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母子で楽しむ香合わせ…これは、平安時代では女性の たしなみとして双六とともに親しまれているものである。 江はその雰囲気を一発で台無しにしてしまうとはさすがだ。 時は天正9(1581)年、京都で信長は馬揃えを行うのだと いう…その取り仕切りは光秀に任ぜられる 秀吉は姫路城(今の兵庫県姫路市)で毛利方と果てなき戦の 最前線に立っている最中…京都に赴きたいという心理は、 さぞ率直であろうがそれは叶わぬ願いだ 天下絢爛とは、まさに馬揃えのときの京都であろう…いや、 軽々しく声をかけるものではないぞ江よ。この催しを 行う目的は何か?…毛利氏や北条氏をはじめ、未だに 織田方の軍門にくだろうとしない大名への威圧だという 説もあるが、信長は自らが神になろうとしている心理を 隠しきれなくなったというところもあろう…安土城(今の 滋賀県近江八幡市)の天守閣、そしてその築城工程のなかで 天皇をもしのぐ存在として自らを置きたい心理を如実に あらわす施設もあったという。京都にて、信長が宿舎を たしなむ本能寺…我が亡き祖父の墓があるのだが、現在の 本能寺とは場所が違う。なぜ場所を変えたか?…それは すぐにわかるだろう。あえて、この段階では申し上げぬ。 「總見寺という寺がある」 翌・天正10(1582)年正月、この寺の初詣で訪れた人々が あまりの多さによって、今でいうドミノ倒しのような 現象が起きて多くの人々が圧死したというそうだ。あ、 その年に名門の大名が滅びた…武田氏。甲斐(今の山梨県 全域)を本拠に、その武功は北条氏や今川氏をはじめと して、信長や家康をも恐怖に陥れ、苦しめた勢力である。 武田崩れと言われ、急激な戦況の進捗に恐れおののいたと される…天下布武は、必ずや誰かがやらねばならぬ運命と 説く信長。その天下布武への道が、逆に人心を離すことに なりかねぬ事態を招く。本能寺の変への重い扉が開く。 ![]() ![]()
江は、父の顔を全く想像できぬまま成長することに なる。元亀4(1573)年7月、実母・お市の方の兄にあたる 織田信長は、自分に対して包囲網を敷いた足利義昭を 京都から追い払った…槇島城(今の京都府宇治市)に籠った 義昭に衆寡、味方につく者らは居らず無条件降伏である。 その時をもって、足利尊氏以来235年間続いた室町幕府の 終焉である…すぐさま元号も天正に改元、同年8月には 怒涛の快進撃で朝倉氏、そして浅井氏も滅ぼしていった。 母や2人の姉が、業火 の中で死んでいく父の姿を焼きつけていくのとは対照的だ。 時は流れ、天正7(1579)年…信長は安土に新たな城を 築くことを決め、その築城のさなかにあった。江ほか 三姉妹とお市は、信長の弟・織田信包<おだ・のぶかね>が 統治している伊勢(今の三重県北中部、主に津市・松阪市・ 四日市市・伊勢市など)上野城(今の三重県津市)で平穏な ひと時を過ごしていた。む?…江はまだ齢・7つではないか? 上野樹里さんの登場が早いような気がする…いや、早い! それまでに至る信長の天下統一への野望は、日々実現へと 向かっていっていた。天正3(1575)年、長篠の戦で徳川家康と 連合軍を組んで、武田方に重臣団の戦死が相次ぐという 甚大な被害をもたらし、連合軍の勝利となった。しかし、 家康はのちも武田方と遠江(今の静岡県西部、主に浜松市・ 掛川市・菊川市など)で攻防を繰り広げていくのだがな 信長は、さらに西(=現在の兵庫県域のこと)進出していった 毛利氏と対峙していく。水軍を駆使したり、尼子氏の残党を 討っていく段階で播磨(今の兵庫県南西部、主に姫路市・赤穂市・ たつの市・加西市・三木市など)上月城(今の兵庫県佐用郡佐用町) 攻防戦などで、初期のうちは勝利を重ねていった。しかし、 水軍戦のリベンジを受けて、形勢は徐々に織田方が有利に なっていく。三木の干殺しと称される苛烈を極めた 兵糧攻めで有名な三木城(今の兵庫県三木市)攻防戦の時期で あるな。だから、この時期に秀吉が安土にいてはおかしいぞ。 