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藤村俊二「逝く順、最後のはず…」
2011.3.11 05:04 昭和9(1934)年に生まれた著名人が結成した「昭和九年会」の発起人だった坂上二郎さん。訃報を受けた“同級生”は悲しみに暮れた。ともに会を立ち上げた俳優、藤村俊二(76)は10日夕、都内で緊急会見。「二郎さんは『みんなを看取っちゃうから最後に逝く』って言ってたのに…早すぎます」と悔しがり、「もうすぐ逝くよ。待っててくれ」と優しくほほえんだ。 同期の桜が散り、残された旧友は寂しさを隠しきれなかった。 「二郎さんは本当に明るい人で、バイタリティーがすごかった。バカなことを言い合える数少ない芸能人の一人だったから、めちゃくちゃ寂しい」と声を震わせた。 09年1月、コント55号のラスト共演となった舞台「あらん はらん しらん」の公演中にかけた電話が最後の会話に。「元気にやってんのかい?」と気づかってくれたという。 俳優の長門裕之(77)、漫談家の牧伸二(76)、司会者の故玉置宏さんとともに「昭和九年会」の発起人になった2人。「42歳の厄年を過ぎた今後はみんなで楽しみながら社会貢献しよう」という信念の下、チャリティー活動やゴルフ、食事など同じ時間を共有した。 「二郎さんは、サービス精神旺盛で、ここまでしなくても、と言うくらい自分で自分を盛り上げる人。バカな思い出ばかりだけど、仕事は真面目でした」となつかしんだ。TBS系「ぴったしカン・カン」でも共演。「トップに答える二郎さんがボケて、最後に僕がめちゃくちゃにして。芝居でクイズしているような楽しさだった」とほほえんだ。 二郎さんは03年にゴルフ場で倒れたが、実は10年前に藤村が経営するワインバーで倒れたのが最初だったといい、「それから数カ月後にゴルフ場でも倒れて、注意しなきゃダメだよと言っていた」と明かした。 「あれだけの喜劇人がいなくなるなんて心残りですが…彼は『お先!』と明るい笑顔で旅立ったと思います」。泣き笑いのような表情で昭和の芸人をしのんだ。 昭和九年会の俳優、愛川欽也(76) 「同じ年でジャンルが違うヤツが集まって、遊ぶために作った会、しゃれてたよな。毎月9の日に集まって向島で芸者遊び、川崎でよからぬ遊び(笑)をしていたら、テレビに長門(裕之)=(77)=くんの奥さん(南田洋子さん)が出てて『同じせっけんの匂いで帰ってこないでよ』なんて言っててさ。そんなときも二郎さんはニコニコ。いつも『オレは元気だよ』って。みんな、二郎さんの元気は認めてたね。元気な二郎さんしか覚えていないよ。コント55号のコントが好きだった。一生懸命、けいこして作ってたし、二郎さんは芸があって飛んでたからね」 昭和九年会のフリーアナウンサー、山本文郎(76) 「目の前が真っ暗になっちゃいました。前に(東京の)練馬に住んでいたとき、家が近所だったので、一緒に焼き肉店で飲んだりして、仕事の上ではなく、仕事を外れた付き合いをしていました。心の友みたいな感じですね。二郎さんがボクの顔を見て『アンタ“福の相”しているね。まゆ毛が下がっていなかったら、アナウンサーになっていないよ。親に感謝しな』と言っていたのが印象に残っています。思いやりのある人でした」 島倉千代子、セーラー服姿で一緒にコントを 2011.3.11 05:00 お笑いコンビ「コント55号」で一世を風靡し、歌手、俳優としても活躍したコメディアンの坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、栃木県内の病院で脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。 不遇時代の二郎さんに、コンサートの司会をしてもらったという歌手の島倉千代子(72) 「二郎兄さんとは若い頃に私のコンサートで司会をして頂き、そのときにコントもご一緒させてもらいました。二郎さんは子供の格好で、私はセーラー服姿で楽しくコントをさせてもらいました。私がアイデアを出すと二郎さんは『面白い』って仰ってくれて、2人でコントを作ったのを思いだしました。二郎さんは皆さんが思うとおり、穏やかで、心温かい方でした。そばにいたとき、私も随分安心したものでした。二郎さん、今まで本当に有り難うございました。ゆっくりとおやすみください」 俳優、左とん平(73) 「二郎さんと初めて会ったのは昭和36、37年ごろ、新宿コマ劇場の“大部屋”時代。お互いに頑張って世に出ようと夢を語り合っていました。最近はお会いしてなかったけど、日本の喜劇の世界を担ってきた1人の先輩が亡くなられて、寂しい気持ちです」 映画「チータと55号」で共演した歌手、水前寺清子(65) 「とても可愛がっていただきました。そして、新宿コマ劇場で行った私の1カ月公演にもご出演いただきました。歌が大好きでいつもニコニコしてて、温厚な方でした。二郎さんとの思い出はたくさんあって語り尽くせません。これでまたひとつ火が消えた感じがしてとても寂しい思いでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします」 脳梗塞から本格的に舞台復帰を果たした2005年「富豪と、嘘と、のぞみ」に共演した俳優の西田聖志郎(55) 「08年に坂上さんへ舞台『六月燈の三姉妹』の出演依頼をしたのですが、そのとき、病状を事務所から聞かされました。その前に、新宿コマ劇場で前川清さん(62)の舞台を一緒に観ました。家族が那須から劇場まで連れてきて、入り口で私がバトンタッチして、坂上さんをご案内しました。そのとき、坂上さんは自立歩行することができていたんですが…。