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迷惑なトラックバックが相次ぎ、ただいま当Blogでは
トラックバックは承認制にしている。ご了承くだされ。 筆者はただいま、平日や土曜(一部)は早寝早起きをせねば ならぬ生活の只中です。記事は1週間分、まとめて土日に 更新する方向で運営することにしました。ご了承くだされ。 旧Blog『HONJOH.tv 日々是警察!』→◆ 【私の政治・経済倫理観?】 ポリティカルコンパスJAPAN ネット右翼診断 新ネット右翼診断 F尺度 World's Smallest Political Quiz 本城右京(北条河内守忠節)筆す、精魂の記事! [全1295件]
母子で楽しむ香合わせ…これは、平安時代では女性の たしなみとして双六とともに親しまれているものである。 江はその雰囲気を一発で台無しにしてしまうとはさすがだ。 時は天正9(1581)年、京都で信長は馬揃えを行うのだと いう…その取り仕切りは光秀に任ぜられる 秀吉は姫路城(今の兵庫県姫路市)で毛利方と果てなき戦の 最前線に立っている最中…京都に赴きたいという心理は、 さぞ率直であろうがそれは叶わぬ願いだ 天下絢爛とは、まさに馬揃えのときの京都であろう…いや、 軽々しく声をかけるものではないぞ江よ。この催しを 行う目的は何か?…毛利氏や北条氏をはじめ、未だに 織田方の軍門にくだろうとしない大名への威圧だという 説もあるが、信長は自らが神になろうとしている心理を 隠しきれなくなったというところもあろう…安土城(今の 滋賀県近江八幡市)の天守閣、そしてその築城工程のなかで 天皇をもしのぐ存在として自らを置きたい心理を如実に あらわす施設もあったという。京都にて、信長が宿舎を たしなむ本能寺…我が亡き祖父の墓があるのだが、現在の 本能寺とは場所が違う。なぜ場所を変えたか?…それは すぐにわかるだろう。あえて、この段階では申し上げぬ。 「總見寺という寺がある」 翌・天正10(1582)年正月、この寺の初詣で訪れた人々が あまりの多さによって、今でいうドミノ倒しのような 現象が起きて多くの人々が圧死したというそうだ。あ、 その年に名門の大名が滅びた…武田氏。甲斐(今の山梨県 全域)を本拠に、その武功は北条氏や今川氏をはじめと して、信長や家康をも恐怖に陥れ、苦しめた勢力である。 武田崩れと言われ、急激な戦況の進捗に恐れおののいたと される…天下布武は、必ずや誰かがやらねばならぬ運命と 説く信長。その天下布武への道が、逆に人心を離すことに なりかねぬ事態を招く。本能寺の変への重い扉が開く。 ![]() ![]()
江は、父の顔を全く想像できぬまま成長することに なる。元亀4(1573)年7月、実母・お市の方の兄にあたる 織田信長は、自分に対して包囲網を敷いた足利義昭を 京都から追い払った…槇島城(今の京都府宇治市)に籠った 義昭に衆寡、味方につく者らは居らず無条件降伏である。 その時をもって、足利尊氏以来235年間続いた室町幕府の 終焉である…すぐさま元号も天正に改元、同年8月には 怒涛の快進撃で朝倉氏、そして浅井氏も滅ぼしていった。 母や2人の姉が、業火 の中で死んでいく父の姿を焼きつけていくのとは対照的だ。 時は流れ、天正7(1579)年…信長は安土に新たな城を 築くことを決め、その築城のさなかにあった。江ほか 三姉妹とお市は、信長の弟・織田信包<おだ・のぶかね>が 統治している伊勢(今の三重県北中部、主に津市・松阪市・ 四日市市・伊勢市など)上野城(今の三重県津市)で平穏な ひと時を過ごしていた。む?…江はまだ齢・7つではないか? 上野樹里さんの登場が早いような気がする…いや、早い! それまでに至る信長の天下統一への野望は、日々実現へと 向かっていっていた。天正3(1575)年、長篠の戦で徳川家康と 連合軍を組んで、武田方に重臣団の戦死が相次ぐという 甚大な被害をもたらし、連合軍の勝利となった。しかし、 家康はのちも武田方と遠江(今の静岡県西部、主に浜松市・ 掛川市・菊川市など)で攻防を繰り広げていくのだがな 信長は、さらに西(=現在の兵庫県域のこと)進出していった 毛利氏と対峙していく。水軍を駆使したり、尼子氏の残党を 討っていく段階で播磨(今の兵庫県南西部、主に姫路市・赤穂市・ たつの市・加西市・三木市など)上月城(今の兵庫県佐用郡佐用町) 攻防戦などで、初期のうちは勝利を重ねていった。