ちなみに明智光秀も、ようやく丹波(今の京都府中部[亀岡市・ 福知山市など]と兵庫県篠山市・丹波市)一国平定が成ろうと している時期である。そんなさなか、三姉妹は信長と対面… 「さぞやワシを恨んでおろうな」 そう、天正へと改元した経緯には信長自身が提案したという ことだそうである。秀吉は殴られて当然だ…一方でそれだけ 勝利を確信しているということか。徐々に播磨や但馬(今の 兵庫県北部、主に豊岡市など)・丹波で毛利氏に味方する 国人らが少なくなっているのも、実感済みなのであろう 「どれだけ、酷いことを言っておるのかわからぬか!」 柴田勝家は、秀吉を糾弾する…無礼打ちどころでは済まされぬ。 まるで、勝家と運命を共にするお市の方…その暗示が露骨に 見えてしまう。そして、江は秀吉を毒殺したのではという 説が流れているのだが、その伏線とも言うべき演出もあった? 信長と江の1対1…緊迫しているようで緊迫感が感じられぬ 秀吉と家康の1対1…まるで家康が織田家の家臣団の一員と 勘違いしかねないほど、上手いというか皮肉交じりの演出で あるな。実際、この当時の清洲同盟は対等ではなく完全に 上下関係…どちらが上でどちらが下であるか、現世で言う 日米2国間の関係にも同じ例えが通じよう。どちらが信長で 家康であるか…答えられぬ者は、よもやおるまいと思うが。 どこかつまらぬ…うむ、本当につまらぬ。乗り気が起こらぬ 『茶々 天涯の貴妃[おんな]』という映画が公開され、もう レンタルビデオ店にはその映画のDVDが並んでいるという そのDVDを、今は無性に見たくなる衝動にかられてしまう ![]() ![]()
時は天正11(1583)年、至福のときを安土で過ごす3人の 女がいた。天下無双の天守閣を誇る安土城(今の滋賀県 近江八幡市)は、もはや見る影もない惨状を晒していた。 前年の本能寺の変で、城主・織田信長は明智光秀の謀反に よって齢・49、天下統一の野望を目前に自刃して果てた 時に江、齢・11…活発な少女は、のちに将軍の正室になる。 徳川家光、松平忠長の実母でもあるその少女の波乱の生涯… 時は遡り、永禄11(1568)年…岐阜城(今の岐阜県岐阜市)。 稲葉山城を落とし、美濃(今の岐阜県南部、主に岐阜市など) 一国平定の宿願を果たしたばかりの信長は、さらなる 壮大な野望に挑もうとしていた。上洛である…亡命中の 足利義昭を室町幕府の次期将軍として奉じる目的も兼ねて。 義昭の心は、はや京都に及んでいた。京都へと信長が向かう 道中、絶対に通らねばならぬ近江(今の滋賀県全域)。そこの 大勢力の1つである浅井氏へと、信長は自身の妹・お市を 嫁がせたのである。政略結婚は、戦国乱世の女たちの宿命… その宿命の中、お市は浅井家当主・浅井長政のもとでもある 小谷城(今の滋賀県長浜市)へ。そこで、3人の娘を産む… 茶々、初、そして江。浅井長政の裏切りによって、戦況は 著しく変わっていく。そして天正元(1573)年、江は生を 受ける…小谷城攻防戦のさなかに。しかし、攻防戦の結果は 浅井氏の滅亡に終わった。江は、信長が敵とは気づかず… なんだか、全体を語るには駆け足すぎたり…露骨とも いえよう演出も多すぎて、60分以上もの時間が久々に 拷問の時間に映った。鍵を握る時間…1568~73年までの 5年間、ここまで駆け足で展開されるのも萎えそうだ。 結局のところ、小豆袋を上下両方とも縛って信長の陣に それを届けさせたという逸話…この楽しみが、一瞬で 奪われる展開になったなぁ。あれは届かなかったという ことか…まあ、信長のその後の態度というか台詞で感づいた。 「市め…何をしておる?」 朝倉氏の登場は一瞬でて、一瞬で終わって…まあ、実際に 義昭を京都から追い出してから、すぐさま信長は朝倉氏を 討ちに行くわけだけど、その実質的な戦の日数の短さから 朝倉家を滅ぼした衝撃はまたしても、全国に広がっていく。 ![]() ![]()