残念です」 舞台で共演した演歌歌手、谷本知美(36) 「突然の訃報にただただ驚き、そして二郎さんの笑顔が浮かびます。1カ月間舞台をご一緒させて頂いた時、毎朝楽屋にご挨拶に伺うと『知美ちゃん、入ってコーヒー飲んでいきなさい』と迎えて下さり、リハビリの早口言葉や発声練習を聞かせて下さいました。私のコンサートにもゲスト出演して下さり、『学校の先生』を楽しそうに歌って下さったことをついこの間のように思いだされます。二郎さんは本当に歌がお好きな方でした。心より二郎さんのご冥福をお祈り致します」 石橋正次「面倒見がよくお世話になった」 2011.3.11 05:00 お笑いコンビ「コント55号」で一世を風靡し、歌手、俳優としても活躍したコメディアンの坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、栃木県内の病院で脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。 テレビドラマ「夜明けの刑事」で共演した俳優で歌手、石橋正次(62) 「『夜明けの刑事』は二郎さんが初めて本格的に出演した刑事物で、監督からしごかれて、何十回とリハーサルしていた。あれほどの人が何回も何回も練習しているのを見て、『こんなに一生懸命にやる人がいるんだ』と芝居に対する真摯(しんし)な思いを見せていただいた。面倒見がよく、食事にも『食べにいこう』とよく誘っていただくなどお世話になった。体が悪いとはお聞きしていたが、元気に復活されたとも聞いていた。いつまでもお元気でいてほしいと思っていたので、ショックです」 女優の川上麻衣子(45) 「坂上さんとは20代のころドラマで娘役をやらせていただきました。撮影の合間は渥美清さんのように寡黙な人ですが、いざ撮影が始まると、こちらのどんなセリフも動きもテンポ良く受け止めてくださる芸達者な方でした。まだまだ現役でお仕事を続けていただきたかったのですが、ご冥福をお祈りします」 片岡鶴太郎“2人二郎”で「飛びます!」 2011.3.11 05:00 お笑いコンビ「コント55号」で一世を風靡し、歌手、俳優としても活躍したコメディアンの坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、栃木県内の病院で脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。 坂上二郎さんの物まねを持ち芸にしていたタレント、片岡鶴太郎(56) 「私は二郎さんの背中をみて歩んできた。コント55号は、私が中学生の頃、彗星(すいせい)の如く現れた大スターで、当時から二郎さんのことが大好きで、よくまねをしていました。やがて私が芸能界に入り、二郎さんのまねを持ち芸にしているのをご本人も喜んでくれて。番組収録後、二郎さんがご飯に誘ってくださり、2人で『飛びます!飛びます!』と言い合って“2人二郎”をしたこともあります。20歳の年齢差がありましたが、公私にわたって本当にかわいがってくださいました」 タレント、関根勤(57) 「二郎さんには、テレビ番組『カックラキン大放送』で10年間、芸や人生など、お教えいただきました。私にとってのコント55号は、私自身のアイドルであり、お笑いの道を目指すきっかけとなった大きな存在です。そんな憧れの二郎さんとの共演は、夢のような時間でした」 コメディアン、小堺一機(55) 「また、昭和の芸能界の偉大な先輩にお別れしなければなりません。少年期には、おなかが痛くなるほど笑わせてもらい、この世界に入ってからは間近で勉強させて頂きました。でも、悲しんでばかりはいられません。先輩に教えていただいたことを大切に頑張らねばなりません。これからは、頑張る後輩たちを見守ってください」 風見しんご涙…「優しい力をくださった」 2011.3.11 05:00 二郎さんと舞台などで共演したタレントの風見しんご(48)は10日、東京・赤坂のTBSで番組収録後に会見し、「コント55号はまだまだ見たいし、見られるって思ってました。もう言葉がない」と残念がった。 07年1月、愛娘のえみるちゃん(享年10)が事故で亡くなったとき、「稽古場で二郎さんがそっと僕の隣に腰をおろしてですね、『よく来たね、ゆっくりやっていきましょう』と肩をたたいてくださった。一番最初に、あの優しい力をくださった二郎さんの姿を思い出してしまいます」と涙ぐんだ。 日本テレビ系「カックラキン大放送!!」などで共演した歌手、野口五郎(55) 「言葉になりません。『カックラキン』では約8年間お世話になりましたが、僕の40年の芸能生活で言葉では言い表せないほどお世話になりました。ゴルフとテニスがお好きだったのですが、何よりも歌と音楽が大好きでした。僕はエンターテインメントとしての二郎さんの最高のセンスを学ばせて頂きました。2~3年前にお仕事でご一緒させて頂いたときの笑顔が、僕にとっての二郎さんの最後の笑顔となりました」 女優、由美かおる(60) 「芸に対してとても熱心で、それがすごく勉強になりました。歌もお上手だったし、何気ない顔でジョークを言われるのが、とても楽しかったです」 1989年のシングル「デーゲーム」で坂上さんと共演したロックバンド、ユニコーン 「以前、二郎さんにシングルのヴォーカルを歌っていただきましたが、気さくな人柄同様の素敵な歌声でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 11, 2011 06:10:00 AM
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