しかし、 水軍戦のリベンジを受けて、形勢は徐々に織田方が有利に なっていく。三木の干殺しと称される苛烈を極めた 兵糧攻めで有名な三木城(今の兵庫県三木市)攻防戦の時期で あるな。だから、この時期に秀吉が安土にいてはおかしいぞ。 ちなみに明智光秀も、ようやく丹波(今の京都府中部[亀岡市・ 福知山市など]と兵庫県篠山市・丹波市)一国平定が成ろうと している時期である。そんなさなか、三姉妹は信長と対面… 「さぞやワシを恨んでおろうな」 そう、天正へと改元した経緯には信長自身が提案したという ことだそうである。秀吉は殴られて当然だ…一方でそれだけ 勝利を確信しているということか。徐々に播磨や但馬(今の 兵庫県北部、主に豊岡市など)・丹波で毛利氏に味方する 国人らが少なくなっているのも、実感済みなのであろう 「どれだけ、酷いことを言っておるのかわからぬか!」 柴田勝家は、秀吉を糾弾する…無礼打ちどころでは済まされぬ。 まるで、勝家と運命を共にするお市の方…その暗示が露骨に 見えてしまう。そして、江は秀吉を毒殺したのではという 説が流れているのだが、その伏線とも言うべき演出もあった? 信長と江の1対1…緊迫しているようで緊迫感が感じられぬ 秀吉と家康の1対1…まるで家康が織田家の家臣団の一員と 勘違いしかねないほど、上手いというか皮肉交じりの演出で あるな。実際、この当時の清洲同盟は対等ではなく完全に 上下関係…どちらが上でどちらが下であるか、現世で言う 日米2国間の関係にも同じ例えが通じよう。どちらが信長で 家康であるか…答えられぬ者は、よもやおるまいと思うが。 どこかつまらぬ…うむ、本当につまらぬ。乗り気が起こらぬ 『茶々 天涯の貴妃[おんな]』という映画が公開され、もう レンタルビデオ店にはその映画のDVDが並んでいるという そのDVDを、今は無性に見たくなる衝動にかられてしまう ![]() ![]()
時は天正11(1583)年、至福のときを安土で過ごす3人の 女がいた。天下無双の天守閣を誇る安土城(今の滋賀県 近江八幡市)は、もはや見る影もない惨状を晒していた。 前年の本能寺の変で、城主・織田信長は明智光秀の謀反に よって齢・49、天下統一の野望を目前に自刃して果てた 時に江、齢・11…活発な少女は、のちに将軍の正室になる。 徳川家光、松平忠長の実母でもあるその少女の波乱の生涯… 時は遡り、永禄11(1568)年…岐阜城(今の岐阜県岐阜市)。 稲葉山城を落とし、美濃(今の岐阜県南部、主に岐阜市など) 一国平定の宿願を果たしたばかりの信長は、さらなる 壮大な野望に挑もうとしていた。上洛である…亡命中の 足利義昭を室町幕府の次期将軍として奉じる目的も兼ねて。 義昭の心は、はや京都に及んでいた。京都へと信長が向かう 道中、絶対に通らねばならぬ近江(今の滋賀県全域)。そこの 大勢力の1つである浅井氏へと、信長は自身の妹・お市を 嫁がせたのである。政略結婚は、戦国乱世の女たちの宿命… その宿命の中、お市は浅井家当主・浅井長政のもとでもある 小谷城(今の滋賀県長浜市)へ。そこで、3人の娘を産む… 茶々、初、そして江。浅井長政の裏切りによって、戦況は 著しく変わっていく。そして天正元(1573)年、江は生を 受ける…小谷城攻防戦のさなかに。しかし、攻防戦の結果は 浅井氏の滅亡に終わった。江は、信長が敵とは気づかず… なんだか、全体を語るには駆け足すぎたり…露骨とも いえよう演出も多すぎて、60分以上もの時間が久々に 拷問の時間に映った。鍵を握る時間…1568~73年までの 5年間、ここまで駆け足で展開されるのも萎えそうだ。 結局のところ、小豆袋を上下両方とも縛って信長の陣に それを届けさせたという逸話…この楽しみが、一瞬で 奪われる展開になったなぁ。あれは届かなかったという ことか…まあ、信長のその後の態度というか台詞で感づいた。 「市め…何をしておる?」 朝倉氏の登場は一瞬でて、一瞬で終わって…まあ、実際に 義昭を京都から追い出してから、すぐさま信長は朝倉氏を 討ちに行くわけだけど、その実質的な戦の日数の短さから 朝倉家を滅ぼした衝撃はまたしても、全国に広がっていく。 ![]() ![]()