外交も内政も、まさに世相そのままの例えである。 どうする「草食系」Japan 牙むく「肉食系」隣人たち 草食ですか…鳩山由紀夫内閣から、菅直人内閣にかけて そのように見えても不思議では全くない世相であります。 そして肉食…北京政府やロシア、まさにその行動力は 例えられても不思議ではない。ロシアのメドベージェフ政権、 今までの政権どころか旧ソ連の時代でさえ誰も敢行する ことのなかったことをやってのけたのは、記憶に新しい ところではあります。解決を困難にさせるための燃料を 投下されて、歯がゆいどころの問題では済まされなくなって いるのですからね。厄介な隣人とは、韓国ではありません… それでは北朝鮮か?いえ、それも違います。では北京政府? 実はそれでもないでしょう。ロシアであるということに、 誰も気づいたいないのでしょうか?気づいていないふりを しているというような感じは、全く見受けられないのでね。 「明治時代以降、一貫して仮想敵国1位なのは間違いない」 どこぞの阿呆な界隈には、北京政府や韓国・北朝鮮への 近視眼にあまりにもとらわれすぎて、我が国とロシアとの 戦略的互恵関係を築いていくべきだとか、それこそまさに ![]() といわんばかりの主張をしていたのがいたことを、私は 今でも忘れずに記憶の中にとどめているのでご注意を 元来なら、上記の3国と同規模…いや、それ以上に 国民感情を悪化させても全く不思議には思いません。 駐ロシア大使を召還させたとはいえ、一時的なものでね… もっと長期に渡ってもよかったのではと、そこは不満です。 そして、北京政府を語るうえではもう1つ忘れてはならないのは 日本の新幹線ソックリ 中国「滬杭高速鉄道」開通 まずは、上記の記事をご覧になられてくださいませ。この 記事を読まれたり、写真を見られたあとになにも感想を 思い起こせないとなれば、そこまでになってしまいます。 どこからどう見ても、我が国の新幹線…山形新幹線とか、 秋田新幹線で見られるような形の先頭車両ではないか? ただ両方とも、カラーリングが異なるものだから一見して わかりづらくなっているとは思いますが、車体デザインは どう見てもそっくりというか、あまりに似すぎているとも 感じなくはないのですがね。案の定、北京政府としては 「我が国のオリジナル、独自開発のものである」 とコメントしているそうで…パクリとも模倣ともいって、 差し支えはないかと思います。WTOに加盟している国とは、 思えない知的財産権への深慮のなさ…加えて、技術力を 模倣することしかでしか発揮できないという点は、もはや 韓国をも下回るということでね。かつ、大胆不敵とも いうべきかこの模倣新幹線を海外諸国へ売り込むとか すごいことをやらかそうとしているわけで…図体だけの 大国と一部で揶揄されておりますが、そのとおりですね。 ![]() ![]()
旧年中は、皆さまのご愛顧を数多に賜りまして まことにありがとうございました。本年も、 変わらぬご愛顧のほどを宜しくお願い申し上げます。 本年は、春に統一地方選が控えております 我が地元でも、大阪府議選および大阪市議選が例年に ない注目度を浴びようとしております。その引き金には 橋下徹大阪府知事の大阪都構想があります。もともと この構想は橋下府政以前から(太田房江前府知事の時代でも 案はあったとか)あったのですが、橋下府知事ほど構想の 実現に躍起になっている府知事は過去にいなかったでしょう。 今回の両選挙における争点の1つ…下手すると最大の争点に なるといってもよいでしょう。府知事を党首にローカル政党 『大阪維新の会』(以下、維新会)を結成し、大阪市議選の補選で 2勝を挙げ、大阪府議会議員および市議会議員の現職からは 自民党を中心に転籍が相次ぎ(自民党大阪府連は多重党籍だとして、 その対応を認めず離党勧告などの重い処分を下した)、転籍の 出なかった選挙区や地域には新人候補を立てて、参戦への 足掛かりをすでに築いております。その一方で、都構想に 対する疑義の心も広がっており、転籍しなかった現職議員や 公明党・共産党など、ほぼ全ての有力政党は都構想の頓挫を 目論んで必死の戦いを挑んでくる…そんな構図が予想できます。 そして、前哨戦と位置づけられているだろう愛知県知事選… 名古屋市長選や名古屋市議会リコール住民投票。各地で 熱い選挙戦がいきなり火ぶたを切られます 物見遊山な選挙参戦を目論む輩どもの付け入る隙は、特に 今回はないといってよいでしょう。そのような参戦を仮に 目論む輩がいるとすれば、参戦を控えることが賢明ですね。 ![]() ![]()
