。顔の皺の一本一本を見逃さなかった。それは祖母の気分を快くしなかっただろうなと、大人になってから思った。祖母の小さな部屋には大きすぎる姿見の鏡台があったのだが、刺しゅうが施された厚手の布カバーでしっかり覆われており、チラリとでも鏡部分が見えないようになっていたから。祖母は八人の子供を生んだ。イト五十代、立て続けに三人の家族を失った年がある。姑、夫、長女。悲しいことが同じ年に重なったのだな。私が所帯を持って落ち着いた年のころ、取り寄せた戸籍謄本を図に書き表しながら、祖母の人生を思った。女手一つで働いて、子供らを大きくしてきた。自由な時間が与えられた晩年に、熱中する趣味があっただろうか。長男家族との同居は折り合いが悪く、二男家族の家に移ったが、結局七十半ばからは旅館を経営している二女のところに落ち着いた。その場所で私は祖母の絵を描いたのだった。厳格な気質は、距離をおいた孫の立場で客観視するとき、りりしく、りっぱに感じさせる。が、近寄りすぎるときつくて耐えがたい性質だったろう。祖母の損は、思ったことをはっきり言葉に表現しすぎたことにあった。(私の正直すぎた絵の線も同じく)ですが、おばあちゃん。いいもわるいもありません。皺が深かろうが、きつかろうが、あなたのおかげで父は在ったのです。父を通して、私は今ここに在るのです。おばあちゃん、お仏壇に、中に餡子の入ったおまんじゅうをお供えします。』 最終更新日時 2011年7月7日 15時1分19秒 タイトル「牛蒡(ごぼう)」(2010年文章講座で書いたもの。課題「他人を描く」) 『詩の朗読講座に参加して心に残ったことは、一枚の紙に作者の人生の年譜を作成してから、臨んでみてはどうかという講師の提案。その作品が生まれた年、その時代背景はどうであったのか。生活環境は、家族関係はどうだったのか。それらを理解した上で、はじめて作品を読むことができるのではないかというものだった。 参加者の最高年齢の女性が82歳。テーブル越しの距離は1メートル半から2メートル。・・・あれ?82歳なのに皺(しわ)がなさそうだ・・・。私は40年前にスケッチした70半ばの祖母の似顔絵を思い出していた。植物の葉脈を克明にスケッチするように、一本一本の皺を忠実に描いた記憶。それが、祖母を傷つけたのではないかと、大人になってから気づいたのだ。その頃の70代の女性は、おそらく皆、今の70代よりも老けていただろうと思う。 父は三男で、地元から離れ、遠方で仕事を持ったため、私と祖母との縁は薄かった。小学高学年あたりに、祖母のところに行った際に、絵を描いたというのが唯一の思い出である。祖母との接触はわずかだった。大人になって、所帯をもってから、戸籍謄本を取り寄せて、一枚の紙に図式化してみたことがあった。そこには、その人の生涯を物語る、年表の素材となる要点ウィークポイントが記されていた。出生。結婚。出産。死亡。その年月日と時間。誰が、いつ、届けに来たかなど。 そこで、気づいたことがある。昭和26年(1951年)、祖母53歳の年、家庭から3人の死者がでたこと。最初1月に77歳の姑を見送る。次に12月12日午前2時、夫が56歳で他界。その次は、なんと、その翌日午前5時、長女24歳が結核で逝く。病人を3人かかえつつ、子育てをしていたということなのか。ああ、その一枚の紙はおばあちゃん、あなたの人生という詩です。どんなに重苦しい坂だったか。最も辛い時期だったに違いない。経済的にはどうだったろう。実家からの援助はあっただろうか。その年、末の男の子がまだ7歳だった。生涯9人の子供を生んだ。 私が絵を描いた祖母70代半ばの頃というのは、小さな旅館を経営している二女のもとに落ち着いていた。長男家族、二男家族と上手くいかなかったからだと聞く。嫁姑の対立で、孫にあたる子供らは、母親に味方し祖母を敬遠したという。物事はっきりした気性ゆえ、言葉が辛口だったようだ。世話になっている二女に対してもズゲズゲとした物言いをし、悪いものは悪いと遠慮はなかった。 そこでの暮らしはどうだったろう。小さな旅館は住居も兼ねていた。台所は仕事場であったため、祖母が気楽に入りこめなかったのではないかと想像する。お祖母ちゃん、いま台所で、牛蒡(ごぼう)の味噌漬けを仕込みながら、あなたのことを考えています。あなたは牛蒡のような人だ。皮そぎなど手をつける迄がめんどう。が、いったん体に入ると善き滋養となり排毒もしてくれる。二十三回忌、あなたの魂が安らかでありますように。あなたにもっとも関心をもつ遠方の孫娘より。』 最終更新日時 2011年7月7日 14時18分47秒 |一覧| |