外交も内政も、まさに世相そのままの例えである。 どうする「草食系」Japan 牙むく「肉食系」隣人たち 草食ですか…鳩山由紀夫内閣から、菅直人内閣にかけて そのように見えても不思議では全くない世相であります。 そして肉食…北京政府やロシア、まさにその行動力は 例えられても不思議ではない。ロシアのメドベージェフ政権、 今までの政権どころか旧ソ連の時代でさえ誰も敢行する ことのなかったことをやってのけたのは、記憶に新しい ところではあります。解決を困難にさせるための燃料を 投下されて、歯がゆいどころの問題では済まされなくなって いるのですからね。厄介な隣人とは、韓国ではありません… それでは北朝鮮か?いえ、それも違います。では北京政府? 実はそれでもないでしょう。ロシアであるということに、 誰も気づいたいないのでしょうか?気づいていないふりを しているというような感じは、全く見受けられないのでね。 「明治時代以降、一貫して仮想敵国1位なのは間違いない」 どこぞの阿呆な界隈には、北京政府や韓国・北朝鮮への 近視眼にあまりにもとらわれすぎて、我が国とロシアとの 戦略的互恵関係を築いていくべきだとか、それこそまさに ![]() といわんばかりの主張をしていたのがいたことを、私は 今でも忘れずに記憶の中にとどめているのでご注意を 元来なら、上記の3国と同規模…いや、それ以上に 国民感情を悪化させても全く不思議には思いません。 駐ロシア大使を召還させたとはいえ、一時的なものでね… もっと長期に渡ってもよかったのではと、そこは不満です。 そして、北京政府を語るうえではもう1つ忘れてはならないのは 日本の新幹線ソックリ 中国「滬杭高速鉄道」開通 まずは、上記の記事をご覧になられてくださいませ。この 記事を読まれたり、写真を見られたあとになにも感想を 思い起こせないとなれば、そこまでになってしまいます。 どこからどう見ても、我が国の新幹線…山形新幹線とか、 秋田新幹線で見られるような形の先頭車両ではないか? ただ両方とも、カラーリングが異なるものだから一見して わかりづらくなっているとは思いますが、車体デザインは どう見てもそっくりというか、あまりに似すぎているとも 感じなくはないのですがね。案の定、北京政府としては 「我が国のオリジナル、独自開発のものである」 とコメントしているそうで…パクリとも模倣ともいって、 差し支えはないかと思います。WTOに加盟している国とは、 思えない知的財産権への深慮のなさ…加えて、技術力を 模倣することしかでしか発揮できないという点は、もはや 韓国をも下回るということでね。かつ、大胆不敵とも いうべきかこの模倣新幹線を海外諸国へ売り込むとか すごいことをやらかそうとしているわけで…図体だけの 大国と一部で揶揄されておりますが、そのとおりですね。 ![]() ![]()
旧年中は、皆さまのご愛顧を数多に賜りまして まことにありがとうございました。本年も、 変わらぬご愛顧のほどを宜しくお願い申し上げます。 本年は、春に統一地方選が控えております 我が地元でも、大阪府議選および大阪市議選が例年に ない注目度を浴びようとしております。その引き金には 橋下徹大阪府知事の大阪都構想があります。もともと この構想は橋下府政以前から(太田房江前府知事の時代でも 案はあったとか)あったのですが、橋下府知事ほど構想の 実現に躍起になっている府知事は過去にいなかったでしょう。 今回の両選挙における争点の1つ…下手すると最大の争点に なるといってもよいでしょう。府知事を党首にローカル政党 『大阪維新の会』(以下、維新会)を結成し、大阪市議選の補選で 2勝を挙げ、大阪府議会議員および市議会議員の現職からは 自民党を中心に転籍が相次ぎ(自民党大阪府連は多重党籍だとして、 その対応を認めず離党勧告などの重い処分を下した)、転籍の 出なかった選挙区や地域には新人候補を立てて、参戦への 足掛かりをすでに築いております。その一方で、都構想に 対する疑義の心も広がっており、転籍しなかった現職議員や 公明党・共産党など、ほぼ全ての有力政党は都構想の頓挫を 目論んで必死の戦いを挑んでくる…そんな構図が予想できます。 そして、前哨戦と位置づけられているだろう愛知県知事選… 名古屋市長選や名古屋市議会リコール住民投票。各地で 熱い選挙戦がいきなり火ぶたを切られます 物見遊山な選挙参戦を目論む輩どもの付け入る隙は、特に 今回はないといってよいでしょう。そのような参戦を仮に 目論む輩がいるとすれば、参戦を控えることが賢明ですね。 ![]() ![]()