実現しようとも、現状維持でしかない? 大阪都構想…大阪市内の24行政区内、および昨今に なって長年の宿願であった政令市昇格を果たしたばかりの 堺市の7行政区内の各区域を複数区による合併を行って、 両市の存在そのものを消して全体で11の特別区を新設する。 また、両市と境目を成す各市の市域も同時に特別区にする… これらが、橋下徹大阪府知事がまとめた構想の中身とされて おります (以後、維新会)を結成して、来年春に迫った統一地方選での 大阪府議選および大阪市議選の双方にて過半数の勢力を 確保して、府知事案どおりの構想を一気に実現させようと 画策しております。すでに維新会は臨戦態勢…第1陣となる 公認候補者たちもすでに発表済みとなり、各地で演説を 聞いたり、また維新会主催のタウンミーティングという イベントを大阪市内の各区で順次開催していっていると いうのが現状です。まあ、我が地元ではまだ聞いていない わけですが…演説も、タウンミーティングとやらもどちらも。 ![]() 上記が維新会…もとい、府知事による特別区の区割り素案と いえるものだそうです。真っ先に報道したのは読売だったか 産経だったか…府知事の日誌を載せているわりには、産経は 後発だったかと思いますが、こちらを参照してくださいませ。 なお、この構想に賛同する証と言えるのが維新会への転籍… ちなみに、我が地元の選出となった府議・市議からは誰1人と して転籍した人がいなかったため、第1陣の公認候補者発表の 段階で新人候補を立てて参戦という構図が成立…府議選は1、 市議選は3しかない当選枠の争いが流動化とも熾烈な選挙戦と 予想されたり…まあ、府議選に関しては大勢が動くことは ないと言われておりますがね。特別区になって、まず挙げられる ことといえば、皆様…東京都の23区、あれを想像してください 特別区は、体裁上は市にも似たもの…実際、区役所公式サイトの URLにはcityと打たれているわけであります。昭和18(1943)年、 東京都の誕生に際しても現23区内全域に35もの行政区を抱えて いた 東京市と、そのほかの市域も包括する東京府の両府市機能を 合併させて(民意ではなく、もちろん上意下達のようないきさつです) 実現させたのです。しかし、特別区は警察は別として消防や 水道といったインフラ設備も独自では持てず、複数の区に よる集合体や単体による管轄といった体制で、東京都が これらの管理や運営を行っております。交通は言うに及ばず。 歪んだ社会構造の象徴といえば大げさですが、23特別区の 区長は、口を揃えて府知事による構想に苦言を呈したそうです。 「あのときの二の舞は御免だ」 実際、23特別区の中には市として名実ともに自主財源と 各種インフラ整備の自主確保・管理を行っていくといった 自立路線を探ろうとしているところがあったり、中には 都心部で東京市の復活を提案したとか、そんな話もあります。 そして、23特別区が市と似た機能を持つ…わかりますね? そう、区長選と区議選があるということです。区長を公募で なく、都庁職員から登用したり一般公募で選んだりとか できるのではないかと言いますが、それには公職選挙法の 改定を要するのではなかったかと思います(不要であれば、 すぐさま訂正いたします)。選挙が2つ新設されるとなると、 そのための運営費用はタダではありませんよ。区議会議員の 定数も、人口ごとにまばらになりますしね…府知事案だと 極端な人数の差は出ないでしょうが、他の案とか私案とか 人数差が出かねないのもあります(人口は二の次だからね)。 現状、大阪市議会議員は総計89人…堺市議会議員も総計53人。 89+53=142人…この人数で、府知事案による11の特別区の 区議会議員総数を割り振っていくのでしょうか?