実現しようとも、現状維持でしかない? 大阪都構想…大阪市内の24行政区内、および昨今に なって長年の宿願であった政令市昇格を果たしたばかりの 堺市の7行政区内の各区域を複数区による合併を行って、 両市の存在そのものを消して全体で11の特別区を新設する。 また、両市と境目を成す各市の市域も同時に特別区にする… これらが、橋下徹大阪府知事がまとめた構想の中身とされて おります (以後、維新会)を結成して、来年春に迫った統一地方選での 大阪府議選および大阪市議選の双方にて過半数の勢力を 確保して、府知事案どおりの構想を一気に実現させようと 画策しております。すでに維新会は臨戦態勢…第1陣となる 公認候補者たちもすでに発表済みとなり、各地で演説を 聞いたり、また維新会主催のタウンミーティングという イベントを大阪市内の各区で順次開催していっていると いうのが現状です。まあ、我が地元ではまだ聞いていない わけですが…演説も、タウンミーティングとやらもどちらも。 ![]() 上記が維新会…もとい、府知事による特別区の区割り素案と いえるものだそうです。真っ先に報道したのは読売だったか 産経だったか…府知事の日誌を載せているわりには、産経は 後発だったかと思いますが、こちらを参照してくださいませ。 なお、この構想に賛同する証と言えるのが維新会への転籍… ちなみに、我が地元の選出となった府議・市議からは誰1人と して転籍した人がいなかったため、第1陣の公認候補者発表の 段階で新人候補を立てて参戦という構図が成立…府議選は1、 市議選は3しかない当選枠の争いが流動化とも熾烈な選挙戦と 予想されたり…まあ、府議選に関しては大勢が動くことは ないと言われておりますがね。特別区になって、まず挙げられる ことといえば、皆様…東京都の23区、あれを想像してください 特別区は、体裁上は市にも似たもの…実際、区役所公式サイトの URLにはcityと打たれているわけであります。昭和18(1943)年、 東京都の誕生に際しても現23区内全域に35もの行政区を抱えて いた 東京市と、そのほかの市域も包括する東京府の両府市機能を 合併させて(民意ではなく、もちろん上意下達のようないきさつです) 実現させたのです。しかし、特別区は警察は別として消防や 水道といったインフラ設備も独自では持てず、複数の区に よる集合体や単体による管轄といった体制で、東京都が これらの管理や運営を行っております。交通は言うに及ばず。 歪んだ社会構造の象徴といえば大げさですが、23特別区の 区長は、口を揃えて府知事による構想に苦言を呈したそうです。 「あのときの二の舞は御免だ」 実際、23特別区の中には市として名実ともに自主財源と 各種インフラ整備の自主確保・管理を行っていくといった 自立路線を探ろうとしているところがあったり、中には 都心部で東京市の復活を提案したとか、そんな話もあります。 そして、23特別区が市と似た機能を持つ…わかりますね? そう、区長選と区議選があるということです。区長を公募で なく、都庁職員から登用したり一般公募で選んだりとか できるのではないかと言いますが、それには公職選挙法の 改定を要するのではなかったかと思います(不要であれば、 すぐさま訂正いたします)。選挙が2つ新設されるとなると、 そのための運営費用はタダではありませんよ。区議会議員の 定数も、人口ごとにまばらになりますしね…府知事案だと 極端な人数の差は出ないでしょうが、他の案とか私案とか 人数差が出かねないのもあります(人口は二の次だからね)。 現状、大阪市議会議員は総計89人…堺市議会議員も総計53人。 89+53=142人…この人数で、府知事案による11の特別区の 区議会議員総数を割り振っていくのでしょうか?…そんな はずはありませんよね。どう考えても、合計していくと この数よりはるかに多い区議会議員の数を要します 「区議会議員の報酬を0にすればよいだけのことではないか」 簡単に言うでしょうが、簡単ではありません…地方自治法 第203条の規定を読んだことがありますか?あの規定内容を 読めば、0にしたいのであれば改定するほか実現の道がないと すぐにわかります。そして0にした場合の弊害がもう1つ… 松本武洋和光市長が、市議会議員時代に議員報酬0の提案だったか 疑問だったか、そのことを私から質問したことがありまして、 「0にすると、財界にべったりな議員が増えてしまうだろう」 このような回答だったか、いただいた記憶がうっすらあります。 私財を投げ打ってでも…といいますが、私財の力にも限りが あります。政治活動・運動はもちろんタダではありませんから、 支援も必要です。その支援に大いに頼らねばならない体質も いかがなものかという苦言も一理あります。