…そんな はずはありませんよね。どう考えても、合計していくと この数よりはるかに多い区議会議員の数を要します 「区議会議員の報酬を0にすればよいだけのことではないか」 簡単に言うでしょうが、簡単ではありません…地方自治法 第203条の規定を読んだことがありますか?あの規定内容を 読めば、0にしたいのであれば改定するほか実現の道がないと すぐにわかります。そして0にした場合の弊害がもう1つ… 松本武洋和光市長が、市議会議員時代に議員報酬0の提案だったか 疑問だったか、そのことを私から質問したことがありまして、 「0にすると、財界にべったりな議員が増えてしまうだろう」 このような回答だったか、いただいた記憶がうっすらあります。 私財を投げ打ってでも…といいますが、私財の力にも限りが あります。政治活動・運動はもちろんタダではありませんから、 支援も必要です。その支援に大いに頼らねばならない体質も いかがなものかという苦言も一理あります。財界族議員の 跋扈…これもまた報酬をむさぼるのと同列に、たちが悪い。 なにより、特別区の区割り案に関してもこちらですとか… ![]() いくらと案は出るものです。それに、東成と西成… 何気ないこの区名、かつイメージの決してよくない 区名。それでも私は、両方とも消すべきではないと 結論付けております。古代、律令制の時代から続いて 約1500年もの長い歴史を脈々と現世に伝えている区名… いや、かつては郡名としても存在しており、生き証人と いってもよい地名です。府知事案だと、両方ともいとも 簡単に消してしまおうという区割り…まあ、そもそも 「歴史の経緯とか、分区の流れも何も知らないヤツの考案か?」 と突っ込まれても仕方のないような、ご都合主義の極みとも 言われてよいほど、笑い転げそうで無茶苦茶な区割りです。 ともかく、都庁と特別区の誕生以前の問題にもなりかねない 事態ですが、仮に都構想が実現して都庁と特別区が誕生して その後の大阪はどうあるべきか?…どのような変革を成すか? そのビジョンが一向に見えないという不安も、増大しています。 では、そのあたりのビジョンなどの詳細な記事を次回に続けます。 ![]() ![]()
時は明治36(1903)年、秋山好古は清国から帰国してきた。 すでに、好古の右に出る騎兵の操り様を備えた指揮官は いないということだろうか…日露2国間は、もうそこまで 緊張関係にあって外交交渉もじり貧になっているという ことだろう。ロシア騎兵は、日本からするとまさに大人と 子ども…いや、それ以上に天地ほどの差があるかもしれぬ。 「震え上がらせる気なのだろう。招待の意図はそれだ」 ならば見せてもらおう…気丈な好古、その真意や如何に? 一方、真之は女の前に緊張した面持ち…1度、逢ったことの ある女がいた。稲生季子という女…のち真之の夫人となる その人である。軍人に生を謳歌できるか?…戦場に立てば、 そのことも忘れて一心不乱に勝利のために邁進せねばならぬ。 真之と季子の1対1…季子は、仮に真之と結婚したとしても 後悔はしないといわんばかりのようだ。嗚呼、睦まじき哉 真之は、生まれて初めて自転車に乗った…はしゃぐのも けっこうなことだが、風を斬って走る快感に酔いしれた まるでよい酒 秋山兄弟はともに、当時としては信じられぬほどの晩婚… 結婚観は素朴であり、純朴な軍人であったということか。 しかし好古はまた…渡露し、その先で騎兵の訓練見学に 招待され、その先の夜の宴で大騒ぎ。ただ興奮に満ちた わけではない…陸軍の兵力が相当、戦死してしまうのでは ないかと恐怖心も覚えた。その中でも収穫を得たのだろうか? 舞鶴で静養していた東郷平八郎のもとを、山本権兵衛が 訪れた…当時の桂太郎内閣では、海相を務めているのだ。 東郷が、再び指揮を執る…真之は作戦参謀に任ぜられた。 対露戦略の責任の一端を背負う身となった…もしかすると、 真之の指揮ひとつで部課やブレーンたちの生死が決まって しまう。同年12月11日、ロシアからの返答は更なる硬化 南下し、亜州大陸での影響力をすさまじく増大させていく ロシアの野望を阻止できるか?…阻止できるとすれば、 それはいかなる手段であるか?…もはや戦争は不可避かと 言われても不思議ではないギリギリの状態で、外相として 小村壽太郎はロシア側との外交交渉の最前線に立っていた 御前会議でも、目下の議題は対露外交に関することばかり… 対露断交を決行するか、外交交渉の継続か。戦争はまさに 外交の延長線上にある。「よろしい。ならば戦争だ」 この一文を返礼することは簡単だ…だが、そんな簡単に 一文を発してしまうような政府とは、果たして交渉できる 余地があるか?また、同じことを相手がしてしまうような こともないのか?…天皇[みかど]は、対露開戦に踏みきろうと 血気にはやる男たちをなんとか制止しようとしていた。その 尽力の陰に伊藤博文あり…元老の中で、最も側近に近いと いえよう立場にある。ロシア皇帝・ニコライ2世は苦慮していた… 今回のはまさに最後通告に響いたという。譲歩する旨を 伝えても、もはや手遅れに等しかった…いや、公使に 伝える前の段階で手遅れにさせられたといってよいか。 翌・明治37(1904)年2月、ついに対露開戦の聖断を下した… いや、天皇[みかど]の心理は聖断を下さざるをえないと いったところか。日露開戦!…我が国が先に控える運命は? ![]() ![]()
秋山真之は教官という立場を得ていた…海外留学での 経験を活かすのか?…ただ、真之が教わったときの 教官でさえも真之の門下に入っていた。何もかもが 新鮮な海軍のエリート養成所…その教官に就任したと あっては、真之は緻密な理論のもと実践へと活かす 講義を開くのであろう。優しいようで、実は厳しい 「指揮官は、乗員全員の命を預かっていると思え!」 指揮官が誤った指示を出してしまえば、無益な戦死者の 増加を生むのみ…それは、間接的に殺人[コロシ]に同じ。 真之は向き合いたくない過去の話があるからこそ、強く それを植え付けさせたいのであろう。だから、相互の 戦艦や空母らを模型を使って指揮の実験をさせたので あろう。さしずめ、彼にとっては予見どおりの中身が 返ってきたのであろう…ゆえに、まだ落ち着きもある。 男装の麗人とでもいうべきか、養成所見学に訪れていた 高橋是清は真之に彼女を紹介した。初めてのお見合い… ふむ、互いに緊張して当たり前の風土であるな。所帯を 持つ覚悟、か…真之もそのような齢になったということか。 明治時代における結婚の平均年齢は、現世では考えられぬ 年齢であったろうな。一方の子規は、すでに子規は自らの 死期が迫ってきている。しかし、その子規は最後の力とは 到底思えないほど、俳人たちと会合を取りもっていた。ただ、 病がそれで進行しないなどということは絶対にない…痛みが 子規の生気を奪っていこうとする。すでに立てる状態では なくなってしまい、必死に生きようとしているように見える。 好古は、北清事変のあとも清国内の日本租借地に駐留… 在留する日本人の保護が目的であるが、有名無実化に 等しくしていくのは常道である。袁世凱…清国末期から、 中華民国の黎明期の影の指導者として名の知られる軍閥の リーダーの1人である。李鴻章が逝去したのち、軍閥の中で 彼が最も大きな力を成し、権限など無きに等しい皇帝より 国を動かしていたといってもよいだろう。辛亥革命の 勃発で、孫文に加担したのも彼なりの身の振り方…いわば、 劉備に同じく機を見るに敏なのであろう。勇壮な姿である。 日々、弱りきっていく子規…看病する妹・律の心理はもはや 図り知れまい…そして、死に怯える子規の心理も図り知れぬ 「いい句が次々と浮かんでくるのだ… もう十分だ…そう言っていた矢先、夜のうちに子規は 逝ってしまった。齢・35という若さで…まるで眠りに 深く入っているかの如く逝去した ないほど、結核という病気は恐ろしく語られていたのが この時代である。そこから、子規はさらにカリエスをも 患ったという。葬儀には、子規の私邸に入りきれないほど 想像を超える人数が参列してきた。律は、ようやく本来の 自身に戻れる…というより、新たなるステージへと向かう。 乃木希典<のぎ・まれすけ>…この名も、私は知っている。 