財界族議員の 跋扈…これもまた報酬をむさぼるのと同列に、たちが悪い。 なにより、特別区の区割り案に関してもこちらですとか… ![]() いくらと案は出るものです。それに、東成と西成… 何気ないこの区名、かつイメージの決してよくない 区名。それでも私は、両方とも消すべきではないと 結論付けております。古代、律令制の時代から続いて 約1500年もの長い歴史を脈々と現世に伝えている区名… いや、かつては郡名としても存在しており、生き証人と いってもよい地名です。府知事案だと、両方ともいとも 簡単に消してしまおうという区割り…まあ、そもそも 「歴史の経緯とか、分区の流れも何も知らないヤツの考案か?」 と突っ込まれても仕方のないような、ご都合主義の極みとも 言われてよいほど、笑い転げそうで無茶苦茶な区割りです。 ともかく、都庁と特別区の誕生以前の問題にもなりかねない 事態ですが、仮に都構想が実現して都庁と特別区が誕生して その後の大阪はどうあるべきか?…どのような変革を成すか? そのビジョンが一向に見えないという不安も、増大しています。 では、そのあたりのビジョンなどの詳細な記事を次回に続けます。 ![]() ![]()
時は明治36(1903)年、秋山好古は清国から帰国してきた。 すでに、好古の右に出る騎兵の操り様を備えた指揮官は いないということだろうか…日露2国間は、もうそこまで 緊張関係にあって外交交渉もじり貧になっているという ことだろう。ロシア騎兵は、日本からするとまさに大人と 子ども…いや、それ以上に天地ほどの差があるかもしれぬ。 「震え上がらせる気なのだろう。招待の意図はそれだ」 ならば見せてもらおう…気丈な好古、その真意や如何に? 一方、真之は女の前に緊張した面持ち…1度、逢ったことの ある女がいた。稲生季子という女…のち真之の夫人となる その人である。軍人に生を謳歌できるか?…戦場に立てば、 そのことも忘れて一心不乱に勝利のために邁進せねばならぬ。 真之と季子の1対1…季子は、仮に真之と結婚したとしても 後悔はしないといわんばかりのようだ。嗚呼、睦まじき哉 真之は、生まれて初めて自転車に乗った…はしゃぐのも けっこうなことだが、風を斬って走る快感に酔いしれた まるでよい酒 秋山兄弟はともに、当時としては信じられぬほどの晩婚… 結婚観は素朴であり、純朴な軍人であったということか。 しかし好古はまた…渡露し、その先で騎兵の訓練見学に 招待され、その先の夜の宴で大騒ぎ。ただ興奮に満ちた わけではない…陸軍の兵力が相当、戦死してしまうのでは ないかと恐怖心も覚えた。その中でも収穫を得たのだろうか? 舞鶴で静養していた東郷平八郎のもとを、山本権兵衛が 訪れた…当時の桂太郎内閣では、海相を務めているのだ。 東郷が、再び指揮を執る…真之は作戦参謀に任ぜられた。 対露戦略の責任の一端を背負う身となった…もしかすると、 真之の指揮ひとつで部課やブレーンたちの生死が決まって しまう。同年12月11日、ロシアからの返答は更なる硬化 南下し、亜州大陸での影響力をすさまじく増大させていく ロシアの野望を阻止できるか?…阻止できるとすれば、 それはいかなる手段であるか?…もはや戦争は不可避かと 言われても不思議ではないギリギリの状態で、外相として 小村壽太郎はロシア側との外交交渉の最前線に立っていた 御前会議でも、目下の議題は対露外交に関することばかり… 対露断交を決行するか、外交交渉の継続か。戦争はまさに 外交の延長線上にある。「よろしい。ならば戦争だ」 この一文を返礼することは簡単だ…だが、そんな簡単に 一文を発してしまうような政府とは、果たして交渉できる 余地があるか?また、同じことを相手がしてしまうような こともないのか?…天皇[みかど]は、対露開戦に踏みきろうと 血気にはやる男たちをなんとか制止しようとしていた。その 尽力の陰に伊藤博文あり…元老の中で、最も側近に近いと いえよう立場にある。ロシア皇帝・ニコライ2世は苦慮していた… 今回のはまさに最後通告に響いたという。譲歩する旨を 伝えても、もはや手遅れに等しかった…いや、公使に 伝える前の段階で手遅れにさせられたといってよいか。 翌・明治37(1904)年2月、ついに対露開戦の聖断を下した… いや、天皇[みかど]の心理は聖断を下さざるをえないと いったところか。日露開戦!…我が国が先に控える運命は? ![]() ![]() |一覧| |
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