大正元(1912)年9月、明治天皇の崩御を知ってその後を追って 自殺したというほど、まっすぐな陸軍大将である。当時、 一線からは身を退いて農家の1人として生を謳歌していた。 「ロシアと戦うということは、神経衰弱に同じことよ」 その一方で、乃木が隠遁する農村の若き者らが2人…陸軍に 志願する。国民所得は、欧州や米国にはまだまだ及ばない… 大政奉還からまだ35年しか経っていない、近代国家としても 民主国家としても駆け出しにすぎず、かの国々は我が国に とっては今でも追いつき追い越す対象でしかないのだから しかし、時は待ってくれない…ロシアの南下に、国民は 恐れおののいていた。開戦するにも、財務力はまだ足りぬ。 それでも、国民は通り雨にも負けずに世論として煽る。 ![]() ![]()
リコール成立し阿久根市長が失職 来月にも出直し選 リコールとは、地方自治法の規定にある都道府県・市町村の 首長の解職を請求できたり、議会の解散も請求できる制度です。 海外諸国では、国政の養殖であってもできるとかできないとか… 政治学や行政学とかでは、深く習った記憶がないので明言は 避けておきますが、これらの請求は全て当該都道府県・市町村の 住民の意思によって(個人よりは、むしろ団体・集団のほうが多い なされることができます。その請求に対して、選管は受理の のちに請求人として署名した各人の筆跡や重複などの細かい 規定を確認していき、最終的な有効署名総数を算出。のち、 その総数がリコールの是非を問うことができる基準を満たして いるかどうかの裁定を下します。満たしていれば、請求から 60日以内に住民投票でリコールの是非を問い、是であれば 都道府県・市町村の首長は即時解職となり、同議会は解散と なります。基準はちなみに、全有権者数の1/3です…ただし、 有権者数が40万人以上(ex.大阪市や名古屋市など)であれば 別規定が適用されまして、必ずしも上記の数ではなくなります。 鹿児島・阿久根市の場合は、署名人に名を揃えた有権者は 規定をあっさり満たしたそうですが、いざ是非という名の 蓋を開けてみると、これがまた…竹原信一市長に対する 支持・不支持の如何によらず、誰でも署名人に名を載せる ことはできるので、このようなことになっているという ことで間違いないと思います。賛否が拮抗…あの手法が 合っているとでも言いたいのでしょうか?…あ、市長の 手法ですよ。あの手法は、何度も触れましたけど…ええ、 専決処分に関してです。地方自治法第179条及び第180条の 規定を何度も読めば、自ずとあの専決処分の数々は あのまま放っておくとするならば、確実に上記の条文規定に 違反している状態のまま行政を進めているということです。 「議会が私に対して全て野党だから」 上記のような理屈が、理由づけの概略だそうですが…さて、 これが第179条規定を満たす合理的な理由として成立するか? その判断は、有権者の1人1人に委ねられているということを 如実に思い知らされる結果にもなりえます。正しい政策をやるから 支持する…手法の是非は一切問わないで、支持者はただ 賛美のみでよい。支持者と信者の差は、なくなってきて いるのでしょうか?…その差は、いったいどこにあるのか? たとえ支持していても、一切の批判は赦さないという体質を もつ集団や個人が、時に恐ろしい劇薬に変貌する可能性を 秘めていることに気づいていないというのが恐いですね。 議会から2度も不信任決議を採択され、議会は1度解散… そして出直し市長選で第二次市政。また、リコール後も 第三次市政を目論んで早速の参戦表明です。ちなみに、 リコールされたり不信任決議を採択されたからといって 再びその当該選挙に参戦できないといった規定はありません。 残念ながら、それを実践させたいというのであれば上記の 内容を公職選挙法の改定に盛り込むほか、手がないわけです。 兵庫・加西市の中川暢三市長も、議会から不信任決議を 2度採択されて出直し市長選に参戦…当選して第二次市政を 実現させました。しかし、加西市ではここまでの泥仕合を 聞いたことがありません…その差も、いったいどこにあるのか? ![]() ![]()
時は刻々と、日清戦争を経て…勝海舟も明治32(1899)年、 長き生涯に終止符を打ち、翌・明治33(1900)年。世紀末を 経て新世紀へ、それでも帝国主義の唸りは江戸幕府の 終焉からわずか30年強しか経っていなかった我が国をも 巻き込んでいた 秋山兄弟…兄・好古は陸軍 真之は海外留学のさなかにあった。戦艦であろうか… のち空母へと海軍の主力は変わっていくのだが、この 流れに抗い続けて戦艦の巨大化(大和と武蔵はその典型とも 言われている?)によって、第二次世界大戦の敗戦は その因果関係とも揶揄されているそうだ。そして、この年に 忘れてはならないのが北清事変。義和団の蜂起により、 我が国は他の海外諸国とともに連合軍を形成して、清国内の 各国要人らの保護の名目のもと、彼らを鎮圧することにした。 国際法など、あって無きが如し…好古がそれを如実に痛感する 出来事は、この清国への渡航が機会であった ロシア兵も数多の兵力を清国に投入していた…掃討という 名目のもと、無差別殺戮を行っていたのだ。北京政府では、 ロシアとは蜜月のように見えて実は仲の悪い間柄であると いう話はまことしやかに流れている。主権にかかわる問題で こじれているほかにも、この経緯が実際にあったことだと すれば、それはなんら不思議なことではない。我が国でも、 第二次世界大戦の経緯において、政治倫理の左右の如何に よらず嫌悪感を抱く者らのほうが、好意を抱く者らよりも 圧倒的に多いそうだ(実態は、民主党や国民新党・社民党などのような ビジョンが単にないというだけか)。虐殺を見て、好古は何を思う? 一方、正岡子規は病魔に冒されていた…そして、清国では ロシア兵が数多派遣されて、満州から南下を進めていた。 多くの戦艦や駆逐艦らが、満州への入口たる遼東半島に 姿を現していた…その拠点、旅順港。このままでは、もう ロシアの強大化に対抗できる術をなくしてしまう…真之の 心理はまさにそれに支配されていこうとしている。もはや 農奴も同然か…清国にとって、もはや国の体をなして いない状態は決定打になろうとしている。翌・明治34(1901)年、 特別全権大使として小村壽太郎が派遣され、講和条約の 締結に至った。祝砲に迎えられて帰国し、その足で彼は 桂太郎内閣の外相に就任することになった。読者の皆様は、 桂園時代という単語を御存知だろうか?…明治30年代から 明治天皇の崩御の前後、正確には大正2(1913)年までだが、 陸軍大将・桂太郎と公家の出自である西園寺公望が交互に 首相となって、我が国の政治を引っ張っていたのである。 「日本なしでは、何も立ちいかなくなることに気づくさ」 英国と同盟を結ぶべし…その決定打を放ち、ロシアを 極東から追い払わねば、その火の粉 降りかからないとは限らなくなるからだ。日英同盟に 反対派である者など、元老には誰もいない…伊藤博文も 首相を下ろされた直後とはいえ、元老の1人でもある。 …む、なんだと?今なんと申した?ロシアと同盟を結ぶ? ![]() 「あの英国が、対等の同盟など結べる立場なのか?」 小村の仰せのとおりだ…弱小国扱いは、もう御免である。 下関の砲台を完膚なきまで潰されたことがトラウマかと、 憤る小村の姿…竹中直人さんが演じると、ここまで恐い 印象を与えるものかと感心する。ウィッテ…ふむ、ロシアの ポーツマス条約締結時の全権であったな。小村との1対1は 見物だぞ…しかし、軍部は満州から朝鮮半島へと影響力を さらに増していこうとする。当時の皇帝・ニコライ2世は もちろん、政治家たちはそれらの行動に危惧感を持っている 伊藤のもくろみはもろくも失敗した…恐るべきシナリオが 現実になろうとしている。激流が今、襲いかかってくる。 ![]() ![]() │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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